第13話 古の魔女と水の精霊王
沼の底の如く漆黒は不快な音を立て、人型へと変ずる。形を得た其れは私達の視線を集め、歪に微笑んだ。
細くしなやかな足、女性らしく豊かでありながら均等のとれた体は妖艶な色気を纏い、宵闇の空を写し取った緩く波打つ髪からは二本の黒曜石を思わせる山羊の角が生えている。
同じ闇の力を持つ混血種と決定的に違うのは、紫が差す紅玉の瞳と縦長の瞳孔、そして大きな二対の蝙蝠と似た大きな翼。これは、まるで・・・・
浮かんだ言葉に思わず頭を振る。
思考を遮るかのようにカルメンの憎しみが籠る声が響く。
「おのれ・・・精霊の家畜ごときが・・・」
彼女の腿には赤い筋が引かれ血が滲む、顔は怒りで歪み鋭い光を宿す瞳は私を射抜く。
ヒュッと空を斬る音と気配に身を捩らせ翻すが、僅かに上腕をカルメンの鋭く伸びる爪が切り裂いた。
「く・・・・っ!」
油断をしていたが、深手を負わずに済んだのは不幸中の幸いだ。
私はカルメンから目を逸らさず、後ろへ飛びのき退避する。
「うらぁっ!【鋼掌】!」
気を纏ったダリルの拳が抉る様にカルメンの脇腹に放たれる・・・が。
その拳は寸前の所で静止する、驚きに目を丸くするダリルを余所に彼女は不気味に口角を歪める。
「アタシに触れる事が許されるのは、愛しいあの方だけ。人間風情が穢しい・・・」
眉間に皺を寄せ、まるで汚物を見るような目でダリルを見ると、手をかざし呪文をつむぐ。
ダリルが慌てて引いた所、別の誰か詠唱が同時に木霊した。
「天に巣食う雷龍 猛り荒ぶる雷よ 我が剣へ集いて力とならん 【雷龍双牙】!」
フェリクスさんの双剣から放たれる雷は二頭の龍が競り合うが如く荒ぶり、ダリルとカルメンへと襲い掛かる。
「おい!俺まで殺す気かっ!【跳梁足】!」
寸前でダリルは其れに気が付くと、その場から素早く跳躍し退避する。同時に雷鳴が轟き閃光で視界は白み煙が立ち込める。
ダリルが言う事はごもっとも、フェリクスさんは何を考えているんだろうか・・・
カルメンの安否は不明、油断はできないけれど仲間たちの無事な姿は確認できた。
「いやー、お兄さん。お前が飛んでくれるのを信じていたよ~」
フェリクスさんは無事に退避したダリルを見てヘラヘラと笑い、胸を撫で下ろす仕草をする。
ダリルはその姿に怒りを爆発させそうになるが、目の前の光景を見て堪えるかのように、歯を食いしばり拳を握る。どうやら、事態を把握し堪えている様子。
「・・・帰ったらぶっ殺す!」
やはり、堪えきれなかったみたいだ・・・。
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霧が晴れて行くのと同時にカルメンの声が木霊する。やはり、無事だったか。
「詠唱よ・・・!」
「どうする?拳は壁みたいなヤツに防がれたぞ」
壁?障壁かな?ダリルの拳が止められた理由は判ったけれど、私の剣以外の直接的な攻撃は無効なのは痛手だ。
「いえ、どの程度有効かは不明だけど、先程の攻撃は無駄じゃ無かったようよ」
前方を覆っていた霧が完全にはれると、宙に浮かび詠唱するカルメンの姿が、僅かだが服の一部が焦げているのが見て取れた。先程のと言う事はフェリクスさんの攻撃かな。
「ダリルの攻撃に無くて、フェリクスさんの攻撃にある物・・・・魔法?」
「そう、見て判る通り。相手の手札が判明していない以上、これ以上は彼女に魔法を唱えさせる訳には行かないわ。倒せずとも詠唱を止める事はできるはずよ、大丈夫!援護はするわ」
そう言うとケレブリエルさんは杖をかまえ、詠唱を始める。
確かにフェリクスさんの攻撃には雷、私の剣には光の精霊王様の加護がある。
「皆さん、私も援護します!天上におわせます我が主よ 慈愛に満ちし御心にて 愛しき子らに一時、翼を貸し与えんことを!【アクセラレーション】!」
ソフィアさんが杖を天に掲げると、光と羽が其々に降り注ぎ、体が羽毛のように軽くなったように感じる。私達は顔合わせ頷き合うと、一斉にカルメンを目がけ走り出す。
「吹き渡る風の精霊達よ 我が杖に渦巻き集いて 無数の刃となれ 【ウィンドシャワー】!」
ケレブリエルさんの澄み切った声が響き、カルメンを逃がすまいと追い打ちをかける。
ゆらり・・・解放された筈のレオニダがカルメンを庇う様に身を起こす。
彼の体を遠ざけなかった私達に非はあるけど、こんな予防線を張っていたなんて・・・!
「吹き渡る風にて 精霊を統べし者 シルフよ私に天かける翼を!【レヴィア】!」
どうか・・・間に合って!
足を包む旋風は体を押しやり、逸早く私はレオニダを捕らえる。些か強引だが、私はそのままレオニダへ組みつくと、抱えたまま床を転がり続ける。
暫し、凄まじい風と共に床のタイルを無数の風の刃が切り裂き抉る音が響き、次第に治まっていった。
瞼を開き見上げる私の瞳に映ったのは、詠唱を唱え終えようとするカルメンの見下し愉悦に染まった瞳だった。
「・・・【怠惰の呼声】」
カルメンの掌から黒い霧が立ち込め、仲間達を飲み込む。霧が去ったその後には力なく膝をつく、ダリル達の姿が見えた。
「あら、意外と残ったわね・・・。まぁ、良いわ」
カルメンは頬に手を当て、残念そうな表情を浮かべる。
良く見回すと、ソフィアさんを庇う様にケレブリエルさんが杖をかまえているのが見えた。
しかし、完全には防ぎきれなかったらしく、杖を支えにふらつく体を支えるのがやっとと言う様子だ。
カルメンの方へと向き直ると彼女は大きな翼を羽ばたかせる、私が逃がすまいと剣を握るとパチリと指を鳴らした。
「またなの・・・っ!」
慌ててレオニダへの方へと視線を向けるが動く事は無く、騙されたと気づいた瞬間にはカルメンは上空へと羽ばたいていた。
「ふふふっ、アタシが居る限り風の時の様に上手くいかせないわ」
「風・・・まさか!貴女がクルニアを・・・」
「あのエルフったらちょっと甘言で唆したら乗ってくれたけど、とんだ見込み違いだったわぁ。それと、その反応はやはりアンタだったのね。でも、今回はアタシの勝ちだわ諦めなさい」
ねっとりとした声でそう言うと、カルメンは更に上空へと飛翔する。
「・・・空ならあたしが行きます」
ソフィアさんは翼を広げると、カルメンを追おうと羽ばたく。
「ソフィアさん、此処は私に任せて!皆に解呪をお願い!」
「はい!解りました」
ソフィアさんの承諾の声を耳にするのと同時に、私は【レヴィア】でカルメンを追尾する。
カルメンは水の精霊石を守る様に囲む岩を次々と破壊しながら突き進む。
焦りつつ、カルメンの足を捉えようとした時に突如、光の粒の様な物が私達を包み込んだ。よく見るとそれは無数の妖精の群れ、そのまま視界を埋め尽くされてしまった。
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水が滴る音で目が覚める、足元には何処までも続く静かな湖が広がっている。
「此処は私・・・妖精は?」
戸惑い困惑する私に静かな小波の様な静かな声がする。
「どうやら、盾が妖精達を使って助けてくれたようですね」
その声の主は水の精霊王様、海の如く青く透き通る長い髪を氷の花冠で飾り、美しい藍玉の瞳はとても穏やかなだった。
「え?盾・・・妖精の盾ですか?!」
思わぬ言葉に私は驚愕する。あの場には私達しか居なかった筈・・・いったい何処に?
「ええ、そうです。こうやって私が貴女と、再び会う事が出来たのも、あの者が闇の力を抑えてくれたおかげ。姿を現さないのはきっと・・・・」
水の精霊王様はそこまで言うと悲しそうに表情を曇らせ、水色の鰭の様な耳を萎れさせる。
何か謂れか因縁でもあるのかな?
妖精の盾について、其の名の通りの妖精を従える事のできる力があると言う事を知ったが、その点について、愛し仔と言う人物と共通する気がする・・・・まさかね。
「なるほど、協力関係を築く事が出来たら頼もしいですね」
「ええ・・・そうですね。では、貴女とあの子に私から贈り物を授けましょう」
「あの子・・・?」
水の精霊王様が指をさす方向を見やると、ソフィアさんが欠伸をしながら起き上がり、状況が飲み込めず呆けていた。
呼び出された事を含め色々と事情を話したが、半信半疑と言った所だけれども、如何にか理解をしてくれたようだ。
「アメリア、貴女に【氷狼の牙】を与えます。此れは私の力の欠片、貴女への信頼の証であります。きっと此れからの活躍に役に立つでしょう」
水の精霊王様の瞳と同じ藍玉色の牙の形をした首飾りが現れる、其れを受け取り首にかけると唯の金属とは違う冷たさと知識が頭に流れ込んで来た。
「そして、ソフィア。貴女の母達を守れなかったお詫びを兼ね、貴女には力を与えましょう」
そう言うとソフィアさんの額に手を当てると、彼女の体は青白い光に包まれる。それに目を瞬かせ暫し震えていたが、徐々に何やら自信に満ちた表情を浮かべた後、水の精霊王様に深い感謝の意を告げていた。
「それでは、貴女がたを元の場所へ帰しましょう・・・」
視界が徐々に水中の様にぼやけて来る。しかし、元の場所と言う事は・・・




