第20話 海戦ー善なる神の憂い編
暴食の魔族が多数の牙により縁取る巨大な円形の口を開く、その形状はクラゲと言うよりも海底で死骸を喰らうと言う円口類に似ていた。
ゲンブごと私達を呑みこまんばかりに吸い寄せられる海水、渦巻きながら吸い寄せ奴の胃袋に次々と流れ込んでいく。
怖気がする勢いに圧倒されるも、ゲンブは吸い寄せられるどころか失速すらしていなかった。
当の主は涼やかな顔しており、私達の顔が不安に曇る様子を面白がっている節まで伺える。
そんな中でシルヴェーヌさんはしゃがみ込み、小さな本を焦った指さばきで捲っていたがピタリと動きを止めて徐に顔を上げた。
「こ、この魔族はカリュブディスと言うものに似てイマス。ともかく、渦に気を付けてくダサイ!」
「ふふふっ、案じなくてよくてよ、この玄武は海月もどきに早々に食われるような事は無いわ」
ランギョク様の深い海の青色の瞳が、風になびく淡い水色の髪の下で余裕綽々といった様子で細められた。それは、本当に信じて良いものだろうか?
然し他に知るすべはなく、ともかく捕えられない事を念頭に置くが神様に言われたとて、不安は如何にも拭えない。
「キイヤアアアアア!!!!!!」
魔族は何時までも満たされぬ空腹に憤り、口を大きく開きヒステリックな女性のような奇声を上げた。
海は更に荒れ、水中から半透明の触手が水飛沫と共に飛び出す、宙で踊ったかと思うと私達を絡めとろうと雨の如く伸びてくる。
「散開せよ!!」
ヤスベーさんが吼える様に叫ぶ。
散る様に言われても移動範囲も限られている、何より平坦ではなく湿り気を帯びた甲羅は滑りやすい。
触手は紐のように細く、その一本ごとに意思があるかのように蠢く。
刀を鞘から抜き去り、絡め捕らんばかりに触手を扇動し、束となり襲い掛かった所で切り払う。
海面に乱れ落ち、一旦は攻撃の手を緩めるも襲撃は止む様子が無い。
「・・・っと!」
追撃の触手が伸び、服を掠めた所で切り落とすと触手が跳ね、その先端に同系色の爪が視界を横切った。
その形状は鉤縄のようだ。
「ほんっと、無茶を言うね!」
ザイラさんが振り上げた大槌を触手が絡め捕る、動きを封じられ絶体絶命に見えるが、その顔には恐怖も焦りも見えない。
ザイラさんは足を開き踏み込むと、両肩と腕に力を込めて拳に力を込めて捻ると力一杯引き千切る。
触手は次々と千切れ、振り払われて海面に散りぢりに落ちていく。
ザイラさんは白い歯を覘かせながら勝ち誇った笑みを浮かべるが、その残党がその腕を引き裂いた。
「ザイラ、早く此方ニ」
ザイラさんを心配し、シルヴェーヌさんが声を張り上げる。
「心配はありがたいけど、気遣いは不要だよ!」
布が裂け、赤く染まる腕をザイラさんは物ともせず薄ら笑いすら浮かべながら放射状に襲い掛かるカリュブティスの触手を体を捻り、反動を活かして大槌で叩きつけた。
ベチャリと柔らかくも弾力を感じさせる耳障りな音をたてながら触手は飛び散り、反動で海面へと飛沫を上げながら海を血で染め上げる。
されどカリュブティスの暴食の勢いは止まらなかった、尽きない食欲と飢餓感に突き動かされ溢れ出す衝動は止められなかった。
「食ベタイ・・・タベタイ・・・ハラガヘッタアアア!!」
耳を塞がずにいられない金切り声、生臭い息と追われる疲弊感にゲンブの渦潮に逆らう泳力が鈍り始めた。
それを従え操る主は表情一つも崩さず、厄介者を前に我関さずと言った表情で振り向こうともしなかった。それにはコウギョクも我慢がならなかったらしい。
「お主、水の神であろう。これは如何にかならぬのか」
「ワタクシは十二分にお前達に尽くしていてよ。こうして渦潮に呑まれずにいるのは誰のおかげかしら?」
ランギョク様は穏やかな表情を浮かべ、反応を楽しむかのようにほくそ笑む。
「ぐぬぬ・・・怠慢じゃ」
コウギョクは上手く言葉が返せず苦虫を噛みしめる顔を浮かべている、終いには堪え切れずに地団駄を踏みだした。然し、ランギョク様はその態度を崩す事は無い。
「貴女が本物の後継と言うなら、それを証明するに良き機会でなくて?」
コウギョクはまんまとランギョク様の挑発にのせられ、顔を赤く染めながら牙を剥き出しにして悔しそうに口元を歪めた。
ランギョク様はコウギョクの事は鼻にもかけていないのだろう、幾ら吠えられようと傍から見ても弄ばれている様にしか見えない。
ゲンブは目を見開き首を伸ばした、海が荒々しくうねる中でカリュブディスの触手がゲンブの尾である蛇を捕らえたのだ。
二体は互いに引っ張り合い、カリュブディスは体を海面から持ち上げると一際大きく口を開き倒れ掛かってきた。
「そのまま嚙り付こうってか?甘いんだよ!」
ヒューゴーは素早く弦を引き絞ると、炸裂矢をカリュブディスに向けて放つ。
矢の大半は牙により防がれたが、爆発により肉が削がれた事で仰け反らせた。
それは奴の動きを鈍化させるには十分だった。
私とヤスベーさんでゲンブの尾に絡みつく触手を切り落とすとカリュブディスもこれには憤り、大きく口を広げると最奥に瞳の無い叫ぶ太った女性の顔が現れた。
あれがカリュブディスの顔?
「グゥ・・・アアアアアアァ!!!」
牙を伝いながら飛び散る唾液、眼球が無く虚ろな空洞はずなのに睨まれていると錯覚してしまう。
息を深く吸い、その最奥に届くよう迫る牙を恐れずに剣を突き出した。
「・・・疾く舞い散れ【障葉呪】!!」
輝く木の葉が刀とカリュブディスの間を阻む、ゲンブごと私達を喰らおうとした其の巨体は弾かれて仰け反った。
「馬鹿者!こんな所で犬死する気か。それは木の気が不足している故に長くは無い、さっさと始末せぬか」
コウギョクの焦り混じりの怒声が響き渡る。
海上と言う足場が不自由な場で目前まで迫られ、千載一遇の好機と刀をその喉元に突き立てようとしたつもりが思わぬ叱責に手を止めた。
「そんな無茶な・・・」
こうして思案してる合間にもコウギョクが生み出した障壁は脆くも剥がれ落ち始めている。
ギチギチと何かを引き絞る音がし、ヒューゴーが声を張り上げた。
「奴に食われなきゃ良いって事だろ?んなの俺しかねーじゃん」
ヒューゴーの放つ矢が風を切り裂く、障壁の綻びを擦り抜けながら間髪入れずに放たれる矢は敵を貫き爆発により肉を剥ぎ取っていく。
絶叫が挙がり、舞い上がる硝煙がカリュブディスの姿を隠す。
カリュブディスの分厚い肉は剥がれて垂れ下がっていたが、その中央は牙は固く閉じられ護られていた。
「なんたる生命力でござるか!」
ヤスベーさんが顔を悔し気に歪めながらカタナを握る手に力が籠る。
カリュブディスの腹の虫が私達を威嚇する様に鳴り響くと同時に開閉された口から唾液がまき散らされる。
障壁は触手により散り、私達はカリュブティスと再び対峙する。
暴れる触手を切り裂きながらコウギョクへと振り返ると、カツンと硬い物が胸鎧に当たる。
水の精霊王様の加護が付与された首飾りだ。
カリュブティスの大きな体が影を落とし始める、生臭い息を放つ口内の奥で瞳が無い女性がニタリと口元で弧を描いた。そっと首飾りを握り締める。
華焔様から話を聞いたのならランギョク様も私達が西方から来たと知らせられている筈、それならこの暴食の権化の様な魔族を討つ勝機が見えてきたかもしれない。
細い鎖の先端を美しく装飾する水の魔結晶を握り締めては祈る。
「命を育む水瓶よ その雫を我に分け与え給え 時に癒し、凍てつき流転する その恩恵をこの掌に与え給えと希う」
祈りに応えて輝く魔結晶、柄を両手で握り締めると全身を巡る魔力が刀身へと流れ込む。
「ふんっ・・・ヒューゴー殿、追撃を頼み申す!」
倒れ掛かるカリュブディスにヤスベーさんが刀を突き立てる。
ヤスベーさんは甲羅の上で足を滑る足に力を込め、その血を浴びながら覆いかぶさろうとする巨体を抑え込もうと踏ん張り奥歯を噛みしめた。
カリュブディスはそれに憤るように牙を開き、身を反らすとヤスベーさんへと触手が伸びて絡め捕り持ち上げた。
「クワセロ・・・・ハラガヘッタアアアアァ」
大きく開かれる牙に縁どられた円形の口、ヤスベーさんが抗うも構わずに呑みこもうと引き寄せる。
然し、絶叫と共にヤスベーさんはカタナと共に引き剥がされる。
ヒューゴーが短刀を引き抜くと素早く接近し、跳躍すると絡みつく触手へと刃を振り下ろすと手早く切り裂く。
「か・・・忝い」
二人は散開し、甲羅に手をつきながら安堵の息を漏らした後に顔を合わせて頷き合う。
「わりぃ、こいつを漁村で食ったサシミにするには矢が足りねぇ!」
ヒューゴーは空に近い矢筒を見せつけると苦笑した。
その悪趣味な冗談にザイラさんは失笑すると、カリュブティスの触手を恐れずに体当たりするように抑え込む。
「サシミって言うより、挽肉じゃないかい?!アメリア、ヤスベー!何をやっているんだい、とっとと切り刻んじまいな」
そんな中、コウギョクは此れだけの騒ぎに視線を寄越すも何をする訳でもないランギョク様に苛立ちながら吐き捨てると扇を広げて口元を隠し睨みつけた。
「まったく早々に食われる事は無いと断じておいて様にならないのう」
ランギョク様の言葉と違い、疲弊したゲンブはカリュブティスに背後まで迫られている。
「ふんっ・・・」
ランギョク様は鼻で笑うも、此方を一瞥してはすぐさま顔を逸らす。
これにはコウギョクも無駄を悟ったらしい、必死の形相でカリュブティスを抑えるザイラさんに扇を突き付けた。
「ザイラ、麻痺した腕で無理するでない。贄を捧げて鎮めるなど時代錯誤も良いとこじゃ」
「あのねぇ、それじゃあコイツをどうすんだい!?」
ほぼ片腕で支えながらの力比べのような状況に苛立ってかザイラさんの言葉は荒くなる。
その返事の代わりにコウギョクは詠唱で応えた。
「舞え木の葉 惑わし 彼の者を攪乱し幻で魅せよ【狐葉幻惑術】」
扇は何時の間にか二本に、それを両手に構えると歌う様に詠唱しては風に舞う木の葉と共に可憐に舞う。
木の葉で埋め尽くされる視界の中、カリュブディスの鳴き声と共に何かが甲羅の上に落ちてくる。
触手に半透明の肉片、視界が開けると同時に自身の触手ごと自身を引き千切るカリュブディスの姿が現れた。
「おい、これ不味いんじゃねぇの?」
錯乱するカリュプディスの触手が襲い掛かる中、ついにゲンブの体に巻き付く蛇が歯を突き立てる。
流石に堪えかねたのだろう。
カリュブティスから放たれる女性の悲鳴と飛び散る血飛沫、大きく開かれた口の最奥の顔まで苦痛に歪んでいた。
「いいえ、好機を与えてくれて助かったわ」
両手で握る得物の刀身は凍てつき鋭く光を反射する氷の長刀へと姿を変えていた。
蛇を引き剥がして叫ぶ、女の声に眉を顰めながら仲間の合間を擦り抜けて接近し、腰を低くして刀を構えると錯乱するカリュブティスの口内を貫く。
「イヤ・・・ヤメテエエエエエ!!」
剣を突き立てる瞬間、カリュブティスの喉にある女性の顔が命乞いをしながら恐怖に歪む。
それでも青白い刀身は迷わず、暴食の化身の命を貫き断ち切った。
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その後の海の旅は快適だった。
戦いの場で見せた疲弊した様子が嘘のようにゲンブは素早く滑らかに海原を泳いでいる。
「皆には感謝しているわ、これで我が国の航海も安泰でしょう」
その主に至っては、こちらの苦労など鼻にもかけずに憑き物が落ちた様な爽やかな笑顔を向けていた。
コウギョクはランギョク様の能天気な返答に苛立ちを隠せない様子。
「なぁにが感謝じゃ!玄武を繰るのはお主、先程の減速は演技であろう?」
唾を飛び散らせんばかりの喚くコウギョクにランギョク様はほとほと呆れている様子。
「だったらら何だと言うの?言ったでしょう、海に厄介者がいると」
あれだけの事を敷いておきながら当然のような振舞いから、無茶を強いた動機が何となく推測できてしまった。
「つまり、華焔様の頼みを聞いたのはソレが条件だったのですね」
直感に従い訊ねると、さも当然と言った表情を浮かべながらランギョク様は髪をかき上げた。
其の視線は煩わしそうにコウギョクへと向けられる。
「そうよ、既に後継は決まっているも同然だわ」
呆れた様子で指先で髪を遊ばせると浅く溜息をつく。
あからさまに乗り気ではないこの態度にヤスベーさんは眉間に深く皺を刻んでいた。
「・・・では、コウギョク殿の旅を神々は快く思う者ばかりじゃないと言う事でござるか」
「当然よ、大地の底が抜けた後に狐護の森をよみがえらせたのは彼女だもの」
「なんじゃと?!」
まさかの世界の綻びによる大地の再生を何者かが行ったと耳にしてコウギョクを始め、弧護様を知る私達に衝撃が走った。
西方では妖精がその役割を担っていたが、ヒノモトでは何を用いて大地を甦させたのだろうか。
その言葉が事実としても、狐護様が自ら最後に後継として選んだ相手に代わりは無い。
「それでも、狐護様に選ばれたのはコウギョクです」
神様に反論する事に抵抗は有る、それでも確定事項のように語る口調に仲間の可能性を奪われる様に思えて黙ってはいられない。
ランギョク様はそんな私を冷たい目で見つめると、静かに首を横に振った。
「いいえ、先代がどう言おうと木の信徒が決める物よ。ワタクシ達は万物に宿り顕現するが、認知され必要とされなければ忘れ去られ朽ちていく。人の子よ、あまり一つの文言に縋りつくのは止めなさい」
「然し・・・」
「アメリア、そなたの言葉はありがたく思っている。然し、そう気をはやるな。この者の言う通りであれば、妾しだいと言う事であろう」
コウギョクは自信に満ちた顔でランギョク様を横目に、視線を戻しては私達に向けては尊大な態度で胸を張る。
この自己肯定感の高さは流石としか言いようがないだろう。
ランギョク様は少し呆れたように肩を竦めると、ゲンブを目的の半島の先へと上陸させては私達に下りる様に命じてきた。
「ワタクシはここまで、続きは迎えに来る者に言ってくださる?」
ランギョク様は砂利の海岸の先にそびえる崖の上を見上げた。
日差しが降り注ぐ為に眩しく、崖の先に森林が有るぐらいしか判りやしない。
「コウギョク!」
ヒューゴーが叫ぶと、崖の上から大きな何かが飛び掛かってくる影を見た。
コウギョクは忠告を受けたが理解が追いつかず戸惑う。
「ん?なん・・・じゃ?」
砂利が飛散し、どっしりと白い毛並みに黒い縞模様の威圧感の有る筋肉質な獣。
神様に使える獣に相応しい容貌を持ち合わせている。
その口には何故かシルヴェーヌさんが咥えられていた。
「とんがり耳に白い肌、弧護の後継って豪語する奴を連れて行けばいいんだろ?藍玉も、見送りの奴等も御苦労さん!」
獣は四肢に力を込め、主を乗せて全身の筋肉を使いながら崖の上へと跳躍する。
「アーレー」
緊迫感と裏腹にシルヴェーヌの間抜けな声で我に返ったが時既に遅し。
「ちょと待って・・・!!!」
「何と言う事じゃ!シルヴェェヌゥゥウ!!」
あれだけ目立つ姿の獣は大地を蹴り踵を返すと私達に追いかける間も与えず、呆気なく森へ姿を消し去るのだった。
本日も当作品を最後まで読んで頂き誠に有難うございました。
紅玉の継承の議に不穏な影が差す、そして勘違いによる新たな困難が
旅路に混乱をもたらす。
それでは次回までゆっくりとお待ちください。
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次週も無事に投稿できれば11月10日20時に更新いたします。




