第14話 神命と罰ー善なる神の憂い編
カエン様は私達を見つめながら淡々と語り出す。
「いいか?明日の夕方までだ、もしも魚を用意できなければ、お前達が海の向こうから来た間諜であると知らせる。この儂との約束を違えるなよ」
カエン様は炎のような赤い髪をかき上げると、私達を見ながら意地の悪い笑みを浮かべてはほくそ笑む。
さりげに昨年の祭りの真相を神社の関係者に訊ねるつもりが、まさかの神様の登場からの魔族の急襲に異界からの影響を改めて実感する。
今は私達に迫る専らの脅威は、異国の者と悟られまいと隠している弱みを利用したうえに、ヒノモトの事に明るくない私達に供物を調達するように神命を下したとんでもない此の一柱だ。
「少し、お訊ねしても宜しいでしょうか?」
「・・・何だ?」
「供物となるのはどの様な魚なのですか?私達はこの国の・・・」
揃えられた供物の中でも、尤も大きい木の台座には薄紙が敷かれているのみ。
カエン様に訊ねると、外から慌ただしい複数の足音が聞こえてきた。
「失礼します、少々お伝えしたい事が有るのですがお時間宜しいでしょうか?」
私の言葉を遮るように部屋の外から声がかかる、障子越しに数人の影が映っており落ち着きなく、一目で取り乱している事が判る。
カエン様は障子越しの人の子を見て煩わしそうに溜息をつくと、げんなりとした顔で私を見た。
「その質問は、金物屋の娘に訊けば解る。不器用で肝が小さい癖に、負けず嫌いな所は頂けないがな」
カエン様は視線を扇ぐと昨年の事を思い返したのか、苦々しい表情を浮かべながらカナを頼る様にとだけ言って町人たちの許へ歩いて行く。
パタンッと勢いよく開かれた引き戸の先には顔面蒼白の町人が三名。
その表情はカエン様の登場に見る間に安堵へと変わるが、背後に座る私達に気付くと何かを言おうとした口を堅く閉ざしてしまった。
「あの・・・」
神様の御前で委縮してはいるが、一人が意を決した様子でカエン様と私達を交互に見て口籠る。
「気にするな、さっさと要件を述べろ」
カエン様は言葉を詰まらせる町人を見て、苛立ち眉を顰める。
町人は何度も此方に警戒の視線を向けるも、背に腹は代えられないと言わんばかりに息を呑んでから声を上げた。
「ご報告に参りました、街道に鬼が出現したそうです。よって、この神事にも影響がでるかと思われます」
町人は額から汗を滲ませ、手を堅く握り震わせている。
他の二人も含めて漸く肩の荷が下りた言う顔をしていたが、カエン様の表情は当然だが穏やかでは無かった。
「宮司よ、儂は祓い屋ではないのだが」
先刻、カラスと魔族を倒したのはあくまで神社と町を護る為と言いたのか、如何にも乗り気ではないもよう。
「も、申し訳ございません!!」
然し、宮司さんは顔が青から白へと忙しく顔色を変えると、ただひたすら平謝り。
それを見下ろしていたカエン様は眉間に皺を寄せながら首を捻ると、私達と目が合ったとたんに口角がつり上がった。
これは碌でもない事を企む人の顔だ。
「・・・ふむ」
そう短く感慨深げに上から下までカエン様はゆらりと此方へと振り向く。
まるで上から下まで値踏みするような視線にヒューゴーは怪訝そうに眉を顰めた。
「あの神さん・・・何でこっち見てるんだ?」
ヒューゴーは何度もカエン様の様子を確認しながら、聞かれまいと声を潜めた。
正直、訊かれても神様の意図は読めないが、此れだけは確信できる。
「・・・間違いなく碌な事じゃないわ」
警戒心を隠さず身構えるが、当のカエン様は妙案を思いついたと言わんばかりに上機嫌で此方を指を差して来た。
「そうだ、この件もお前達に任せてやる。鋼神の力が宿る立派な武器を腰に下げているんだ、腕が立つんだろう?」
実に白々しい、煽てられた所で明日までと言う厳しい条件を与えながら鬼、つまり魔物退治だなんて過酷すぎる。
カエン様の瞳は鋭く、四の五の言わせない威圧感があるが、シルヴェーヌさんは目を丸くすると御構い無しに驚嘆の声をあげた。
「わお、的中デス」
冴えていますネと言わんばかりのシルヴェーヌさんの反応に苦笑すると、急ぎの命令が下った状態で無茶な話であると訴えてみる事にした。
「恐れながら、供物の魚は明日までですよね、それに加えて鬼を退治する何て難しいと思います」
恐々と反応を窺うと、まるで訊ねられる事が解っていたかのようにカエン様はまたもや不気味な表情を浮かべた。
「心配ない、宮司の此の焦りようから漁村と関係あるだろう。そうだな、不服と言うのならばもう一つ、好きな願いを特別に適えてやろう」
まるで、これで言い逃れはできないだろうと、カエン様は余裕のしたり顔は私達だけでは無く駆け付けた宮司たちにも向けられていた。
宮司は私達を一瞥すると、不審庵を露にカエン様に問いを投げかける。
「いったい、この小娘達は何者なのですか?!」
「案ずるが良い。この様な事態があるだろうと、予め儂が募った勇気ある若者達だ」
既にこれは決定事項であると私達に示しながら、宮司達に私達を紹介する。
さすがにこれで納得する人はいないだろうと様子を窺うと反応は的外れな方向へと事態は向かい出した。
「なんと・・・これは大変失礼いたしました。御神の御心遣いに心より感謝いたします」
カエン様の言葉に宮司たちは安堵からか涙まで零しだした。
「これが妄信と言う物だろうか・・・」
「・・・然し、これで断るなど口が裂けても言えぬでござるな」
「ふむ、されど時は有限。もう決まったようなものじゃろ」
コウギョクもこの事態を嘆き、私とヤスベーさんを見上げる。
気付けば待ちくたびれたカエン様の視線が背中に突き刺さっていた。
「良い条件じゃないか。皆からこの通り答えが出たよ、その頼み引き受けるよ」
ザイラさんは私達を呆れ顔で見ると、ヤスベーさんの判断をそっちのけで快諾する。
「な・・・」
ヒューゴーは文句を言いたげに口をパクパクとさせる。
「他に道は無いんだ、男らしく覚悟を決めな」
ザイラさんはヒューゴーの肩を優しく叩く。
シルヴェーヌさんは何方でも良さげ、コウギョクとヤスベーさんと共に確認するように顔を合わせて頷き合っていた。
「ふむ、良い心掛けだ。さっそくだが頼むぞ」
カエン様が満足げな表情を浮かべると、宮司達は此方へと歩み寄ると深々と私達に向かって頭を下げると、不気味な笑みを浮かべながら勢いよく顔を上げた。
「ささっ、カエン様もお忙しい身。さっそく頼みましたよ勇敢な皆さま」
そうにこやかに言うと三人は、私達の背を押して無理やり社から追い出した。
此処でふと思い出す。
「急ぎなら尚更、どの魚を持ってくるのか教えてくれれば良いのに」
まさかカエン様の許しを貰う事が出来なかったうえに、とんでもないお土産を持たされて鳥居をくぐる羽目になるとは思わなかった。
「あぁっ、大変じゃ!簪を返して貰っていないぞ」
コウギョクは何度も髪を確かめ、激しく動揺しながら頭を抱える。
「落ち着いて、それは後でも大丈夫でしょ。ともかく供物について話を聞けそうな人の所に行こう」
慌てて振り向くコウギョクの手を引きながら、私達は街中へと戻っていった。
**********
驚く事に、長机の上には暖かな湯気が上がる料理が並んでいる。
食事処は昼よりは賑わっているが、目にする限り古くからの常連さんのようだ。
「香菜ちゃん、親父さんに酒を飲む量を減らすよう言ってあげなよ」
店を後にする最後の常連さんは優しそうな御爺さん。
部屋の片隅でお酒を飲んでいるミツヤさんを一瞥すると、清算を済ましながら心配そうにカナの顔を覗き込んでいた。
「ええ、御心配をおかけしてしまってすみません。よく、言い聞かせておきますね」
カナは釣銭を御爺さんに手渡すと苦笑いを浮かべた。
「うるせぇ、俺は盗品なんて仕入れて何かいねぇよ!」
ミツヤさんの投げた陶器の入れ物が床に転がる。
カナは一切、父親の暴言に対して振り向きもせず頭を深々と下げた。
「も、申し訳ございません!」
「いいの、何か有れば儂らに言ってよ。飲んだくれ一人ぐらい、年を取ったからとはいえ如何にかしてやるよ」
御爺さんは穏やかな口調で答えると、カナの前で任せろと言わんばかりに胸を張って見せた。
「またのお越しを!」
「香菜、酒をもう一本!」
御爺さんを見送り終えた所でミツヤさんが呂律が回らない舌でお酒を催促するが、カナは慣れているのか溜息をつくと無視して私達の机に近づいてきた。
「・・如何なされましたか?」
「見惚れてしまって・・・へへっ」
誤魔化そうとして思わず、変な笑いが出てしまった。
さすがに火が使えない事に言及はできないが、目の前の料理は明らかに火が通っている事に疑問が湧いて来る。
料理は茹でた半熟の玉子に和え物や蒸し野菜と肉、両方あって彩が良い。
「この料理は温泉の熱を利用できる調理したものです。冷たい物ばかりではお客様に失礼ですしね」
カナは何かを察した顔をすると、少し得意げな表情を浮かべた。
「とても美味しいデス!」
「ありがとうございます」
シルヴェーヌさんの大絶賛に対し、カナの表情が一気に明るくなる。
捧げ物について訊ねに来たにも拘らず気まずい雰囲気になったが一先ずは安心と胸を撫で下ろした所で、然し、ザイラさんにより和みかけた空気を打ち砕かれた。
「なあ、火が使えないってどんな感じなんだい?」
悪気無く訊ねるザイラさんの傍らでヤスベーさんが水を吹き出し、向かいのコウギョクとヒューゴーにかかり起きた小競り合いを背景にカナの顔色が青くなっていく。
「えーと・・・」
思い出したくもない事なのか口籠るカナ。
何でそんな事を訊ねたのかとザイラさんに問おうと詰め寄った所でカチカチッと硬質な音が響き、酔いが回ったミツヤさんの吃逆が聞こえた。
「ヒッ・・・こういう事だよ」
目が座り、すっかり酔いが回ったミツヤさんの前の皿には料理ではなく、煙を揚げながら赤々とした火が揺れている。
カナはミツヤさんを睨みつけると、何も手に取らずに火元へ駆け寄っていく。
「ちょっとお父さん、台所から何を持ってきているのよ!」
近づくにつれて火は彼女を忌み嫌う様に揺らぎ、弱々しく小さくなっていったかと思うと、カナがミツヤさんの前で立ち止まった所で一瞬で消え去った。
「こー言う事だ。解ったら、もう二度とこの店に来るな」
ミツヤさにには自身を睨むカナや、驚く私達を気に留める様子は無い。
一部が炭化した料理と煤がこびり付いた皿を隅にはけると追い払う様に仕草をし、勝手に出入り禁止を告げたかと思うと、そのまま床に倒れて鼾をかきだした。
「嘘でしょう・・・もうっ」
カナは頭を片手で抑え俯くと、汚れた皿を集めだした。
「なんか・・・アタシの我儘のせいでとんでもない事になって悪いね」
ザイラさんはさすがに居た堪れなくなったのか、忙しなく動くカナの背中を見ながら申し訳なさそうに声をかける。
それに対し、カナは皿を持ちながら少し困ったような笑顔を作った。
「いつもの事ですから」
カナは炭だらけのお皿を隠すようにしながら立ち上がる。
不幸中の幸いなのは私達とミツヤさん以外のお客さんが居ないと言う所だろうか。
「少し・・・香菜殿にお訊ねしたき事が有るのでござるが」
ヤスベーさんは店の中を一瞥すると、御皿を運ぶカナを呼び止めた。
そこでミツヤさんの凄まじい鼾が響くと、カナは肩を落として振り向く。
「では此処では無く、別の場所へ移動しても宜しいでしょうか?」
「無論でござる。では、代わりに拙者が皿を片付けるでござるよ」
ヤスベーさんは頷くと、汚れ物の皿をカナから受け取ると調理場を訊ねて軽々と歩いて行く。
カナは何度も御礼を述べると、外に出て入口掛けられた布を取り込み戻ってきた。
そのまま促されるまま店の外へ、暫く歩いた場所で熱気が漂う岩場に辿り着く。
「此処、源泉に近いんです。勿論、人は入るどころか触れる事も出来ませんが調理の面でとても便利なんですよ」
湯気を立ち昇らせ、ぼこぼこと沸騰する岩場の傍には植物で編まれた籠が数個、並べられている。
「拙者達は先刻、華焔様にお会いしてきたのでござるよ」
「そうですか・・・それでわたしの所に来られたのですね」
カエン様の名前を聞いただけで震えると、カナは自身の腕を抱きしめる。
「そこで此度の祭りの供物として魚を届ける神命を賜ったでござる」
「え・・・部外者の皆さんに何故?」
カナは腕を緩めると、信じられない物を見る様に驚きヤスベーさんの顔を見た。
それもそうだろう、カエン様以外からすれば私達は縁も所縁の無い旅の一派。
大祭の大事な役目を任せられるなど、普通ならば思いもしない事なのだから。
「それには海より深い事情が・・・なんて事は無いが、気紛れで強引に指名されて鬼の始末まで頼まれてしまったのじゃ。やれやじゃのう・・・」
思い悩むヤスベーさんに代わり、コウギョクがカエン様の命令を簡略化してカナに伝える。
コウギョクは聞き入るカナを見て、大袈裟に振舞い肩を竦めて見せた。
「何でお前が辟易してんだよ、今回は戦力外だろが」
ヒューゴーは自信に酔うコウギョクに鋭く釘を刺す。
「う・・・ぐうの音もでぬ」
コウギョクも今回ばかりは自信でも納得しているのだろう、悔しいやら複雑な感情を湛えた絶妙な表情をしながら堪えている。
「なるほど・・・実に華焔様らしいですね」
カナは落ち着きを取り戻したが、俯き顔に影を落とす。
「実は供物を取りに行くように命じられたのだけど、どの魚なのか解らなくて・・・教えて頂けませんか?」
「確か・・・生魚、火を連想する鱗を持つ鯛などを避けて白身魚の中でも雄の鱈が相応しいとされています」
私達が鱈と聞いて思い浮かぶのは塩漬けの乾燥した切り身、山に住んでいた私にはなおさら姿が思い浮かばない。
「そうじゃ、ヤスベー達が魚を持ってきた際はお主に持っていかせよう。さすれば名誉挽回じゃろ!」
コウギョクは名案だろうと賞賛を待つ様にしたり顔を浮かべた。
然し、それを聞いたカナは申し訳なさそうに断りを入れ、苦しそうに顔を歪める。
「わたしは・・・できません。失態を演じた場から逃げ出した身、いまさらどの顔をして会いに行けるものか」
「むっ・・・そう上手くはゆかぬか」
コウギョクの耳がペタリと寝る。
これでは供物を火に投げ込んだと聞いていたが、そればかりは聞ける気がしない。
「カナさん、色々と教えて頂きありがとうございます」
「いえ、そんな・・・せっかくの御好意を無碍にしてしまって御免なさい」
カナはコウギョクを労わる様に屈むと、優しくその頭を撫でた。
気付けば湯気の合間から見える太陽が先程より低くなってきている気がする。
「如何か御気になさらぬな。拙者達はそろそろ街道へ向かうが・・・おっと代金がまだだったでござる」
ヤスベーさんは何かを思い出したかのように懐を探ると、私達に隠すようにカナに何かを握らせた。
「あの、これ・・・」
「また、食事処に寄らせて貰うでござるよ」
カナが代金を返そうと歩み寄ると、それを片手で制して背を向けて歩き出す。
私達はカナにお礼を述べると、立ち止まってはくれないので慌てて後を追いかける羽目になった。
温泉から街へ戻ると、ヒューゴーはニヤニヤとヤスベーさんを揶揄い出す。
「何だ?賄賂か?それとも、あー言うウジウジが好みなのか?」
「そんな物でござるな」
ヤスベーさんは煩わしそうに眉間を寄せると、ヒューゴーの言葉を曖昧に受け流す。
「え、本気かよ・・・」
「金には限りがあると言うに、カッコつけすぎじゃ。まあ、どうのこうの言っている場合じゃないかの」
ヒューゴーとコウギョクの解釈はどうも行違っている様だが、此処で武装した町人を多く散見する様になってきた。
「やけに物騒ですネ・・・」
シルヴェーヌさんは物珍しそうに周囲を見渡す。
人の流れを追いながら歩く内に町人たちよりも確りと武装した人の姿が目に留まる。
その背後には木製の高い柵と門が建っていた。
「まも・・・鬼を警戒しているのね」
「血が滾るねぇ、早く鬼をかたずけて祭りを楽しもうじゃないか」
逸る気持ちにザイラさんは身震いすると、そわそわと背負った新たな大槌へと手を伸ばす。
戦い自体と言うよりも、新しい武器を使用してみたくて疼いているらしい事が窺える。
「ははっ・・・」
「何をはしゃいでおる、お主は戦闘狂か」
コウギョクはヤスベーさんに肩車されながらザイラさんに向かって喚く。
門の前には朱華神社の門前でザイラさんに叩きのめされた町人の男性がおり、私達を見つけた途端に目を見開き顔を強張らせた。如何やら彼が神社からの連絡係らしい。
皆で顔を合わせ頷き合うと連絡を受けた番人が門を開く。
「それじゃあ、行きましょう」
街道は下り坂になっており、道の左右にはヒノモト語で書かれた護符と石碑。
この町の護りも途切れると、そこからガラリと街道の雰囲気が変わる。
数多の旅人や商人が歩き続けてきた道は人の物では無い者の痕跡が埋め尽くされている。
そして僅かに感じる潮の香りを掻き消す程の悪臭、生臭さに顔を顰めながら進むと鱗と地面にできた巨大な複数の足跡。そこには何色とも判らない液体が溜まっていた。
本日も当作品を最後まで読んで頂き誠に有難うございました。
予想を上回る脅威の痕跡に面を喰らった面々は約束の祭りの当日に間に合うのか。
穴から這い出た魔族の脅威は色濃くなっていく。
そして、またもや御揚げを食べる事が出来なかったコウギョクはどうなるのか。
次回までゆっくりとお待ちください。
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次回も無事に投稿できれば、9月29日20時に更新いたします。




