第57話 黒雲ー邪なる神の監獄編
狐火の青白い光に一人の影が浮かび上がる。
見知った人物だと判るのに、その内に潜む冒涜的な神格の気配が私達に言い知れぬ恐怖を抱かせた。
出立前と同じ服装、そしてよく知る表情に仕草、奴は上手く気付かれずにレックスを演じられていると思っているのか親し気に声をかけてくる。
「良かった、皆で助けに来てくれたんだな!色々とあってテローに留まる事は難しかった、おまけに逃げ込んだヒノモトも魔族に襲撃されて踏んだり蹴ったりさ」
此方が一言も発しない事に何の疑問も持たず、何とも白々しい作り話をでっち上げながら一方的に近況を語っていた。
暫くすると流石に此方の様子に気が付いたらしい、紫の瞳は怪訝そうに細められる。
やはり、チヅル達が言っていた、ヒノモトの襲撃に加担したのはレックスではない。
狙ったように姿を現した事と言い、私は確信を持ったことを機に、その態とらしい芝居を終わらせる事にした。
「何時まで私達にそんな茶番劇を見せるつもり?」
私が冷たく吐き捨てると、邪神カーリマンはわざとらしく驚いた素振りをしながら硬直し、何度も瞬きをしながら不思議そうな顔するが次第に演技により被っていた仮面が剥がれていく。
邪神は嬉しそうに目を細めると、ゆっくりと口角を吊り上げた。何て歪で気味の悪い笑顔なのだろうか。
「どうだ、平原は絶景だっただろう?」
邪神は私達に接近し、狐火の照らされながら自身の姿を見せつけると、さも自慢の芸術を誇るかのように平原で繰り広げられた惨劇を自慢する。
此処で不愉快だなどと口にすれば、まさに負の感情を好む奴の思う壺、賞賛と同義に取られる事だろう。
そして期待を裏切られた邪神はどう出るのか、探りを入れていると後方から何者かが呼びかけてきた。
「早くこっち来る、結界が有りマース」
その声を聞くなり私は正面へと顔を逸らした、独特の訛りから誰なのかは容易に判る、シルヴェーヌさんだ。
再び視線を戻すと赤い門、トリイから火が点いた蝋燭を持ったシルヴェーヌさんが手招きをしているのが見える。
此処でジンジャへ退避したところで、不完全であっても邪神を相手に結界が持つとは思えない。
ともかく雨乞いの儀式、それが成功するまでの時間稼ぎができれば良い。
黙っていると、聞き逃したと思ったのか、再びシルヴェーヌさんの声が聞こえてきた、しかも先程より大きい。
「こっ!こんな闇夜に何も見える訳は無いでしょ?」
コウギョクを背中に隠すように立つと、慌ててシルヴェーヌさんの声をかき消す勢いで答えた。
今、ジンジャに向かうべきなのはコウギョクだ。
青白い光の中でコウギョクの姿を隠すように立つと、邪神は私を見て嘲笑する。
「虚言は不要だ 」
思惑通りの反応を引き出せたと言う悦に浸った表情が邪神の顔に浮かぶ。
ここで邪神を高揚した気分から引きずり落したのはヤスベーさんだった。
「あのような光景、戦いに身を投じれば誰もが目にする光景。何と反応する事が望みでござるか?」
ヤスベーさんは左手をカタナの柄に添え、私と並ぶように邪神の前に出ると肩を竦めて見せる。
それに続きザイラさんまで槌を引きずりながらヤスベーさんの隣に並んだ。
如何やら二人もシルヴェーヌさんの声に気付き、雨乞いと言う儀式をさせにコウギョクを社に向かわせる事に協力してくれているらしい。
「はははっ、それもそうか」
邪神は残念がりも憤りもせず、合点がいったとヘラヘラと笑う。
その背後で草はかき分けられ、赤い光を灯すヒノモト式のカンテラを手にした魔族が姿を現した。
邪神は如何にも面白い玩具を見つけたかのように微笑み片手を掲げると、魔族達はカンテラを一斉に草むらに投げ捨てた。
乾燥し易い異界では火は瞬く間に広がり、草木が多いい周囲は炎で赤く照らされる。
「早く行け!馬鹿キツネ!」
ヒューゴーは怒鳴ると同時に、コウギョクをジンジャに向けて蹴り飛ばす。
理不尽極まりないこの扱いにも珍しく抗議はせず、コウギョクは素直に足を縺れさせながら転がるようにジンジャに飛び込んでいった。
シルヴェーヌさんや神社に残った人々共に神社の中に姿を消して行くのを確認すると、私とヤスベーさんは各々の得物を抜いて邪神へと突き付けた。
「せっかく御膳立てしてやったと言うのに何をするかと思えば、味方を逃したか。些か興醒めだが良いだろう、お前達に魔族とは何者か教えてやろう。我が眷族よ、己の魂に刻まれし力に狂うが良い【狂化変異】」
此方の真意は暴かれずに済んだのは僥倖、けれどもそれは邪神が生み出した創造物の起源を知る機会となった。
詠唱を耳にするなり魔族達は腕から脱力し、握られていた武器は次々と地面へと滑り落ちる。
続々と魔族達の体は歪み、言葉は唸り声へと変わり姿は魔物へと変貌した。
角に爪や牙は形を変え、骨格が変わり筋肉が盛り上がる者、皮膚や被毛が濃くなったりと原型を失うほどの変化が魔族達に齎された。
「これじゃあ、まるで・・・」
魔族と魔物、その二つの関係は主と隷属されている獣と周知されている。
その概念が覆った、声に出そうとした言葉を途中で失う程の衝撃に動きが取れず呆然としてしまった。
私達が驚愕する姿に悦を感じたのか、拷問の如く饒舌に語り出す。
「退化と言いたいのか?それは逆だ、これが奴等の本来の姿、魔物は何で人を食らうと思う?食事だけじゃない、血肉を取り込み知恵と姿を得て眷族の高みに昇るのだ」
これが異界に封じられても尚、眷族である魔族が異界で存在している理由か。
世界に生じた綻びから大地ごと異界に落とす理由は、欠落しているマナを取り入れる為ではないだろう。
己の眷族を生かす糧であり、それを駒として従わせやすくする為の給餌だったのだ。
「長々と講釈を聞かせてくれなくて結構よ」
「そうか、奇遇な事も有る物だ。我も口を動かすよりも、戦い争う事が好ましい。故に・・・」
ゆっくりと視線が背後へ突き刺さる。
コウギョクの事を疑われようと構わない、心に沸き起こる焦りは周囲を照らす炎と魔物に向けるものだ。
魔族だった者達は主の命に狂喜の鳴き声を上げた、迫るのはミノタウロスにワームとコカトリスの群れ。
炎に照らされる中、コカトリスとワームを跳ね飛ばしながら鼻息も荒く、ミノタウロスが涎を口の端から飛び散らせながら戦斧を握り締めて突進してくる。
私とヤスベーさんは後れを取らずに一斉に各々の武器を引き抜けば、ザイラさんの背中が大槌と共に視界を遮った。
「どきな!こいつ等はアタシが貰うよ!」
ザイラさんの力強く声を張り上げる、地面を揺らすような凄まじい足音を鳴らし一体のミノタウロスの許へ肉薄する。
ミノタウロスは振り下ろされる大槌を目にするなり、逃げる合間も与えられずに脇腹を打ち付けられて体が歪む。ぐらりと体が揺れ、そのまま地面に沈み込めば血痰と泡を吹きだし白目をむいた。
ザイラさんは短く息を吐くと大槌から手を放し、先程のミノタウロスが落とした戦斧を拾い上げては、別の個体が自身に向けた殺意を察して迷いなく振り下ろし両断した。
「ほう・・・これは見事でござるな」
ヤスベーさんは地面を眺めるとザイラさんに視線を戻し、その見事なまでの手際を賞賛をする。
地を這う敵の気配が間を空けずに私達へと迫る、それは大蛇の如くうねる長く太い体躯、頭部には八つの赤い目玉が横一列に並んでいる。
魔物は鎌首を持ち上げ、突き出した二本の大顎の奥には円形に並ぶ何層もの歯を覘かせた。
この虫なのか蛇なのか見分けがつかないワームと言う魔物は竜の近縁種らしい。
人型の時の面影は無く、これが魔族だったなど嘘の様だ。
「大きい奴はアタシに任せな。そっちの色々と危ない連中は任せたよ」
ザイラさんは白い歯を見せながら笑うと、大槌を握り直してミノタウロスの群れに飛び込んでいく。
其れを目にして溜息をついては、私はヤスベーさんと目を合わせ頷き合う。
「空で活躍できなかった時の雪辱を晴らしますよ!」
「無論でござる!」
ワームは四頭、私達の接近に気が付くと眉間の辺りから二本の角を突き出し、大きく裂けると口から一斉に火球を吐きだした。
その背後のコカトリスは優雅に鶏部分は地面を啄み、尾にあたる蛇だけは鎌首を持ち上げ得物を見定める様に睨んでいる。
ワームの体高は低く、足元を目掛けて飛んでくる火球を二人で躱す。
ワームの腹部がボコリと膨張する、言い知れぬ不安に負けずに退避より前進を選ぶ、牙が開き丸い口から何かが吐き出されるよりも早く、鱗が生えた蛙の様な形の頭部に剣を突き立てた。
短く低い潰れた声ともに破裂音がし、ワームの腹部は腐敗が広がり変色は全身に回り、異臭を放ちながら崩れ落ちる。
「毒・・・しかも腐敗する物を吐きます。気を付けて!」
私の忠告にヤスベーさんは倒したワームからカタナを抜き去り、身を翻しながら飛び退くが遅い。
ワームの体が跳ねるとゲフッと汚い声がし、大きく裂けた口から濁った黄緑色の霧が吐き出された。
ヤスベーさんはカタナを素早く収めるが、それが僅かな隙を生み、浴びた所からキモノの裾にかかり、足にまで浸透した事により変色を起こし血が滲んでいた。
ヤスベーさんは声を殺しながら顔を顰めると、緩慢になったワームの動きを目にした途端に脂汗を掻きながら体を一太刀で両断した。
倒し終えたヤスベーさんの片足ががくりと脱力する、平静を装いカタナを振るっていたが苦痛に歪んだ顔に脂汗が浮かぶ。
「ぐっ・・・・」
呻くヤスベーさんにキツネ火が近づいていく、何事かと様子を窺っていると狐火状態のフジが驚き叫んだ。
「アメリア!上っ!上だよっ!!」
フジの声につられて見上げればコカトリスが跳躍し、頭上からの奇襲を仕掛けたまさにその瞬間だった。
大きく翼を広げる、けたたましい雄鶏の鳴き声がし、慌てて剣を振り上げると蛇が剣に巻き付き食らいつく。嚙みついた鋭い牙から黒い液体が滴り、流れ落ちるのを見て剣を振り払い切り落とした。
「こいつにも毒が・・・!」
ワームとは別種の毒だが危険なのは変わりはない、コカトリスの爪を腕鎧で弾きつつ、蛇を引き千切りながら切り裂くとコカトリスは頭から地面に叩きつけられ力なく転がる。
剣を振るい、簡単に毒を拭い去ると起き上がった所を切り伏せると、今度は残りのコカトリスが一斉に鳴き声をあげた。
ヤスベーさんもツガルから治療を受けて立ち直ったが、今度はまさかの総攻撃に頬が引きつる。
二人で武器を構えて敵に駆け寄り迎え撃とうとすると次の瞬間、コカトリスの頭部が順に矢に射抜かれ爆発と共に四散する。
「ボケっとするな!まだ生きているだろ!」
ヒューゴーの叱責が飛ぶ、ふらふらとコカトリスは立ち上がると尾だと思っていた蛇が鶏に成り代わり此方へと突進してきた。
鶏の足は後ろ向きにふら付きながら動き痙攣し、何とも不気味で滑稽な姿でありながら狂気を感じる。
残りは四体、蛇の頭を優先的に落とし、倒れてくるコカトリスの体を盾に他の個体の攻撃を避けると油断した胴体を叩き切った。
魔物の死骸の山の中に立つ私達を見て満足そうな表情を浮かべるレックス。
白光が天を貫き夜空に瞬く、炎により赤く染まるヒノモトに雷鳴が轟いた。
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輝く星々を黒雲が呑み込んでいく。
これはコウギョク達が雨乞いの儀式を成功させたと言う事を意味する。
テローの二の舞を演じた邪神はそれに気付いて、どう思っているのだろうか?
空から地上の邪神に視線を戻すと静かにしゃがみ込み、静かに眷族達が携帯していたであろう細剣を拾い上げると無表情のまま此方に目を向けた。
その背後では幾つもの建物が倒れては火が鎮火し、代わりに幾つもの松明が此方に押し寄せてくる。
「成程、確かにこれは賢いな」
邪神は皮肉めいた賞賛の声を私達に贈る、窮地に追い込まれ気がふれた訳では無い、ただ名残惜しそうに周囲を見渡して思いに耽ると、紫に光る瞳を楽しそうに爛々と輝かせていた。
誰もが一目見て怖気が走る事だろう、こんな悍ましい顔は見た事がない。
「お主も事態が呑み込めていない訳でもなかろう、誠に不愉快でござる」
ヤスベーさんは邪神を睨み、静かに低い声で凄む。
「不愉快・・・不愉快か、好きなだけ言うが良い。驕り高ぶった塵芥の戯言など幾ら聞かされようと世界は正しい方向に味方をするものだ」
邪神は私達の前で勝利を確信しているかのように振舞う、強がりでも此方の動揺を誘う挑発でもない。
本心からそう告げているのだ。
「御託は良い、ソイツの顔や声で気色悪い事を口にするんじゃないよ」
ザイラさんは口の端から火を噴き、眉間に皺を深く刻みこむ。
邪神は何の事かと不思議そうな顔をする。
「これは我の器だ、好きに扱うのは至極当然の事だろう」
これは二人とも完全に邪神のペースに呑まれてしまっている。
このまま、奴の話を聞かせておくのは得策ではないと思った。
浅く息を吐き、剣の柄を握り締めると大地を蹴りあげると、魔物の屍を飛び越えて腕を突き出して切っ先を喉元に突き付ける。
邪神の顔は一瞬で狂喜に染まると目は見開かれ、反射的に身を引けば振り上げられた細剣と己の剣が交わり、キンッと甲高い金属音と刃が擦れ合う音が闇夜に鳴り響いた。
「悪いけど、お楽しみの時間はもう終わりよ」
既に雨雲は月を覆い隠そうとしている、邪神は諦めきれないのか鼻で笑うと目を見開きながら細剣を握り素早く接近する。
私がレックスを傷つける事を避けている事を感づいたのか、剣筋は大胆となり躊躇がない。
元より人外であるが為か恐怖の色は見えず、正面から接近しては何度も足を踏み込み、私の喉元を目掛けて細剣を突き出してくる。
それを払い退けようと剣を振り上げると、邪神の目が笑った気がした。
私の剣が接触するか否か、邪神の手を擦り抜けて地面に細剣が落ちていく。
驚きのあまり自身の心臓が跳ね、咄嗟に腕を引くが切っ先は邪神を切り裂き、その肩に紅い花を咲かせた。
「くっ、ふははっ、楽しみは最後まで味合わないとな・・・」
邪神の顔は血の気を失い徐々に瞼は閉じられる、肩を抑えたまま体勢は崩れて傾いた。
焦りながらも如何にか抱き留めたレックスの体は解放されたのか、だらりと脱力して私の腕に凭れ掛かっていた。
夜空から瞬く星々は消え、黒雲は紫色の月を呑み込む。
勝利の確信を得ると共に冷たい雫が大地を潤し、炎が広がりつつあったヒノモトの救いとなる。
然し、ツガルに照らされたレックスの顔色が悪い、肩の傷は黒紫に変色しつつあった。
「毒だな・・・思い当たる事は有るか?」
何時の間に接近したのだろうか、ヒューゴーは横からレックスを覗き込み渋い顔をしながら私を見る。
毒と、戦いの最中の光景が脳裏を巡る、剣に絡みつく蛇に滴る液体・・・
「コカトリス・・・!」
時間稼ぎの為とはいえ何故、油断をしてしまったのだろうか。
そう考えると、拳は硬く握られ震えていた。
「おい!混乱するなって。ほ、ほら、大丈夫だからさ!」
ヒューゴーは私の反応に一瞬、気まずげな顔を浮かべると狼狽しだす。
軽く混乱しかけた場に光明を差したのはヤスベーさんの一言だった。
「案ずな、拙者達には妖もどきまで作る薬師がおるではないか」
「そうか!そうだよな」
「あ・・・シルヴェーヌさんか!」
爆薬付きの矢に人工妖精と、もう錬金術の域に入っている気がするが此れほど彼女を頼もしいと思った事は無い。思わずヒューゴーと手を取り合って燥いでしまった。
後は二匹の狐火に照らしてもらいながら、ザイラさんにレックスをジンジャに運ぶ事に。
暗闇に背を向け、街灯に似たトウロウの明かりを頼りにジンジャへと向かおうとすると背後から声がする。
「団長!」
振り向くと其処には、松明を片手に肩で息をしながら酷く焦った様子のチヅルが立っていた。
「魔族が、いえ・・・だった者共が群れを成してヒノモトを取り囲んでいます!!」
捨て台詞と考えていた「楽しみは最後まで味わう」、如何やら邪神は自身にとっての御馳走を眷族を通じて味わおうとしているらしい。
本日も当作品を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
遅延に遅延を重ねる心苦しさに必死になったところ、如何にか今回は
言うも通りに投稿できました。
然し、情けない話ですが確約はできないので、月曜又は火曜のどちら
かの20時に更新とさせて頂く事にします。
ご迷惑をおかけ致しますが、今後も当作品を読んで頂けたら幸いです。
(* >人ω<)
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