第36話 愚行の末路ー邪なる神の監獄編
醜悪で喧しい女の怒声、思わず耳を塞ごうと耳を抑えると、一瞬で其れは短い呼吸と唾を呑む音を最後に鎮まりかえる。いつの間に接近したのだろうか?
身の丈程の柄に其の半分ほどの長さの、曲線を描く刃を持つ大鎌はクリスティーナの黒緑の髪を数筋だけ散らし喉元に宛がわれていた。
その持主は宵闇色の長髪を流し、この世界の住人には珍しい夕闇から夜へ変わる瞬間の空の様な暗い青紫に夕日の様な橙色が差す不思議な瞳を細め、冷たくクリスティーナを見下す。
何たる巡り合わせか、共に此の異界へ落ちたカルメンは此方を一瞥する事さえなく言い放つ。
「アタシが授けた策を活かせぬ愚行を犯した挙句に追い詰められるとは情けない駒ね」
暫し、言われるがままだったクリスティーナだったが、感情を奮い立たせるように唇を震わせながらカルメンの言葉に噛みついた。
「な・・・何を言っているの?あたしは失敗なんてしていないわ!」
「そう言うわざとらしい嘘は止めてくれる?せっかく教えてあげたのに達成目前で、こんな風に追い詰められた時点でアンタは失敗しているのよ」
裏から操りクリスティーナを使い、己の存在を気取られずに我々を二重の罠を仕掛けようとしたと言う所か。カルメンは人選を間違えたと小さく呟いた。
クリスティーナは動揺すると、カルメンの言葉に焦り必死に詰め寄る。
「不要と言う事?それは領主である、あたしの・・・!」
カルメンの大鎌はクリスティーナの喉元から徐々に下がり、瓦をかち割り影に突き刺すと何かを短く唱えながら引き抜く。如何にか聞き取れたのは【捕えし魂】だった。
カルメンが大鎌を引き抜くと、影の中から出て来たのは青白く半透明のクリスティーナ。
その姿は正に幽霊、慌てて視線を逸らせばクリスティーナの体は人形のように微動だにせずにいたが後方へゆらりと倒れようとしている。
こうも容易く、人の魂が刈取られる瞬間を目の当たりにするとは思わなかった。
然し、心情は妙に冷静だった、カルメンの事にばかり気がいっていたが、クリスティーナが倒されたと言う事は領主の証の所有者が変わると言う訳で・・・。
「まさか・・・成り代わるなんてね」
脆く崩れやすい瓦ほど、足場には向いていない物は無い。
捨て置けず、咄嗟にクリスティーナの腕を掴んだものの意識が無い人の体は予想外に重い、このままではクリスティーナと領主の証ごと地上に転落してしまう。
如何にか堪えた所で鈍い金属音が響き、クリスティーナを掴んでいた腕が軽くなる。
恐々と向けた視線の先には刀を屋根の際に突き刺し支えに、歯を食い縛りながらクリスティーナを受け止めるヤスベーさんが居た。
結果、瓦は落ち梁の一部が折れたが、如何にか転落だけは免れる事が出来たらしい。
重い溜息をつきつつ、ゆっくりと屋根の上にクリスティーナの体を横たわらせる。
「如何にかなったが、領主の証は無事であろうか?」
如何やらヤスベーさんも気付いていたらしいが、戸惑う様に目を泳がせ私を何度もチラチラと視線を送ってくる。如何やら私に探して欲しい様だが、どうにも釈然としない。
領主の証の在処を探すより早く怖気が走ったかと思うと、霊体となったクリスティーナとカルメンの冷やかな視線を感じた。
「死を利用しようだなんて罰当たりね。でも心配無いわ、貴女の領主の証なら此処に有るもの」
そう言いひけらかすカルメンの掌には、不気味な装飾が施された翡翠色の石が輝いている。
クリスティーナーは一瞬で私達の前から消えたかと思うと噛みつかんばかりにカルメンに貼り付いた。
何か罵声を浴びせ掛けているようだが、それはカルメンにも私達の耳に届く事は無い。
「領主の座を奪う為に機会を伺っていたのかしら?」
「だから何?悪いけど、願いを叶える為ならアタシは奇麗事も泣き言さえも言うつもりは無いわ」
何の揺らぎも無く、邪神が催した遊戯への参戦すると振舞うカルメン。
願いもきっと闇の精霊王様からみと思うが、何故かそれに対する妙な違和感が頭に残る。
「そう、何にしろ戦う相手は変わらないわね」
そう言い、カルメンは空のクリスティーナの体に向けて手を翳す。
すると、見る間に表情が強張りだしたかと思うと私達を罵倒する。
「この・・・領主の証を何処にやったの!返しなさいよ!」
「何を言って・・・?」
カルメンの突然の発言に私は困惑した。
彼女の手にはクリスティーナから奪った赤紫色の領主の証が握られているのを私もヤスベーさんも目にしている。
カルメンの一言を元に改めて思い返す、クリスティーナの所有していた証の数はインウィンディアの物を合わせて二つの筈だ。
記憶を手繰り寄せると、クリスティーナの体を救った時に何かが落ちた事を思い出す。
慌てて背後を振り返ようと足を踏み込むが、カルメンはそれを許さなかった。
頬に触る風圧、宙に舞う数筋の髪を犠牲に躱しては巨大な刃を薙ぎ払う、足場は斜面でかつ脆い為にカルメンは大鎌の重量に引き摺られるが二対の翼で飛翔し難を逃れる。
然し、これは好機だ。
私はクリスティーナの術がきれ、異様な光景が広がっているであろう町へ向けて屋根を慎重に下りていく。
然し、すっかり私がインウィンディアの領主の証を掠め取ったと思い込むカルメンが見逃す筈はなかった。
背後から耳に届く羽音と怒声を無視すると、屋根を早足で踏みしめる音と金属同士が衝突する高音が響く。
「任されよ!」
何とも頼もしいヤスベーさんの声を背に屋根を駆け降りる。
慌てる視線の先に立つ人物に情けを施した事を後悔した、目の前には頭から血を流しながら立ち塞がるクリスティーナ。自ら肉体に戻ったのか領主の証を譲渡する為、偽装したのだろう。
これ以上の思案する暇や迷う事も許されない、こうしてクリスティーナはカルメンでは無く私を標的にしているのだから。
クリスティーナの唇は呪文を紡ぎ、ベチャリと気色の悪い音を立て何かが這いあがってくる。
「・・・そこを退きなさいよ。妨害する気なら、あんたも許さないから」
如何やら、ウドブリムの領主の証に関する恨みの火の粉が私まで飛んできたらしい。
地上は騒めき立ち、双頭の歪で巨大な屍人が屋根に手を掛け此方を覗き込む。
継ぎ接ぎの様に合成され、人の形を失い異形の姿を模る屍人は緩慢な動きで屋根の上に身を乗り出し、腕を此方へと伸ばしてきた。
屋根はその重量に耐え兼ねると梁ごと屋根が折れて巨体が地上に叩きつかれ土煙を上げる。
クリスティーナは一瞬、方眉を吊り上げると唖然と立ち尽くすも、次第に我を取り戻すにつれ殺意が此方へと向く事が解る。
幸運を祈る様に腰に下げた鞄を探ると、丸い塊が指先に当たった。
それはシルヴェーヌさんから渡された丸薬、確か毒だった筈と自棄気味に最後の一つを私はクリスティーナへと投げつけた。
空中を「ちょっと危険」と称されていた緑の丸薬が回転しながらクリスティーナへと飛んでいく。
屋根を勢い任せに飛び降りようとすると、落ちた屍人と目が合った。
屍人は私を狙い懲りずに屋根にしがみ付き瓦を何枚も落としながら動きを止めると、大きく口を開け灰色の長い舌を伸ばし丸薬が衝撃を受け破裂するより早く絡め取られ呑み込んだ。
この舌、インウィンディアの人まで取り込んでいるのね・・・
「ごふっ・・・ごは、ぶふっ」
気味の悪い声を上げたかと思うと、屍人の胸部は膨張し破裂して腐り落ちた。
空洞となった胸部は腐食毒に侵され、漂う臭いは周囲の空気をも汚染する。
シルヴェーヌさんの言うちょっとの基準に困惑しつつ、クリスティーナが凄まじい形相で此方を睨みながら追撃の詠唱を行う姿を確認。
屍人は詠唱に呼応し、壊れかけの外壁に手を掛け片足で体を起こす。
「クリスティーナ!」
クリスティーナは名を呼ばれようと振り向きもせず、その姿を屍人が覆い隠す。
屍人の舌を躱しつう切り落としつつ、インウィンディアの領主の証を探すと露になった胸部に目が留まる。
心臓近くには緑の領主の証、肺の一部は毒々しい色の液体が溜まっており、屍人からはゼェゼェと荒い呼吸音が聞こえてきた
「なるほど、そんな所に有ったのね」
インウィンディアが毒物を生業にしていると聞いていた。
けれども所有権を譲渡したクリスティーナに証は扱えない筈、目の前で光景に私は困惑したが、おかげで目的は定まった。
臆する事無く剣を振り上げ向かい合う私の様子にクリスティーナも気付いたのだろう。
侮っていたつけが回って来た、クリスティーナの顔は次第に幽体になっていた時と同じく青くなる。
醜悪な怪物、屍人の体を削ぎ追い詰めた所で腐敗した肉体を私は両断した。
剣から伝わる嫌な感触を堪え、切り離された屍人は地鳴りと共に打ち付けられ、腐敗により地面に崩れ落ちた。
すっかり標的を私に移した事に苦笑しつつ屋根の上を見上げると、クリスティーナは此方を見下ろし睨み付けると次の瞬間には後頭部に何かが衝突し、白目をむき頭と体が揺れる。
体を半分起こすとニコラオはカルメンから私とヤスベーさんへと順に眺めては見下しほくそ笑む。
すると、町中が唐突に緊張感に包まれた。
「おいおいおい、マジできやがったぞ」
現れた敵陣にヒューゴーは同族達と交互に短剣と弓を構える。
ガラクタ団とウドブリムの連合が武器を向けると、オディウムの兵士達は臆さず町へ雪崩れ込んできた。
危機感を感じ、屍人の死骸から領主の証を双子を伴い拾い上げた所で大岩に衝突したかのような体当たりに弾き飛ばされる。
如何に立ち上がると、双子が気絶し横たわる姿を見て駆け寄ろうとした所で相手の正体を目の当たりにする。
大柄で筋肉質、全身に傷跡が残る険しく威圧的な風貌の単眼族の男性、太く不器用そうな指でインウィンディアの領主の証を拾い上げると此方を見て悦に浸った笑みを浮かべた。
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「此方を散々馬鹿にした奴は、どんな女狐かと思っていたが半端な知識しかない年増とはな。クリスティーナ、てめぇは知っているのに何故に教えてやらなかったんだ?」
ニコラオが言っていたとおり、オディウムがカルメンの策略に呑まれずインウィンディアに残した兵と領土を取り戻しに兵を寄越したのだそうだ。
男性とクリスティーナは顔見知りのようだが、利用した事による負い目が有るのか返答は無い。
暫くして逃れられないと悟ったのか、廃屋の中から出て来たクリスティーナは苦虫をかみつぶしたような顔だった。
「だって、こいつ等は異界人よ。レオポルトが懸念している様な事は無いわ、如何にでもなるもの」
クリスティーナは苦笑しつつ肩を竦めて見せる。
意図が読めず二人の様子を窺っていると、カルメンは二人の会話に割って入った。
「それはどういう事かしら?」
カルメンはヤスベーさんと距離を取り、飛翔するとクリスティーナを見下ろしながら睨み付けた。
三人の間に暗雲が立ち込めている事は間違いない。
「だってじゃねぇよ。テローやウドブリムみたいに落ちやがって、不完全とはいえ所有権を譲んじゃねぇよ!こいつはな、お前と協力すると見せかけて利用してんだよ」
些か口調は荒いが、確かにレオポルトの言葉に偽りはない。
始めてヤスベーさんがテローの領主の証を手にした時の場面が頭に過ていた。
何やらおまけに暴露されて怒りか悔しさか、クリスティーナの肩が震えだしたが、次の瞬間で掌を返した。
「あー・・・パヴォールの儀式を隠していた事は謝るわ」
反省の感情が乗らない謝罪に見事な開き直り、其れを耳にしたカルメンは感情を露にしなくとも静かに怒っているのが伝わる。
「クリスティーナ、領主の証は私に譲るのよね?」
カルメンの静かな怒りに念押し、クリスティーナはじっと見つめると怯えた様に生唾を呑んだ。
そうかと思うと、クリスティーナの口角が震え、ゆっくりと弧を描いた。
「そんな訳ないじゃない!」
クリスティーナはカルメンの言葉を否定する。
作戦の為とはいえ、仮死状態になってまで譲渡を行ったにも拘わらずだ。
それは地位や願望への未練を断ち切れず、自分に策を授けたカルメンに対する明白な裏切りになる。
「やっと本性が出たわね・・・」
カルメン自身もそれが解っていたようで呆れ果てた様子で溜息をついた。
大鎌の刃をなぞる様に見つめると、カルメンは絵を肩にかけてヤスベーさんへ振り返る。
「そこのヒノモト人、悪いけどこの茶番の続きは覚えていたらしてあげる」
揶揄いながらそう言うと、カルメンはヤスベーさんに背を向ける肩を竦めた。
カラカラと忙しくなり続ける音、滞る臭気は風に巻きあげられ、巨大な影が私達を覆う。
空からかかる影は次第に濃くなり、空洞でありただ闇が広がっている視界を淡い紫に発光する竜の骨が覆いつくす。
目が収まる筈だった空洞、その頭骨の穴には紫の光球が眼球の如く動き、此方をギロリと睨んだ気がした。
骨竜、死霊術の中でも攻守に加え移動にも重宝された最大の使役霊であり、元になる竜の減少により禁呪となったと聞かされている。
あまりに突然で、本物を目にした事と目の前で起きた光景に唖然としてしまっていた。
クリスティーナといがみ合うカルメンの隙をつき、骨竜は前足を翳すと、建物ごと踏み潰そうと振り下ろす。
ヤスベーさんは寸前で建物から身を投じ、如何にか死に物狂いで逃げ果せたが、クリスティーナのやり口はこの程度では済まない。
呆気なく建物と共に沈み、土煙でカルメンの生死は不明だがクリスティーナの執念を留めの瘴気のブレスで見せつけられた。
「・・・くっ、退避!」
瘴気を避けよとヤスベーさんが必死に命じる声が聞こえ、一瞬でカルメンが居た建物から蜘蛛の子を散らす様にガラクタ連合もオディウムも逃げていく。
「偉い力の入れようだな・・・それで、取り戻せたか?」
レオポルトはクリスティーナを冷めた目で見るとわざとらしく訊ねる。
既にやり切ったような充足した表情を浮かべていたクリスティーナだったが、レオポルトを無視して矛先をヤスベーさんに向けた。
「致し方あるまい・・・」
ヤスベーさんは乱れた服装を正し、クリスティーナにカタナを向けるが、どうも様子が可笑しい。
クリスティーナは緊張感で張りつめる空気の中で、自身の掌を始め、全身を手探りで探すが見る間に顔は青を通り越して白くなる。
それでも、湧き上がる森出の争奪戦への恨みに身を焦がそうとしていた。
「許さない・・・!」
形振り構わず屍人を作り上げ、ヤスベーさんへ仕掛けてきたが屍人達は一瞬で動きを止め、唯の骸へと帰っていく。
「五大領主が呆れたものだな」
ガラクタ団の中からウドブリムのウィルフレドがヤスベーさんの許へ駆けつけており。
神術を無効化され、クリスティーナの顔は屈辱で顔は赤紫に染まり、ウィルフレドに指を突き付けた。
「く、口を慎みなさい!」
クリスティーナの肩や腕はわなわなと怒りに振るえ、奥歯を噛みしめては必死に何かを堪えている様子。
その時、突如として骨竜の絶叫が木霊する、ミシミシと落雷で樹の幹が裂かれるような音が響き、闇の中に浮かぶ紫に光る眼球はぐるりと回り頭蓋が裂けた。
「ふふっ、闇渡りは久々だったわね。でも、アタシにはアンタの恨みが晴れようと晴れまいと関係は無いわ」
カルメンはゆっくりと骨竜の頭骨から出ると一瞬で姿を消し、クリスティーナの影から現れると大鎌を振り下ろした。
「うっ・・・そ・・・」
クリスティーナは短く呻き、赤く染め上げられたカルメンに怯えながらヤスベーさんを恨めし気に睨むも、力なくそのままの姿勢で地面に伏した。
「何と言う執念か・・・何処でも女子の恨みは末恐ろしい物よ」
「俺には理解できねぇな。たかが一回、証を横取りされたぐらいでよ」
それを見てコウギョクとヒューゴは呆れつつもガラクタ団と共に、カルメンにオディウムの二つの勢力を警戒する。
「・・・大丈夫、私も解らないわ」
私も二人に共感し、ヤスベーさんと共にガラクタ連合に加わると、何処からともなく軽快な拍手が町に鳴り響いた。
薄暗い小道から現れる人影、二つの勢力合間から此方を覗くと、拍手をする手を止め跳躍し、宙で一回転をすると向かい合う私達の前に着地する。
くすんだ桃色の髪、長い前髪から覗く目は仄暗く濁った瞳で此方を見つめ、お面の様な笑みを顔に貼りつけたパヴォールは私達の戦いを遮り、軽々と中心に立っては訝しむ視線を浴びても物ともせず踊り足を止めた。
「我らが偉大なる主、カーリマン様は此の遊戯盤の上でのお前達の活躍に大変お喜びだ。そこで君達の正解を称賛し、この僕が君達を城へ招待するよ」
今まで遠くから眺めていた城、この主は如何やらこの兎らしい。
封じられた邪神など如何でも良い、私にとって生涯で最も胡散臭い招待だった。
本日も当作品を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。
またもや諸事情により更新が遅れてしまい、大変申し訳ございません。
説得力はありませんが、出来得る限り間に合うように致しますので、如何かこれからも見捨てず読んで頂けたら幸いです。
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次週こそ無事に投稿できれば、11月25日20時に更新いたします。




