第01話 堕ちた世界
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穢れと言う異臭を放つ粘性の液体に沈む感覚は酷く不快であり、光が消えて暗闇に沈む感覚に心臓が恐怖で凍り付く思いがした。
落ちていく、沈んでいく、次第に吐き気や眩暈は薄れ、清浄な空気が肺に吸い込まれる。
穢れに落ちた筈なのに何故、呼吸ができる?
恐々と手を伸ばすが触れる物はなく、ただその指は空を切る、固く繋いだ手の感触に瞼を開ければ、目に映るのは見上げる限りの金色の文字列と文様。
辺りを満たすのは穢れではなく果てしない闇、それにも拘わらず遥か眼下の底からは微かに光が漏れており、幾筋も穢れが旋風のように伸びていく。
徐々にぼんやりとしていた頭が冴えていく、レックスの安否を問う私の声に緊張の面持を崩さず視線だけが動かせば此方に手を翳すカルメンの姿が飛び込んできた。
その顔に浮かぶのは逃れる事ができない私への勝利を確信した嘲笑。
緊張で静まり返る空間、しかし待てど魔法の発動の兆しさえ見えない。
一瞬だけ間が抜けた顔で呆然とするカルメン、本人も状況が理解できないらしく、怒りに手を振るわせ、ヒステリックに繰り返される詠唱の声は弱々しく静かに消えていった。
「・・・魔法が使えない?」
疑問の答えは風の精霊王様の加護の不発によって証明され、カルメンの怒りは困惑する私へとむけられた。
「こんなの有り得ないわ!一体、アタシに何をしたのよ!」
カルメンは大きく翼を羽搏かせ、半狂乱になりながら私の肩に掴みかかると、言い掛かりも甚だしく感情のままに噛みついて来た。
理不尽さに私はカルメンの肩を掴み返すと、間に挟まれているレックスが大きな溜息をついた。
「世界の綻びは妖精達が塞いだ。よって、お前の頼りの精霊は此処には居ない、それが何故か判るだろう?」
精霊が居ない、つまり六属性からなる魔法の無能化。
世界の綻びと言う事象、その先に繋がるのは漠然と異界が在るとしか知らなかった。
つまり、女神様の封印が弱まっている事の証明、自分達がその穴の下に居ると言う事。
毅然と構えるレックスの言葉にカルメンは不信感を露に目を見開くが、動揺を隠すように息を飲み、鼻で笑って見せると私を掴んでいた手を放し強引にレックスを抱き寄せ、私の腹部を踏みつけた。
「それで、有利な立場になったつもりかしら?アタシは構わないわ、貴方の体さえ持ち帰ればあの方の願望は叶うもの」
「成程ね、悪いけど私はこの手を貴方達から放すつもりはないわ」
私は蹴り飛ばそうとするカルメンの膝裏を蹴り上げた。
あそこでカルメンの怒りの矛先が闇の精霊王様の企てを阻止した私に向かわなかったのは、自分の手柄にする為だった。
その理由は定かではないが、代々の剣と盾は原初の神の力を別ち生まれてくる。
私は女神様、そして盾であるレックスは邪神の依り代、そう奴らの復讐ともとれる願望を乗せた天秤は有利な方向に傾いているのだ。
それを解りながらこの事態を防ぎきれなかった事が悔やまれる。
「・・・だが、願いを叶えるのはお前達ではない」
レックスは落ち着き払った様子で呟くと、首にかけられた方のカルメンの肘を拳で斜めに突き上げ、拘束を擦り抜けると自由になった手から青白く半透明の分厚い本を出現させる。
そのままレックスが何か呟くと本は開き、それは丸まると、一振りの銀色の杖へと姿を変えた。
「うぐっ、何様のつも・・・り?」
カルメンは怒りを露にしながら強く打ち付けた顎を撫でると、突きつけられた銀杖を目にして一瞬だけ体を強張らせる。だが、すぐさまレックスを見下し嘲笑う。
それは虚勢か、それとも唯の挑発か、精霊どころか妖精も居ないこの場に居ない事による慢心なのだろうか、二人の駆け引きは続いていく。
「俺を邪神に捧げさせるつもりはない。だが、少しだけその翼を貸してもらうぞ」
「はっ、そんな棒切れで脅しているつもり?そちらこそ、そんなハッタリでアタシが本気で従うと本気で思っているのかしら?馬鹿にするのも大概になさい」
「・・・それは如何かな?」
レックスがほくそ笑むと、銀杖から蝶と鱗粉が舞い上がるとカルメンは驚愕の表情を浮かべ、苛立ち大声を張り上げた。
「冗談じゃないわっ!」
カルメンは術を防ぐ為にレックスの銀杖に手を伸ばす。
「そうはさせないわっ!」
掴んでいた肩から手を放し、カルメンのその手が銀杖に届くより早く、必死の思いで抱き着き抑え込む。守りたいと言う気持ちに呼応するように、ぼんやりと胸の奥で暖かな光が宿り、胸元から金の光が溢れると同時にカルメンの体に一斉に流れ込んだ。
「きゃああああ!!」
カルメンは絶叫を上げながら仰け反ると、体中から紫光が弾ける様に飛び出し散っていった。
カルメンの悲鳴は止み、白目をむきながら脱力し痙攣をすると、抱き留められていた腕がずるりと抜け共々、異界へと落ちる羽目になってしまった。
如何にか手は繋ぎ止めるも、このままでは待ち受ける未来は変わらない。
「失敗した、まさかの伏兵に驚いたな・・・」
落ちていくレックスの声は低く、その顔は怒りに満ちていた。
これはもしかしなくても、カルメンに異界まで連れて行ってもらうと言うのは本気だったのだろうか?
「えとっ・・・その、これは」
気まずさに目を逸らすついでに、胸鎧の隙間を覗けば、何が起きているのかは確認できないが不思議と心が温かくなる。
これは精霊でも妖精でもなく、私達の味方となる力か・・・
風圧押し上げられるが、落下速度を抑える役目は果たさず、考えは纏まらなかった。
「ありえない、急激なマナの流入に見えたが、あれは何なんだ?」」
「さ・・・さあ?はっきりとは判らないわ。でも、もしかしたら祝福かもしれないっ」
「はっきり聞こえなかったが、ともかく邪神が封じられた異界に降りる覚悟をしておけ・・・!」
狭間の天に描かれた封印への不安が募る。
それよりも専らの懸念は、無事に異界に降り立てるか如何かなのだが・・・
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「此処が異界、神の監獄・・・」
元の世界と違う灰色がった空、解った事は落ちてくるのは私達だけでは無いらしいと言う事。
くすんではいるが空は思いのほか広い、岩や木々に人工物などが落ちてきているのが見えていた。
「精霊による魔法が無く、争いと血を好む邪神が支配する穢れた世界かぁ・・・・」
「地上に降りたら、新たな綻びが生じるまで潜伏するしかないな」
「何でそんなに落ち着いてるのよっ!」
そうとは言え現在、それ以外で帰還への手段となる可能性が有る手段は無い。
世界の綻びを塞いできたと言うのに、それを頼るしか思いつかないのは皮肉な話だ。
それにしても魔法を使う事が出来ない事が、こんなに深刻な問題になるとは。
「慌てても結果には変わりはない。俺もこの世界の事は両陛下から聞かせて頂いた、案ずる事は無いさ」
口伝での知識でも今は頼もしいけどやはり不安を完全に払拭するには未だ遠い。
凍えるような空気は徐々に生温くなり、地上に近づいて来るにつれて陸地が見えてくる。
穢れの海ばかりなのではと覚悟していたのだが、元の世界の様に地に足をつけて歩く事ができそうなのが不幸中の幸いだ。
そんな中、レックスは再び本を取り出すと頁に手を翳し、そこから作り上げた一振りの銀杖をふれば光る緑の鱗粉と共に緩やかな風が体を包む。
何とも言えない浮遊感、落下速度も穏やかに落ちていく。。
「助かった・・・ははっ」
「ん?まったく、助かる算段がないとでも思っていたのか」
「うっ、御尤もな話で・・・」
今は地上へ降りる手段を得たのだから、事前に知らせて欲しいとか恨み言は言わないでおこう。
眼下を眺めると村か町か集落が数か所、そして世界の綻びからの落下物が集積する場所が点々としている、身を隠すのであれば此処が的確だろう。
如何にか地上へ降り立つと、落下物の中には綻びに呑まれたのか、人工的な物も散見している事に気が付いた。
「さっきから気になっていたのだけど、その本は何なのかしら?」
「これは『妖精録』、此処には俺が覚えてきた妖精の能力を封じてある。回数や種類は俺の適正と魔力貯蔵量に依存に限るがな」
「成程ね・・・近くの町に偵察に行きたいのだけど、姿を変える術は有ったりしない?」
「有る・・・だが、万能ではないぞ」
「要は依存するなと言う事ね、解ったわ。知識も情報が無い状態で身を危険にさらしている以上、情報収集を優先すべきと思う。急かして申し訳ないけど、早速だけどお願いできるかな?」
「了解した・・・。以後は魔法は緊急時を除き、使用しないよう頼む。精霊も妖精も存在しない世界に魔法が在るとは思えないからな」
創世の時代、邪神に加担した種族は魔族に悪魔など。
その中で最も多く加担したのは、やはりと言うべきか魔族である。
「見事な物ね・・・」
黒髪に茶色の巻き角と紫の瞳、そして蝙蝠のような一対の翼、何処をどう見ても魔族だ。
少し浮かれているのを見抜かれたのか、レックスからはじっとりと訝し気な目で見られてしまった。
「パックの変身術だ。言語まで変換されて優秀だが、疑われたり見抜かれると半刻もしないうちに解けるから注意するように」
「勿論よ、行きましょう」
一応は道は敷かれているようだが、湿地のような歩きにくい泥濘だらけの悪路。
然し、最も異質なのは町の姿だ。
「世界の綻びに呑まれたのね・・・こうやって形が残っているのは奇跡だわ」
ほぼ大破しているが明らかに元の世界の物と思われる建造物の数々、規模としては小さな町と言う規模だが、入れば様々な種族の魔族が闊歩している。
町の入り口の看板には元の名前は削り取られ、魔族文字で名前が書き換えられていた。
「愚者か似合いの名だ」
苦笑するレックスより先行してふらりと歩くと、一際にぎやかな広場に辿り着く。
汚らしい者も居る中、商人に裕福そうな者、どれも服装は真新しく、落ちてきた此方の世界の物を略奪したと思われる姿の魔族達でごった返していた。
並ぶものはやはり盗品ばかり、生活用具に武器防具に服や食料、そして驚くべきは生存者を人では無く物として扱い、道具と称して売買する奴隷市が在った事。
しかも、種族の違いを理解していないらしく土木用と言う看板の列にハーフリングやエルフも混ざっている。酷ければ、碌な治療も受けていない負傷者まで混じっている。
そんな中、給仕役として並ぶ列には竜人族の女性が鋭い眼光で魔族達を睨んでいるのが目につく。
燃えるような赤い髪に橙の瞳、その瞳には他の者とは違う怒りと反骨精神が宿っていた。
「うらあああああ!!!!」
町中に響き渡る彼女の咆哮に周囲は震え上がる、彼女は勢いのまま縄を引きちぎると商人や他の者を張り倒し暴れ出す、それに触発された者まで暴れ出し陰鬱とした雰囲気の町は混乱の渦に巻き込まれた。
本日も当作品を最後まで読んで頂き合事にありがとうございました。
更新時間が遅れてしまい、本当にすみません(><;)
宜しければ、新章も見捨てず読んで頂けたら幸いです。
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次週も無事投稿できれば3月25日20時に投稿いたします。




