第70話 精霊王の剣ーベアストマン帝国奪還編
待ち受ける扉の先の深淵、怖気が走る様な闇からゆらりと人影が浮かび上がる、二対の紅碧の角に夜空の様な漆黒の長い髪、月のような金色の冷たい瞳。
人を惹きつける不思議な空気を纏うが、その魅力に捕らわれれば暗い闇の沼に呑み込まれるだろう。
想定外の遭遇に流石の祭殿兵達は揃って困惑の色が浮かべている。
それも無理もないだろう、自分達が眷属する精霊の王の居室が別の王に占拠されているのだから。
思えばこの状況を予見できなかった訳でもない、今思えば地下道へ落ちるあの時、あの暇に見た精霊石に伸びる黒い手は闇の精霊王様の暗示、或いは私を惑わす闇の精霊王様の罠か。
暫し静寂と緊張が続くが、このまま睨みあっていても埒が明かない。
私は息を飲むと仲間達と目を合わせると頷き合い、祭殿兵達の合間を縫うように進むと其の御前で立ち止まる。
「・・・土の精霊王様は何処に居られるのですか?」
初手から横暴な物言いだと思うが、露骨に疑念を示したのは確信あってのもの。
精霊の王と言う存在を弱らせ抑え込める力を持つ者と考えれば限られており、女神様が創られた世界の崩壊を自ら望むのは一つ。
動揺から言葉が口を突いて出てしまうが、闇の精霊王様は全て理解していたらしく鼻で笑い、平然と振る舞い指を鳴らす。
辺りを覆う闇は精霊王様へと収束し、まるで待ちわびた様に精霊の間では溶岩が湧き立ち、壁に掛けられた結晶灯の明かりが闇に隠れた真実を私達に瞳にひけらかす。
「何だ・・・あれは」
「あ?穢れの塊・・・じゃねぇな、おいアレ・・・冗談だろ?」
「せ、精霊石・・・」
ファウストさんは顔を青褪めさせ、それにつられて凝視したダリルとソフィアは受け入れがたい事実を恐れ釘付けになる。
誰もが目の前の光景が意味する者を理解し凍り付く、精霊の間の中央に据えられた石塔、その上に輝くはずの精霊石。
それは本来であれば琥珀色の輝きを持つ鉱石であり、絶え間なく土の精霊王様の力で大地を満たし形作り彩る源。今や見る影も無く、粘性のある穢れが滴るほどに覆われ、マナでは無く瘴気を放っていた。
ダリルの穢れの塊と言う発言が過言でないと断言できる程に。
「おのれ・・・一同、杖を構えよ!」
絶望的な光景に呆然と立ち尽くすばかりの祭殿兵、信心深いが故にか事実を受け居られず躊躇を見せるも、白魔術師へドニゼッティー大祭司の命令が飛ぶ。
その声に我に返り一斉に陣形を取り始める祭殿兵達、敵襲に備え土人形を生成し、それを盾に白魔術師による妨害覚悟の精霊石の浄化を図る。
土魔法を使えると言う所から、土の精霊石からのマナの流出は止まってはいないと希望が祭殿兵を昂らせていた。
「【浄化魔法】!」
一斉に放たれた魔法は数多の銀の光となり放射状に延びていくが、土の精霊石目掛けて伸びていくが、意図も容易く、闇の精霊王様の腕一振りで光の粒子となり霧散する。
「あぁ、まさかそんな・・・如何して」
それを想定していなかった訳では無いが怒りを口に出せずまま、失望が祭殿兵へ蔓延する。
此の事態が女神様に次ぐ精霊王様が引き起こしたのだと確信してしまったから。
「馬鹿者、自身を失うな!」
ドニゼッティー大祭司は呆然と立ち尽くす兵士に檄を飛ばす、自身でも抗い感情を振り切る様に。
闇の精霊王様はそれを肩を竦めながら冷ややかな目で眺めると、立ち上がり武器を構えなおすドニセッティー大祭司と祭殿兵達に手をかざす。
すると闇の精霊王様の影が泡立ち揺れ、無数の鎖が祭殿兵達の影から飛び出し体を絡め取り拘束する。
「くっ・・・」
ドニゼッティー大祭司は流石と言う所か、咄嗟に展開したが結界は自身を護る事が精一杯だった様子。
球状に展開した故に闇魔法による拘束は避ける事が出来たが、動きを封じられた事に変わりない。
これも闇の精霊王様の思惑通りと言う所なのだろうか。
精霊王様達には人を害する力は無いはず、然しこれは本当に土の精霊王様の救出の妨害に過ぎないと言えるのだろうか。
それでも此処でそれにとらわれて等いられない。
私は剣を引き抜くと光の加護を唱え、ドニゼッティー大祭司の許へ駆け出すと鎖を剣を切り払うとそれは脆くボロボロと崩れ落ちる。
「一先ずは一人目・・・」
魔法が不完全だったからか、剣に籠められた加護が有効だったからか、何にしろ他の人も救い出さなくてはならない。
妨害をされずに見逃される感覚は非常に不快だが、それすらも今は利用するしかないのだ。
闇の精霊王様の露骨な監視、思いの外に苦戦する剣による強制解呪。
ふと視線を逸らせば、仲間達も果敢に闇の精霊王様の術をソフィアが解き、彼方も順調に救出が進んでいるもよう。
「・・・お前の手を借りる事態になっているとはな」
ドニゼッティー大祭司の顔からは平静を装っているが、何処か不甲斐なさを感じ、自身に怒りを感じている様に見える。
お礼を求めてるわけじゃないが、もっと素直な物言いは無いのだろうか。
私は次の人物へと目を向けるが、突然の怯え切った表情と止めどなく流れる涙、何が起きたのかとそれを確かめるまでもなく、男性は絶叫をした後に白目を剥きぐにゃりと項垂れた。
声にならないソフィアの悲鳴、誰もがその様そうに恐怖する。
「なっ・・・」
傷つける事は出来ずとも、心身を喪失させるなどは出来るか・・・
噂を過信してしまった、何故に私達では無く祭殿側の人間を封じたのか考えれば、土の精霊王様の救いとなる眷族を狙うのは当然と言える。
「幻惑による精神干渉か・・・何とかしたいがっ」
ドニゼッティー大祭司は倒れた兵士を鎖から解き放つが、同様に次々と倒れるのを見て歯ぎしりをする。
私はこの状況に剣を握り締めたまま、闇の精霊王様と向き合った。
土の精霊王様の力を喪失してはいないとは言え、恐らくマリベル達が此の国を侵略した影響は世界にとって少なくない。
闇の精霊王様に成り代わらせ、一柱の王座を喪失させるのも主神を招き入れる一手なのだろう。
互いの腹を探る様な睨み合いの終わりは、私が想像し得ない切り口で知らされた。
「精霊の剣よ、我が剣と成れ。この世界には邪神カーリマン様が必要なのだ」
それは己の主の為に世界を裏切り、私に寝返り加担する様にと誘う、耳を疑いたくなるような勧誘だった。
此の世界に邪神が必要と言う言葉は聞き捨てならない、それ以上に理解し難い。
どの様な思惑や真意が有ろうと、考える暇も不要だ。
「私がそれに応じるとでも?」
「いいや、思わない。少なくとも今は・・・な」
まさかの返答だったが、その表情に苛立ちや焦り等の感情の機微は感じられない。
それにしても嫌な含みのある返答だ、断ったがこの一柱の王様は私が自分たち側に傾倒する一縷の望みでもあると見込んでいるのだろうか?
「何が有ろうと、どれだけ経とうと応じるつもりはありません」
望みは無いとはっきりと私は突っぱねる。
しかし此れも不発に終わり、ただ失笑の後に憐れむような視線を私へと向けながら続けられた。
「実に無知な事よ。お前は何故、世界に綻びが生じるか理解しているか?」
至極当然な問いかけ、何故ここでそのような事を問うのか。
「ええ、勿論。それを防ぐ為に私は戦っているのです」
どう謗られようと、邪神側の話に傾ける耳を私は持ち合わせてい無い。
「くくく・・・実に愚直なものよ。女神による世界が何時までも続くと思い込んでいるとは度し難いものよ。剣よ、お前には何が見えているのだ?」
またもや質問、繰り返す押し問答に辟易として目を逸らすと、辺りには仲間も祭殿側の人々の姿が消えていた。
周囲を見渡し振り替えるも、粘性のある液体の感触が伝わり、ベチャリと不快な音が耳に響く。
「・・・な?!」
足元は床面が見えない程の穢れの沼、其処にはダリル達にドニゼッティー大祭司、祭殿兵の皆さんが俯せのまま浮かんでいた。
遠くに見える精霊石は紫黒に染まり、仲間に伸ばした手は届かず、穢れは次第に人々を呑み込んでいく。
たじろぐ私自身も踏みしめる足場が狭まっている事に気付かされた。
「さあ、土の精霊王は消滅した。お前達が必死に守ってきた世界は実に脆かろう?」
不愉快な笑みと眼差しを受けながら、私は活路を見出そうと頭を巡らせ息を飲む。
見せられている光景、そして相手に要求を呑ませる為なら自分は何をするのか。
「・・・いいえ、それは早計です」
世界を救う為に辿り着いた答えが、一つならば逃げずに私は古の精霊の剣と同様に受け入れるだろう。
然し、これが闇魔法による幻術でなければ。
「歴代の剣の様に己を贄に、神力を取り戻すか。その女神は信徒に己の不始末を命を賭して尻拭いをする事を強いているのだぞ?」
たんなる戯れか、ただ自身の主の願いを叶える為の武器が欲しいのか意図は不明。
本気であれば精神をのっとる事も服従させる事も出来る筈、それをしないと言う事は前者だろうか。
「それでも、邪神の許へ下るなんてお断りです・・・!」
「そうか・・・」
宣言する私へ向けて闇の精霊王様は手をかざす、激しい衝撃と共に瘴気の臭いが鼻を霞めた。
体は宙に浮き、ひたすら深く奈落に落ちていくような気さえする。
その様子から言葉に一部真実が含まれていた可能性を見出し思わず苦笑。
武器は持たなくとも弄び、壊すにはあまりに十分な手段を持っていると言うのにと。
*************
急に胸に小さな熱が灯る、それは徐々に大きくなり、やがて器から水が零れる様に溢れ出す。
目の前を眩く白い光が覆い尽くす。
何が起きたのか自身でも不明な中で悔しげな声が響いて来た。
「成程、この娘に分霊を宿させていたか・・・しかも、お前まで自ら顕現するとはな」
視界が開けると同時に見覚えのある二柱の精霊王様の姿が目前に在った。
如何やら魔法から逃れる事が出来たらしい。
白銀の衣に暖かな光が灯るカンテラの杖の光の精霊王様、その横には水の精霊王様、二柱は私を庇うように立っている。
辺りはすっかり穢れが祓い流され、そんな中で祭殿へ仕える人々は目を疑う光景を目にして唖然としていた。あまりの状況に、あのドニゼッティー大祭司すら開いた口が塞がらない様子。
「僕とウンディーネは本来の役割を果たしたに過ぎない。お前の意図が何処にあろうと、対なる者として必ず止めて見せるさ」
「ええ、勿論。それとノーム様を精霊界へ封じるなど不届き千万、何もかも思惑通りに行くなど努々、思わないでほしいものですわ」
戦況は覆り、此方が有利となったが闇の精霊王様は劣勢と言えるこの状況下でも、憐れむ様な姿勢を変えなかった。
「ふっ、くくく・・・はははっ。事実を知るお前達なら理解できると思っていたのだが残念だ」
三柱が睨み合う中、建物内が急に熱を帯びて蒸し暑くなってきたかと思うと地鳴りが響き渡る。
穢れは拭えたが、次々と湧く疑問に私の胸は晴れやかでは無い。
「事実とはいったい・・・」
何か二柱も知っている様子見えたので問い掛けるが、視線を僅かに話した所で二柱の姿は消えていた。
残された闇の精霊王様の背後から琥珀色の光が放たれたかと思うと、嗄れてはいるが逞しい四柱目の顕現。
「ふぉふぉふぉっ、それでお主の言いたい事はそれだけかの?」
「ふん、焼きが回ったか」
此処で漸く闇の精霊王様に余裕が消え、自嘲気味に口角を引きつらせ、ゆっくりと土の精霊王様の方へ振り返る。
其処には白い髭をたっぷりと蓄えた榛色のローブを纏った土の精霊王の貫禄が有る姿、恐らくは三柱揃うとは想定していなかったのだろう。
ファウストさんを含む土の眷族達が喜び湧き立ち始めるのを見て、土の精霊王様は微笑むと闇の精霊王様と向き合うと地面を杖で突く。
周囲に響く音はどこまでも響き、それに呼応する様に地の底から何かが地鳴りと共に吹き上がった。
「ふん、若造が何を言うと思えば。まあ良い、お前さんには此処から退去願おうかのう」
輝く琥珀色の精霊石すら視界から隠し、地下から湧き上がる灼熱の液体は闇の精霊王様さえ呑み込み、紅い壁となり聳え立っていた。
本日も当作品を最後まで読んで頂き誠に有難うございました。
今週は如何にかバタバタせずに一安心、次週もこの調子で
行けるよう頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します。
**********
次週も無事投稿できれば、12月25日18時に投稿いたします。
 




