第35話 鳴り響く警鐘ー海獣区アマルフィー編
目の当たりにした災厄の断片、眠りつき夢見るその時も、命からがら辿り着いた人々の疲労しきった顔が思い浮かぶ。
覚悟していた筈なのに、嘗てない危機的状況を前にして思いの外、動揺している自分に気付かされた。
諸国を危機を聞き付けては問題を解決してきた事による自負や驕りが有ったのだろう。
然し、逃亡など以ての外、現状より更に過酷な光景を目にしていく事になるのだから。
「・・・えっ!?」
瞼を開き目にしたのは、薄日に照らされるレースやリボンやヌイグルミが飾られた女の子らしい一室。
そう言えば昨晩はソフィアの家に泊めて貰ったんだっけ・・・
昨夜、ソフィアのベッドの横にゴッフレートさんが無理矢理、他の部屋のベッドを押し込んで設置した為、如何にもこうにも部屋が窮屈になってしまっている。
どうにも目が冴えてしまい、仕方なく隣で眠る二人を起こさない様にベッドから降りて身支度を済まし窓際に立つと、外から朝の雰囲気を壊す鈍い打撃音を耳にして私は眉根を寄せた。
こんな朝早くから、誰なのだろうか?
そっと、カーテンの隙間から外を眺めると、薄いが霧が発生しており、ダリルが庭先の樹を相手に鍛錬に励んでいるのが見えた。私はカーテンを閉じると、そっと階下へと降りる。
「ん・・・おおっ!誰かと思えば、アメリアもか。おっはようさん!」
階段からそろりと降りて来た気配に気付くと、台所に立っていたゴッフレートさんは私を見てフライパンを手に、ニカッと良い笑顔を浮かべる。
「おはようございます!ゴッフレートさん」
「あぁ、一日の始まりは食事に在りだ。得意って訳じゃないが、味は保証するぜ」
そう言ってゴッフレートさんは手早く焼いたパンにバターとマスタードを塗ると、焼いた青魚と薄切りのオニオンにサニレタスを乗せ、其処に秘伝と言う事で教えて貰えなかったが、淡い黄色のソースを振りかけパンを乗せて挟む。
「・・・焼き魚のサンドウィッチですか」
塩の利いたこおばしい焼き魚とバターとマスタードの香りにゴクリと喉を鳴らすと、ゴッフレートさんは如何だとしたり顔を浮かべる。
「どうだ、美味そうだろう?サヴァサンドウィッチだ。二人前あるから外の不貞腐れ坊主にも食わせてやってくれよ」
窓の外を眺めるゴッフレートさんの顔が呆れ顔に変わる。
話を聞く限り、ダリルは如何やら昨日の喧嘩が後を引いているらしい。
ゴッフレートさんは大きな手で籐の籠にサンドウィッチを慎重に詰めると、暖かなお茶が入ったカップを二つ、私に押し付ける様に長机に並べた。
確かに仲間同士で揉めている場合ではない、仕方がないから如何にか宥めてみますか。
「ありがとうございます。アイツにはガツンと言っておきますから」
「おう、思いやりを忘れるなと言ってやれ」
お礼を言うと私は扉を開け、籠を片手に飲み物を溢さない様にゆっくりと庭へと出る。
視界は霞んではいるが、周囲の物は見えない訳では無い、飲み物を庭先の小さなテーブルに置くと木を蹴り続けるダリルに目を向けた。
木は何度も葉を落とし、幹がミシミシと悲鳴を上げながら揺れている。
「ちょっとダリル、木がかわいそうよ」
近くに寄り、声を掛けるが視線すら合わせようともせず無視し続けている。
私も此処で黙って退くつもりは無い。
「ダ・・・」
「聞こえてるって!」
諦めずに名前を呼ぼうとすると、ダリルは苛立った声を上げて振り返る。
苛立っているのを微塵も隠す様子も無いが、漸く話を聞く気になってくれた様だ。
「・・・邪魔をして悪いけど、ゴッフレートさんから朝食を届けるように頼まれたの」
お弁当籠をダリルに見せるも興味なさげに目を逸らす。
その態度に眉を顰めるも諦めずに籠を突きつけると、ダリルは舌打ちをして籠を突き返す。
「いらねーよ!」
本当に要らないのなら仕方ないと籠を引っ込めると、何故か籠の動きをダリルの視線が追う。
何だか言葉と行動が伴っていない。
「ふぅん、そう・・・」
私はガーデンチェアに座ると、ダリルの目の前でサンドウィッチに齧りつく。
香ばしく焼けたパンに旨味たっぷりの塩サヴァ、それをまとめ上げるバターとマスタードにシャキシャキの野菜と秘伝のソースがアクセントになって美味しい。
気が付けば、木の幹を打ち付ける音では無く、誰かさんのお腹の虫の音が聞こえて来た。
見上げれば無言のまま此方を見る視線が私の手元に向いている事に気付く。
「・・・・・」
「・・・食べる?」
そう訊ねると、ダリルは仏頂面のまま籠からサンドウィッチを取ると、黙々と食べ出す。
本当に何を考えているのやら。
「・・・ゴホッ!」
如何やら慌てて食べたのもあって喉が詰まったらしい。
冷めかけだが湯気が立つお茶をダリルの前に突き出すと、一気にそれを飲み干す。
「それで・・・朝から何で荒れていたわけ?」
「・・・荒れてなんかいない。あれは自主練だ」
「人の内の庭の樹を感情任せにボコボコに痛めつけるのが自主練な訳ないでしょ?」
木には思ったより大きな傷は出来てはいないが、樹皮が剥がれて蹴ったり殴った跡がくっきりと残ってしまっている。
ダリルは私の責める言葉と視線に反論できず、悔しそうに短く呻き、拳を握り締めて震わせた。
「誰だって、自分ち国を侮辱されると腹が立つのは解るんだけどよ・・・何で戦わずに安置に逃げ果せたと思ったら無性に腹が立ったんだ」
要は自国の都を護らず、命おしさに逃げて来たと勘違いをして勢いで暴言を吐いてしまった事を後悔していると言う所だろうか。
昨日のやり取りも加えて推察するに、皆に色々と言われたものの引くに引けなくなってしまったのだろう。
素直過ぎて不気味だけど、取り敢えず考えを訊いてみる。
「・・・それでアンタはどう考えているの?」
「お、俺はあいつ等が手を出した事を先に謝ったら許してやらない事も無いと思っている」
狼狽しているが自分の発言に対して反省していると思いきや、この上から目線である。
暴力を振るった側も悪いが、その状況を作りだした本人にも非が有るのも当然だ。
そもそも、何方が先か後かなんて関係ないと思う。
「そんなの、さっさと謝ってしまえば良いのよ。そうすれば、心の蟠りもなくなるわ」
「・・・興が覚めた。汗もかいたし部屋に帰る」
納得いかない様子で私に背を向けると、ダリルは無言でゴッフレートさんの家へと歩き出す。
カンカンカンカン!静かな街中に突如として警鐘が響き渡った。
静寂を破り安息の時は終わりを告げる、様々な人々に心に故郷を奪われる恐怖を思い出させると同時に、不安が街を支配していく。
*************
警鐘が鳴り響く海辺の街は、戦場へと変わろうとしていた。
遠くで聞こえる何かが爆発したような音、外出禁止を命じる声が繰り返し聞こえて来る。
其処に息を切らしながら自警団員の一人がバタバタとゴッフレートさんの名前を叫び走って来た。
「たたたた、大変です!ま、魔族が奇襲を・・・げほ・・・かけて」
ペングウェンの獣人の団員は息を絶えだえに玄関ポーチの前まで辿り着くと、その場で膝をつきへたり込んでしまう。
「奇襲・・・!直ぐに呼びますから休んでいてください」
団員さんは慌てて玄関へと向かおうとする私を見てゆっくりと立ち上がり、息を整えながら申し訳なさそうに此方を見て微笑んだ。
「此れはこれは、何方か存じませんがお願いしても・・・宜しいですか?」
「ええ、今直ぐ呼んできますね」
そう言って呼びに戻ろうとすると、急にダリルが私の肩を掴んだ。
何故、止められた事に驚く私に向けてダリルは黙ったまま玄関を指さした。
「その必要は無い」と何時になく低い声が扉の向こうから聞こえたかと思うと、蝶番がきしむ音と共に制服に身を包んだゴッフレートさんが現れた。
「待たせたな、ニコロ!団員全員に難民の避難と警護を優先する様に伝達を頼む。それと、移動に氷魔法を利用する事を許可する」
「イエッサー!」
ニコロさんが地面に寝そべり、何かを詠唱すると体が接触した地面が凍り付く。
すると、ニコロさんはその態勢のまま地面を滑り、先程までよたよたしていたのが嘘の様な速さで氷の道を作りながら道を走って行き、目で追う間も無く姿を消す。
「こいつの氷魔法は転倒する者が出るもんで普段は禁止しているんだ」
ゴッフレートさんはニコロさんが作った氷の道を足でなぞる様に擦ってみせる。
「なるほど・・・」
「おっさん、俺達に構わなくて良いから避難している奴等を助けに行ってやれよ」
「やれやれ、口が減らない坊主だな」
ゴッフレートさんはダリルの不遜な態度に眉を顰めると、額をバチンと言ういい音を立てて太い指で弾いた。不意を突いた一撃にダリルは額を抑えて屈むと、ゴッフレートさんは愉快そうに笑う。
反論するなり何なりすると思っていたが、ダリルは悪態をつく事も、反撃もする事も無く不気味なほど静かに不満を漏らした。
「・・・うっせ」
「くくっ・・・それじゃあ、他所者を巻き込む訳には行かねぇしなぁ。騒ぎが治まるまで家に身を隠していろよなっ!」
私達にそう言い付けると満足げな顔をし、足を開き腕を構えると地面にはめ込まれた石煉瓦や氷を砕きながら弾き、巨体を揺らしながら駆けて行く。走り去った後の庭はまるで嵐か何かの跡のよう。
あんまりな庭の状態に居た堪れずに片づけようとすると、再び玄関の扉が静かに開いた。
「片付けは無事に帰って来たら本人にやらせますので結構です」
「え・・・良いの?」
ソフィアは庭に出ると慣れているのか辟易と言った表情を浮かべると小さく溜息をつく。
その指先には銀色の輪に通した鍵が引っ掛かっている。
「それよりアメリアさん、鍵を父から預かっていますが、これからのご予定は如何なさいますか?」
そのソフィアの問いかけへの答えはもう一つしかない。
「勿論、加勢しに行くわ・・・!」
私の答えを耳にすると、それを見越していたのか、ソフィアの後から準備万端な様子の仲間達が雪崩れ込んで来た。
「それじゃあ、アメリアちゃん。行き先は?」
フェリクスさんが私にどの方向にむかうのか訊ねる。
そう聞かれて思い返す、選ぶとすればこの街で多くの人が最も危険に晒されるであろう場所。
「中央広場方面へ!」
低く全身を震わせるような地響きがし、何処かで戦いの火蓋が切られた事を報せる音が耳に届く、ただ助けになりたいと言う一心が私達を駆り立てていた。
*********
潮風かおる海岸沿いの道を駆け上る。
見渡す限り何処の建物もあらゆる窓と扉を堅く閉じ、人々が行きかう喧噪も商店の売り込みの声も聞こえずまるで廃墟街のよう。
走れど魔族や、それが使役する魔物にすら遭遇せず、自警団による物だろう剣や魔法に弓と、無残な魔物の骸が地面に転がされている。
「思ったより早く殲滅が進んでいるな・・・」
ファウストさんは思ったような活躍できず、今の所は気合が空回りしている事に苦笑する。
色とりどりの塗装された外壁が多いい西側を抜けだして漸く、低級だが魔物や悪魔の類と遭遇する様になってきた。
自警団の成果を目の当たりにしつつ、幾度となく魔物を倒してきたが想像していた状況とかけ離れてていた。ふとケレブリエルさんが立ち止まり、私達に違和感は無いかと疑問を投げかける。
「変ね、インプにコボルト、ゴブリンにスライムに草原狼にコウモリ猫と徐々に強くなっているけれど、奇襲に使う勢力にしては戦力不足じゃないかしら?」
「そうか?偶にだけど、オークやゴブリン、その上級種なんかも混ざってきているじゃないか」
「そうね・・・」
ケレブリエルさんもフェリクスさんも何処か正体不明の解せない心の蟠りに二人とも不完全燃焼な様子。
それにつられて魔物達を眺めつつ歩き続けるも、中央広場に辿り着いた所でやはり自警団の活躍が証明されるのみ。
しかも、テントで避難している人々を護る様に結界が張られている。
「遅かったな、広場は俺達が護り切ったぜ」
アシカの獣人の青年が武器を手にしたまま歩いてくる私達を見てニヤリと小憎たらしい顔をする。
ともかく奇襲と言っても見る限り、早くも制圧できたうえに損害は割合に軽微。
「これで、本当にやる気あるのかよ」
更に周囲を警戒し歩いているとダリルは思ったように暴れられなかった鬱憤か溜まっているらしく苦々し気に怒りを吐き捨てる。
「やる気か・・・確かに目にする者も低級の悪魔や魔物、その他は動物系の魔物か」
思い返せば闇の国には人語を解する魔物もいたし、魔族は・・・
そうだ、何でこんな単純な事を思いつかなかったのだろう。
「ダリルの言っていた事、強ち間違っていないかも。確か、区長さんの屋敷に皇子様が身を隠しているのよね?」
私の一言に驚愕の眼差しが集まる。
「要は魔物は囮、本体は高台の屋敷か・・・!」
「成程、反旗を翻させない為に種族の象徴と言える皇族を亡き者にしようとしているのかも知れないわね」
戸惑い交じりのフェリクスさんとケレブリエルさんの推察にソフィアも頷く。
「その考え間違っていないと思います。だって、団長である父が現場に居ませんでしたし」
「それなら尚更だ、話は此処で切り上げて急ごう!」
ファウストさんは話をきり上げると、誰の返事を聞く訳でもなく走り出す。
そんなファウストさんを見て、ダリルは何でアイツが仕切るんだと言わんばかりに溜息をつく。
「アイツ、ここに来てから突っ走りすぎてねぇか?」
「まあ、焦る気持ちは解らなくないかもね」
私達も見失わない様にファウストさんの後を追う、急な坂道を上り、区長さんの屋敷が在る高台へ辿り着こうとしたその時、土煙と共に地鳴りが押し寄せて来るのが目に留まる。
そして、それを何かと凝視していると、巨大なミノタウロスを含む手負いの魔物と魔族達だった。
「此のまま、行かせるかぁっ!」
ファウストさんが誰よりも早く吠える様に叫ぶと、岩人形は立ち塞がり、二本の立派な角を掴み、首をそのまま捩じ切る様に鈍い音を立ててへし折った。
然し、ミノタウロスに続いて薙ぎ払おうとするファウストさんの前で、土煙の中を走る魔族達の影は叫び声と共に一瞬で消えた。
鼻に突く鉄錆の臭い、風が吹き、土煙が消えて明らかになった目の前に一面の赤が映り込む。
其処には金髪や外套を同じく染める、巨大な戦斧を担ぐ見覚えのある人物が立っていた。
あの人は確か、街で見た獅子の獣人の・・・
「・・・其処をどけ」
名も知らない獅子の青年は不愉快そうに顔を顰めると、血濡れた戦斧を私達に向けた。
余りにも異様な井出達にも拘らず、その金のたてがみは日の光に輝き、紺色がかった碧眼は冷たく、周囲には無関心に思えた。
「・・・お前、何もんだ?」
ダリルは珍しく慎重に相手の動きを窺い、じっと見つめ問いかける。
然し、彼は気に留める様子も無く戦斧を背負いなおすと無言のまま、その横を通り過ぎて行く。
「・・・僕達に自ら名乗る必要を感じないと言う事か」
ファウストさんはそう言うと、溜息を吐き安堵したような表情を浮かべる。
ダリルは後ろを振り返り、再びファウストさんを見ると呟く。
「こんな時に何時までもって訳には行かないしな・・・悪かったよ」
何の前振りも無くポツリと謝罪の言葉をファウストさんに告げると歩き出す。
きっと昨晩の事を謝ったつもりなのだろう。
「彼は何時もあんなだったっけ?」
ファウストさんは苦笑する。
「そうそう、捻くれ者なのよ」
そして、区長の屋敷に辿り着いた時、信じられないものを私達は眼にする。
魔物の死骸の山と、並べられた魔族の無残な死体。
そこでゴッフレートさんが部下らしき人物と話しているのが見えた。
それは事態が収まり安堵しているのではなく、逆に酷く狼狽し焦っている様に見える。
「何だと!皇子殿下が姿を消されただと?!」
日が昇り掛けたうす曇りの空の下、周囲に怒りと焦りが雑じる大きな声が響きわたった。
本日も当作品を最後まで読んで頂き有難うございます!
そして、新たにブックマーク登録までして頂けて感謝感激です。
今回も長文となってしまいしたが、次回更新もゆっくりとお待ちください。
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次回も無事に投稿できれば4月24日18時に更新致します。




