第70話 闇が選ぶ道ー闇の国テッラノックス編
激しく恐ろしくも悍ましい狂人との争いは忽然として終幕を迎えた。
人ならず異形と化したルシアノ、分体をいくつも生成しながらも、その戦意と私達への殺意は褪せる事無く鋭く切れ味を増していた、そう直前までは。
本体は何処か、ルシアノの体は迫る闇そのものを前に融けて行ったが、「術者は去り」と言うその言葉から推測するに、逃げたと言うより逃がされたのだろう。
「まさか、本当に目覚めていたなんて・・・」
ただの私達の動揺を誘うカルメンの妄言だと思っていた、それは目の前で現実の事だと示されている。
驚愕の余りに立ち尽くす私達の前で、レオカディオさんが胸に手を当て膝まづき、頭を垂れていた。
「御帰還されるのを眷族一同、この日を遥か古より子々孫々心よりお待ちしておりました。闇の精霊王シェイド様」
眷族が故か、ルシアノを逃がした事を気に留める様子も無く、レオカディオさんのその姿は従順な僕そのものだった。それをただ静かに闇の精霊王様はみつめ、「ふむ・・・」と呟くのみ。
「・・・本物か。あの魔族の女の目を通して此方を見ていたのは精霊王様だったか」
レックスの目元に珍しく動揺が見え、口角が引きつり舌打ちが聞こえて来る。
目の前に現れた闇の精霊王様の御意思が何処にあるのか、こうして私達の前へ現れた意味は何なのだろうか?
「あの、お訊ねしても宜しいでしょうか?」
「・・・許可する」
「許しを頂き恐れ入ります。『既に盟約したのか』とはどの様な意味なのでしょうか?」
闇の精霊王様から初めて私に向けられた言葉の中、それが妙に引っ掛かっていた。
ただ単に精霊の剣として精霊王様達との盟約を結んでいる事への驚いただけかも知れないけど。
暫し、互いに無言のまま沈黙を貫き通していたが、ゆっくりと口が開く。
「精霊王の盟約とは世界を司る王達を従えると言う事、つまりそれは我等の主へと近付く事を示す。そして、その行く末は神への貢ぎ物として己を捧げる事になると言う事だ」
「え・・・」
盟約を結ぶ事により神へと近付く?貢物?
そんな話はどの精霊王様からも聞いていない、改めて振り返るとその意味は明確に知らされていない。
邪神の侵攻を妨げる新たな力を授かったのだと思っていたのは私の勝手な解釈だった?
混乱しかける頭を抑え冷静に努める、盟約を結んだのも、それがどう言う物か話す目の前の存在も精霊王様だ。闇の精霊王様の言葉が嘘と疑う理由もないけど・・・
戸惑う中、レックスが私の肩を叩いてくれたところで我に戻る、仮面の下から覗く瞳は何故か悲しげに見えた。
「落ち着け、今は混乱するな。どれが事実だと考えても、真実は精霊王様と女神様のみが知るのみだ」
「ありがとう・・・そうだね」
レックスの言う通りだ、不意に想定外の事を言われたからと言って動揺し過ぎだ。
俯きかけた顔を上げて前を見ると、闇の精霊王様はそんな私達を見て愉快そうに嘲笑う。
「くくく・・・」
やはりこの性格、眷族の気質は精霊王様の影響が有るからなのではないだろうか?
私がジッとりとした視線を送ると、笑い声は止まったが、不敵な笑みを口元に湛えている。
「それが事実であるとして、知らされなかったのは他の精霊王様にもお考えがあるのだと思います・・・私は邪神からこの世界を護れる道が有るのなら退くつもりは微塵もありません!」
此処まで世界を巡り、使命に殉じて走って来た、尻込みする気持ちもあるけれど此処で立ち止まっては様々な人と共に精霊王様を救い奔走して来た意味が無い。
それに落ち着いて考えれば闇の精霊王様は女神様の依代になると言っただけだ。
剣を握り締めたまま宣言をする私を見て、レオカディオさんが険しい表情を浮かべ杖を此方に向けたが、直ぐ様、闇の精霊王様に下げる様にと諫められる。
「そうか、それならば確実な方法を教えてやろう。私達と共に来い、妖精の王達の助力を受け、己で世界を保つ力を失った女神に世界を任せられまい」
ん?呼び方が我等の主から女神に?
闇の精霊王様の金色の瞳に陰りが見えるが揺らぐ事の無いそれは酷く冷徹な物に思えた。
何処か計り知れない不安を感じつつ、私はゆっくり慎重に口を開く。
「・・・先に、伺います。確実な方法とは何なのでしょうか?」
途端に辺りは静まり返る、明り取りの窓から差し込む光は向きを変え、部屋は何処か薄暗く、空気が湿り気を帯びてくる。
薄光の中に浮かぶ闇の精霊王様の顔に影が落ちる、金色の瞳に怪しい影が落ちた。
「女神に替わり新たな支えとなる一柱を世界に据える。創世より縁を繋ぎし兄神を招来する」
その場に居る誰もが愕然とする中、レオカディオさんすら闇の精霊王様の顔を凝視しながら、立ち尽くしていた。女神様に替わる一柱、兄神の招来・・・まさか。
否、現れた時点で嫌な予感がしていた。
「兄神・・・邪神を召喚すると言うのですか・・・!何故!」
この世界を構成する元素の王が何故、女神様を裏切るような事を?
他の精霊王様達をも裏切る様な事をするのか、信じられない気持ちと怒り、両方の気持ちから叫ぶ様に問いかけた。
闇の精霊王様はそれでも眉一つ動かさず、必死の形相の私を無言で見つめたかと思うと、手を私に向けて伸ばしてくる。
「アメリア、お前は何を選ぶ?」
レックスは静かに私の横に立つと、闇魔法に意識を刈り取られた仲間達を見つめ、静かに視線を寄越し呟く。皆の為にも、世界の為にも否、私の意思で選ぶ。
「私は貴方の手を取れません。女神様と仕える精霊王様の為の剣ですから」
「はっ」と苦笑が耳に響く、レックスは目元を嬉しそうに細めると、己の杖をかまえた。
闇の精霊王様の顔に残念そうな表情が垣間見えた、怒る訳でもなく喚き散らさず、納得いったような表情へと変化していく。
「やはりお前は・・・まあ、良い。見込み通りで安心した、さあ剣を握ろ。俺は何が起きてもお前達を守る」
「ええ・・・!!」
そう言うと、レオカディオさんが一直線にレックスの許へ駆けて来た。
一番に狙うべきはやはり守りの薄い、術士か・・・!
レオカディオさんの拳は風を切り、鋭い角度でレックスに向けられる。
そう言えば、此の人肉弾戦もいけるんだっけ。
横目にレックスが飛び退くのを見計らい、剣を相手の肩へ向けて突き出す。
然し、切っ先がレオカディオさんの肩を掠めたかと同時に、其の体が後方へずれたかと思うと側面から風を切る音が耳に届く。
咄嗟に防護盾で其れを捉えたが、その大柄な体躯から繰り出す蹴りは想像以上に重く、体は枯葉のごとく吹き飛んだ。
************
「吹き渡る風にて 精霊を統べる者 シルフよ翼を与え給え【レヴィア】ッ!」
足下に渦巻く旋風は壁に反射し、その推進力は強く一直線に元の場所へと凄まじい速さで飛んで行く。
問題は着地、下手すれば倒れてる皆を巻き込みかねない。
それとは別に気掛かりは、誘いを断った私達にレオカディオさんを嗾けたきり、何かをする様子も無い闇の精霊王様が不気味だ。
離れた先には妖精を使い、拳や蹴りを退けながら交戦するレックス。直ぐにでも飛び込んで突き放さなくては、地面に足を付けると剣を突きたて減速させる。
「我は盾 妖精の王の代行者が命ずる 貫け【土の妖精】!」
床に亀裂が入り裂けると、巨大な槍型の土塊が石煉瓦を巻き込み、一振り二振りと突き上げレオカディオさんを追い詰める。
幾ら考えても闇の精霊王様の邪神の帰還を望む発言は突飛すぎる、もしかしたら他の精霊王様と同じようにカルメン達に何かをされた可能性も有るかもしれない。
「説得するにしても、立て直すにしても先ずは邪魔者を止めるしかないわね・・・」
ふらつく足に力を籠め立ち上がると、剣を引き抜き床を蹴りレオカディオさんに向かい駆け出す。
背後まで接近し、剣を振り上げた所で視線が交わる。気付かれた?
レオカディオさんの手甲が私の剣を捉え、その手に血が滲む。
それでもレオカディオさんは私とレックスを相手に押され気味になりながらも戦い続ける。
「我は盾 妖精の王の代行者が命ずる 風よ弓に矢を番え【風の妖精】!」
幾つもの風の渦が生じ、その一つひとつから風の矢が放たれる、被弾しつつも逃れようとするが動きが止まる。私の剣は確実にその首を捉えていた。
「・・・何故、魔法を使用しないんですか?」
先刻の戦いでは使用されていた魔法が一切使用されていない。
私の問いかけに、レオカディオさんは自嘲気味に笑う。
「逃げろ・・・闇の精霊王様は本気だ」
「え・・・っ?」
思い掛けない忠告に驚きの声が漏れた。背筋を冷たい物が伝うのを感じる中、周囲がまだ昼だと言うのに薄暗く感じた。足に何かが纏わりつく様な違和感、ゆっくりと振り返る瞳に映るのは漆黒の池。
其処に立つ闇の精霊王様の姿が深紫色の光で浮かび上がっていた。
部屋は黒霧が漂う、祭殿の床に何処までも黒く臭気が漂う粘性の液体が沼の様に広がっている。
私達は何度も此れを目にした事が有る、穢れだ。
「やはり、妨げにしかならないか。世界を救う為に奔走し、盟約まで結んだ今なら私の考えを理解できると思ったんだがな」
闇の精霊王様は心底あきれ、失望しきった目で私を見る。
「・・・うっ」
頭に鈍痛が走り、思わず頭を抑え膝を落とす、この声を私は聞いた事がある気がする。
思い返そうと頭を抱えると、何度も夢で見た光景が頭痛と共にぶり返す。
ゆっくりと閉じた瞼を開けば、仲間達が穢れに呑まれようとする光景が目に飛び込んで来た。
「はは、言葉にならないか。10年前、私の導くままに命を落としていれば。お前も仲間も辛い思いをしなかっただろうに。残念だ」
闇の精霊王様はゆっくりと此方に語り掛け指先を此方に向ける。あれは夢じゃない、現実だったのだ。
何故か断片的に以前に夢で見た一場面が頭を過った、見知らぬ少年と兄弟らしき少年と共に森を逃走する、追い詰められ辿り着いた峡谷、幼い自分は闇に呼ばれ覗き込んだ。そして・・・・
「何を呆けている!」
酷く焦った必死な様子のレックスの声が聞こえたかと思うと、何かが割れる音と共に肩を掴まれ床に引き倒された。慌てて体を起こし見上げると、レックスの仮面が半分だけ欠けている。
瞳の色は違えど、その顔は酷く懐かしく良く似ていた。
レックスは露わになった顔を私が凝視しているのに気づくと、酷く動揺し目を逸らすと顔を背け何かを呟く。
仮面が時を戻したかのように形を取り戻すと、黙したままレックスは私の前に立ち背を向けた。
色々と訊きたいけれど、思い出話をしている場合じゃなさそうね。
「ごめん・・・考え事してた」
「それで、策は有るのか?」
レックスの口振から、どうせ何も考えていないだろと言っている気がする。
相手は精霊王様、しかもレオカディオさんの言葉の通りなら・・・
「・・・取り敢えず皆を助ける事が先決よ」
まるで心を見透かしている様なレックスの溜息を聞きながら、仲間達許へ駆け寄り揺り起こそうとするが起きる様子が無い。駄目だ、意識が戻らない。
「・・・・迅速にな」
気付けば穢れは先程より濃くなり、そして瘴気が空気を蝕み始めていた。
本日も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございます。
闇の国テッラノックス編も最後に近付きました、此れからも尽力いたしますので、今後も宜しければお付き合いのほど頂けたら幸いです。
************
次回も無事に投稿できれば、8月1日18時に更新致します。




