第69話 終幕に臨む月ー闇の国テッラノックス編
今回は戦闘が多く、やや残酷な描写が含まれております。
それらが苦手な方はご注意ください。
明り取りの窓から差し込む薄明りは向きを変え、それは目の前の醜悪な魔物の姿を照らす。
灰緑色の凹凸だらけの皮膚はてらてらと滑り気を帯び、魔物の大きく開いた口からは鋭い牙が覗き、その合間からはでろりと黒い舌が垂れていた。呼吸の際には何のものともつかない腐臭が漏れる。
私が臭いに口元を覆い隠し閉ざすと、ミゲルもとい、ルシアノの魔物を愛し気に撫でていた手が止まった。ルシアノはゆっくりと視線を上げると、紫水晶の様な瞳を細め首を捻る。
芸術品と称した魔物の為に犠牲になった人への後ろめたさや罪悪感も感じず、不快に思う私達の感情に気付く事も無く、ただ自分の要求に答えてくれると期待して。
「生憎、私達は貴方の美的センスに共感はできないわ」
私は皆を代表して毅然と返答をルシアノに突きつけると、滑るように手を伸ばし自身の得物に手をかけた。
私達やレオカディオさん達を謀ったルシアノの顔に悪意は無く、困ったように両方の眉尻を下げ、口角は片方だけ吊上った。
「何を言っているんだい?此れはお願いじゃ無くて・・・命令だよ?」
ルシアノは自分の意図を酌まなかった私達を嘲笑い馬鹿にすると、小さな子供に言い聞かせる様に自分の真意を解らせようと言い聞かせる。
ダリルは苛々と、蟀谷に青筋を立てると、指を突きつけルシアノを怒鳴りつけた。
「命令だ何だなんて関係ねぇ!俺達はその気色悪い化け物の一部になるなんてさらさら無いんだよ!」
然し、ルシアノは其の怒気に当てられる事無く、脅えもせずに肩を竦める。
私達の顔を一通り眺めると、ルシアノは心の底から憐れむ様な表情を浮かべた。
「非常に残念だ・・・。でも、此れなら解って貰えるよね?」
「何を・・・!」
その狂気に満ちた笑顔の背後で、化け物が涎を滴らせ大きな口を開ける。
驚きで開いたままの口は声を奪われ、一瞬でルシアノの姿は魔物の中へと呑まれて行く。
誰もが想像もしない事態に言葉を失う中、魔物は膨張をし始めた。
膨れ上がった頭部に一筋が切れ込みが生まれ開眼すると、ぐるりと紫の瞳は舐め回す様に周囲を見渡す。
その背は盛り上がり、蝶が羽化する様に黒に黄のまだら模様の翅が現れた。
「こ、これって・・・」
フェリクスさんは目の前の魔物を隅々まで眺めると、ごくりと息を飲み呟く。
それを見て、レックスは無言のまま首を横に振った。
「・・・・・」
「ああ、狂った奴の考え何て大概理解できないものだよ・・・」
ファウストさんは煩わしそうに吐き捨てると、床に手を当て呟き詠唱する、忽ち床の石煉瓦は剥がれ、それは石人形を形どり、背後の祭壇を護り相対する。
魔物の目玉はぐるりと動くが、此方を品定めをする。
少なくとも相手は唯の本能のままに食らい付く、飢えた魔物ではない、知能を持つ魔物だ。
ルシアノはただこの魔物に喰われたのではない、そう推測できる。
此方の様子にニチャリと大きな口が弧を描く、其処から漏れるごぼごぼとくぐもった音は幾度かの発声により、明確な声となって口から出る。
「やあ、どうだい?なりたくなっただろう?お前達もこの美しい芸術の一部になれるのだぞ」
如何にか聞き取れた此の声は、やはりルシアノの物だ。
「それは、断固として拒否させて貰うわ」
念を押し拒絶の意思に揺らぎはないと伝えると、金切り声があがる。
その目は拒絶した私では無く、ルシアノを凝視しながら固まるレオカディオへと向けられた。
その傍らにいたソフィアは必死にレオカディオさんの腕を引っ張るが動きそうにない。
ルシアノは獲物に狙いを定め、複数の足を折畳み身を縮めたかと思うと、弾ける様に飛び上がる。
誰もが間に合えと願い、食い止めようと各々武器を手に駆ける中、熱風と共に火花が線を画くと、衝突音と共にルシアノの横面が抉れるようにへこむ。
「あ・・・がっ・・・??」
誰よりも早くダリルが駆け、ルシアノの横面を蹴り飛ばしたのだ。
胴体と足の比率が悪く、胴に対し足が貧弱な為かバランスが崩れた為、蹴り飛ばされたルシアノはレオカディオさんの目前で横転し床を滑り壁に体を壁に打ち付ける。
「ふー、今日ほど師匠から跳梁足を習って良かった日は無いぜ!」
ダリルは転がったルシアノを眺め、勝ち誇り満足気に笑う。
「レオカディオさん!」
ソフィアと共に名前を呼び、肩を揺さぶると我に戻ったのか、ゆっくりとレオカディオさんは私達へと振り返る。何か言いたげに口を開くが、それを噛みしめ首を横に振った。
「迷惑をかけたか・・・。今更だが、信用しなくても良い。だが、自分が招いた事の後始末はさせてくれ」
自責の念からか、酷く追い詰められた表情のまま私達から目を逸らし杖を出す。その先にはやはりルシアノ。今更、一人で何をかっこつけているのだろうか?
これだけの物を今更かっこつけて一人で責任だなんだと言って出来る筈は無い、気が付けば私の手はレオカディオさんの頬を打っていた。
「あ・・・貴方が本当に私達を利用していたとしても、命はその代償にしては大きすぎます!」
勢いとはいえ、叩いてしまった事には罪悪感を拭えないが、神妙な面持ちのままレオカディオさんは黙って立ち上がった。
「ああ、悪い・・・」
間髪入れず、何かを打ち付ける轟音と振動が部屋全体に響く、ルシアノは長椅子を弾き飛ばし駆けて来た。先に動いたフェリクスさんの雷撃が二撃四撃と当たり怯んでも尚、歩みは止まらず。
何やら叫びながらも大きな口で仲間達を噛み千切ろうとするが叶わず、狙いが定まらず乱れる様子からルシアノは多少なりと余裕をなくしているようだ。
然し、此処が祭壇の間である以上、肝心の祭壇が破壊される前に決着を付けなくてはならない。
既に目を瞑りたく成程、部屋は悲惨な状況な事に変わりないのだけどね・・・
ルシアノに近付くにつれ、その喚き声は自身の思い通りにいかない事への癇癪だと解る。
「寄越せ!寄越せよー!」
これではまるで、欲しい玩具が手に入らず、泣き叫ぶ子供の様だ。
「風は無数の矢となり 矢は流星の如く 我が敵へと降り注ぐ 射貫け【連射矢】」
ケレブリエルさんの放つ、風の矢がルシアノを射抜き、手足が欠損するが際限なく再生する。然し、それも限界が近いらしい、速度や再生された際の体の大きさが縮んで来ている。
魔法による抑撃は致命にならずとも足止めとしては十分、逸早く仕留めようと駆けるダリルの拳がルシアノの顔面を潰し、私とフェリクスさんで二手に別れ、駆け抜けながら足を切り落としていく。
動きを封じられ、床に転がる生ける肉塊となったルシアノへ私達は剣を突きつけた。
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「貴方達の目的は何なのか話なさい・・・!」
私は疑問に思っている、何時も暗躍し、誰かを利用し精霊王様達を消し去ろうとしていた。
しかも、封印を解き、異界から邪神を呼び寄せる為にだ。
それが今回は早々に正体を明かし、祭殿を占拠した。
今までの発言や行動からカルメンは闇の精霊王様への執着は尋常では無い、本当に闇の精霊王様を復活させていたとしたら、異界の門の開錠を企む邪神の命に反する事になる。
そうなると、ルシアノは謀反を企む同士、又はカルメンの目論見に気付き就けられた見張り役と言う所だろうか?
「ごめんなさい!助けて、僕は何も知らない。ただ・・・あの女に騙されてただけなんだ!」
ルシアノは巨大な目を潤ますと、許しを請う様に肥大化し、ぶよぶよとした体をうねらせる。
決して庇護欲を掻き立てる物では無いうえに、正直言ってかなり気持ち悪い。
散々、やっておいて此れで私達が油断すると思っているのだろうか?
「っで、それで答えて貰えるかな?」
「痛い!いたい!助けて拷問されてる!」
剣の切っ先でちくちくと突くと大げさに騒ぎ、ソフィアに目を潤ませ同情を求めだした。
「あ、えっとー・・・・」
其れに対し、ソフィアは困惑し眉尻を下げると、杖を両手で握り締めゆっくりと後ずさりをする。
然し、この茶番に堪忍ならなくなったダリルの怒声により遮られた。
「アメリア、話すだけ無駄だ!さっさと片付けて、あの女を追うぞ!」
ダリルは間髪入れず拳を振り上げるが、ブシュッと何かが勢いよく突き出す音がしたかと思うとベシャリと水気を帯びた粘着質な音が響く。
「逃げろ!時間稼ぎだ!」
ファウストさんの叫び声に飛び退けば、時間稼ぎに成功したルシアノから再生し、伸びる複数の昆虫の様な節足が生えていた。
如何やら、上手く利用されてしまった様だ。
各々、武器を構えるが息を吸う間もなく、ルシアノは足を収縮させ宙へと舞うと、私達に食らい付かんばかりに大口を開け降下して来る。
「此処は僕に任せろ!」
ファウストさんの鋭い声と共に、石人形の巨体が私達の視界を覆う。
石人形がその巨大な腕でルシアノを受け止めると、そのまま地に押しつぶされまいと咆哮が上がる。
如何やら、ルシアノも本来の目的より私達を倒す事を優先と切り替えたらしい。
押し合いはファウストさん側が優位と見られていたが、足で其の体に組みついたかと思うと、体を仰け反らせ肩へと勢いよく噛り付く。
石煉瓦で出来た体が噛み砕け、破片は重たい音を立て床に転がる。
「クソッ・・・しまった!」
石人形の形が崩れた事により、ルシアノの攻撃の対象は術者であるファウストさんへと移る。一度は危機を退けたのはファウストさんのおかげ、次は私達の番だ。
私は剣に光りを纏わせるとその刃で光の弧を描き、その横面を引き裂く。
黒い血液が元の素材が命を持たない者の為か、鉄錆に混じり腐臭を放ち床を黒く染めると、ルシアノはガクリと膝を落とす。
「うあ、最悪だねぇ・・・」
フェリクスさんは鼻を摘み、そう呟くと剣を振り上げ、切っ先を天に向ける。
「うああ!止めて死んじゃうよー!なーんてね・・・」
暫し、ルシアノは怯える様に目玉を動かすも、やはり通じないと舌打ちをすると、血を滴らせながらニヤリと口角を上げる。だがそれも学習能力が無いのではなく、隠し玉を出す為の前座。
近付く者を引き寄せると、その体から弧を描く白い牙の様なものが飛び出した。
獲物を捕らえるトラバサミの様な其れの正体は骨だった、私とフェリクスさんが剣でそれを切り落とす中、ルシアノは尚も抵抗し背中の翅を羽ばたかせながら執拗に私達を喰らい、取り込もうと暴れる。
「仄暗き沼の茨よ 咎人の楔となりて 闇に捕らえよ【黒茨】」
レオカディオさんの重低音により紡がれる呪文が響くと、黒い魔法陣から水音を立ててながら、巨大な茨が生き物の如く動きルシアノを束縛し、そのまま引きずり呑み込んでいく。
レオカディオさんは無言のまま表情に変化はないものの、何処か得意げに此方を見てきたのでサムズアップするが、目を逸らされてしまった。
ルシアノは茨に捕らえられながら水に落ちた羽虫の様にもがく。
「卑怯者!何でこうなるんだ!僕は欲しい物を手にい・・・れたい・・・だけなのに!!!」
ルシアノは必死の形相でもがき叫ぶ、私達の冷たい目線にその口が閉じられたかと思うと、その体は悍ましい形の風船となり破裂した。
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衝撃に備え閉じた瞼を開ければ、必死の形相で杖を掲げるソフィアの姿が目に映った。
私達を覆う半円状の魔法障壁の向こう側には分裂した、ルシアノの分裂体。
どれもが意思を持っているのかカサカサ這い寄っている、その姿はまるで・・・
「うげ!これってゴ・・・」
ダリルは嫌悪感を剥き出しにすると、此方を見ながら指を指す。
「みなまで言うな!」
思わずダリルの言葉を塞ぐと、困り顔のソフィアとケレブリエルさんの冷やかな目線が刺さる。
反省しつつ改めて見ると妙だ、体が四散したにも拘らず生きているのだから。
総数二十体ほど、傀儡となる不死者が活動しているとなると、術者も中にいると言う事だ。
「障壁を解きます。皆さん、どうか武器を構えて下さい!」
切羽詰まった声でソフィアが叫ぶ、障壁が消え失せると同時に、一斉に魔物が押し寄せて来る。
全員で切っては潰しを繰り返すも、魔物の群は姿を消す様子も無い。
しかも、刻むだけでは増えるうえに、早めに倒さねば爆発し、酸の液を撒き散らすしまつ。
目などの特徴は無く区別がつかない、しかし本当に術者はいるのだろうか?
何かで一掃できればと思った所で盟約の事が頭を過る、願えば以前の様に顕現され、精霊王が助けの手を差し伸べてくれるのだろうか?
「火の盟約か・・・・」
「ほう、既に盟約を済ませているとはな・・・。既に、其れを使う必要は無い。術者は去り、脅威は去った・・・」
聞き覚えの無い低く落ち着いた男性の声が響く、そこから伝わる存在の異質さ、無意識に込み上げる畏敬の念。
立ち尽くす私とレックスの横で仲間達が次々と糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちて行く。
その言葉に偽りは無く、さんざん苦戦を強いられていた魔物は融け、点々と小さな水溜りを作る。
そうなると、ルシアノは何処に行ったのか?
そんな疑問すら吹き飛ぶ程の存在が目の前に居る。
闇夜を切りとった様な長い髪、その下に輝く瞳は精霊を示す金色、それはまるで月のよう。
俄かに信じ難いと思っていた話が目の前で事実となる、その王の姿は闇そのものだった。
本日も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございます。
これからも気を抜かずに頑張りますので、宜しければ今後もお付き合いの程よろしくお願いします!
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次回も無事に投稿できれば、7月25日18時に更新致します。




