第84話 深淵からの声ー闇の国テッラノックス編
無数の星屑に見守られ、私達は闇夜を駆けて行く。
街の喧騒を耳に、闇を隠れ蓑にし、細い路地を進む逃走路は決して安全とは言い難い。
隠れ家と言われ、人気の無い古びた空き家や酒場などに偽装したものを私は想像していたのだが、周囲は治安も比較的よく、寧ろ周囲の建物は立派な物に変わって行く。
そして目の前に聳え立つそれは天を貫く複数の黒い槍のよう、不気味な鎧に身を包む兵士が門を護り、四方にはガーゴイルが数体、塀の要所に鎮座している。
奴等は何処か眠たげに目を瞬かせると、瞼が動じると同時にその体を石像へと変化させた。
此処って王城だよね?
「あの、此処って・・・」
「我等の王にて、闇の眷族の象徴である賢王、エウスタシオ陛下の居城だ。病に伏せた後、祭殿の者による治療を受けて以来、何かと祭殿へと信用を寄せているらしい。噂では国政にまで干渉させていると言う話だ」
レオカディオさんは王城を見上げ、皮肉交じりに説明をすると、苦々しい表情を浮かべ舌打ちをする。
それが本当であれば、味方は仲間達と抵抗組織のみと言う訳だ。
此処は祭殿と繋がりが深い、わざわざ危険な場所を通るのは何か意味が在るのだろうか?
成り行きで連れてきたクロエが騒げば、一巻の終わりになる。
考え事に没頭していた所、何かに突然、スカート越しにお尻を撫でられた。
「・・・きゃっ!」
反射的に腕を伸ばし捕らえると、腕を捻り上げられた昆虫族の少年は痛みに悲鳴を上げる。
「アダダ・・・痛いっすー!虐待反対!」
「あ、ごめん・・・!」
幾ら勘違いでもやり過ぎたかもしれない。
慌てて手を離し謝ると、少年は掴まれていた擦りながら片手を振る。
「本当に容赦ないっすねー!それと隠れ家なら大丈夫っす、黙って付いてくるっスよ!」
お礼を言おうと屈もうとした所、再びお尻りを撫でられた。
「な、な・・・!」
「へへへ、やっぱりねーちゃん良いケツしてんじゃん。此処は残念だけどねー」
突然の事で頭が真っ白になっていると、少年は胸を指さしてニヤニヤと笑う。
「あーのーねー・・・」
今は逃走中だからと溢れる怒りを堪えていると、少年は鼻歌交じりに次の人物を値踏みしだす。
すると、その脳天に無言の拳骨がダリルによってお見舞いされる。
「この・・・エロガキ!いい加減に・・・もがっ!」
感情任せに大声を出しそうになったダリルに背筋が凍る思いをしたが、寸前でフェリクスさんが口を塞ぐも、ダリルは何か言いたげに暴れる。
「こらこら、騒ぐな。問題ならお前も大概だろ。所で少年、後でじっくりとお兄さんと話をしような」
フェリクスさんが真剣な表情で少年を説き伏せようとするが、反省する所かニヤけながら目の端を光らせる。
「・・・へへっ、兄さんはどの子のが好みなんだ?」
「お!そうだねー・・・」
次の瞬間、鈍い打撃音と声にならない悲鳴が裏路地に響いた。
そこには頭を抑えしゃがみ込む少年、それと自称みんなのお兄さん、そして一言も発さずに二人の頭上に杖を掲げるケレブリエルさんの姿があった。
その様子を見てソフィアは戸惑い、私達や抵抗組織の面々を見ていると、レオカディオさんが黙したまま、険しい顔をしながら振り向いた。
「片方は知らないが、ミゲルはまたか。此れ以上、騒ぎを起こすようなら縛り上げてガーゴイルの餌にするぞ?」
「えー、こんなの挨拶・・・ご、ごめんなひゃい」
ミゲルと呼ばれた少年は反射的にレオカディオさんに反論するも、顔面を鷲掴まれ蟀谷をミシミシと軋ませられれ、懲りたのか流石に反省の色を見せる。
「いいか、お前が起こした騒ぎで此処に居る全員の命が危険に曝される可能性があるんだ。罰としてそうだな・・・新入り達の世話を命じる。良いな?」
★レオカディオさんの凄みの効いた低い声と醸し出す威圧感が、反論の余地を奪う。
ミゲルは短く息を飲むと、何度もレオカディオさんに向けて頭を下げていた。
「・・・ハイ」
ミゲルの耳と思われる蝶の翅は心なしか萎れている様に見える。
レオカディオさんの言う事は尤もだし、嫌な予感がするが此処は私達も頷く事にしよう。
*************
辺りは静寂と暗闇に包まれ、空気はじっとりと湿っており黴臭い。
私達は再び地上を離れ、カンテラの中で煌々と光を灯す火の魔結晶を頼りに地下道を歩いていた。
強いてマシな所を挙げるのなら、気を使わずに声を出せると言う所だろうか。
「こんな所が在るだなんて驚いただろう?」
レオカディオさんは何処か自慢げに胸を張る。
確かに堅牢な護りの王城の地下に隠れ家を築くなんてと思うだろう。
隅々を灯りで照らすと、所々に人の手が入った形跡が見える。
「ええ、まさか王城の地下水路からこんな此処に繋がるだなんて思いませんでしたよ。此処って、何かの遺跡ですか?」
「ああ、邪神が異界に封じられる切っ掛けとなった創世の大戦の際、使用された監禁と拷問が行われた場所だ。死霊術師すら避ける程、末恐ろしい場所なんだぜ」
私達が恐怖に固まると、レオカディオさんは白い歯剥き出し、愉快そうに笑い声をあげた。
抗議の意味で睨みつけるが、見事に受け流される。
如何やらレオカディオさんの興味は既に別の所へと移ってしまった様だ。
その時、虚しさに打ちひしがれる私達の頬を何処からか冷たい風が吹き、頬を撫でた。
「風・・・?何処からだ?」
ファウストさんが辺りを警戒しながら照すと、それにより徐々に道が開けて行っている事に気付く。
肝心の世話役を任されたミゲルは煩く言われ無い事を利用し、私達を放って仔犬の様に走り回っていたかと思うと、ピタリと足を止めてカンテラを振り回しながら嬉しそうな声で叫んだ。
「小さいねーちゃん達、こっちっスよー!」
被害妄想なのだろうか?何が小さいのか問い詰めたい。
怒りを堪え睨むが、此方に早く来るようにと騒ぐのみ。
「レオカディオさん、あそこ何が在るんですか?」
「ああ、強いて言うなら隠れ家へ向かう為の第一試練だ。んー、まあ・・・行ってみりゃ解るさ」
そう言って、此方もニヤリと口角を上げる。
完全に面白がっている二人に導かれるまま進むと、不快な空気が変わった。
だからと言って澱が減っただけで、決して地上と同様にとはいかないのだけど。
松明を掲げ照らす天井は高く、ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっていた。
足元を照らせば爪跡や千切れた布きれと並べられた朽ちかけの丸太が数本、赤黒い染みが僅かに残っており、先程の話に関連する様な人為的な形跡が目に止まる。
「・・・峡谷ね。風の出入りは此処からなのね」
ケレブリエルさんは眼下をカンテラで照らしながらしゃがみ込むと、興味深げに何かを覗き込んでいる。
好奇心に抗えず、私も皆と共に峡谷を眺めようとすると、何故か私だけレックスに引き留められた。
「お前は止めとけ、碌な事にならないに決まっている」
「そんなドジはしないし、私は浮上する事ぐらいできるから大丈夫よ」
レオカディオさん達が居る為、敢えて風の加護があるとは口にせず、心配は無用だと暗に伝える。
レックスは「忠告したからな・・・」と冷めた口調で吐き捨てると、不機嫌そうに目を逸らし腕を組み壁に寄り掛かった。
覗き込んだ峡谷はいっさい谷底が見えず、想像以上の深さに目を見張る。
ただ只管に闇が、深い闇が際限なく続いている様で釘つけとなり、何故かそこから目が離せなくなった。
「これだけ深ければ、何が其処に在っても解んねーな。もしかして、此処に拷問で死んだ奴を捨てていたりしてな」
ダリルが冗談交じりに言うとミゲルは目を丸くし、当ててしまったのか、驚きと感嘆の声をあげていた。
「おお!デコの兄ちゃん、正解っス!此処は骸の掃き溜めっス、此処・・・繋がるアル場所に隠れ家が・・・っス」
怖いわと思ったが、何処か可笑しい、声が掠れて聞こえて来る。
突然の不調に驚くと、頭を貫く様な耳鳴りが響き、それは徐々に痛みと共に大きくなって来た。
「マ・ジ・かよ・・・!ってか一名除・・・俺達と・・・な・・・ぞ!」
「ええ、飛べ・・・っス・・・か・・・」
ダリルとミゲルの掛け合いすら途切れとぎれとなり、原因不明の痛みで頭が何だかぼやけて来る。
眩暈?高い所は大丈夫なはずなのに・・・
「危ない!」
誰かが叫ぶ声が耳の奥に響く、目を凝らすと必死の形相で手を伸ばす、幼い黒髪と金髪の二人の少年の姿が目に映った。
こんな光景、何処かで見た様な?そうだ時折見る謎の夢だ、つまり此れも夢?
ふと気が付くと幼い私の小さな手は崖を片手で震えながら掴んでおり、私は自分がぶら下がっている事に気付く。足元は先程と同じく底の見えない闇が広がっており、其処から何かが聞こえた気がした。
『あの方に必要なのはお前ではない・・・』
低く憎しみが籠められた拒絶の声。
それは畏怖すら感じさせられると言うのに、何故か幼い私は自分を救おうとする手より、果てしなく続く闇の底から聞こえる声に惹かれ落ちてしまう。
仮に此れが過去なのだとしても、一番に思い出す記憶は、こんな恐ろしい事では欲しくなかった。
其処で一気に何処かへ引き戻されたかと思うと、体の浮遊感を感じると同時に声が再び頭に響いた。
『余計な事をするな、お前は何もしなくて良い。ただ、その時まで眠れ』
言葉に逆らい思い返してみる、やはり同じ声だ。
「それは、どういう事ですか!?」
『・・・・・』
私の問いかけに、応える声はない。
其処で私は、自分の体が峡谷の底へ投げ出されている事に気付く。
「遍く・・・風・・・くっ!」
風を呼ぼうと紡ごうとする呪文は、耳鳴りと痛みで阻害される。
それでも歯を食いしばり、抗おうと口を開いたが声にならない。
抗えず落ちて行く恐怖が胸に溢れ、気付けば唇が震えていた。
「アメリア!」
「アメリアちゃん!」
誰が自分の名を呼ぶ声に、開いた瞼の先に映る影に、私は何故か懐かしさを感じた。
***********
粗末ながらも整えられたふかふかのベッド上で私は目覚めた、ゆっくりと瞳を動かすと予想外の人物が枕元の椅子に座っている事に気付く。
更に見渡すと、壁際にはフェリクスさん、そして間近で座るレックスからは仮面で表情が隠れていようと怒り心頭なのが露骨に伝わってくる。
「えっと・・・助けてくれてありがとう。それと、心配をかけて御免なさい」
二人に機嫌を窺いつつ感謝と謝罪をしてみるも、レックスは無言で首を横に振り、フェリクスさんは其れを見て苦笑いを浮かべた。
「それがさ、オレ達じゃないんだよね・・・」
「それじゃあ、抵抗組織の誰かですか?」
そう言えば、レックスに浮上できるから大丈夫と豪語していた。
それが詠唱も出来ずに落ちて、助けられただなんて十分すぎるぐらい恥ずかしい。
レックスは戸惑う私を見て溜息をつくと、漸く此方に顔を向け口を開く。
「風の王と盟約を結んだ者を精霊が、みすみす死なせる訳ないだろ。それにしても忠告した筈だ、何故に覗き込んだ?」
気まずい、然しレックスが私を崖から遠ざけようとする理由が解らない。
此処まで感情を露わにするのに、彼にしては珍しい。
然し、二人だけではないが多くの人に迷惑をかけたのは間違いない、此処は素直に答えよう。
「慢心が主だけど・・・暗い谷底を眺めていたら何か声が聞こえてきて・・・」
私が言葉を詰まらせながら答えると、レックスは勢いよくベッドの端に両手をつく。
私がその勢いに気圧されている事に気付くと、レックスは慌てた様子で離れ「すまない・・・」と呟く。
「いったい、何の声を聞いた?」
「何のなのかは判らないわ。ただ、私は過去にも其の声に引き寄せられ、今回もその時と同じと言うだけ・・・」
レックスは一段と驚き、目を見開いたかと思うと、ガタリと音を立てながら椅子から立ち上がり、一言も発せずに踵を返し、私に背を向ける。
一体、何を考えているのだろうかと私は其の背中を訝しく思いながら眺めていると、前触れも無くレックスは此方へ振り返った。
「如何やらお前は此の国との因縁が有る様だ。俺は報告に行く、お前はもう少し休んでいろ!」
レックスはそう吐き捨てると、足早に部屋を後にする。その背中が扉に隠れ足音が無く消えるのを確認し、私は半身をゆっくりと起こした。
「乱暴なんだか優しいんだか、解らないヤツね・・・」
肩を竦め、いやに過保護だなと考えながら思いを吐き出すと、フェリクスさんは苦笑した。
「あー、それは・・・」
何かを隠し口を噤むと、フェリクスさんはヘラヘラと何時もの笑顔を此方に向けて来る。
胡散臭い・・・
「それは?」
「えーと、あー・・・彼奴にも色々あんのよ。ま!あー言う時は触らぬ神に祟りなしって訳でさ。それより、隠れながらだけど此処を簡単に案内しようか?それともデートする?」
「え・・・此処、死体が捨てられていた、いわくつきの谷ですよね。よくそんな事を言えますね」
場違いな冗談に冷たい言葉と態度で返すと、フェリクスさんは頭を抱え塞ぎこんだ。
「お兄さんの誘いを無下にするなんて、酷っ!!」
何の謂れあっての罵倒なのだろうか?
呆れ果てながら眺めていると、蝶番を軋ませ、扉がゆっくりと開いた。
戻って来たレックスは無表情のままフェリクスさんを一瞥すると、視線をゆっくりと私へと向ける。
「急ぎの連絡だ、刻印を手にし、己が欲のままにせんとする愚か者を裁く、その為の力を借りたいらしい。会議の場に出席できるか?だそうだ」
私達はそれに無言で頷く。ただ、底知れぬ深淵からの声は何時までも私の頭に残り、不安は深い闇となり渦巻いている。
それでも同胞の心も惑わす蝕まれた闇夜は、抗う者の心を折る事は無く、護るべき者の為に立ち上がる意志を示す狼煙となったのだ。
何時も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございました!
有り難い事に、今回もブックマークへの登録をして頂けて、作者は狂喜乱舞しております。
***********
それでは、次週も無事に投稿できれば7月4日の18時に更新となります。




