第73話 灯す者が居る限りー火の国シュタールラント編
『何かを訊き出そうとしていたので注意をして欲しい』
それが何かと考えるも、それを伝える筈の人物は赤い水溜りの中に倒れ伏している。
理解が出来ないまま立ち尽くす私達の前で、良く知る銀色の瞳の青年が杖をエヴァルト大祭司へと向けていた。
「レックス・・・?」
私は戸惑いながら銀色の瞳の青年の名前を口にする。
すると、レックスはゆっくりと此方へと目線を動かす。
目元は仮面で隠れ、表情は読めないが、私達に姿を見られた事に動揺する素振りを見せる事は無く、寧ろ落ち着いた様子だった。
「・・・・」
竜人は死の寸前、竜の姿に戻る事を思い出し、エヴァルト大祭司の命の灯は絶えていないと気付く。
然し、命が失なわれる危険から逃れてはいない。
焦りと不安、若干の苛立ちを呑み込み、無言のまま何かを唱えようとするレックスを引き留める。
「何をしているの?!」
私の問いかけにレックスは眉根を寄せると、溜息をついて気怠げに振り向く。
「お前の目に映るままに判断すると良い。今は一時だろうと無駄にできないのだからな」
多くを語る事無く此方に全てを委ねるレックスは投げやりな言葉を残し、再び視線をエヴァルト大祭司へ戻そうとする。
私達の声のみが響く静かな廊下、血塗れで横たわるエヴァルト大祭司と杖を向けるレックス。
単純に目に映るままに判断するとそのままにしか取れないけれど、何か違和感が在るのだとしたら・・・
レックスを注視しつつ、周囲を見渡し考えるも、ただ静寂が続く。
「ん・・・?」
こんな状況にあるにも拘らず祭殿兵が一人も駆けつけてきていない・・・?
何か気付けそうになった次の瞬間、風が頬を凪いだかと思うと私が目にしたのは、レックスに目掛けて拳を振り上げるダリルの姿だった。
「おい!馬鹿!デコ助!」
咄嗟に叫ぶフェリクスさんの罵倒も耳に入れず、ダリルは速度を落とす事無くレックスとの距離を詰めて行く。頭に血が上り切ったその様子にフェリクスさんは額を抑えると、呆れたのか頭を振る。
「俺にはお前が大祭司を殺そうとしている様にしか見えないなっ!」
幾ら何でも安易すぎる判断なのでは、私達がダリルを追う様に駆け出すと、レックスとダリルの間の空間がグニャリと歪む。
其れを目にし、ダリルだけでは無く誰もが驚きに目を見開くと全身を鎧で包んだ獣人の騎士が現れ、レックスに向けて振り下ろされ様とする拳を長盾で受け止める。
重く硬質な衝突音が響き、弾かれる様にダリルは後退すると、気が治まらずに怒りで拳を震わせる。
ダリルが感情のままに硬く握り絞める拳はウォルフガングさんにより摑まれると、そのまま投げ飛ばされ背中を激しく打ち付ける。
「うぐ・・・」
「落ち着いて目を凝らしてみろ!周囲に戦いの痕跡が無いだろうが」
衝動的に突っ走ったダリルに対し厳しく振舞い叱責するウォルフガングさん。
ダリルは師匠の言葉に不貞腐れるも、レックスの方を睨んだ後、悔し気に目を逸らし舌打ちをする。
レックスは何度も邪魔をされ不愉快そうに眉を顰めると、騎士に短く何かを呟く。
すると、騎士は無言で頷き再び空間を歪ませ、融ける様に姿を消した。
「・・・良く解ったわ」
私は静かに廊下を歩き、エヴァルト大祭司を挟みレックスと向き合う。
柄を掴み鞘から剣を引き抜くと、皆が驚き叫ぶ中、躊躇なくエヴァルト大祭司に振り下ろす。
エヴァルト大祭司は、大きな断末魔を上げ、血を吐き出し息絶える。
思わず言葉を失い唖然としていると、仲間達の悲鳴と動揺の声があがる、私は震える手に力を籠め一気に剣を引き抜いた。
すると、エヴァルト大祭司の体も血液も黒い煙の様になり霧散する。
「ほう、気付いたか。それにしても、肝が据わっているな・・・」
レックスは私を見ると満足気に口元を緩める。
「違うわ、大きな賭けよ。けれど、カルメン達の仕業と冷静に考えれば幻術がかけられていると最初から気付くべきだったわ。それにしても、趣味が悪すぎる・・・」
「そうだな・・・」
「あら、貴方もよ」
解っていながらも話そうとせず、此方が気付かずに困惑する姿を傍観していたのだから。
私が仕返しの言葉を放つと、レックスは一瞬驚いた様に動きを止め、苦笑いを浮かべた。
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私達は目に映るものが幻術だと言う事を知らされ、更に驚愕する。
そして、その真意に気付かされる、火の眷族の誰もが精霊王様からの救いの手に喜びの声を上げる裏で、火の祭殿の最も重要な場所が精霊王様の不調を利用し、異変を引き起こした張本人達に奪われているなんて・・・
「あの邪神の使徒の女、この規模の領域を平穏な状態に見せかけ、目論見を遂行するとはな。火の精霊王も抗う力を残していた様だが、油断はならないぞ」
レックスは苦々しい顔をしながら精霊の間の扉を撫でると、火の精霊王様に纏わる文様が刻まれた扉は一瞬で姿を変え、青黒くブヨブヨとした瘤を中心に血管の様に触手が張り付き悍ましい姿を露わにした。
「・・・彼奴と逃亡したと見せ掛けて偽装し、祭殿の最重要部の占拠していたなんて・・・」
私は目の前で脈動する異形に向け、剣を構えた。
「絡みついている血管の様な部分が脈動している・・・まるで生きている様だ。・・・これは魔物なのか?」
ファウストさんは緊張の面持ちで其れを眺めると、扉を間近でみようと慎重に近付いていく。
扉に根を張るソレは此方の気配に気が付いたのか、瘤がブルリと揺れたかと思うと横に切れ目が入り、紫色の巨大な眼球が己を害そうとする私達を覗き込むように睨みつける。
「正直な所、俺にも良く解らない。ただ、これが門番として置かれているのだとして、相手に此方の事を気付かれた可能性は有るな。ならば、躊躇の必要は無いか・・・」
レックスが戸惑う様にゆっくりと異形に手をかざすと、目玉は先程とは真逆に拠り、脅えて逃げ出そうとせんばかりにブルンブルンと目玉を震わせ暴れる。
徐々に異形から黒紫の煙が発生すると、それはレックスの掌に吸い込まれていき白化し、乾燥した土塊の如くボロボロと崩れ落ちた。
然し、当の本人のレックスは腕を抑え苦し気に息をすると、私の顔を見て我に返ったように顔を上げ、何事も無かったかのように背を正し息を整える。
「あの・・・何処か悪い所や術をかけられたのでしたら診ましょうか?」
レックスの様子を見て心配したソフィアが杖を片手に慌てて駆け寄るが、「必要ない・・・」と一言で跳ね退け、ゆっくりと扉に触れると手を止めた。
その横からフェリクスさんが手を伸ばし扉に手を置いたかと思うと、何故か私の方をしたり顔で見てくる。
「・・・希望は断たれていない。アメリアちゃん、とっとと突入して火の精霊王様と此の地を救おうぜ」
「ええ、行きましょう!」
この先が如何なっていようとレックスの言う通り、私達が此処で足を止める事は許されないだろう。
私はフェリクスさんの言葉に頷き扉に手をかけると、両手に力を籠めゆっくりと押し開けた。
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肌が焼ける様な熱風、一面の赤褐色の岩と煮え滾る溶岩。
それらが私達を待っていると思っていた・・・
熱風を恐れ、構える腕の合間から見た其の光景は一面の黒と灰色の褪せた世界。
その中で異彩を放つのは、燃え盛る精霊石の赤。
其れに護られ残る赤褐色はまるで大きな傷跡の様だ。
火を象徴するに相応しい精霊王様の力に満ちた灼熱の部屋は瘴気が広がる異空間へと変じようとしているなんて信じられない。
「ここ・・・精霊の間・・・よね?」
誰もが言葉を失い、立ち尽くす中でケレブリエルさんの声が静寂を破る。
「その筈です・・・。でも、あの扉は本当に精霊の間の物だったのでしょうか?」
ソフィアは戸惑い、不安げに周囲を見渡す。
その足元ではファウストさんが膝を突き、地面を撫でながらしげしげと眺めていたかと思うと、魔法陣を画き岩人形を生成するが其れは黒炭の様だ。
「一応、生成できるか・・・」
ファウストさんがそう呟くと、岩人形の表面が火の精霊石の放つ光に焼かれ剥がれ落ち、赤褐色へと生まれ変わる。
「成程、変えられたのは外見だけなのね・・・」
ケレブリエルさんが感心したかのように呟くと、ダリルは精霊石を見上げて拳を突き上げる。
「へっ、根っこまで腐っちまってはいないと言いたいんだな」
それに呼応する様に精霊石の輝きは増すが、嘲笑と共に精霊の間を覆う漆黒から瘴気が噴き出し赤褐色の床が侵食されていく。
それは何処かに身を潜めていたのではなく、火の精霊石から瘴気が噴き出し、それと共に二つの影が姿を現す。
「そうね、でも安心するのは此処を奪還してからよ」
私達の眼前にはトールヴァルト、その背後でカルメンは火を物ともせず火の精霊石に座り足を組むと、不気味な表情を浮かべている。
「あら、何その面白い顔。此処から私達が出て来た事、そんなに不思議かしら?」
楽しそうな表情をカルメンは浮かべると、挑発する様に精霊石を撫で回す。
「何故、精霊石から・・・?!」
「精霊石は精霊の本体が存在する精霊界と此方を繋ぐための媒体だ。奴等は其の特性を利用して異界と繋いだのだろう。気を乱すな、火の精霊王様の影響は弱まろうと王と呼ばれる存在が、使徒などに道を開ける訳ないだろ」
レックスは涼し気な顔をしたまま動揺する私を見て嗜めると不敵に笑った。
謎が解けたと同時に、それを許してしまう様な事態に陥っている事を危うく思う。
「ええ、そうね・・・!」
「役目でもあるし術師は俺が何とかする。だから先ず、お前達は目の前のデカ物を何とかしろ」
レックスは私達を見ながら不遜な態度で命令をすると、トールヴァルトに向けて杖を突きつけた。
「解ったわ・・・此の地を邪神に引き渡す訳にいかないもの」
私が不機嫌な表情を浮かべながら承諾をすると、岩を打ち砕く大きな音が響いた。
「黙っていれば言ってくれるじゃねぇか・・・」
ゆらりと怒りを滲ませるも、何処か余裕な態度でトールヴァルトはにじり寄る。
其れを見てカルメンは面倒くさそうに目を背け吐き捨てるように淡々と喋った。
「今なら普段よりマシに動けるでしょ?安い挑発に乗る必要は無いわ、灯す火種も大地や眷族と共に朽ち果て、此処は我々の始まりの地に生まれ変わるわ」
「いいえ、此の地を貴女達の始まりの地に何てさせないわ。火は不滅よ、其処に火を灯す者がいる限りね」
トールヴァルトは、私達を鼻で笑うと、瘴気を取り込み姿を変えて行く。文様が体に浮かび、筋肉が増幅すると同時に肉体が二回りも大きく変化した。
其の姿は角や牙も変化し、人より魔物に近く見える。
「灯す者ねぇ・・・フハハッ!」
トールヴァルトは豪快に笑い飛ばしたかと思うと地面を力強く蹴り、息をつく間も無い速さで接近すると、戦斧は私でもレックスでも無く、怯えて固まるソフィアの目前で振り上げられた。
本日も当作品を最後まで読んで頂き有難うございます!
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次週も問題なく投稿できれば、4月18日18時に更新致します。




