第66話 火を蝕むモノー火の国シュタールラント編
シグルーンさんに連れられ治療棟を後にした私達は、精霊の間へ続く廊下を彼女の背中を眺め、無言で歩く。カーラさんへの対処も、私達への悪意も感じられず、今の所はシグルーンさんの態度に問題は見られないと思う。
ただ、私の問いに答えようしたカーラさんの豹変、そしてそんな彼女を見るシグルーンさんの冷たい表情が気になった。
カーラさんの正気を失い錯乱する姿が、ただ単に消えた記憶を思いだしただけとは何となく思え無いからだ。
『・・・火が・・・火が・・・黒く・・・引き裂かれる・・・飲まれる』
焼かれるのではなく、引き裂かれると言うのが引っ掛かる。しかも、黒くとは何を意味するのだろう?
ただの心が壊れた人の譫言と言えば、そこまでなのだけど・・・
廊下を進むにつれ、漂う空気が熱を帯びて行く。繰り返し続いていた足音が止み、シグルーンさんは立ち止まると踵を返し、眉尻を下げ不安そうな顔で此方を見た。
「此処が火の精霊の間です。此方側で中を確認済みですが、つい昨日の事ですし危険ですので、無理はせぬようお願いします」
「・・・ええ、解りました」
その背後には内側に拉げた焼けた門があり、火のマナの暴走の規模と威力を私達に露わにした。精霊の間は本来なら資格ある者と、王に許された者のみが入出できる聖域と言える場所。
故に護りは堅く、これがマナの暴走の脅威かと思うと驚愕する。
「確かに此の状態での祭殿関係者以外の立ち入りが許されたのは、大祭司様さまだな」
ファウストさんは半壊状態の扉を眺め、皮肉交じりに感嘆の声を上げる。
如何やらシグルーンさんの件で腹を据え兼ねている様だ。
「そうね・・・でも、やれる事をするしかないでしょ」
ケレブリエルさんは扉を見た後、チラリとシグルーンさんに視線を向けた。
ファウストさんは暫し眉間を抑えると頭を横に振った後、「ああ、仕方がないな」と溜息をつく。
そんな思いおもいに耽る私達をシグルーンさんは怪訝そうに見つめると、視線を扉に戻し手を伸ばす。
然しその直後、ビクリと手を跳ね上げ扉から離すと、手を摩り顔を顰めた。
「・・・・っ」
「大丈夫ですか?」
「え、ええ・・・大丈夫よ。それでは、部屋に入りましょうか」
何処かシグルーンさんの様子が気になるが、代わりに扉を押し開けると、壊れているのにも拘らず火が紋様を浮かび上がらせ、私達を招き入れる様に軋む音を響かせ扉が開いた。
其れを見てシグルーンさんは不可解そうに眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情を浮かべると、無言のまま精霊の間へと入って行く。
「アメリア、どうだ?あの巫女は?」
ダリルは横並びになった所で、シグルーンさんをチラチラと見ながら声を潜め、現時点での考えを訊ねて来た。
「まったく・・・今は何とも言えないわ、証拠が少なすぎるもの」
私達がドワーフの街で助けたシグルーンさんも、祭殿で災厄に遭ったシグルーンさんも、何処か怪しく思えるが、決定打と言える物が無い。
「まっ、そうだよな」
ダリルはつまらなそうな顔をすると、私の横を擦り抜ける前へ出た。
扉を潜ると更に熱気が増し、火口独特の臭いが鼻腔を満たす。
以前に見た部屋は焼け爛れ、祭壇は修復されているが、その爪跡は隠しきれていないが修復はある程度おこなわれている。
「今こそ沈静化が成されているけど此処に何時、昨日の様な事がいつ再発するか保障できない。よって、調べるのなら、出来る限り短時間で済ます事をお奨めするわ」
私達の事を気遣うが、精霊王様の事を案ずる様子は無く、あまり調べられたくない様子で淡々と案内する。
災難に遭った直後にも拘らず案内を任された責任感からか、恐怖や動揺を押し殺していると考えても、感情の揺らぎを微塵も感じさせないのは不思議だ。
「ええ、肝に銘じて気を付けます」
此処で改めて頭の中でカーラさんの言葉が反芻する。
ただの狂気ゆえの言葉?それとも、其の中で見せる真実の欠片か。
ふと、祭壇の上に浮く輝く巨石に目を向く、紅く荒々しく燃え盛る火のマナを纏い、肉体を持たない精霊王様が顕現させる為の媒介。精霊石は変わらず宙に浮き、その力を示し続けている様に思えた。
赤く燃え上がる其れの中央に陰りが生まれる。それは火のマナと鬩ぎ合う様に膨れ上がっては焼かれを繰り返す。
「精霊石の中央が・・・黒く染まっています」
ソフィアは顔を青褪めさせ動揺し、声を震わせ抑える様に口を手で覆うと、そのまま視線を逸らせずに硬直する。いったい、精霊石に何が起きているのだろうか?
「此れが、黒く引き裂かれる・・・か?」
ファウストさんは精霊石を見上げ呟くと、眉間に深く皺顔刻み、顔を顰める。
嫌な予感がする、引き裂かれると言う言葉は一致しないが、それ示しているのではと疑うに足る現象だ。
これが、カーラさん達を襲った火のマナの暴走の、その予兆なのだろうか。
「シグルーンさん、精霊石が・・・」
「・・・まだ大丈夫よ。それより、此処に案内を求めたと言う事は何か訊きたい事が有るのじゃないかしら?」
まだ・・・?
何処か冷めた様子で不安に駆られる私達をいなすと、精霊石を気に留める事無く真直ぐに此方を見詰める。此処は遠慮する場合じゃないかな。
「それなら、精霊石の事を。未だと仰いましたが、シグルーンさんは黒い靄が何かご存じなんですか?」
口振からアレが何か、シグルーンさんが知っているとふんで訊ねる。
シグルーンさんは眉根を僅かに寄せ、暫し黙り込むと、ゆっくりと口を開いた。
「・・・・あれはマナの澱みよ。あれが満ちない内は私達の様な事にならないわ」
「澱み・・・ですか?均衡の崩れがそんな物を生じさせるなんて」
マナが澱む事に驚きつつ、マナの均衡が異変の要因だと言う話を匂わせる。
彼女も要因が均衡の崩れと考えていても、違う人物で在っても、多少なれど私が知っていた事に対する反応が見れる筈だ。
「・・・ええ、そうよ。知っているなら想像できるでしょ、澱みが膨らみ続ければ如何なるのか」
シグルーンさんは私の言葉を耳にすると、虚を突かれた様に見つめると、視線を外し精霊石を見上げた。
フェリクスさんは微笑むと、ウォルフガングさんが眉間に皺を寄せるのも気に留めずシグルーンさんの許へ歩いて行く。
「其処まで知っているのなら何故、君はカーラをあんな目に遭わせたんだい?」
そう言われると確かにフェリクスさんの言う事は一理ある。
シグルーンさんは不愉快そうな顔をしても自分の顔を覗き込むように見下ろす、飄々とした態度のフェリクスさんの問いに、俯き唇を震わせた。
「それは・・・」
「シグルーンは彼女を助けたんだ、安易な言い方は必要が無いんじゃないか?」
黙り込むシグルーンさんに堪り兼ねたのか、ウォルフガングさんはシグルーンさんを庇う様に前へ出た。
「・・・そうやって、女の子の前だからってカッカすんなって。オレは知っていながら、暴走が起きる予兆を見逃してしまった状況が知りたかっただけだしさ」
「な・・・違う!此れは昔のよしみであってな・・・」
フェリクスさんの宥める言葉をシグルーンさんは聞き流し、何故かウォルフガングさんのみが動揺する形に。一切反応を使用ともせず、シグルーンさんの視線は精霊石へと集まっていた。
「・・・不味いわね」
「え・・・・」
その言葉の意味にひかれ、見上げると澱みと呼ばれていた黒い靄が精霊石を黒く染めんばかりに蠢き広がっていた。
目を凝らし良く見ていれば澱みは形をとり、複数の黒い鉤爪のついた手が火のマナを掴み、引き裂いて行くように見える。
其れと同時に周囲の溶岩が、それに苦しむ様に湧き立ち柱を上げる。
より強烈な熱気にカーラさん達の味わったであろう、恐怖の片鱗を感じ、背筋を汗が伝う。
「ともかく・・・一時退避しましょう!調べるどころじゃないわ」
不満そうに首を捻る者、賛同する者、皆で必死に出口へと駆け出す。
肌どころか頭から体が焼ける様な強烈な熱さに見上げれば、四方から上がる溶岩の樹があがる、その灼熱の果実は熟れては地上へと降り注ぐ。
熱さに耐え、間に合えと祈る様に走れば、それを嘲笑う様に足場となる岩場へと溶岩が火口から溢れ出す。しかし、此処は幸いな事に火口、いざとなれば空から逃げられるかもしれない。
飛べる二人には大きな負担になるけれど・・・
「突然で無茶なのは承知です、シグルーンさん。飛んで火口から逃げましょう」
焦りから乱暴な口調になった為か、私の提案にシグルーンさんは片眉をピクリと吊り上げると、諦めからか如何か、静かに目を細める。
「逃げる?それは竜になれと言う事かしら?それなら、私じゃ役に立てないわね」
その言葉に視線を追えば、溶岩の樹は崩れ、私達へと降り注ぐ。
もう、出口に駆けこむも何もかも余裕が無い。
こうなったら首飾りごと消滅の可能性も有るけれど・・・
私は首元から首飾りを引きずり出し、氷狼を呼び出そうと瞼を閉じ、祈る様に握り絞めた。
「ウァル様・・・水の精霊王様、如何か私達を御守下さい!」
相手が万全では無いのは解っていても、命の危険を感じた時には自然と祈ってしまう。
生きたいのだと。
其処に頭に聞き覚えのある声が頭に響く。
『何て無茶を・・・でも、そのおかげで今の私でも貴女達を護れるでしょう』
水と冷気に驚き瞼を開くと、氷と水蒸気の合間に見える水の精霊王様の姿が目に映る。
「ありがとうございます・・・!」
驚きと喜びの声が漏れる中、無茶を承知で助けに現れてくれた事に申し訳なく思いつつ、お礼を述べると水の精霊王様は首を横に振る。
『その言葉は弱った体で、自ら仕える王の不始末を肩代わりした娘に伝えなさい。その者が居なければ、今は存在しえないのです』
「それは一体・・・?」
誰ですか?
そう訊く前に水の精霊王様は霧の様に私達の前から姿を消す。
その言葉を基にシグルーンさんに視線をやれば、暴走が治まった精霊の間を見回し、眉根を寄せてていた。彼女じゃない、そうだとしたら誰が?
「アメリア、精霊の間を離れましょ?」
思わず呆然としていると、ケレブリエルさんの声で我に返る、皆が冷め切った溶岩を踏みしめ出口へと向かっている姿が目に入った。
「・・・ええ、ぼーっとしてすいません」
溶岩の熱に満たされた部屋を出ると、涼し気な風が頬を撫でる。
然し、それを心地よいと感じる間も無く、何処からともなく焦げ臭さが鼻を突き、それと同時に慌てふためく人々の声が祭殿中に響いた。
本日も当作品を読んで頂き真に有難うございます!
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次週も問題なく投稿できれば、2月28日18時に更新致します。




