第51話 大海蛇の巣窟ー水獣区アマルフィー編
※今回は戦闘はありませんが、表現の関係で残酷な描写が使用されています。苦手な方はご注意ください。
コポコポ・・・
全身がズキズキと痛む、頭が酷く重く、体は指一つ動かない。ただ、ただ深く冷たい水の中に落ちて行く。耳に届くのは水の音のみ。
この感覚、二度も味わう事になるとは思わなかった。二度?一度目は?何時、何処でこれと同じ事に?如何して、何度も繰り返し頭に思い浮かぶのに、此れが何を意図するものなのか解らない。
困惑する頭に響く水音は消え、鼻腔に発酵した乳や肉が腐敗したよな臭いが立ち込めて来る。
何だろこれ?海の中に落ちたのなら、何でこんな臭いがするのだろう?
手にねちょりと何か粘質な何かが触れ、身の毛もよだつ感触に意識が一気に覚醒する。
ゆっくりと瞼を開くと、瞳に映るのは只管、漆黒の闇。自分に起きた事が解らず手を伸ばすと、腰に鞘は有ってもその中身が無く冷たい汗が頬を伝う。
「ぅ・・・っ、剣が無い」
混乱しながら手探りで探すと、何か細長く硬い物が手に当たった。此処が何処かは判らないけれど、一先ずは安心と持ち上げると妙に軽い。
「これって・・・ひっ!!?」
手繰り寄せると、闇になれた目に微かに輪郭が浮かび上がる。それは、湾曲した何かの骨だった。反射的に其れを投げると、嫌な水音がたった後、カランと床の上で転がり音をたてる。
すると、上の方から僅かな光が漏れだすと同時に、大きな何かが降って来た。
其れは何かと衝突し、グシャッと何かが潰れる身の毛もよだつ音を響かせると、降り注ぐ薄明りが魔物の死骸の山を映し出す。
「うっ・・・」
魔物の死骸は見慣れているが、此処まで酷い状態の物は見た事が無い。
まるで何かが食い散らかした跡の様だ。
口元を手で覆いかけ手を止めると、僅かに差し込む白光の中、幸か不幸か自分の愛剣が腐肉に突き刺さっているのを発見した。
「うぇ・・・最悪ね」
万全とは言えないがゆっくりと体を起こし気持ち悪さに耐え、眉間に皺を寄せながら剣を腐肉から引き抜く。然も、自分の服や装備もお世辞にも清潔とは言えない。
げんなりとしながらも立ち上がり、剣にこびり付いた汚れを掃い鞘に収めると、頭上から誰かの声が聞こえて来た。
「何だ、中に生きている奴がいるのか?」
敵か味方か?生きている事に驚くと言う事は、此処は死骸を処理する廃棄部屋か何かなのかもしれない。
暗闇で武器を構え、見上げると頭上に空いた大きな穴から意外な人物が顔を出した。
「妖精の盾・・・レックス、貴方が何で此処に?」
「其れは、此方の台詞だ。剣よ、シーサペントの掃き溜めで何をやっている?」
ほぼ同時に同様の質問。此処を脱出するには状況的に彼の手助けが必要だろう、此処はレックスを優先しよう。それにしても、目的地にこんな形で一足先に来る事になるとわね。
「如何やら、敵に強引に強引に連れて来られたみたいなの」
半分だけ自棄になりながら、そう告げるとレックスは其れを笑うでもなく周囲を警戒し、此方へ手招きをする。
「今なら俺以外はいない・・・飛んで来れるか?」
「・・・出来るわ。やはり、貴方が此処に居ると言う事は瘴気が関係しているの?」
すると、言葉では無く肯定する様にレックスは頷く。よく考えてみれば此の距離感だ、敵地で大きな声を張り上げるのを得策と思っていなかったのかも。
地面を蹴り、風の加護で唯一の出口に向けて飛翔する。部屋を出ると、空気に混じる潮の香りも先程までの物に比べれば美味しく感じる。
然し、目の前のレックスは仮面をつけていても解る程、顔に嫌悪を張り付けている。少し咳払いをすると、ハァと息を吐き指先で文字を描く。
すると、青く小さな人魚の様な姿の妖精が現れ、空中を泳ぐ様に舞う。
「水妖よ。彼女に浄化魔法をかけてやってくれ」
レックスの命を請け、水妖はコクコクと頷くと私を見て悪戯めいた笑みを浮かべ、手を振り上げる。
すると、頭上から滝の様な水が私へと降り注ぎ、全身を包み込んでは渦巻く。
息を止めたが苦しく、水の中でもがいていると、水は汚れと共に一滴残らず、先程まで居た穴へと落ちて行った。
「ありがとう。おかげで海水で洗わなくて済んだよ」
「・・・ああ、気にするな」
お礼を言うと、レックスはさも当然だと言わんばかりに一言だけ喋ると口を堅く結ぶ。
私から簡単に此れまでの経緯を話す、今後の事を考えレックスに行動を共にできないかと声をかけて見る事にした。
「貴方の目的に、私も無関係とは言えないわ。仲間と合流と行きたいけれど、事前に情報を集めてからでも遅くないと思うの。良かったら、同行させて貰えないかな?」
手を合わせ懇願し、顔色をそっと覗き込むと、レックスは冷めた表情のまま無言で此方を見詰めていた。
普段は単独行動の様だし、やはり気楽に行きたいのだろうか?
「・・・好きにすればいい。如何するかは自分で決めろ」
捻くれた言い回しだけど、つまりは付いて来ても構わないと言う事か。
「それじゃあ、宜しくね!」
「・・・・・」
挨拶も兼ねて握手を求めるが、背を向けられ其れは物の見事に無視されてしまった。
何にしても、心強い味方に変わりない。私をかまう様子も無く歩くレックスの背中を追う。
どうせ脱出ついでに調べ物をするのなら、仲間達に良い土産を持ち帰らないとね。
****************
廃棄部屋を後にし、進む洞窟はまさに巣穴といった物だった。壁は岩などでは無く、無数の魔物の骨や貝殻が砕かれ、積み重ねる様に塗り固められている。
魔物の巣と言えど、何ヶ所かに様々な役目を持つ部屋の様な場所があり、私はその中でも最悪な場所に捨てられていたのだと実感した。
「世界の綻びが生じている海溝があると訊いたのだけど、何処に在るのか見当はついているの?」
「ああ、此処だけでは無いがな」
「此処だけでは無い?」
私にし質問攻めにされたのが不快だったのか、レックスは不愉快そうに目を細めた。
「この海域の海面から突き出した複数の岩山が在る。それは奴等が造り上げた巣の先端部分であり、その何れにも綻びは存在していると言う事だ。取り敢えず、封じたのは三か所と言う所だな・・・」
「成程ね、予想できなかったわ。水の精霊王様に関する情報が有るとだけ思っていたのだけど」
確かに海面から突き出した槍の様な岩山があると聞いていたけど、まさか其の全てが巣だなんて・・・
災厄が一ヶ所に、しかも複数も生じるだなんて、カルメンに水の精霊王様の不在を上手く利用されたわね。否、水精霊王に害をなす程の力を持つ邪神の化身の仕業か。
「その物言い、水の精霊王様に何か遭ったか」
「ええ、実は・・・」
水の精霊王様の失踪を知らせると、私を見詰め言葉を失ったまま黙り込む。心情は訊くまでもなく、最悪な状況に在ると言う認識が同等である事が伝わる。レックスは片手で額を抑えると、頭を振る。
「事情は解った、精霊王の失踪は妖精にとっても看過できない。再び解決まで手を貸そう」
つまりは、同行を許可したと言うつもりでは無く「付いて行きたいなら勝手にしろ」と言う認識だったのね。
「・・・最初からそのつもりなんだけど?」
「そうか、行くぞ・・・」
相も変わらずの不愛想な態度で、レックスは歩き出す。思わず肩をがくりと落としてしまったが、何にしろ共闘が約束されたとなれば、ありがたい。
「変ね、さっきからシーサペントの気配どころか、カルメン達のいる気配もないわ・・・」
「そもそも、お前のみを捕らえ、生かして此処へ連れて来た時点で可笑しいだろ」
「ああ・・・確かに。つまり、何かの目的の為に連れて来られたと言う事かしら?」
「そんな事、知るか。もし、その通りなら、何か動きがある筈だ。警戒は大切だが、起きる前に立ち止まって如何する?」
これは、ご尤もね・・・
的確な指摘に頭が上がらない思いを抱きつつ、近くで大きく口を開ける部屋の入口を覗き込む。
「そうね、警戒だけは怠らないようにしておくわ。ただ・・・」
照明魔法の光球が照らす先、思わず動きを止めた私の目に、人工物の様な物が目に映った。
見間違いかと一瞬、迷ったが、先に進もうとするレックスを呼び止め入ると、そこは牢屋の様だった。
忽然と現れた牢に違和感を感じ覗くと、囚人の姿は無く、代わりに壁や地面に生々しい痕跡が残っているのみ。
思わず顔を顰めるが、僅かな可能性と手掛かりを求めて更に奥へと進む。すると、奇声のような悲鳴が上がった。
「ひっ・・ひいいい!!お助け!お、俺は食べられる肉何てねぇよおおお!!」
「大丈夫よ、私達は貴方を食べよう何て考えていないわ」
正気を失い脅えきった声に戸惑いつつ、私は大声を上げられない様にゆっくりと声の主の顔を光球で照らす。然し、今度は私が驚かされる番だった。
「ドミニコ・・・・・さん?」
其処に在ったのは傷だらけで少し痩せこけてはいるが、シーサペント亜種と戦う際、先陣を切って仲間を引きつれ突っ込み、そのまま散っていったと思われていたドミニコさんが確かに目の前に居る。
口振からシーサペントの餌として捕らえられている様だが、人質の為に残していた線もあるかも知れない。
「・・・知り合いか?」
露骨に訝しむレックスの声が背後から響く。
「ええ、お世話になっている方の部下のドミニコさんと言うの」
私がそう言うと、ドミニコさんはギョロリと丸い目を見開き、此方を凝視する。
すると、ドミニコさんは先程までの脅えっぷりが嘘の様に目が輝き出す。手を擦り合わせ此方へと近寄ってくると、ニタァと薄ら笑いを浮かべた。
「おお、あ・・・アンタはロッサーナ隊長が連れて来た人間か。さ・・・里からの救助がきき・・・来たのか?」
此れは死んだと思われていると言うのは控えておくべきね。
「いいえ、残念ですが・・・」
「いやー・・・こっちは魔物に呑まれて吐き出された所、みょ・・・妙な種族の連中に閉じ込められちまって・・・」
安心したのか、ドミニコさんは私達が訊ねてもいないのに、此方に色々と語りだす。
しかも、その中に此方が興味を持ちそうな情報が混じっている。都合が良すぎる気もしなくはないけど。
「妙な種族?」
「島からで・・・出た事ないんで初めて見たが、角が生えた黒い翼の別嬪と頭巾を深く被った不気味な男のふ・・二人だ。急に連れて来られて連れ回された挙句、魔物の死骸を切り貼りするのを手伝えって言うんだ・・・やべえもんだから逃げたら仲間共々、此処に閉じ込められ・・・ぐっううう」
島で会った時もろくに喋らず、無口と思っていたが、ドミニコさんは箍が外れた様に饒舌となる。そうかと思えば、顔色を青くして頭を抱えだした。
かなり精神をすり減らしているうえに、同行させるのは難しい・・・
さりげなく、レックスの様子を窺うと、黙って聞いている様子だったが、錯乱しかけているドミニコさんに対し淡々と訊ねる。
「里に帰るのなら、転移ができるが如何する?」
「て・・・転移?」
訳も解らず、困惑するドミニコさん。そう言えば以前、転移魔法を使う妖精に飛ばされた事があったなぁ・・・
「あ・・・思いだした!連れ回されている時に不思議な部屋を・・・み、見付けた。それであいつ等、覗いたら目の色を変えて俺を捕らえたんだ」
「え・・・さっきは協力を拒んだからと言いませんしたっけ?」
私が矛盾点を突くと、ドミニコさんはゆっくりと目を泳がせると、何かを思い出す様に視線を上げる。
暫く様子を見ると、「あー!」と声を上げ、気まずげに頭をポリポリと掻いた。
「さ、誘いを断り、逃げた所で捕らえられて牢に入れられたんだった。そ、それで、不思議な部屋って何だと思う?」
一応は筋は通るが、かなり身振り手振りが大きく胡散臭さい。しかし、カルメン達の術に掛かり操られている可能性も否定できない。取り敢えず、様子を見ようか。
「そう・・・ですか。私には想像が尽きませんが、其処に何があったのでしょうか?」
私がそう尋ねると、ドミニコさんはゆっくりと口角を上げ、身を屈ませ小声で喋り出す。
「やはり神のみみみ・・・導きか、水の眷族が故に惹かれたのか、水の精霊王様が捕らわれているのを見たんだ!案内するから・・・ど・・・如何か助け・・・」
「おい!雑談に興じている暇は俺には無い。今直ぐ、帰るのか答えろ」
必死に懇願するドミニコさんの言葉を遮り、レックスは蔑む様に見ると杖を突きつける。
然し、ドミニコさんは何かを決意したかのように固く唇を噛みしめると彼らしくない、はっきりとした口調で叫ぶ。
「水の精霊王様を救わないってんなら、俺がやってやる!」
ドミニコさんはレックスに向けて啖呵をきると、チラチラと振り返り走り出す。
「あからさまだな・・・行くぞ」
レックスは呆れた様に呟くと、ドミニコさんに背を向け歩く。
然し、此れがあの一人と一柱の罠としても、何らかの手掛かりの可能性も有る。
「後を追いましょう・・・背後にカルメン達の影が見え隠れている以上、今回の件に無関係ではないと思うの」
「・・・・露骨だと思わないのか?」
「承知しているつもりだよ。例え罠としても、此れは私のみを誘拐した事に何か関連している様に思えるの」
そう押し切ろうとすると、レックスは私を睨みつけ、歯を軋ませながら口角を吊り上げ、語気を荒らげた。
「何でお前は危険に近寄ろうとするんだ!あの時だってそうだ、あんな場所に立たなければ!」
「・・・?何の事か解らないけど、心配してくれるのは感謝する。此方から動向を願い出て本当に勝手だけれど、私一人でも行くわ」
罪悪感で胸が苦しいが、水の精霊王様の手掛かりを逃すつもりは無い。自分が思いの外、頑固だった事を思い知るも、ドミニコさんが走って行った先を追う様に歩き出す。
「一度決めた事に・・・勝手を許すつもりは無い」
レックスはそう言うと、仮面で表情は読めないが不機嫌そうな足取りで私を追い抜いて行く。
「・・・私の我儘に付き合ってくれて、ありがとう。それじゃあ、宜しくね!」
「・・・・」
そして、再び相変わらずの無言。
例え危険と解っていても私は立ち向かう、大海蛇の巣窟に住まう真の魔物をこの手で倒さなくてはいけないのだから。
本日も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございます。
ブックマークの登録までいただけて元気が出てしまいました。
それでは、今後の展開は此処からさらに盛り上げて行けるよう頑張ります!
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次回も何事も無ければ、11月15日18時に更新致します。




