第45話 霊使の分殿ー水獣区アマルフィー編
水塊が迫りくる刹那、咄嗟に身を捩る。座ったままのこの状況、無傷とはいかないだろうと覚悟を決めながら体を椅子ごと傾けると、胸元から白光と共に冷気が噴き出し、獣の咆哮が響いたかと思うとガキンッと硬質な音が耳に響く。
響き渡る驚愕の声に視線を上げると、雪塵を纏う白銀の狼の姿が在った。
水塊は凍結し床に転がり、その口に咥えられた氷塊は鋭い牙により噛み砕かれ、崩れ落ちる。
狼は鋭い爪がついた片足を長机に掛け、明確な敵意が里長であるシルヴァーノさんへと向かう。
冷気を放つこの狼の事を私は知っている。
「戻りなさい!氷狼!」
エリン・ラスガレンでも大いに助けになった水の精霊王様の加護が、私を護ろうと発動したまでは良い。しかし、此のままでは相手に応戦したと見做されてしまう。
私の命令に氷狼は名残惜し気に耳と尾を下げると、雪塵へと姿を変えて私の首飾りへと戻っていった。
「ハッ・・・おっかねぇ物を飼っているじゃねぇか。魔法遺物か?水獣族の奴等も大そうなもんを用意するじゃねぇか」
成程、ロッサーナさんの連絡を受けての審査の為とはいえ、好待遇過ぎると思っていた。きっと、シルヴァーノさんは最初から、私達を水獣族から送られた刺客とでも睨んでいたのだろう。
油断させる為とはいえ、不意打ちに加え近距離での魔法は下手すれば大怪我では済まない。
これで事前にロッサーナさんが言っていた意味が解った気がした。
「・・・此れは魔族を退け、眷族の皆さんと共に水の精霊王様をお救いした際、直接いただいた物です」
シルヴァーノさんは私の言葉に片眉を上げ、心根を探る様に私と仲間達を眺めると、再び私へと視線を戻し捲し立てる様に喚き立てて来た。やはり、正直に言っても信じて貰えないか・・・
「水の精霊王様から頂いただぁ?!そんなあからさまな嘘信じる奴が何処に居るってんだ!水獣の回し者が!」
「・・・この!分らず屋が・・・」
シルヴァーノさんの態度に堪忍袋の緒が切れたのか、ロッサーナさんは席から立ち上がると胸倉を掴もうと手を伸ばした。
「ロッサーナさん!」
此のまま喧嘩を引き起こしては、彼女の目的も私の使命もそれ所では無くなる。慌てて席を立ち、彼女の手首を取ろうと手を伸ばす。
しかし、啖呵を切るロッサーナさんの腕を止めたのはソフィア。その顔は青褪め、全身をガタガタと恐怖と緊張に震わせながらもシルヴァーノさんとの間に立ち塞がった。
「ご、誤解です!アメリアは回し者ではありません・・・め、女神様から使命を授かった精霊の剣、精霊王様方とも深い繋がりがある人何でふ・・・です!」
青くなったり赤くなったりと必死に声を張り上げ訴え掛ける、勇気あるソフィアの言葉と行動に、シルヴァーノさんに加え、ロッサーナさんまで唖然とし、その動きを止める。
ロッサーナさんの溜飲は下った様だが、シルヴァーノさんだけは納得いっていない様子で眉間に皺を寄せる。
「もう一人の、教会の若ぇの。この話は本当か?正直、刺客かと思っていたが・・・もしや、お前達は水獣の回し者じゃないと言いたいのか?」
レオニダは其の質問に目を丸くするが、落ち着いた様子で懐から首飾りを取り出し握り絞め、シルヴァーノさんの前へ突きつける。中央には金色の装飾が在り、其れを囲む様に各精霊王様の象徴と言える色の石が配され、まさに其れは教会の象徴を模っていた。
「ああ、我等の女神ウァルミネの名にに誓ってね。誰かの回し者では無く、此れは僕達の意思で動いているよ」
「つまりは、祭殿を譲る為の審査も嘘か・・・」
シルヴァーノさんはレオニダの漏らした言葉を見逃さず、彼を睨め付けるとレオニダは「あ・・・」と声を漏らし此方を見る。実に解り易く相手に動揺を見せてしまった。
「その通りです・・・」
此のまま追い出されるだろうか・・・?しかし、応えは予想外の物だった。
「そうか、解った信じよう。人間のお嬢ちゃん、先程は不意打ちをして悪かったな」
「・・・いえ、怪我はなかったのでお気になさらず」
まさかの謝罪には驚いたが、信じると言う言葉がすんなり聞けるとは・・・。
そして次に矛先が向いたのは、まさかの事に目を丸くし息を飲むロッサーナさんだった。
「でだ、ロッサーナ。お前が企てたんだろ?なあ?この隠れ里を案内するなんてぇの思いつくのは、おめぇぐらいだからな」
流石に逃げられないと悟ったのか、ロッサーナさんは拳を握り唇を噛みしめると机に手を突き、威勢よくシルヴァーノさんへと抗議する。
「あ・・・私は眷族同士の分裂が起きてはゆくゆくは此の地がと思い・・・!」
ロッサーナさんの此の地を憂う声は、シルヴァーノさんの怒声で遮られた。
「馬鹿か!不穏な空気が漂ってやがるって時に、皆まで言うな。違法操業には祭殿の封鎖による内部の秘匿、此方が仕掛ければ何か出るかと探りを入れてたんだ」
まさか、入れないうえに禁則だと情報も流さない祭殿側の動きを知って居ての行動だったなんて。
そうだと考えると、ますます祭殿がひたすらに外部を寄せ付けない理由が理解できない。
「里長・・・私は・・・」
誤解と知って言葉を詰まらせるロッサーナさん。
「・・・本当なんですね」
「ああ、勿論だ。口下手ですまないな、お前の使命とやらが此の海と水の精霊王様に関連するのなら、此処は詫びの証として、其の手助けをしてやろう。それと、ロッサーナ、お前も責任を持って一緒に来い」
ロッサーナさんは背筋を伸ばし、顔を引き締め、シルヴァーノさんへ敬礼をする。
「・・・承知致しました」
シルヴァーノさんは周囲に荒れた室内の清掃を命じると、此方の返答を待つことなく部屋を後にする。其れを見て、ロッサーナさんは困ったように頭を掻き、溜息をつくと此方へと振り向く。
「行く先は大体、予想はできる。身の安全は保障はするから、此のまま良ければ着いて来てほしい」
「ええ、お願いします。とても助かります」
何かの手掛かりになればと私達は快諾する。祭殿に海の異変に魔物の変化と、不安要素が不安要素が増えなければ良いのだけど・・・
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街を歩けば見世物を見るような物珍し気な目線、興味が有るがどう接したらと、街の人々は戸惑っている様だった。そんな中、案内されたのは、珊瑚と岩で構成されたまるで洞窟の様な建物。
壁をシルヴァーノさんが殴ると、その振動を受け、壁のあちこちに設置されたガラスが一斉に青白い光を放ち、幻想的な明かりを灯す。
「水の中に・・・発光する虫?」
ファウストさんは珍し気にガラスを覗き込み、その中で浮遊する複数の生き物に釘つけになっている。
「此奴らは海光虫。ああやって振動を与えると危険を察知し、目眩ましの為の光る粘液を吐き出すんだ」
「可哀想だけど、便利ですね」
「興味深いな・・・。所で此処は、祭殿か?」
ファウストさんは釘つけになっていた視線を動かし、天井を見上げながらロッサーナに訊ねた。
ロッサーナさんは苦笑すると、先導するシルヴァーナさんの背中を眺め呆れ顔を浮かべる。
「あっ・・・気が付かず申し訳ない。此処は霊使リヴァイアサンの居城であり、水の祭殿の分殿に当たる場所だ。祈りの間と言われる最奥の部屋は海底深くと繋がり、其処で我ら魚人族が霊使を通じ、水の精霊王様の御言葉と御力を授かり、儀式を執り行っている」
ロッサーナさんが説明を終えると、地下へ降りる階段を指さす。進むにつれ、何処からともなく潮の香りが漂い始め、海が近いのだと知らせる。
最奥の部屋の付近に到着すると、扉に隙間が出来ており、其れを見て駆け寄ったシルヴァーナさんが悪魔の形相を浮かべ、部屋の中を睨んでいた。
「不届き者が!何をやっているのだ!!!」
シルヴァーノさんの咆える様な声が分殿に反射し響き渡る。その声はビリビリと空気が振動させ、壁に設置された海光虫のランプが一斉に灯って行く。
「暗闇に光り・・・不審者か!」
私達より早く駆けつけたロッサーナさんは槍を構えると、シルヴァーナさんと共に何の躊躇も無く部屋へ飛び込んでいく。
「ファウストさん、ソフィア!私達も行きましょう!」
レオニダには焦らず追う様に伝え、私達も駆け足で祈りの間へ飛び込んでいく。
しかし、其処には巨大な美しく青い水を湛える塩湖と珊瑚や磨かれた石に彩られた神秘的な光景あるのみ。不審者が居なければ美しさに思わず溜息をつく所だが、その肝心の不審者の姿は無い。
私達が部屋に入った時、誰かが此方へ飛び出して来る事は無かった。つまりは室内に不審者は残っている。
「入口は塞いだぞ」
ファウストさんの岩人形が入り口を塞ぐ。此れで退路は建てたはず・・・
「でかした!と言った所だが、此処は魚人の住処だと言う事を忘れるな・・・」
シルヴァーノさん達と共に武器を構え、姿を隠し続ける不審者を警戒しながら練り歩く。
「我々の里ですか・・・厄介ですね」
レオニダと共に私と不審者を探すソフィアは背後の塩湖を警戒する様に眺める。
「ああ、隠れる所も限られているにも拘らず、発見できないなんて・・・な」
レオニダはそう言うと天井の一点を見つめたまま硬直する。
攣られて見上げると、深緑色の頭巾と外衣を纏った小柄な人物が天井に背を張り付かせ、牙を見せニタリと口角をヒクリと歪ませた。
「ひ・・ひひっ!み、見付かったぁ」
不振者は低く震えた声でそう言うと、天井に手足を突き踏ん張り始める。
不味い、ソフィアの言っている事が私の想像通りだとしたら・・・!
「皆さん!天井です!」
私の一言で皆の視線は一気に天井の男へと集中する。
だが、其れを嘲笑うかのような不審者の男は体を引き剥がし軽々と床に着地したかと思うと突然、紫の閃光と共に動きを止めもがき苦しみ始めた。
「う・・・ああ・・・ぐあ」
「・・・いったい、何が・・・?ともかく、確保するとしよう!」
シルヴァーノさんが手を伸ばし、相手の腕を掴む。そして、如何にか確保かと思った瞬間、背後で何かが倒れる音がした。
「レオニダ先輩?!!!」
ソフィアの悲鳴の様な声に振り向くと、顔面蒼白になったレオニダが床に倒れ伏していた。
何故に倒れたのかとレオニダに気が逸れた瞬間、何かが千切れる音と共に大きな水音が響く。
「畜生!俺としたことが!」
突然の事にすっかり気を取られていた私達の背後で男は塩湖へと飛び込んだ。
水面にできた大きな波紋を睨み、シルヴァーノさんは相手の残した外衣の切れ端を握り絞めると、歯軋りを合図に塩湖へと走り出す。だがそれは、ロッサーナさんの槍に遮られる。
「里長!貴方に何かが在れば里の大事になります、此処は如何か堪えてください」
シルヴァーノさんは槍を押しのけようと掴むが、其の手は止まり、悔しさで震える手はゆっくりと緩められる。
「・・・海の事なら水の精霊王様の遣いであるリヴァイアサンの事を知るべきと考えたが、これ以上の案内は無理そうだ。・・・ロッサーナ、客人を館まで案内しろ」
シルヴァーノさんは忌々し気に塩湖を眺め、私達に背を向けロッサーナさんに耳打ちをした。ロッサーナさんは其れに対して気が進まなさげに俯き黙り込む。
シルヴァーナさんが何を言ったのか、考えているのかは不明だけれど如何にも雲行きは怪しい。
しかし、此処には客としてじゃ無く問題を解決しに来ている。今までの経験からの奢りかも知れない、それでも力になりたい。
「あの・・・協力させてください!」
此方に向かって来たロッサーナさんの表情は硬く、私の声が届いていないかのように、その口は淡々と言葉を紡ぐ。
「・・・取り敢えず、館まで送る。如何か此処は里長に大人しく従ってくれ」
「それって・・・」
「ゴホンっ」
如何にも腑に落ちない為、引っ込みがつける事ができずにいると、ファウストさんが其れを遮る様に咳払いをした。
「アメリア、中には部外者に知られたくも無い事も有るだろ?」
「あたしも、そう思います。其れに、レオニダ先輩を休ませなくてはなりませんし・・・」
ソフィアの傍らには未だに顔面蒼白なレオニダが横たわっている。
「ごめん、自分の事しか考えてなかった・・・館に戻りましょう」
こうして私達は祭殿での犯人捜しを断念し、レオニダを連れてシルヴァーノさんの館へと戻った。
ロッサーナさんの配慮で館内に用意された部屋にレオニダを休ませ、彼の意識が戻った頃、私達の部屋に酷く慌てた様子のロッサーナさんが飛び込んで来た。
「も、申し訳ないが今直ぐ島から出来るだけ早く遠くへ離れてくれ・・・それと今回の話は無しだ」
突然の説明抜きの申し入れに訳が分からず困惑していると、ロッサーナさんは周囲を警戒し、酷く焦った様子で拳を握る。尋常じゃない様子に各々の荷物を手にし始めると、彼女の表情が少しだけ和らいだ。
レオニダはファウストさんの土人形に抱えさせ、私達は言われるがままに厩舎へ急ぎ、二頭のヒッポグリフを連れ出し港へ走る。
不気味なぐらい静かな港から見る鉛色の空に心がざわつく。ロッサーナさんの思いを無下にしても此処は私だけは退く訳にはいかない。
「・・・一言、訊かせてください。何が起きているんですか?」
その問いに動揺と苛立ちを隠せないロッサーナさんの顔は険しくなり、声には苛立ちが滲んでいた。
「この島の霊使の護りが壊された、海から魔物が押し寄せてくる・・・頼む!早く行ってくれ!」
しかし、その直後、魔物の咆哮が空気をビリビリと震わせ轟く。
それに導かれるまま押し寄せる荒波は、捕らえた獲物を逃すまいと食らいつく魔物の群の様だった。
本日も当作品を読んで頂き真に有難うございます!
如何も長くなってしまい、申し訳ない( ; ›ω‹ )
もし宜しければ、引き続きお付き合い頂けたら幸いです。
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次回も何事も無ければ、10月4日18時に更新いたします。




