第43話 眠れる海の霊使ー水獣区アマルフィー編
薄曇りの空の下、やや荒い波に揺られ蒼玉色の海に其れは幽霊船の如く、ゆらりと不気味な雰囲気を漂わせながらジェロニモを乗せ、港へと風を受ける帆も無いのに進む。
魚人族は同じ眷族として、水獣族から精霊守の役目は自分達が相応しいと言いたいのだろう。そして、感情のままに動いた彼を戒めに、自分達の正当性を主張するつもりかと言う声が恐怖に息を飲み込み、震え上っていた民衆の口々から怒声となり発せられる。
「な・・・何だよありゃあ!話し合いじゃなく俺達へ喧嘩を売ってるのか!?」
「油断させておいて俺達に祭殿ごと、土地を引き渡せとでも言うきだな!魚頭どもめ、なめんじゃねぇ!」
誰が言い始めたのか、猜疑心から沸き上がる憎悪を燃料として、怒りが荒波の様に乱れ狂う。ジェロニモを殺した魚人族を許せないと。
其れでも、ありのままの光景に左右されずに冷静な判断をしようとするのは、私が他種族だからだろうか?憶測ばかりが膨らむ港に、人々の声を掻き消す大きな声が響き渡る。
「鎮まれぇっ!!!!」
鼓膜を劈く様な其の声の主は、人々を掻き分け護衛らしき人物と共に現れると、海を睨みつける民衆を一喝する。まさかと思うけれど、この声に私は聞き覚えが有った。
そして、其処に立っていたのは教会で出会った海亀の水獣人の老人だったと気付く。
「ガルヴァーニ区長!どーしてですかい?!仲間をあんな目に遭わされて黙ってらんねぇよ!」
一人の住人が老人をガルヴァーニ区長と呼ぶ。ガルヴァーニ区長は落ち着き払った様子で頷くと、海に浮かぶ船を見やる。
「いや、早合点をする前に事実を確かめるべきじゃ。マストに括り付けるのは感心せんが、不確かな事に振り回され、思い込むままに突き進んでは目が曇るだけ・・・」
ガルヴァーニ区長の言葉が影響したのか、ジェロニモを乗せた船の周囲が渦巻き、何かが競り上がって来た。そして、其処に姿を現したのは水玉色の鱗に覆われた鰐の様な頭に魚の様な体を持つ魔獣。
その背には魚の鰭の様な耳に二本の角を生やした女性が騎乗していた。
しかし、その青白い肌は何処も彼処も傷を負っており、続いて現れた部下らしき半魚人に気遣いを跳ね除けるように振り払い、真っすぐと青い髪の下の緑の瞳でガルヴァーニ区長を見上げる。
「私は魚人族の長の娘にて、一の槍術の使い手にて戦士ロッサーナ。此の度は、此方が預かった同族の物を無傷で返す事が出来ず、大変申し訳ない!」
深々とロッサーナさんは頭を下げると、後ろに控える魚人族の人々も後に続く。
「つまり・・・ジェロニモさんは無事?」
私の言葉にガルヴァーニ区長は此方を見ると無言で頷き、周囲を制する様に杖を突きつけながら見回すと、再びロッサーナさんへと向き直る。
「儂は此の地区の区長を務める、ジョット・ガルヴァーニじゃ。お主達の姿を見る限り、道中に何か遭ったのじゃな?事情を・・・と言いたいが奴の命が無事ならば、先に帰して貰って良いかの?」
ガルヴァーニ区長の問いかけに頷くと、ロッサーナさんは部下に船を港に着けるように指示を出す。
「ああ、貴方が長か・・・。勿論だ、彼に早急に治療を、我々に命を繋ぐ術は無い」
「隊長・・・しかし、それでは」
その指示に困惑する様子の部下をロッサーナさんは睨みつける。ビクリと怯える部下の人達は魔獣で船を押し、着岸させた。
漁師達により陸へ上げられたジェロニモさんは何かの爪で引き裂かれた痕が痛々しく、その船は不明な複数の痕跡で傷み、沈まずに戻って来たのが不思議に思える。
「治療なら、あたしが!」
ソフィアは瀕死のジェロニモさんに駆け寄り、ガルヴァーニさんに治療を申し出る。
その姿を見てロッサーナさんは目を丸くすると、何やら部下達と話し出した。一体、何を話そうとしているのだろう?
「うむ、頼んだ」
ガルヴァーニ区長が頷くと、ソフィアは怪我を見て顔を青褪めさせるが、息を飲むとジェロニモさんの体と平行に杖を構え呪文を詠唱する。
「我が乞うは 主の慈愛 癒しの光り纏いて 汝を救わん・・・【治癒光】」
詠唱と共にソフィアが白光を纏う、その光が魔結晶へと収束し杖を包み込むと、それは光の粒と共にジェロニモを癒していく。しかし、其の傷は深い為か、治療し続けるソフィアの額には汗がに滲んでいた。
自分で治癒魔法が使えないのがもどかしい、ジェロニモさんの姿を同僚の漁師さん達と共に見守っていると、ファウストさんに肩を叩かれた。
「おい、呼ばれているぞ」
其れに釣られてファウストさんが指さす先を見ると、ガルヴァーニ区長がロッサーナさん達を護衛つけ、陸に招き入れている。当然だが、其れを目にした周囲からは殺気に近い冷たい視線が注がれていた。
其れに動じる様子も無くガルヴァーニ区長は何やら彼女達に話すと、私達に手招きをした。
「何で私達、呼ばれているんだろ?」
訳も解らず人違いかと思い、周囲を見回すが他に反応する者が居ない。招かれるまま向かうと、ガルヴァーニ区長からロッサーナさん達の紹介を受けると、彼女は訊きたい事が有ると言って来た。
「と、突然で失礼だが、貴女が水の祭殿を救ったと言うのは本当か?」
「え!いえいえっ、そんな・・・此の地を救ったのは眷族の皆さんです。私達は其の助力をしただけで・・・ははっ」
あまりにも真直ぐに言われるので思わずは照れくさくてはにかむと、ロッサーナさんの表情が真剣な物に替わていた。戸惑っていると、ガルヴァーニ区長は腕を組みながら微笑んだ。
「君の助言の通り、関係修復を試みよう思う。君に触発され考えた結果、太古より各地は眷族同士が手を取り合い護って来た。其々が精霊王様より託されたのは、何方かが優位に立つのではなく、共に手を取り合う為と儂は考えを固めたのじゃ」
ロッサーナさんは同意する様に頷くと、深い溜息をついて壁にもたれ掛る。
鱗雑じりの肌は青白く、ジェロニモを連れて帰った時の物か、良く見ると所々に痛々しい怪我をしていた。
「あの・・・!話の途中ですが、彼女を今直ぐ病院へ連れて行きませんか」
私の声に皆の視線がロッサーナさんへと向く。フェリクスさんが彼女へ手を差し伸べるが、其の手はあっけなく弾かれる。
「これしき、心配無用だ・・・それより、先ずは約束ど・・・」
此処に来た目的を逸早く果たしたいのだろうか?ロッサーナさんは心配をする周囲に視線を泳がせ、唇を堅く結びながら地面で踏ん張る。その強がりも、ゆらりと体が揺れると同時に崩れ去った。
「おっと・・・」
部下の魚人兵達が焦り叫んだ直後、フェリクスさんが其の背中を抱き留める。其れを見て部下達が「気安く触るな人族!」と言う叫び声を上げた。
「ともかく、何処か病院に連れて行きましょう・・・!」
そう呼びかけると、ガルヴァーニ区長は其れを見て唸る様に「ふむ・・」と呟くと、周囲を見渡し民衆へ呼び掛け知らしめる。
「此の者達は儂の客人じゃ、何人たりと彼女らに危害を加える事はまかりならん。ジェロニモの件は疑わしきは罰せぬじゃ。どうか、道を開けてくれ」
民衆は其れを受け渋々と別れ、街への道を作りあげる。ガルヴァーニ区長は気に止めもせずにフェリクスさんに手招きをする
「ありがとうございます、助かりました」
「うーむ、此処は儂が治めておくから、取り敢えずは近くの病院へ連れて行きなさい。それと、これを持って行け」
そう言うと、ガルヴァーニ区長は紙切れを取り出すと、護衛の男性から羊皮紙の破片とペンを受け取りサラサラと文字を書くと私達に手渡す。
ロッサーナさんの部下達は何か言いたげだったが、周囲の状況を理解してか苦々しい表情のまま私達の跡を付いて来た。
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その後、ソフィアには置いて行った事を怒られてしまったが、彼女の治癒魔法でジェロニモは一命をとりとめ漁師仲間に引き取られたらしい。
そして現在、治療を受けて体調を戻したロッサーナさん達を交えて、ガルヴァーニ邸にて話し合いの場が設けられていた。
「こんな信用に足るかも解らない私達を受け入れて下さり、心より感謝する」
申し無さ気に眉尻を下げ、頭を深々と下げるロッサーナさんの姿見てガンヴァーニ団長は其れを笑い飛ばす。
「はははっ!なぁに、此れも此処に居る英雄殿のおかげじゃよ。礼も謝罪も要らん、お主達からの見た現状を聞かせてくれ、解決の糸口になるやも知れぬ」
ロッサーナさんはガンヴァーニ区長を見ながら驚きの表情を浮かべると、何処か安心したような表情を浮かべていた。
「其れなら、有り難い。私も父の反対を押し切って来た甲斐があったと言う物だ」
「押し切って?」
ケレブリエルさんは口に運ぼうとしたティーカップを長机に戻すと、不思議そうに首を捻る。
ロッサーナさんは何かを考え込む様に天を仰ぐと、静かにお茶を口にした。
「父の考えは、妖精による報せのままだ。だが、私は其れは良案とは思えない、略奪や一方的な支配は悪手。眷族と言う物の考えに関しては私も区長殿に同意だ」
やはり、同族間でも考えはそれぞれ、皆が祭殿の管理権を奪おうと考えている訳ではないのね。
そして口振から恐らく、ジェロニモの帰還は彼女の独断なのだろう。益々、海の現状が気になるかも。
ガンヴァーニ区長はロッサーナさんを本心を探る様に耳を傾けている様子を見せると、静かに口を開く。
「お主の考えは理解した。此処までの経緯と、儂等では調べる事が難しくなってしまった海の様子を話してくれ」
その言葉にロッサーナさんは言葉を飲み、握っていた拳を緩めると落ち着きを取り戻し、静かに「お話します」と切り出し語りだす。
「切っ掛けは黒い靄が噴き出す複数の海溝、発見当初は海底火山を想定していたのだが、水生の魔物の凶暴かと変異が見られた。特に被害が多いいのが突然変異によるシーサペント亜種の群の横行が目立つ様になってね。我々の調べによると水の精霊王様の霊使であるリヴァイアサンの失踪であると判明した」
黒い靄が噴き出す海溝、此れは十中八九、世界の綻びで間違いない。船の材料でも挙げられていたシーサペントの亜種、ますますカルメン達の影を疑わずおえ無くなって来た。
しかし、水の精霊王様に霊使が居た何て知らなかったな。
「リヴァイアサンとは?」
「海の秩序を護る為に、水の精霊王様が女神様より賜ったとされる水龍だ。生態系の頂点に君臨し、魔物や災厄から護ってくれたのだが、忽然と姿を消してな・・・異変の時期や海の状況からして原因と特定したのだ」
故郷での事を思いだしたのか、ロッサーナさんは額を抑え項垂れる。
「では、此処の来るまでに襲われたのはリヴァイアサンの失踪が関係していると言う事かしら?」
ケレブリエルさんがそう尋ねると、自身の体の傷があった場所を抑え苦々しい表情を浮かべるが、顔を上げると、其れを肯定する。
「ああ、先ほど言ったシーサペントの亜種だ。原種は体が大きく単独行動を取るが、亜種は小柄な事を補う為か群れを成し襲い掛かってくる・・・魔獣イクサに乗り水上と水中、双方で応戦したのだが・・・すまない」
ロッサーナさんは申し訳なさそうな顔をしながらも、悔し気に拳を握りしめる。あの大型の魚の様な魔獣はイクサと言うのね。水中だけでは無く水上でも自由に駆れるのは便利ね、ただし水中呼吸が出来たらだけど。
「ふむ・・・此方こそ、血気盛んな連中が生活の為とはいえ、迷惑をかけた様ですまん。此方も船は出ないが、何か手伝えることがあれば関係修復も兼ねて力を貸そう」
「あぁ・・・しかし」
双方、謝罪の言葉を述べるが暫しの沈黙が訪れる。如何にか助けたいけど、船が駄目なら・・・そうだ!
「海が駄目なら空からなら更に助けになるかもしれません。案内して頂ければヒッポグリフ達で荷物でも手紙でも、何かと力となれると思います」
私が胸を張り、そう告げるとロッサーナさんは目を丸くし、ガンヴァーニ区長は期待に目を輝かせる。
仲間達はヤレヤレと半ば呆れ気味に肩を竦めた。
「やってくれるのかね?流石は水の祭殿を救った英ゆ・・・」
「勘弁してください・・・」
私が恥ずかしさから言葉を遮ると、ガヴァーニ区長は苦笑する。
「ごほんっ・・・まさに渡りに船と言いたいが頼めるかね」
「ええ!あ・・・」
私は独断で決めよとした事に気付き、ゆっくりと振り向き皆の顔色を窺う。
「今更じゃないかい?」
「そうね・・・アメリアの使命を考えれば当然ね」
訊くまでもないと、暖かな目と承諾が降りる。
ロッサーナさんは戸惑っている様だが、私達を見ると部下と顔を見合わせ再び此方を向く。
「区長から君が水の祭殿に大きな貢献をした訊いたが、まさか今回も力を貸してくれるとは予想外だ。しかし、協力して貰えるなら有り難い。此れが一縷の希望になればと思う」
「ええ、精霊王様と女神様に誓って、尽力します」
こうして魚人族の里へと、再びこの地と海の危機を退ける為に手を取り合う私達。ガンヴァーニ区長の屋敷を後に、ライラさんに怒られながら二頭のヒッポグリフを迎えに行った頃には、空に星が瞬いていた。
「よろしくね、アルスヴィズ!スレイプニル!」
「クエッ!クワー・・・!」
二頭の鳴き声は何故か「おい、やっとかよ!」と呆れと怒り雑じりに聞こえた。
今回は最長の話となってしまいましたが、本日も当作品を最後まで読んで頂きありがとうございました。
さて、今まで荷馬車引きでしか活躍できていなかった二頭の初の活躍の場となりそうです、荒れる海の彼方に何が待っているのか。それではまた次回、お会いしましょう。
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何事も無ければ、次回は9月20日18時に更新いたします。




