第42話 荒波に漂うー水獣区アマルフィー編
空は黒雲が広がり、湿り気を帯びた生暖かい風に水の粒が雑じり出す。
私達が報せを受け、ジェロニモさんを探す中、ジュストさんは仲間の一人と何やら話し、何も言わずに血相を変えて港の方面へ走り去って行く。如何やら唯事じゃなさそうだ。
「私達も行ってみましょう!」
私の言葉に皆が頷くのを確認すると、次第に勢いを増す雨脚に背を押される様に港へと駆けつけ、目にしたのは複数の漁船が何者かに破壊され、見るも無残な姿へと変わり果てた光景だった。
引き裂かれた帆に何かで断ち伐られたマスト、多くの船に損傷が見られ、周囲から怒りと落胆の声がもれる。
「此れは・・・酷いな」
フェリクスさんは髪をかき上げ、開いた口が塞がらないと言った様子で呟いた。
漁船は商売道具であり、恐らくは漁師さん達にとって命より大事にしている物。其れを此処まで破壊するのは、きっと破壊した本人の心にも堪えただろう。
失意にくれる人々の集まりに、その心境を表す様に雨音も増す。次第に失踪したジェロニモを犯人と定める、恨みの籠った声が混じり始めていた。
近くの建物の軒先を間借りすれば、漁師さん達が数名、修理を求める為に造船所の戸を叩き、中から出て来たロッコ親方の怒声が響く。
「無理だ!海と空がご機嫌斜めって時に、何隻も船の修理なんてできる訳ないだろ!日を改めてこい、それなら何隻だって俺のプライドに賭けて直したらぁ!!」
離れた場所に居る私達の鼓膜まで激しく震える程の声と気迫に漁師さん達は気圧され言葉を失うが、悔し気に顔を歪ませると諦めず食い下がる者が現れた。
「何も全隻とは言わねぇ、二・・・三隻で構わない!今直ぐジェロニモの野郎をとっ捕まえなくちゃならねぇんだ!」
「あ?だから無理だと言ってるんだ!どうしてもってんなら自警団を脅して船をパクりゃあ良い!自分達の仲間の尻拭いぐらい自身でしろってんだ」
船の強奪に脅迫、善良な漁師さん達にはかなり無茶振りだ。相手は地区を護る、完全武装した自警団。
分が悪いどころか、何より犯罪である。
流石に反論に詰まったのか、漁師たちは黙り込まざるえない。其処にのしのしと大きな白い影が現れた。
「ロッコ親方!何をさらっと、とんでもない事を言うんだ。犯罪教唆だぞ」
漁師さん達を掻き分けて歩いて来たのは、ソフィアの育ての親であり自警団団長の白熊の獣人、ゴッフレードさんの姿が在った。親方は呆れるゴッフレードさんを尻目にニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「そうか?地区を護る奴等が、動かないから焚き付けてやろうと思ってな」
「ったく・・・それにしても厄介な時期にとんでもない事をする奴が居るな・・・。最近、海の調子を魚人族の影響と考え、不満を募らせる者が居る聞く。そいつの狙いは魚人族の里と推測し、船を捜索に出しても、この天候と波では遠洋は無理だな。一応、妖精を魚人族の里へ出すが、ソイツの名前は?」
ゴッフレードさんはロッコ親方にそう言い返すと、漁師さん達を見回して肩を竦める。
話を訊く限り、海絡みの影響で魚人族の仲は悪い様だが、妖精でのやり取りは可能なようだ。
「・・ジェロニモだ。漁師にとっちゃ、船は命その物だ。できるもんなら俺達でとっつ構えて、かたを付けてぇが・・・妖精を送って返事が返って来るとおめぇは本当に思うか?」
ゴッフレードさんの声に応えるように野太くガラガラ声が響くと、周囲が一気に静まり返る。人混みを掻き分け姿を現したのは海馬の水獣人の男性、ガタイの良い体についた複数の傷が歴戦の猛者を思わせる。
「やはり、ジェロニモさんか・・・」
私が思わず口から声を漏らすと、やはり水獣人の中に人族は目立つのか、ふとその男性と目が合った。
見掛けない人やエルフの姿を見て怪しんだのか、訝し気に眉を顰め、此方に詰め寄り屈みこむ。
「何だ、嬢ちゃん達。ジェロニモの知り合いか?観光なら、別の所へ行くんだな」
そう言うと、追い払う様に手を前後に振り、部外者には聞かれたくないと暗に伝えて来る。
ジェロニモさんがこの暴挙に出たのは恐らく昼前の出来事が切っ掛け、水の精霊王様の眷族同士の争いに発展している以上は、此処で私は引く訳には行かない。
「私は・・・」
如何にか話を聞かせて貰おうと思案しながら、言葉を紡ごうとした所でゴッフレードさんの白い丸太の様に太く大きい手が私の視界を遮る。
「いやいや、エルネスト漁業組合長。この子達は水の祭殿と街の連中を救った英雄だ、何か役立ってくれるかもしれない聞いて貰いましょうや。妖精に関しちゃ、魚人族からの返事は半々と心許ない。戦力のが多いい方が良いじゃないか」
「むぅ・・・あの時の冒険者か。まあ、良いだろう。それと、アイツの普段の様子からして、俺も魚人族の里に喧嘩を売りに行ったと睨んでるぜぇ」
エルネスト組合長は観念したのか、頭をボリボリと掻くと小さく溜息をつく。それにしても、英雄だなんて言われると、かなり気恥ずかしい。
ゴッフレードさんが満足気に組合長さん達を見ると、ソフィアは養父に尊敬と感謝の籠った視線を向け、嬉しそうに微笑む。
「小父様、有難うございます・・・」
其れを見てゴッフレードさんは「へへっ」と少し照れ臭そうに鼻の下を指で擦ると、漁師達の視線に目を瞬かせ、ゴホンと咳払いをする。
「まあ、何にしろ打てる手は打つか。奴なりの考えで衝動的に動いたんだろうけど、とんだ迷惑だぜ!」
エルネストさんは懐から、よれよれの羊皮紙をゴッフレードさんに突き出す。
其れを受け取り開いた所を横から覗き込むと、乱暴な文字で名前と「俺が何とかするから、追わないでくれ」と言う文字が書きなぐられていた。
「はぁ・・・如何にかするって何?具体案は?と訊きたいわ」
ケレブリエルさんは手紙を見るなり頬を引きつらせ、理解しがたいと言った表情を浮かべる。
「あー、確かに無謀ですよね・・・」
「そうだな、追って来させない様にする為にしても、僕も船を壊すのはいただけないと思うな」
私とケレブリエルさん、そしてファウストさんは顔を見合わせ苦笑する。
しかし、ゴッフレードさんはうんうんと頷き、くしゃくしゃと羊皮紙を丸めてはエルネスト組合長に突き返し、目頭を抑えた。
「なるほどな、向こう見ずな所があるが、仲間を犠牲にしたくないって気持ちが泣けるねぇ!」
「その・・・えっと、やはり人は見掛けでは有りませんよね・・でも・・」
ソフィアさんは感動の涙を零すゴッフレードさんを気遣う様に慌ててハンカチを差し出す。
その様子に理解できない私達は「え・・・?」と声を揃え頬を引きつらせる。しかし、フェリクスさんだけは違かった。
「オレはソイツが如何言うやつか何て興味ないな。其れよりも組合長のお墨付きがある事だし、魚人族の里で確定し、出来る範囲の捜索と早急な妖精での魚人族への連絡を取った方が良いんじゃないか?」
心底如何でも良いと言った顔でそう言うと、フェリクスさんは如何言を求めるように私達の顔を見渡した。ま、真面だ・・・!
「おー、言ってくれるじゃねぇか兄ちゃん。わりと冷静なんだな。それじゃ、此奴はもう良いな」
エルネスト組合長は羊皮紙を懐にしまうと、私達の様子を黙って傍観するロッコ親方へと視線を向ける。
其れに気付き、ロッコ親方は驚き目を丸くした後、眉間に皺を寄せ眉を吊り上げた。
「だから言ってるだろ、今は無理だ。嵐も来るだろうし、フェリクスの言ってる事を優先しろや。それと、区長に連絡も忘れずにな」
こうして私達はライラさんと共に二頭のヒッポグリフを連れ、荒れる街中を教会へと向かう。
荒れる海と単独で衝動に駆られるままに突き進む漁師、不安と問題が山積し続けるが、世界の綻びのみが原因ではないのは確か。彼女達はどの様な手を使い、この地と眷族の攪乱を企み、暗躍しているのだろうか?
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その日の夕方頃、教会に立ち寄ったゴッフレードさんから予想外の速さで妖精による返信があったと鼻息を荒くしながら報告があった。しかし、その表情は穏やかでは無い。
「ジェロニモが捕縛された。乗り込んだのは良いが囲まれて拿捕されたんだとさ。おまけに水の祭殿の管理権の譲渡について話がしたいと、条件を突きつけたらしい。此方は今、区長と組合長で話し合っているらしいがな」
「まいったな」と言わんばかりにゴッフレードさんは頭に片手を当て、来客用のソファにどっかりと座り、其の巨躯を背もたれへと預ける。
「・・・祭殿の管理権ですか?!」
あまりの事に驚き声を上げてしまい、慌てて口を塞いだ。けれども、私と皆も似たような心境なようで、長机に手を突き、体を前のめりになっていた。
「小父様、何故にその様な条件が提示されたのでしょうか?」
ソフィアが信じられないと言った声で訊ねると、ゴッフレードさんは体を起こし、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ口を開いた。
「ジェロニモの奴だって無抵抗で捕まった訳じゃない。彼方さんの船を二隻も沈めた挙句、水の祭殿に近付くなと暴言を吐いたらしい。其れと、俺達の以前の失態にも言及して自分達なら、危機に晒す事は無いだそうだ」
「そんな・・・同じ水の眷族なのに・・・」
ソフィアは両側に結わえた水色の髪束を揺らし、唇を噛みしめ悲し気に顔を曇らせると、力無くソファに腰を下ろした。
「何と言うか、ジェロニモの奴やってくれたな・・・」
フェリクスさんは腕を組み眉を顰め、途中で大きな溜息をつく。厭きれて物も言えないと言った心境なのだろう。ケレブリエルさんも同様の様だった。
取り敢えず、話し合いの機会は貰えるんだ、挽回の機会は在る筈だ。
「では、日程は決まって居るんですか?」
「ああ、明日の朝だと・・・こっちに対策を練る時間を与えないつもりだ」
「思った以上に悪条件ですね・・・」
しかし、暴言と失態のみで此処まで詰めてくる物なのだろうか?
ともかく此処は水の精霊王様に可能であれば明日の話し合いの場に参加して頂き、仲裁に入って貰う様に頼み込みに行くべきだろうか?
「ああ、後は大人に任せなさい」
私達の不安を気遣ったのか、白い犬歯を剥き出しニカッと私達に向けて笑いかけ、胸辺りを右の拳で叩き微笑んだ。
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その夜、熱心に女神様へと祈る人を礼拝堂で見かけた。海亀の獣人のお爺さんが何やら熱心に祈りを捧げている。何を熱心に祈っているのだろうと、足を止めると祈りを終えたお爺さんと目が合った。
「おや、君もお祈りかね?」
誰だろう、こんな遅くに・・・
「ええ、まあ・・・御力をお借りしようかと思いまして」
とっさに思いついた言い訳をすると、お爺さんは「ふむ・・・」と感慨深げに俯き、私の顔色を見るように顔を上げ問いかける。
「ふむ・・・君は本来は一つだった大切なものが壊れてしまおうとしている時、もし君なら如何するかね?」
「そうですね・・・一つだった物と言うのが何かに寄りますが・・・。例えば同じものを大切だと言う気持ちが互いに変わりないのなら、再び手を取り合う関係への道を模索し、取り戻して見せます」
何とも不思議な問いかけに私がそう言うと、お爺さんは目を見開き首を伸ばすと、「ふぉっふぉっ・・・」と笑い声を漏らす。
「そうか、そうじゃな。何も互いに憎んでいる訳では無い、思いの根幹が変わらない。其れならまだ、戻れるか。ありがとう、お嬢さん。お前さんに勇気を貰ったよ」
「いいえ、どう致しまして」
互いに名乗いままになってしまったが、不思議な時間を過ごし、私達は別れの言葉を交わした。
そして翌日の朝、その希望が揺らぐ。
魚人族との約束の為に港に集まる私達の前へ現れたのは、ボロボロになり流れ着こうとする船。そのマストに括り付けられていたのは血塗れのジェロニモさんだった。
本日も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございます。
とても作品を書く励みになっております!
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それでは、何事も無ければ次週は9月13日18時に更新いたします。




