第41話 凶報の海ー水獣区アマルフィー編
走り去る像海豹の水獣人、ジェロニモの背中を唖然とした様子で眺める漁師さん達。私達は逸早く、積み荷の上に力無く身を投げ出す海獺の水獣人の許へ駆け寄った。そっと胸元に手を当てると、呼吸に合わせて胸が上下するのを確認できる。
「良かった・・・無事みたい」
見ず知らずの人間とは言え、誰かが目の前で理不尽な暴力により傷つけられるのを見過ごす事はできない。しかも、己の間違いを正そうとしてくれた相手を殴り倒す何て以ての外だ。
しかし、しゃがみ込み様子を見ていたファウストさんは渋い顔をした。その視線の先には、やはり頭を打ったのか、後頭部から小さな血だまりが出来ている。
「・・・動かさない方が良いな。誰か回復キューブを持っていないか?」
「それなら、此れを使ってくださいっ」
慌てて腰の布袋から回復キューブを取り出し差し出すと、ファウストさんは其れを受け取り、海獺の水獣人の頬を指で鷲掴みする。両頬からの指の圧力により口が開くと、其処に空いた手で回復キューブを持って行き魔法被膜を爪で割った。
割られたキューブから出た薬液が口内に注がれると、薬液と同色の煙がモワッと微かに漏れ、海獺の水獣人の後頭部が光りを帯びた。こんな方法が有るのかと驚き感心する私とフェリクスさんと興味深げに見つめるケレブリエルさん。
「此れは土人形の操作訓練の際に使用する、一番手っ取り早い応急処置だ。薬効が口から漏れて効果が薄まるのが難点だが、悪くは無いだろ」
「はぁ、成程・・・」
良く使うって、そんな頻繁に意識を失う事が?
思わず様子を思い浮かべ、背筋に冷たい物が流れ落ちるのを感じた。取り敢えずは大丈夫だろうと、一息つき背後から怒声が聞こえて来た。
「おい!おめーら!俺達の仲間に何をしてやがる!」
誰かと思い振り返ると、ジェロニモの同僚らしきツンツンとした髪型の人鳥の水獣人が訝し気な目つきで此方を睨んでいた。
「おや?お仲間を此方は介抱していたのだが?」
フェリクスさんは苛立つような様相で突っかかって来た男性に対し、落ち着き払った態度で言葉を切り返す。しかし、その言葉に僅かに落ち着きを見せたが、相手は如何にも引っ込みがつかない様で嘴をカチリと鳴らしつつ、その背後に立つ私達の近くで横たわる同僚に目を向ける。
「・・・何も盗っていないのか?」
如何やら窃盗犯と勘違いしたらしい。半信半疑になって来たのか、声があからさまに先程の物より勢いを無くしていた。
「・・・勿論です」
「彼に応急手当てをしたが、頭を打っている様だから白魔導し又は医者に見せた方が良い」
フェリクスさんは片眉を釣り上げると、やれやれと言った様子で肩を竦める。すると、人鳥の水獣人は無言のまま私達を押しのけ倒れた同僚の許へ行き確かめた後、その姿を見て頭をもたげて顔を片手で覆う。
「・・・悪いな冒険者。ジェロニモの奴のせいで頭に血が上っちまっていたみたいだ」
「気にしないで下さい、此方も声もかけずにいた事に非が有りますから」
私がそう言うと、彼は少し安心したかのように顔を少しだけ顔を緩ませ、「ありがとうな」と言い眉尻を下げた。きっと口が悪いだけで根は悪い人では無いのだろう。その背後で様子を見ていた他の漁師さん達
も加わり、倒れた彼を何処の病院へと運ぼうかと言う話になった所、、ケレブリエルさんの杖で地面を突く音が響いた。
「如何やら、運ぶ必要は無さそうよ。それと、頭を打った人を直ぐに動かすのは危険だわ」
そう呟くケレブリエルさんの目線の先には、何やら話し込みながら歩くレオニダとソフィアの姿が目に入った。
「ソフィアだぁー!」
「わわっ、セレス?!」
私の肩に留まっていたセレスは私達につられてソフィアを視認すると、嬉しそうパタパタと翼を羽ばたかせ飛び立つ。其処からの矢の如く空中からの突進に、ソフィアを庇ったレオニダの顔にセレスが衝突していた。
「いやー、渡りに船ってやつですかね?あ、名乗り忘れたが俺はジュスト。んで、倒れたのがリディオだ。しっかし、ジェロニモ・・・殴った奴もお宅等みたいに聞く耳持ってりゃ良かったんだがね。ハハハ・・どうもアイツは短慮で困るぜ」
人鳥の水獣人のジュストさんはセレスに案内されながら此方へ来る二人を見て、安どの表情を浮かべつつ愚痴を零す。
「・・・しかし、あの様子では不安ですよね。あ、私の名前はアメリアです、そして此方が・・・」
「ケレブリエルよ。実は先程の事、目撃してしまったの。ジェロニモさんだったかしら?彼の様子からして、気を付けた方が良いわよ」
「・・・心配してくれてありがとうな。人の話を聞かないわ大口を叩くわだが、根は真面目な奴だ。多分、組合に戻っていると思うぜ。俺達も戻ったら、如何にかアレを思い留まらせるつもりだ。まったく胃が益々、痛くなる話だぜ・・・」
ジュストさんは俯き、眉間の皺を指で抑えつつ、胃の辺りを腕で押さえると唸り声を漏らす。
そんなジュストさんは、フェリクスさんとファウストさんに励まされた後、同僚達とリディオさんを囲み話し合いをしだす。
不安は拭い去れないがセレスに頭に乗られながら、私達の許へ向かう、レオニダとソフィアに手を振った。
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再会を果たした私達はソフィアの治療で意識を取り戻したリディオとジュスト達を見送り、近くの食事処へと足を運んだ。
あれから、レオニダは贖罪の為に日々を過ごしつつ、女神様へ祈りを捧げ仕え続けているらしい。
ソフィアは私達の失踪後、もしやと思い船に揺られアマルフィーへ帰郷。
其処で異変に遭遇してしまい、怪我人の治療の為、病院への協力を神父様に頼まれた為、そのままアマルフィーに留まる事になってしまったらしい。
食事処へ到着し建物を見上げると、看板には取れたて新鮮な魚が売りと言う謳い文句とコック帽を被った、陽気な笑顔の大きな魚が描かれていた。
料理を待ちつつ、此方の旅の経緯を掻い摘みつつ話すと、帝国での出来事にレオニダもソフィアも強く関心を示し頷きだした。
「先ずは現状について話そう。この一品が、この地区の食糧事情の縮図だ。まあ、問題は此れに留まらず、遠洋へと出た一部の漁師が友好関係にあった魚人族の漁場を荒らしたらしい。・・・要は絶縁状態であり、祭殿と教会で如何にか修復を試みていると言う所だね」
レオニダは疲れ切ったように溜息をつくと、魚を売りにしていると言う謳い文句に反し、野菜と肉が大半を占める皿の上のシュリプのサラダにホークを突き刺し口へと放り込む。
「つまり・・・元来、魚介を好む食文化を持っているが枯渇しかけて居るうえに、その関連の職業を生業としている人達が暴走した結果、眷族同士で険悪な関係なのね」
「ああ・・・」
ケレブリエルさんは御茶を一口飲むと、レオニダの返答に眉を寄せると思案の表情を浮かべ首を捻る。
「そもそも、その原因は?」
そうレオニダに尋ねると、「いや、部外者にはな・・・」と呟き黙り込む。
部外者?そうか、私は住人でも水の眷族でもないから・・・
しかし、海に問題があると言う事から、誰がどう見ても水の精霊王様が関係しているのは明らか。
つまり、私にもこの件に関わる必要がある。
「レオニダ先輩、以前に此処をアメリアが救ったのをお忘れですか?」
迷っている様子のレオニダをソフィアは補足すると、彼が気付いたのを見て満足気に耳の羽根をパタパタと動かす。
「あー、そう言えばコイツ等も、無関係じゃなかったか・・・。まあ、また不足部分があれば頼む」
「ええ、あたしも皆さんの輪に入れて頂きたかったので嬉しいです。お任せください!」
ソフィアは胸元で両拳を握ると、自信ありげに微笑む。
それにしても、レオニダは出会った頃の傲慢さが取れたような。きっと、贖罪の日々が彼の中の何かを変えたのかもしれない。
「取り敢えず、僕の知る限りだと事の発端は恐らく二月ほど前。漁に出た船が黒い霧を目撃する話が多発し、その中の一隻が会場で霧にのまれ行方不明となった。勿論、その知らせを受けて国が兵士を派遣したが、見たのは黒い霧どころか大量の水の妖精が集まる不可思議な光景が広がっていたらしい」
つまり、海にできた世界の綻びを妖精のおかげで事なきを得たと言う事ね。
やはり、カルメン達の関与が疑われる。“女神ウァルミネ様の御力に陰りが・・・”
思えば何時も追い詰めると姿をくらます、徹底せずにまるで世界を渡り歩き混乱を生み出す。もしや、それ自身が目的なのでは?
そんな不穏な思考がよぎる中、ケレブリエルさんにポンポンと肩を叩かれた。
「ほら、前に集中っ」
顔を上げると、困り顔のソフィアと怪訝な目つきで私を見るレオニダと目が合ったが、呆れた様に溜息をつかれてしまった。それを見てソフィアは私とレオニダの顔を見比べるように視線を泳がせる。
「あ、あの・・・御話の続きをしても宜しいでしょうか?」
「・・・ごめん!続けてっ」
「時間は有限だ・・・考え事は後にしてくれないか?」
レオニダは眼鏡を指先で上げると、念を押しつつ話題を戻す。うん、御尤もね・・・
身を入れて改めて話を訊く。それによると、黒い霧の一件から徐々に魔物数や天候への影響が出始め、船を料や交易船に加え旅船の往来も出来なくなり、調査使用にも海上に出る事はできず難航しているそうだ。判明しているのは海水に瘴気が含まれて居る事と、先日の地震による変動で海が濁り、魚の大量死が起きている事。
「術全般を得意とする魚人族と付与魔法を得意とする水獣族は昔から、同じ精霊王を崇める者として陸と海で協力し合い交易なども盛んに行われ友好関係を築いていました。しかし、魚人族は術により以前と同じ生活を続けていると言う噂があり、それが領海侵犯の原因になったと教会は推測しています」
ソフィアはそう話すと顔色を曇らせる。しかし、この話には何か引っかかる。
どんな理由があったにしても断りも無く他人の財産を侵害した事は庇えない。そもそもの引き金となった話はいったい何処から流れたのだろう。
「あの、その噂の出所は何処なの?」
「それは・・・」
ソフィアは私の質問に目を丸くすると、暫し考え込んだ後にレオニダに相談する。しかし、色よい返答は無くレオニダも難しい顔ををしながら首を横に振る。
「すまない、此方の不手際だ。そう言う噂があると耳にしたのを鵜呑みにし、その出元なんて考えた事が無かった」
レオニダは眉尻を下げ、申し訳なさげに頭を下げる。
「そんな、教会は女神様へお仕えするのがお仕事だし。そう言うのは冒険者の仕事だわ。其れに此れだけ情報を貰ったのだもの、大満足よ」
明るくそう二人に言い聞かせると、少しだけ表情が明るくなった。
この二人って、本当に生真面目ね。
「そうなると、噂の出元が今後の鍵かもしれないな」
話に聞き入る様に耳を傾けていたファウストさんが、漸く一言呟く。
その意見に私もカルメン達が一枚噛んでいると、大凡の見当はつけてはいるが、以前から闇魔法により人心を惑わし利用して来た彼女達がどう手駒として扱う人々を動かすかが問題だ。
「辿り着くまで骨が折れるけど、噂の出所探しから始めてみるかい?」
フェリクスさんの問いかけに一同、納得し頷く。其れに驚いたのか、レオニダは長机に手を突き立ち上がる。
「それなら、活動は違うが同じ目的で動く以上、協力しないとな」
「・・・そうですね先ずは此方から、今宵の宿の提供なんて如何でしょう?」
ソフィアの言葉に空を見上げると黒雲が立ち込め、今にも泣き出しそうに見える。
私達はその申し出をありがたく受け、ライラさんに知らせに行こうと向かうと港は再び騒がしくなっていた。その先に血相を変えて走って来る見覚えの有る人鳥の姿が見えて来たかと思うと、私達に気付き声を振り絞り叫ぶ。間違いない、ジュストさんだ。
「ジェ・・・ジェロニモの奴が一人で魚人族の里に行っちまった!!」
それは風に混じる生臭い潮の香りと、シトシトと降り注ぐ雨と共に訪れた、海からの凶報だった。
本日も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございました。
まだまだ続く暑さに続きますが、負けずに精進致します!
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それでは次週も何事も無ければ、9月6日18時に更新いたします。




