第32話 黒き翼 ーベアストマン帝国編
小さな英雄により危機を逃れたかのように見えた其の先の、自らの死を望む少女の声は、酷く私達を困惑させた。襲撃者として振る舞う姿が嘘の様に、弱々しく絶望すら見える虚ろな目でルーナは此方を見る。
背景に潜む者の、邪な神とその僕の常套手段の可能性は否定でき無い。もし、其れが本心としても叶えるなんてお断りだ。
「・・・何でそんな事を私に?」
ルーナは向けられた切っ先に震えながらそっと自身の胸に手を置く。
「もう・・・精霊王様・・・傷つけたくない・・・うっ・・あああっ!!」
突如、ルーナは片手で服を掴み、掻き毟りながら悶え始めた。脂汗を流し、唸る彼女の体から紫の光が溢れ出し、徐々に顔から全ての感情が抜け落ちて行く。
其処に私達の背後から大勢の走る音が響いてくる、振り向くと険しい表情で立つリエトさんと複数の祭殿兵の姿が在った。
「そいつを抑えておいてくれ!魔拘束帯を使用する!」
リエトさんは白いベルトの様な物の封を解くと、鞭を打つ様にルーナへと伸ばす。すると、暴れる彼女の嘴と両腕両足に其れは巻き付き、その表面に呪文が浮き上がり、みるみる紫の光は吸い込まれる封じられた。其れを見て、ティーナさんは驚いた様に目を見開いたかと思うと口を堅く結び、真剣な表情でリエトさんの許へ歩いて行く。
「リエト、彼女に抵抗の意思を有りませんでした。何もそこまでしなくても良いのではないですか?」
リエトさんは部下にルーナを任せると、拳を震わせ握り絞める。
「あの者は咎人だ、どの様な事情が在れど相応の罪で裁かれるだろう。時には情に流され無い方が賢明と言える時もある事を憶えた方が良い」
「しかし・・・」
ティーナさんはリエトさんに肩を掴まれ、言葉を飲む様に口を結ぶと悲し気に眉尻を下げる。
「此の者は闇魔法の中でも屍人を使役する力を所持しています。我々のみで尋問するのは危険すぎる」
「僕もお前の意見に同感だ。しかし、これ以上はもう良いだろ」
リエトさんは暫し渋い顔をするとティーナから手を離し、我に返ったようで自身の頭を抱える。
「すまない、少し言い過ぎた・・・処遇は出来る限り配慮をしよう」
拘束され連れて行かれるルーナを眺める事しかできない現状に、私はただ歯痒い思いを抱かずにはいられなかった。
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それから私達は見覚えの有る扉の前へと立っていた。ティーナさんが扉に手をかけると、扉は光り、私達を招き入れる様にゆっくりと開く。
「どうぞ、お入りください」
招かれるままに入った精霊の間は、建物内とは思えない神秘的な洞窟の様な雰囲気が漂う。足場となる岩場の周囲は峡谷となっており、天井からは宙に浮かぶ精霊石を護る様に鍾乳石が垂れ下がっていた。
しかし、探せど肝心の招待主の姿が見えない。
「・・・ティーナさん。土の精霊王様のお加減が優れないと人伝に訊いたのだけど?」
ケレブリエルさんは心配そうな表情を浮かべ、姿が見えない土の精霊王様を青褪めながら必死に辺りを見回しながら探すティーナさんへ声を掛けた。彼女の顔は青く、明らかに焦りや不安で目一杯になっている様子。
「ええ、大丈夫です。しかし、あの方は如何にも本の虫なので・・・」
混乱気味の彼女の視線を追うと、足場の一角に一人用の丸テーブルの様な岩が在り、其処に山積みの本が置かれていた。確か自身を教会の図書館の主とかいってったけな・・・
「ガタリ・・・」何処かで重い何かが動く音がする。それと同時に咳込む様な声と何かで床を突く硬質な音が響いた。外れた床のタイルの隙間から、脇と手に大量の本を抱えた土の精霊王様が顔を出す。
「ぐっ・・ゴッホゴホッ。おや?思ったより早いお越しじゃな」
弱った体で無理をしてまで何故、本を狩りにいったのか
「また教会へ、大図書館へ行かれていたのですか・・・」
「なぁに、大地に刻まれた知識を堪能するのは何よりの薬じゃよ。ウッ・・・ゲホゲホ」
ティーナさんは心底あきれたと言う顔をしつつ、安堵のため息を漏らすと本を受け取りテーブルの上に置く。逸早く動いたファウストさんに手を引かれ床下から出ると、足を引きずりながら杖を突き私を凝視する。
「ふん、妙に憶えの有る気配がすると思えば、やはりお主か風の精霊王。何故にお前が此処に居るのじゃ?」
土の精霊王様がそう言うと、其れに応えるかのように私の髪を掻き揚げる様に風が吹き、風の精霊王様が姿を顕現させる。土の精霊王を見て安堵の表情をすると、呑気で人懐こそうな笑顔を振り撒く。
「よお!思ったより、元気そうだな土の精霊王」
「ゴホッ・・・ふん、儂を誰だと思っておる。数多の種族が生きる地を司る王じゃぞ?世界が混乱していないのが何より儂が息災であると言う証。それより質問に答えて貰えんかのう?」
土の精霊王様は腕を組み、顎を引くと不敵な笑いを浮かべながら自身の健在ぶりを主張した。
しかし、全ての大陸その物に影響があると考えるなら、現状起きている物は規模としては大きくは無いと言える。しかし、弱っていると言われると言う事は見えない所こそ影響が出ているに違いない。
何故か風の精霊王様が見た様な気がして目をやると、土の精霊王様が肩を竦める。
「其れが何か、其れが必要な事ぐらい土の精霊王も解っているだろ?オイラは彼女の本来の役目の為の手助けをしただけさ」
風の精霊王様は自慢げに胸を張る。きっと盟約の事を言ってるのだろうと推測するが、何を理由に土の精霊王様が風の精霊王様に尋ねているのか理解できなかった。
「あの・・・本来の役目とは?」
「風の精霊王、その事を何も話していないな。此れは確かに難しいが・・」
土の精霊王さまは苦々しげな表情を浮かべ、風の精霊王を見る。だが、結局は私の疑問に対する答えは返るかった。
「そうだ!あの襲撃者、土の精霊王のとこの眷族だろ?話してやりなよ」
そして、この露骨な話題逸らしである。言いたい事を言うと風の精霊王様の姿が風と共に消え去る、まったく気まぐれな王様だ。しかし、遅かれ早かれ何れは必ず訊かせて貰って見せる。
「・・・お話の後で構いません、ルーナの事を何かご存知であればお聞かせ願えませんか?」
私がそう尋ねると土の精霊王様は何かを考え込む様に黙り込む。
土の精霊王様は溜息をつくと小さな岩を作りだし、其処に腰を下ろすと私や仲間を真っ直ぐ見据えた。
「いや、大丈夫じゃ。話そうとしていたのは其の者の事じゃからな・・・」
其処からはルーナの過去が淡々と語られた。彼女の生い立ちに加え、祝福の儀で初めて見た精霊に怯え逃げ出してしまった事、そして精霊殺しと崩落の日の彼女が取った行動が語られた。
「つまりはだ・・・ルーナは騙された村長を中心とする村の連中を止めようとしていたが間に合わなかったと」
土の精霊王様の言葉に皆で耳を傾け、フェリクスさんは興味深げに頷く。
「そうじゃな、儂とて気には掛けていたが常に見ていた訳ではない。入手経路は不明だが、何も知らずに防衛陣の核として村長達が精霊殺しにしてしまう所を阻止せよと予め頼んだんじゃがな」
「つまり、巻き込んでしまったルーナへの罪滅ぼしですか」
「うむ・・・済まぬが儂の眷族と此の地の命運に関わる事なのじゃ」
土の精霊王様は願いを託すように喋ると、琥珀色の光になり精霊石へと戻って行く。
心配だが、山で起きた精霊殺しによる山脈の部分崩落の理由が解ったのはありがたい。
「ティーナさん、リエトさんにルーナに会えるように頼んで頂けませんか?」
「ええ、しかし・・・あの様子では話すら出来るかどうか」
「其れでも構いません、お願いします!」
私達は静まり返った精霊の間を出る。あの状況で話すどころか、会わせて貰えるかも定かではないけれど、少しでも情報を訊く事が出来れば良いな。
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精霊の間を後にした私達が目にしたのは、直前と打って変わり慌ただしく混乱した祭殿だった。
必死に何かを喋りながら廊下を走る祭殿兵の様子は物々しい雰囲気に包まれている。
「何があったのですか?!」
ティーナさんが兵士を呼び止めると、兵士は困った様な顔を見せつつも立ち止まり、焦りからか早口で喋りだす。
「襲撃者が屍人と共に逃走しました!」
動きも魔法も封じられていたと言うのに屍人をどうやってと、その言葉に私は驚愕した。
「そんな!彼女は魔拘束帯で術は封じらている筈ですよね?」
「申し訳ございません巫女様、これ以上は調査中でして・・・」
ティーナさんににじり寄られた兵士はたじろぎ後退すると、再び捜索へと戻って行く。
近くで話に聞き入っている様子だったケレブリエルさんは何かが判明したように顔を上げた。
「あくまで推測なのだけど、ルーナ意外に屍人を使役していた人物が居る可能性があるわ」
「もう一人の襲撃者か・・・有り得ない話では無いな」
ファウストさんは納得し頷く。その時だった・・・
「動くな!第三騎士団の方から通報により、お前達には祭殿への襲撃の共犯の容疑が掛かっている。直ちに人質を解放し、我々と城に来て貰うぞ」
祭殿兵を押しのけ私達を囲んだのは、襲撃の共犯と言う冤罪を理由に連行しようとする憲兵だった。
「第三騎士団と言う事はメルクリオ団長ね・・・先に石と一緒に突き出しておくべきだった」
裏切りは想定していたけど、まさか襲撃者の共犯に仕立て上げられるとは思わなかった。それにしても、監視を頼んだ妖精の盾は如何したのだろうか?
「取り敢えずだ、無実を訴えるにも後回しにしないか?此処は大人しく連行されようぜ」
フェリクスさんは剣を引き抜くと、床に其れを落とし腕を上げる。同様に武装解除する私達を見た兵士達は手際よく私達を拘束した。
最後までティーナさんだけは誤解だと訴えてくれたが、私達は最悪の形で祭殿を後にする事となった。
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湿り気を帯びた黴臭い一室で私達は審判が下るのを待つ破目となっていた。再びこんな場所に戻る事になるとは情けないな。武器も道具も取り上げられ、おまけに魔法まで封じられているのだ。
「まさか、エミリオまで此処に閉じ込められているとはな」
「兄弟や友人が捕らわれるとあれば逃げる訳には行かないだろ?」
「僕は残って祭殿側と協力し、無実の証明をするべきと言っているんだ」
真面目な兄と能天気な弟の喧嘩は空しく、その不毛さに呆れたらしいケレブリエルさんが大きく溜息をつく。
「後の祭りでしかないわ、大人しくしなさい」
此の言葉に一度は静けさは戻るが、近くから階段を降りる複数の足音が近付いてくるのが耳に入ってきた。重い金属がぶつかり合うような音が何度もする事からして鎧を着こんでいるのではと思う。
「看守ではなさそうですね・・・」
そして、現れた人物は全くもって予想外の人物だった。騎士団に囲まれる様に此の場に相応しくは無い、立派な装飾服装の獅子の半獣人が此方を見ている。
「ほう、祭殿を襲撃した容疑が掛けられている者がいると聞いたが、なかなか見目麗しい異国の女性が居るではないか!余計な者も居るが公務の手を止め来た甲斐があったな」
上機嫌なその人物は私とケレブリエルさんを見ては満面の笑みを浮かべると、檻に近付き手を伸ばしてきた。何だ此の人・・・
私とケレブリエルさんが口を引きつらせ、後退すると聞き覚えのある冷静な声がその男性を諫める。誰かと思い覗くと、他の兵士の背後から姿を現したのはレナータさんだった。
「陛下、お戯れは御控え下さい。本題をお進め下さい」
その言葉に一同、目の前の男性が皇帝陛下と知って思わず目を丸くする。しかも直々にこんな所に出向かれるなんて驚きだ。
レナータさんは貴族の御令嬢と聞いたけれど近衛兵でも無い彼女が何故ついて来ているのだろうか?
「お前達の嫌疑は土の祭殿の巫女ティーナの証言によりはれた、よって無罪放免として釈放をしよう。しかし虚偽の報告をした者だが、此方で裁く事ができなくなってしまってな」
陛下は密告者の剣に触れた途端に申し訳なさそうな顔を浮かべる。しかし、此れはティーナさんに感謝しないといけないな。それにしても、裁く事が出来ないと言う事はメルクリオは失踪したのだろうか?
「いいえ、とんでもございません。釈放して頂き心より感謝致しております」
ケレブリエルさんに続き、私達も感謝を述べると陛下は満足そうな顔をする。本当に此の為だけに?
「しかし、以前に我が都と祭殿を救った英雄を投獄したのは、此方の不手際だったな。詫びと言ってなんだが、庭園を案内しようか?時間が無いのであれば多少の事なら要望に応えるぞ」
「か・・・考えさせてください」
思わず保留にしてしまったが、機嫌を損ねる事は避けられたようで「何時でも構わぬぞ」と言って陛下は牢を後にした。その後姿をフェリクスさんが苦々しい顔で見ているので疑問に思っていると、ケレブリエルさんがこっそり「同族嫌悪よ」と教えてくれた。ははは、成程ね。
しかし、武器も戻り鍵も開けられ解放された私達の前に立つ人物が一人。
「レナータさん?」
「メルクリオは死んだわ、妖精に唆されて余計な事しなければ長生きできたのにね」
レナータさんは溜息をついた後、クスクスと愉快そうに笑う。
「なっ、死?余計な事って・・・まさか・・・」
「殺したわ・・・アタシの可愛い小鳥の邪魔したからね」
目の前で怖気のする様な笑みを浮かべるレナータの姿が徐々に歪み形を変えて行く、それは三対の黒い翼を持つカルメンと言う因縁の魔族の姿だった。
今回はかなり長くなり申し訳ありません、そしてお疲れさまでした。
それにも関わらず、今週も最後まで頂き皆様には何時も心より感謝しております。
反省しつつも、此れから気を抜かず引き続き頑張り書いて行く所存です。
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次週も何事も無ければ7月5日18時に更新いたします。




