41話
ふんわりとした食感のパウンドケーキがとても美味しい。
中には干した果実や砕いたナッツが練り込まれている。アキラさんにもらうお菓子も美味しいのだが舌がびっくりしてしまうところがあるので、慣れた味の我が国伝統のお菓子もこれはこれで味わいがある。
「ええと、それで、公爵様……話の続きをそろそろ」
茶菓子は十分楽しませてもらった。
公爵は鷹揚に頷く。
「今のスラム街はな、いつになく平和だ」
「はぁ」
「はぁ……わかっておるのか、自分のしたことが」
そんな呆れた顔しなくても。
「いや、本当に大したことじゃないですよ。
とりあえず武闘派の連中をシメて……。ノミ屋のルール作って……」
「他にもあるだろう」
「えーと、何したっけな……」
自分がしたことを一つ一つ思い出していく。
「こちらから自発的に実行したわけではありませんが、結果的にスラム街のグループの対立を鎮めた結果になったとは思いますよ。露骨な犯罪や派閥抗争も減ったようですし」
アキラさんが補足してくれた。
「ああ、それは確かにそうかも。喧嘩の気配があったら私の召喚獣で殴ってたし……」
「一応、それぞれの組織の長にはフォローしておきましたので」
「いやあ、なんか本当ありがとうございます」
「それとご主人様、掃除をお命じになりましたでしょう?」
「あ、そうだ。なんか屋敷の周りが臭かったから暇そうな人を雇って掃除させたこともありました。ちゃんとやった人にはお駄賃とか食べ物とかあげて」
「ええ。ですが掃除をする人が増えて逐一査定をするのも面倒なので、当番制にしておきました。食事や報酬の方は勝手ながら私の方で手配しました」
「……ノミ屋解散したら、これもできなくなっちゃいますね」
思い返してみると、なんかもうスラム街をのし上がるとかじゃなくてスラム街の面倒を見てるような有様だったかもしれない。私が実行したのは暴力による支配ではあるのだが、何故か意外とすんなり受け入れてくれた。もしかしたらトップダウンで色々と命じた方がスラム街の人間もやりやすいのだろうか。
「そう、そこだ。誰もやらない面倒事をお前がやっているのだ。簡単に足抜けできると思うな」
「ええっ、いやだ……」
「嫌だじゃない!」
「そ、そんなブチ切れなくても良いじゃないですか!
ちょっと暇してるゴロツキが働くようになっただけですし……」
「その『ちょっと暇してるゴロツキ』にまっとうな仕事を与えるということは、強盗誘拐寸借詐欺、その他諸々の犯罪が減るということだぞ。そして今お前がギルドを解散すると言うことは……」
……これまでなりを潜めていた犯罪が増える、と。
「だ、だってさっきノミ屋なんて許さないとか言ってたじゃないですか!」
「こっちは強請りに来たのかと思ったのだぞ。
スラム街のゴロツキどもをけしかけて襲ってくる宣戦布告かと思ったわ」
「ま、まさか! そんなやべーことしませんよ!」
「まるで説得力が無い」
「心外なんですけど!」
こんな麗らかな乙女を捕まえてなんてことを言うのだろう。
「ともかくだ!
ブックメーカーズギルドとやら、解散するな!
他のドラゴンオーナーには儂から根回しする!
良いな!?」
「いやいやいや! 足洗いたいんですけどぉ!?」
「駄目だ! スラムの管理は面倒なんだぞ!
こっちに投げるな!」
「そこをなんとか!」
◆
「つ、疲れた……」
自分の屋敷に帰ったときは、もう日は沈み切っていた。
半日近く拘束されていたような形だ。
菓子もたらふく食べさせられた。
孫を猫かわいがりするおじいちゃんだろうかあの人。
今は食堂で、胃を休めるためのお茶と胃薬を飲んでいた。
ようやくもたれた胃に落ち着きが出てきた。
「ご主人様が押しで負けるとは、なかなかの御仁でしたね」
「そりゃ当たり前ですよ……私なんか手も足も出ません」
「でも、ちゃんと言質を引き出したじゃありませんか。
『一年間勤めて、その後に引き継ぎする人を見つけられたら引退しても良い』と」
「いや私がギルド長続ける時点でおかしいですからね!?」
「とはいえ実力で纏め上げたのはご主人様ですよ」
「はぁ……そうなんですよねぇ……」
これまではガラにもなく召喚獣のパワーに頼ってしまった。
私はもう少し地味に、なおかつラクに生きていきたいのに。
「ご主人様、ひとつ尋ねてよろしいですか?」
アキラさんは足を組んで茶を飲んでいたが、居住まいを直して私の正面に向き合った。
「どうしました、アキラさん?」
「あなたは優秀だ」
「え、な、なんですか突然」
「怠け者で小ずるいように見えて、一度覚悟を決めればそれをやり通す信念と、不測の事態に陥ったときに柔軟に対処することもできる切り替えの速さが両立している。多くの人があなたに期待を寄せるのも当然でしょう」
「ふふん、もっと褒めて良いんですよ!」
「ですが、なぜノミ屋にこだわるのです?」
「それはこないだ言ったじゃないですか。
みんなでノミ屋をやるのが楽しかったから……ですよ」
「ですが、他にも楽しいことはあるでしょう? たとえばトラインさん達の人形劇に集中して竜券を代理で買うのはやめるとか、あるいは新聞と実況のみだけで見物料を取るとか。スラム街のノミ屋とは距離を取ってクリーンな部分だけを抽出する……そういう方法もあったと思うんです。というより……」
そこでアキラさんは、私の目をまっすぐに見た。
「ご主人様、あなたはそれに気付きつつもノミ屋……個々人による賭博を合法化しようとしました。危ない橋も渡りました。それは何故ですか?」
なんだろう、こういうのを言葉にするのはちょっと恥ずかしい。
「答えても良いんですけど……。
私からも聞いて良いですか?」
「どうぞ、なんなりと」
「なんでアキラさんは、こんなに私を助けてくれるんですか?」
これは、なんとなく聞こう聞こうと思いつつ先送りしてきたことだ。
「正直言いましょうか。最初は興味本位でした」
「はぁ」
「自分の国の法律に縛られず、自由に思ったことが実行できるのは非常に楽しかったですね。母国ではノミ屋にしろ何にしろ、色々と法律で対策されてずるい商売は中々やりづらいですから。そういう意味において、あなたを助けたというよりもあなたを利用したと言っても良いかも知れません」
利用した……と言われて、腑に落ちるものがあった。
そもそも召喚術というのは取引によって成り立つ。
一方的に搾取することなどはできない。
意外なのは、この人が「楽しさ」を目的としていたことくらいだろうか。
「ですが、あなたは私に操られる人形でも無く。
状況に流されるだけの子供でも無く。
自分の意志をもって行動する人間でした。
途中から私がほとんど裏方に回ったのは、あなたを主人と認めたからです」
「……ふふっ」
「どうしました?」
「アキラさんは嘘つきだなって。
最初から私のこと、ご主人様って言ってたくせに」
「いやはや、すみません」
「はい、許してあげます」
アキラさんは微笑みを浮かべたまま頭を下げる。
あんまり悪いとは思っていなさそうだし、私も大して気にしていない。
「結局、私のためになることを色々と考えてくれたことは事実ですから。だから……それが他人から『悪いことだ』って一方的に決められるのが嫌だったんです」
「……つまり、私が考えたことだから、庇ってくれたということですか?」
「ま、まあ、召喚獣がやったことは、私のやったことと同じですから!
べ、別にアキラさんのためだけってわけじゃないですよ?」
「ふふ、ありがとうございます」
なんかそう言われると恥ずかしくなる。
こういうとき、余裕綽々の態度のままのアキラさんが恨めしくなる。
「で、ですから、自分の手で許可をもぎとるとか、できるだけのことをやってみたかったんです。……まあ、アレな商売だってことはわかってますから、『やっぱり駄目だよね』って結論になっても受け入れようとは思ってましたけど」
「正直言いますと、私がノミ屋のアイディアを教えたときは悪戯心もありましたよ?
私自身、ちょっと悪い文化を輸入してしまったなと思っています」
「今更ですよ」
「今更ですか」
私とアキラさんは、くすくすと笑い合った。
「まあ、なんていうか、やりたかったからやったんです。
色々と面倒事は増えましたけど、後悔は……」
無い、と言い切ろうと思った瞬間、部屋の扉がばん! と開いた。
「おーい! 帰ってきてたのか!?」
「公爵との話し合いはどうなったの!?」
「それどころじゃない、ヴェロックとゲランがまたケンカおっ始めてしまった! テレサの召喚獣で止めてくれ!」
トラインさん達がなだれこんできた。
他にも色々とトラブル報告があるらしい。
「……後悔は、ちょっとしてます。
すみませんちょっと席外します」
「私もついていきましょう」
この喧噪はまだまだしばらく続きそうだ。
二人でゆっくり茶を楽しむ余裕も無い。
……ま、なんとかやってみますか。




