37話
「いやいやいや! 待て待て、落ち着け」
エンライさんが珍しく慌てている。
だけど私は極めて冷静です。
き! わ! め! て!
「冷静ですからね!」
「わかっておるのか!? そんなことできるわけ……」
と、エンライさんは言いかけて止まった。
「……あー、いや、可能だな」
「でしょう?」
「王都のスラム街は結局傭兵や冒険者にも慣れん半端者だ。おぬしの召喚獣やエレナ、魔術師が数名……。実力的には十分以上だ」
「意外とイケます。エンライさんが作ってくれたリストを見る限り、さほど脅威はありません」
「し、しかし思いついたからと言ってやる気になるか……?」
と言って、エンライさんはアキラさんの方を見た。
「おぬしは止めんのか」
だが、アキラさんは肩をすくめた。
「私は荒っぽいことは苦手ですので反対です。最悪の場合は私の故郷にご主人様を逃がします。他にも幾つか条件付きで許可しました」
「ずるいぞ。儂らも逃がしてくれ」
「まあ、人殺しや怨恨の残るほどの乱暴は避けるようお願いはしましたので大丈夫かと思います」
「というわけです」
私は誇らしげに胸を張って言った。
……まあ、どのように安全マージンを取るかはほぼアキラさんの言うことに従っているのだが。
「うーむ……しかしスラム街の人間などまっとうな連中じゃないぞ。傘下に収めたところでおぬしの経歴が汚れるだけだと思うが」
「あなたに言われたくないですよ! ていうかなんで私の子分みたいに振る舞ってるんですか! しかも家を燃やされてるし! ご近所さんにひそひそされるし! もう経歴だの評判だの気にしてられる状況じゃないんですけど!」
「まあ、それはそうだが」
「大体ですねぇ! あなた方も、スラム街の連中も! 真似するからいけないんですよ! このままノミ屋がヤクザのシノギになったら私の責任じゃないですか! そうなる前にケリをつけます! 責任云々はもうどうでも良いですけれど、私に黙ってやるなら全員! 覚悟してもらいますからね!」
「……一つ聞いて良いか?」
「なんですか!?」
「やっぱり怒ってる?」
「怒ってないわけないでしょーが!!!」
私は新居のテーブルをばんと叩く。
まったく、自分のやってることを省みてほしいものだ。
「おっ、落ち着け!」
「落ち着いてます! さあチャキチャキ動きますよ!」
◆
~ ギルド『梟の巣』 ~
スラム街の一角。
だがここは他の区画とは違い、清潔感と言うべきものがあった。
建物の近くにゴミは転がっておらず、野良犬や野良猫も寄りつかない。
ここに住まうギルドの人間が毎朝毎朝掃除をしているのだ。
「うっす、掃除終わりました」
「よろしい。それでは朝礼を始めましょう」
その建物の中も、まるで文官の執務室や会議室のように整理が行き届いている。
まるで役人の職場のような雰囲気だ。
ごろつきにしては身なりの良い男達が黒板に予定を書き、今日一日のスケジュールを話し合っている。
だがその具体的な内容は、明らかにスラム街ならではの仕事……つまり、ギャングやヤクザと同類だった。
「ハイエナ通りの酒場で用心棒をしてきやす」
「盗賊ギルドがまたスラムに戻ってきたって噂があったんで、様子を見てきます」
「ノミ屋の客がうるさくて困ってます。競竜場の様子を探って、ノミ屋再開できるか探ってこようと思います」
「遊びじゃねえから終わったらさっさと戻ってこいよ。ノミ屋再開できそうならすぐに準備しとけ」
「うっす」
そして、それを腕組みしながら話を聞く、背の高い痩せた男がいた。
「……おい待て」
その男の一言で、全員に緊張が走った。
男は痩せぎすで良い身なりをしている。
だがけっしてひ弱さなどは感じさせない気配だ。
むしろ猛禽類のような獰猛さがあった。
「ゲラン様、どうしました?」
「最近、ノミ屋絡みがキナ臭い」
「キナ臭い?」
「ああ……どうも妙だ。盗賊ギルドのアホがジャメールの私兵にやられた件があっただろう」
「ええ、そんなことありましたね。もうほとぼりも冷めやしたが」
「そこだよ。じゃあなんでノミ屋が少ねえんだ?」
「ウチみたいに様子を見てるんじゃ……」
「んな訳ねえだろ。こっちがやりたくなくったって、博打狂いの阿呆が競竜の券を買ってこいってせがまれてるんだろうが」
「……そういやそうっすね」
「他のノミ屋に行ってねえのか?」
「やってないみたいです」
「なんでだよ。客は幾らでもいるだろーが。俺達ぁともかく、他のギルドまでそんな慎重にやってくと思うか?」
「全然思わないっす」
「じゃあなんで調べねーんだよアホが!」
ゲランと呼ばれた男の怒鳴り声に、皆押し黙った。
『梟の巣』の頭目のゲランは元は貴族だ。
だが、公金の使い込みが露見して職を解かれ、身分も解かれた。
平民以下の立場になってスラム街に転がり込んだが、ゴロツキに凄まれても殴り返す生来の血気盛んさと、同時に兼ね備えた知性をもってスラム街の一組織の長まで上り詰めた男だ。
「馬鹿野郎! ボサっとしてねえで調べてこい!」
「う、うっす……」
「その必要は無いわ」
突然、梟の巣のアジトの扉が開くと同時に、声が響いた。
若い女の声だ。
「……なんだ手前、けったいな仮面なんぞつけやがって!」
「良いことを教えてあげる。ジャメール公爵が狙ってるのはあなた達よ。いくらノミ屋を休業したところで無駄。あなた方が厄介だってことは把握してるんだから」
「なんだと!?」
ゴロツキが、仮面を被った少女に凄んだ。
だがその横には二人、怪しげな男がたたずんでいる。
その気配にゴロツキ達は若干警戒する空気があった。
「……ん? お前エンライか。何してんだそんなところで」
「お誘いだ。こちらの傘下にならんか?」
少女の左側に控えている、禿頭の男が言った。
「傘下だと? ウチにカチコミかけようってのか。お前みてえな弱小万引きサークルがウチに? そこのしょんべんくせえ小娘を神輿にでもする気か?」
「応とも、話が早いでは無いか」
「しゃらくせえ! 手前ら、生かして返すな!」
ゲランが叫んだ瞬間、少女が杖を振るった。
「ティンダロスの猟犬さん、お願いします」
◆
~ ギルド『不死者の集い』 ~
臭気立ちこめる建物の中で、半裸の男達が殴り合っていた。
「良いぞ! エディ! ぶっ殺せ!」
「レガッタ! 何やってんだ! 足狙え足!」
臭気の正体は、酒と血と汗。
そして男達の肉そのもの。
床に描かれた丸いリングの中で二人の男が殴り合い、その外では同じように半裸の男達が罵声と歓声を容赦なく浴びせかけている。賭けているのだ。どちらの男が倒れ、どちらの男が立っているか。
「ヴェロックさま」
「どうした」
その群衆から少し離れたところで、酒瓶を煽る大きな男がいた。
おそらく2メートルはあるであろう長身でありながら、横にも太い。たるんだ脂肪などはなく、針金を束ねたような恐ろしいまでの筋肉に覆われている。短く刈り上げた髪と整えられた髭だけが、ほんの僅かだけ彼が蛮族や魔物ではなく都市の人間であることを示していた。
「知ってますか。昨日、梟の巣の連中が潰されたとか」
「がっはっは! あの青瓢箪どもがか! こりゃ愉快だ!」
「笑い事じゃありませんよ。他の連中もケンカを売られて潰されてて、ウチのところにもいずれ……」
「良いじゃねえか。ケンカで決めるってのは当たり前よ。返り討ちにしてやらぁ」
「その言葉、二言は無いわね!」
突然入ってきた少女の声に、皆の注目が集まった。
異様な気配を発していたからだ。
単に仮面を付けている……というだけではない。
その背後に、何かおぞましいものがいる。
ここの頭目ヴェロックは、元はと言えば傭兵だ。
両手では足りないほどの戦場を駆け抜けた男だが、あまりに見境なく戦いを求めるために傭兵団が持て余しため退団処分を受けた。当然カタギの生活ができるはずもない。ひたすらケンカに明け暮れ、気付けばスラム街の頭目の一人となった。梟の巣のようなインテリヤクザとは違い、生粋の暴力稼業の男だ。
その男が、今、冷や汗を流している。
「な、なんだ手前……!」
「私は……」
「お前じゃねえ、お前の後ろにいる奴だ」
少女の後ろに、黒い人影があった。
だが、よく見ると影ではない。
黒光りするウロコだった。
よく見ると体の輪郭も、人間離れしている。
背中に折りたたまれた翼。
太く黒々とした尻尾。
そして
「ああ、この子は邪竜ジャバウォーキー。私の召喚獣です」
頭は凶悪な竜であった。
ふしゅるるる……と、獰猛な吐息が漏れ、口が開いた。
「人間にしちゃあヤれそうな体つきだな」
射すくめるような竜の眼光が、この場にいる全員を捉えた。




