1話
異世界への門を開いて召喚獣を呼ぶときは、いつだって胸が高鳴る。
そこには私の知らない何かが待ち受けているから。
それは、物凄いパワーを持った鬼のような怪物であったり、
あるいは、誰の目にもとまらない速さで空を駆ける竜だったり、
はたまた、誰も知らない魔法を使える賢者だったりする。
私が喉から手が出るほど出会いたい召喚獣は、ダイヤモンドをぽろぽろ吐き出す伝説の精霊だ。
または、飴ちゃん感覚で金の延べ棒をくれる超大富豪なんかも良い。
あるいは、当たりクジや相場の動きをピタリと言い当てる予知能力者なんて最高。
……なのだが、それは流石に出会ったことが無かった。
百回くらい召喚術を試して百回くらい失敗した。
だから、欲を出すのは止めた。
地に足の付いた、第二希望だ。
おねがい……! 来て……!
私に知恵を授けて、私の窮地を助けてくれる者よ……!
「果てなる世界より、我が呼び声に応えよ! 召喚獣よ!」
そして私が呪文を唱えて杖を振るった瞬間、『門』が現れた。
この世界にはありえない異質な扉。
真っ白で、うっすらと輝いている扉が徐々に開いていく。
奥から光が零れる。
誰かが、少しずつ歩いてくる。
「……あれ? どこでしょう、ここは……?」
「やった! 成功した!」
現れたのは、人間の男性だった。
たぶん、私より一回りくらいは年上だと思う。
でも老けてるわけでもないので「おじさん」と呼ぶのもやや失礼なくらいの年齢だろう。
上半身は白いシャツ。
首には簡素な青いタイが締められている。
腰には黒いベルト、そして黒いズボン。
黒光りする靴はおそらく革だろう。
目つきが涼やかで落ち着いた商人のようだが、それにしては良い服を着ている。
貴族のような清潔感があるが、かといってゴテゴテとした装飾は無い。
黒髪に、日に焼けていない白い肌。
あまり感情の見えない落ち着いた表情。
どうも顔の印象が薄い。
どこにでもいそうな、だがどこにでもいそうなところが逆に目立ちそうな、不思議な顔つき。
だが服より顔よりも、メガネだ。なんと片眼鏡ではなく両方ついてる。
耳にかける金具は艶めいた黒で、こっちの世界じゃ見ることはできないだろう。
けっこうなお金持ちか、あるいはレンズがそんなに高くない世界から来たのか。
「こんにちは、お嬢さん」
と、男の人は温和な口調で語りかけてきた。
……って、しまった、顔をしげしげと見ていたら向こうから挨拶されてしまった。
こっちから頭を下げて挨拶しなきゃいけなかったのに。
「こっ、こんにちは! 言葉わかるんですね! 良かった!」
「ええ、わかりますよ。もしかして、あなたが呼んだのですか?」
「あっ、はい! そうです!」
「なるほど」
男性は、静かに頷く。
困惑していないわけではないが、異世界から呼び出されたというのにとても冷静だ。
まあ、混乱して暴れ回るような人じゃなくて良かったと思う。
「良かった良かった……。チキュウから人間を召喚するのって初めてだから不安で不安で……。召喚術で呼べば自動的に言葉が通じるようになるんですけど、言葉って概念のない原始人とか類人猿とか出たらどうしようかと思って!」
「確かに、コミュニケーションを取れるというのは大事ですからね」
「ですよねぇ……一応、召喚術で呼び出す人の条件は設定してるんですけど、フタを空けるまでわからないところありますし……。ま、そこが召喚術の醍醐味でもあるんですけど!」
「なるほど……ここは異世界なんですか……。確かにそうとしか説明がつかない」
男の人が、物珍しそうに周囲を眺める。
学校裏の、何の変哲もない池なのだが、珍しいのだろうか。
チキュウという世界は、他の異世界よりはこの世界に「近い」はずなのだが。
「はい! まあ、私から見たらあなたの世界が異世界ですけど!」
「確かにそれも道理ですね。ふむふむ」
男性は、顎に手を当ててしげしげと私を見る。
え、えっと、そうじろじろ見られると恥ずかしいんですけど。
召喚の儀式は大事だから、身綺麗にしているつもりではある。
かといって、そこまでオシャレしてるわけでもない。
栗色の髪は首の辺りで整え、前髪も額のところでばっさりまっすぐ切っている。
金持ちのご令嬢のように、腰の辺りまで伸ばしてそれを日常的に手入れするお金も時間も無い。
服は魔法学校の制服だ。
白いシャツの上に黒いケープ。そして同じく黒いシルクハット。
下半身は地味なタータンチェックのスカート。
シルクハットは行事や式典でも無い限り被る必要も無いのだが、なんとなく真面目な印象を与えられると思って被っている。
顔だってできるだけ真面目な顔を作ってる。
目が悪いのでしかめっ面になりがちだが、できるだけそうならないよう表情筋を叱咤激励していた。
だから、そう、きっと大丈夫。
召喚術は呼び出した後の「交渉」こそが本番だけど、これも上手く行く!
「それでですね!」
「あ、はい」
「あなたと、召喚獣の契約を結びたいんです!」
「召喚獣の契約、ですか」
男の表情は、いぶかしげな物だった。
あれ、いきなり失敗?
「良いですか!? それとも、駄目ですか!?」
「すみません。良い悪い以前に……召喚獣とは何をすれば良いのでしょう? そもそも私は元の世界に帰れるのでしょうか?」
「あっ」
そ、そうか。そこからか。
異世界の人だから、きっと召喚魔法や召喚獣などは無いのかも知れない。
「ええと……改めて聞かれると、なんて言えば良いのかな……。
私が困ったときに助けを求めて呼び出すので、それに応じてもらう……って感じです。
臨時の使用人とか傭兵に近いかも知れません。
用の無いときは基本的に、元の世界に戻って頂きます。
あ、こっちで暮らしたいとか要望があれば善処しますけど」
「ああ、呼び出して放置というわけではないのですね。安心しました」
「いやあそんな、帰す方法も無いのに呼び出すなんてしませんよー、あはは」
「いえいえ、配慮ありがとうございます。
まあ助けを求められるのはやぶさかでは無いのですが……。私、荒事にはとんと疎くて、傭兵のような仕事はお断りせざるをえません。体育の成績も普通でしたし、護身術や格闘技の経験もありませんので」
「あっ、私からの依頼で荒っぽい仕事は無いです! たぶん!
どっちかというと勉強の手伝いとか雑用の手伝いとか……」
「となるとメイド……というか執事に近いのでしょうか?」
「そうですね、執事でだいたい合ってます! ですので……いかがです?」
「ふむ……」
彼はひとしきり悩み、そして私に質問を投げかけた。
「拘束時間はいかほどでしょう?」
あっ。
こうそくじかん。
まったく何も考えてなかった。
「特に決まっては……いないかな……? 困ったことが解決したり、あるいは解決できないって諦めるしか無いときか……」
「うーむ、そこは曖昧ですね……」
あっ、しまった! 落胆させちゃった!
ど、どうしよう、普通の召喚獣と違って人間なんだから、もっと具体的に条件を考えなきゃいけなかったのに……!
「それでは、給料の方は出ますでしょうか?」
「あ、え、おかね?」
「申し訳ないのですが、タダ働きも流石に承りかねますので」
「あ、いえ! 報酬を出したくないってわけじゃないんです! ただ普通の召喚獣だと魔石とか食料を与えるのが普通だったから、予想して無くて!」
「食べ物は今のところ困ってはいませんね」
「じゃ、じゃあ……とりあえず1回につき銀貨5枚でいかがです?」
「ふむ」
男の人は、顎に手を当てて悩み始めた。
どうしよう。流石に安かったかな……?
でも自分が出せる金額となるとこれくらいだし。
少ないって言われたら、分割払いをお願いしようかな……応じてくれるだろうか。
と、不安に思っていたところで男の人が口を開いた。
「ではこうしましょう。ひとまず今回は銀貨5枚にてお仕事を承ります。
二回目以降の報酬は仕事内容次第ということで」
やった!
人間相手に、交渉成立できた!
「ありがとうございます! それじゃあ、早速お願いしたい仕事があるんですが……」
「ええ」
「あの、お名前をおたずねしても、良いですか?」
「おっと、名乗っておりませんでしたね。失礼しました」
「いえいえ、こちらこそ」
お互いに頭を下げる。
なんだろう、魔法学校の入試面接みたいだ。
あなたはもう大人ですよと言われているような、でもどこかで子供扱いされてるような。
ただ、試されているという不快感は無かった。
むしろこの人を見てると、不思議な落ち着きを感じている。
「私の名前は梅屋敷アキラ。よろしくお願い致します」
「ウメヤシキ・アキラさんですね! 私はテレサ! テレサ=ヘルムズ! よろしくおねがいしますね!」