Retraction
その都市には、無計画に増築を重ねていった結果、柱のようになった建造物が、幾本も幾本も墓標のように並んでいた。素材も高さも不揃いな柱の間には、蜘蛛の巣のように橋や通路が張り巡らされていて、さながら迷路のような都市だった。
その中心では、雲にも届きそうなほどに高い柱がそびえており、一区画を覆うほどの巨影を周囲に落としていた。
そんな無機物の森の中、柱と柱を結ぶ細い通路を、一人の青年が歩いていた。彼は、降りしきる雨から身を守るように、外套のフードを深く深く被っていた。
「よーやく見つけたわ。今まで、ずいぶんとやってくれたわね」
そして、外套の男を挟み撃ちにするように、路地の前後から、二人の人影が現われる。男の正面にいるのは、突剣を構えた金髪碧眼の少女で、後方にいるのは、青い外套の女だった。
「……人違いだ」
男は、一言だけ言葉を発すると、彼女たちを無視して歩き出す。
だが、少女はそれを許さない。彼女が、すばやく突剣をふるうと、男のフードが外れ、その下の顔が露わになった。
「だから、人違いだよ」
そう言った青年の濁った水底のような深く黒い瞳が、少女を射止めるように睨みつける。そこには、命を脅かされていることに対する恐怖どころか、道行を遮られたことに対する不快感すら浮んでいない。
そんな眼差しを前にして、まるで銃口か切先を目の前にしたような緊張感を、少女は覚えた。
「失礼。先日、我が主を襲った方に、あなたがずいぶんと似ていらっしゃいましたので」
そのとき、少女に代わって、青い女が口を開いた。彼女は、その手に構えた拳銃の先を男に向けていた。
「俺はただの採集屋だよ」
「剣と銃口前にして、まったく動じない。ずいぶんと剛気な方ですね、採集屋とは思えないくらいです」
「急いでいるんだ。これ以上、あんたたちの戯言には付き合ってられない」
青年は、両手を上げながら、少女の脇を通り抜けようとする。だが、それに追い打ちをかけるように女が口を開いた。
「それに、ただの採集屋にしては、ずいぶんと濃い火薬の臭いをまとって――」
「――頼む」
青年は、女が話し終える前に短い一言を口にした。
そして、彼に応じるように、少女と女の立っている通路が、突如崩れ落ちはじめる。
少女と女は、墜落をまぬがれるため、下方にある手頃な足場へと、即座に飛び移る。だが、それに精一杯で、二人は青年から目を離してしまっていた。
そして、彼女たちがそれぞれ体勢を立て直したころには、青年の姿は消えていた。
◆ ◆ ◆
数刻の後、びしょ濡れになった青年は、廃墟と木々が立ち並んだ場所を駆けていた。
そして、彼はとある廃墟の前に立ち止まると、周囲を伺った後、その中へ這入りこんだ。
大量の蔓に覆われたその廃墟は外から見ると、周囲に立ち並ぶ廃墟と変わりないように見える。しかし、いざ屋内に入りこんでみれば、そこには無機質と言っていいほどに小奇麗な空間が広がっていた。床には瓦礫一つ落ちておらず、外壁に貼りついた植物のうち、屋内に枝や蔓を伸ばしたものは一つもなかった。
青年は迷路のように入り組んだ建物の中をすたすたと進んでいき、やがて、一階層を丸ごとぶちぬく大部屋に、ところ狭しと本棚が並べられた空間へと到着した。
そして彼は、外套のフードを外し、声を発するために息を吸い込む。
「ただいま。おかげで助かったよ」
「お帰りなさい、先輩」
透き通るような声。
無造作にまとめられた濡羽色の黒髪と、吸い込まれるような黒い瞳。
一点の染みもない柔肌とあどけなさの残った矮躯を覆う、純白の涼しげな衣服。
青年を迎えたのは、そんな雪夜のような少女だった。
ただ、大きく曲がった背筋や、床に投げ出された脚、無骨でぶかぶかの黒外套といった要素のせいで、彼女を手放しに美少女と形容することは難しかった。
もっとも、少女の美しい見目は、それらの要素によって損なわれるどころか、むしろ際立たされている。その結果、彼女がまとう雰囲気は、ひどく人を惹きつけるものになっていた。
「それにしても、ついに顔まで見られたぞ。やっぱり、あの二人を放っておくのはまずいよ」
「でも、八回目で止めにしようって決めたじゃないですか。先輩じゃあ、真っ当にやってるかぎり、どうやったって返り討ちですよ」
「でも、このままじゃあ、そのうち殺されるぜ。街の中ならともかく、廃都の底や樹海で会ったらどうしようもない」
「命をとられることはないと思いますよ? まあ、適当な対処は考えておきますから」
深刻そうな表情をつくって見せる青年に対して、少女はどこか他人事めいた口調で言葉を返していく。それもそのはず、少女の注意は、正面の壁に敷き詰められた、大量の額縁に釘付けになっていた。
額縁のおよそ半分を占めるのは、乱立する無数の柱。つまり、この街の風景だ。
あまりにも精巧に描写されたそれらは、絵画ではなく写真に近い。先ほど青年が荒事を構えた通路も、そこには描かれていた。しかも、その通路は崩落していた。過去の一瞬を写し取った絵画や写真であれば、ありえないことだ。
よくよく目をこらせば、額縁の中では、雨粒が天から地に向かって降り注ぎ、通路を行く人々が動いていた。
つまるところ、額縁に収められていたのは、絵画でも、写真でもなく、まさしく今この瞬間の街景を映し出す映像だった。
「そういや、あの筋肉達磨の方は、あれっきりじゃないか。死んでないんだろ?」
「あれ以来、ティアナ・ティーユを標的に定めたみたいで、無差別に戦いを挑まなくなったんですよ。なので、あの筋肉達磨を排除する必要はなくなりました。お姫様の方は大変でしょうけれどね」
少女はそう言うと、額縁のうちの一つを睨みつけながら、手元の板の上で楽器を演奏するかのように指を踊らせていく。その動きに呼応するように、彼女が睨みつけていた額縁の映像が拡大と縮小を繰り返した。
「さて。先輩、仕事ですよ」
しばらくした後、少女は前のめりになっていた身体を起こすと、大きく伸びをしながらそう言った。それに対して、青年は相変わらず不機嫌そうな顔で沈黙を投げ返す。
「……どうかしました?」
「あのさあ」
青年は、少女の名前を呼びかけると、少女に近づいて、その顔を見下ろす。
「話すときは相手の顔を見ろ。遊んでるのか、それとも本気なのかが、分かりにくくて面倒だ」
仰け反るようにして青年を見返していた少女は、青年の文句を受け取ると、ふふっと声を出して笑った。