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Preparation

「次は?」

『そろそろ整備が必要ですから八番ゴブレットと匣を回収してから……九番へ』

「了解」

 そう言うと、銃を背負い、小箱をポーチに突っ込んで、彼は階段を下りはじめた。

『それにしても、ずいぶんと容赦なくティアナさんを巻き込みましたね』

 青年が搭の足元から飛び出したところで、女声がそう語りかけると、

「顔を見られたかもしれないし、すくなくとも、声は覚えられた」

 銃を撃つ直前と同様に、青年は淡々と応じた。

『ぎりぎり大丈夫だったと思いますよ?』

「それでも、だ」

『……まあ、先輩の判断に任せますが』

 銃一丁という荷物が加わったにもかかわらず、青年が樹海を駆ける速度は、以前とほとんど変わっていない。それどころか、むしろ、速くなっていた。

 塔から青年がだいぶ離れたところで、どこからか、遠吠えのような音が立ちあがった。それも、一つではなく、二つ、三つと、連続して別々の生き物のものとしか思えない遠吠え、あるいは、咆哮が次々と樹海に轟いていく。

『来たみたいです』

 他人事めいた様子で報告する女声に、青年は分かりきったことを言うなとでも言いたげに、顔をしかめると、応答を返すこともしないまま、走りつづけた。


 ◆ ◆ ◆


 地獄という概念が、果たしてこの樹海に生きる者たちに十分に理解されているのかどうかはともかくとして。それを解する者がこの場に広がる光景を見たのであれば、彼ないし彼女は、きっと地獄のようだと言うに違いない。

 その場に積み重なっていく異形の死骸は、大きく二つに分けられた。一方は、その身の大部分を、ぐちゃりと潰されたもの。もう一方は、急所のみを貫く穴をその身に刻まれたもの。手のひら程度の大きさの蟲から、ヒトの数倍の体長をほこる獣まで、例外はなかった。

 視認できるだけでも百に至ろうかというほどの数の死骸に隠されてしまったせいで、とうの昔に見えなくなっているが、その下の大地が紅く染まっていることは想像に難くない。

「ああ、もうっ! どうすんのよ、これ!」

「ははっ! はははははっ! 悪くない! 悪くないぞ! このほどの試練ならば、我が信仰も徹底的に証立てられよう!」

「黙りなさい、狂信者!」

 地獄の中心では、拳士と剣士が、襲い来る異形たちに凄まじい速度で応戦していた。

外見こそヒトのカタチをしてはいるが、この二人こそがこの場でもっとも化物じみた存在であることは疑いようもなかった。

 剣士の一突きが、人の頭蓋骨を被った異形の甲殻と、幾枚もの羽を持つ蜘蛛の体表を貫いた直後、異形がとくに密集している方向へと、拳士が巨蛇を殴り飛ばす。そんなふうに、一挙手一投足で複数体の異形をモノへと貶めなければ間に合わないほどの窮地に、二人は立たされていた。

 一頭であれば、否、一群であれば、鎧袖一触で屠れよう。ティアナにしろ、イザルにしろ、それくらいの力は有している。だが、周囲にいる生物のすべてに牙を剥かれるという状況であれば、話は別だった。

「……獣寄せの香にしたって、呼び寄せられてる獣の種類が多すぎる」

 金属光沢を帯びた鱗に包まれた蜥蜴の突撃を跳躍してかわした直後、鱗と鱗の間を精確に貫いてから、ティアナは歯がゆそうにそう言った。

「だから口より手を動かすがいい。これが終わったら、私と決着をつけなければならんのだからな! ほら、上からも来たぞ!」

 イザルの警告に応じて、ティアナは剣に突き刺さったままになっていた蜥蜴を、飛来する極彩色の巨鳥めがけて飛ばした。

「打ち上げなさい! 拳だけでも色々できるんでしょ!」

 そして、ティアナは唐突にイザルの方へと走り出す。

「貴様、我が拳を足蹴にしようとは、不遜にもほどがあるぞ――だが、我が拳に不可能はないのもまた事実!」

 イザルの数歩手前で高く跳んだティアナは、空中で身体を捻じり、空を見上げる。そこでは、体勢を立て直した巨鳥が、仲間とともに急降下しようとしていた。

 イザルの拳が、ティアナの足裏に触れる。拳士は、腕を曲げた状態から一気に伸ばして、与えられた指示通りに彼女を射出した。

 落下すれば即死は免れない高さにまで舞い上がった少女は、巨鳥の急所に突剣をねじ込みながら、その身体を足蹴にして、再度跳んだ。彼女が着地しようとしているのは、他の巨鳥だ。

 翼の生えているかのごとく滑らかに宙を渡った彼女は、勢いそのまま、一羽目と同じように二羽目の巨鳥を斃し、三羽目めがけて、さらに跳躍を重ねる。

 繰り返されること八度の跳躍によって、無駄なく八羽の怪物を仕留めた剣士は、近くにあった大樹の枝へと飛び下りてみせる。着地のために片手と両足をついてはいたが、右手に構えられた突剣は、すぐにでも突きだせる隙のない状態だった。

 ティアナは、幹に手をつきながら立ち上がると、思案顔で地獄を俯瞰する。

「下手に助けて、元気なままこの場を切りぬけられても困りそうよね……うん、あいつが本当に死にそうになるまでは、休ませてもらいましょう」

 剣士の顔に、はじめて少女らしい笑みが浮かぶ。その口から発された無慈悲な言葉とは対照的な、ひどく清々しい笑みだった。

「貴様ぁぁっ!」

 地獄から響いてくるようなイザルの怒号を一顧だにせず、剣を鞘に収め、眼下でうごめく群の中へ液体が付着したバックラーを放り捨てると、ティアナは口元に手を当てた。

「あの液体が呼び水だったのは確実……でも、あの量でこの効力はありえない……。廃都の深層ならありえるかもだけど……あの程度の強さで深層なんて行けっこないし……」

 思考を整理していくとともに、ティアナの顔は、険しさを増していく。そして、しばらく考え込んだ後、

「……次の一発が勝負ね。ほんと、こんなことなら、クロードに黙って来るんじゃなかった」

 彼女は、何らかの結論を下したらしかった。


 ◆ ◆ ◆


『うっわあ……うっわあ……』

「……いちいち口に出すな。余計に気が滅入る」

 イザルたちが戦う場から離れた廃屋で、青年と姿を見せぬ誰かは、そんな言葉を交わしていた。彼らの視線の先で、拳士と剣士が襲い来る獣たちの一波を捌ききるたびに、声の主は、ため息混じりの声を漏らしている。大量の骸の上で戦い続ける両名の様子は、それほどまでに化け物じみていた。というか、化物そのものだった。

「で、いけそうか?」

『夜まで釘付けにできれば、夜行性の子たちも出てくるでしょう。それまで持たせられれば、どうにかなります。たぶんですけど』

「逃げられる可能性は?」

『あの出鱈目な遠当てで、包囲網に穴を開けられないかぎりは大丈夫です。今は防戦に徹しているから戦えていますが、今の数倍の数を相手取るのは、さすがに不可能でしょう……相手取れませんよね?』

「でも、生き残ると思っといた方がいいだろ。まあ、筋肉達磨の方は逃げ出すとも思えないが」

『そこは間違いないでしょうね。それでも、逆転の一撃を放置する理由はありません。いざというときは狙撃で姿勢を崩してください』

 声がそこまで告げたところで、承諾も拒否も返さずに、青年は沈黙した。

『どうかしましたか?』

「女の方を見失いかけた。もう大丈夫だ」

 青年が黙り込んだのは、イザルと協同して、ティアナが空高く舞い上がったからだった。

『見つけるのだけは、早いですよね。ほんとう、見つけるのだけは』

やけに含みを持たせて、声の主がそう言ったのを無視して、青年は樹上のティアナの姿を、銃とは独立したスコープを使いながら睨みつづけていた。そして、彼は舌打ちをして、

「……もう、撃てない。次に撃つのは、女の方を仕留めるときだ」

『見つかってはいないみたいですよ』

「探されてる。男に撃ち込んだら、女の方に捕まる」

 これまでの相対で浮き彫りになっているように、ティアナの身のこなしの巧みさは、イザルのそれを遥かに上回っている。当然、足の速さも、イザルよりはずっと速いはずだ。

 つまり、彼女が本気で青年を捕まえにかかれば、彼が逃げ切れる道理はなかった。

『無理して巻き込むからですね。イザルだけを仕留められれば、それでよかったのに』

 任せると口にしたことをすでに忘れているのか、声の主は遠まわしに青年を責めていた。

「……悪かったよ」

『構いませんよ。先輩を手掛かりに私に辿りつかれるかもしれないって、心配してくれ――』

「いや、それはない」

 ほとんど割り込む形で、青年は否定を告げた。今日、彼が口にしてきた中でも、一番力強い言葉だった。

『なら、オーギュストの方ですか? 先輩、そんなに忠誠心あふれる人でしたっけ?』

 明らかに不機嫌そうな調子で、声の主は次の候補を告げる。

「それこそありえないだろ。単純に、自分の安全のためだよ」

『そこは嘘でも私のためって言うところでしょう。あんまりひどいと見捨てちゃいますよ』

「やれるものならやってみろ。何日で音を上げるか楽しみにしてやる」

 そこで一呼吸おいて、青年は緩んでいた会話を引き締めにかかる。

「次の一発で、やつが助けに入るところを狙う。九番なら勝負になるだろ」

 そう言って、彼は、布にくるまれたまま廃屋の片隅に置かれている、何かの方へ目に向けた。


 ◆ ◆ ◆


 樹海に、夜が降りてくる。

 イザルの身は紅く染まり、悪鬼羅刹と呼ぶにふさわしい姿と化していた。だが、その動きには明らかな疲労がにじんでいて、昼間に比べれば、あらゆる動きが遅く、粗くなっていた。

 それでも彼が戦えているのは、倒した獣によって築かれた足場を高台のように使って、一度に戦う相手の数を絞っているからだった。

 しかし、それも限界を迎えようとしている。

 迫りくる獣の数は、刻一刻と増えていた。

そもそも、暗視を有さない人の身では、月明かりの届かない樹海で戦い続けられるのも時間の問題だった。

 昼間からイザルを襲い続ける異形は、まだ真っ当な動物の面影を残していた。しかし、日が傾くにつれ姿を現した異形の中には、もはや既知の動物を構成する要素の組み合わせでは、到底記述しきれないような見目をした真性の何かが含まれていた。

 あるモノは、ひも状の何かが集合した四足歩行の獣だった。

 あるモノは、四肢と頭と尾が目まぐるしく入れ替わる液体だった。

 あるモノは、太さも長さも様々な脚が百本以上生えた、玉虫色の球体だった。

 そうした際立った異形が群れをなして襲ってくるのだ。常人ではこの場にいるだけで正気を失うことだろう。

 そのような絶望的な状況にいながらにして、拳士は、凄絶な笑みを浮かべていた。狂気ではなく、狂喜に身を委ねながら、一歩を間違えたことが原因で死にかねない状況で、彼は戦いつづけていた。

 彼が背負う不利はそれだけではなかった。刻一刻と暗くなっていく樹海の中では、もう間もなく人の視力は役に立たなかくなる。

 だが、それすらもイザルにとっては小さな障害の一つにすぎない。

 彼は、目を瞑ったまま戦っていた。

 血の臭いで嗅覚が役に立たない以上、彼が用いている感覚は聴覚と触覚と、銃弾を察知するほどの獣じみた第六感の三つ。それで十分とでも言わんばかりに、彼は顔を拭うのに使える時間を、位置取りのために使っていた。


「そりゃあ、理屈は分かるわよ、理屈は。血が眼に入って隙になるしね。難易度自体も不可能ではないでしょう。だからって、実行するなっての」

 樹上から地獄を見下ろしながらそう言ったのは、ティアナだった。

 彼女は、嘆息すると腰に備え付けたポーチの中から、うすく青みがかった液体が入った小瓶を取り出した。彼女は両目に一滴ずつ、その小瓶の口から液体を器用に垂らしてみせる。そして、パチパチと目を見開きしたのち、

「時間がないのは、あっちも同じか」

 どこか遠く、ここにはいない狙撃手の姿を思い出しながらそう言った。

 イザルのようなやり方ではないにしろ、廃都の深層に潜る者ならば、暗がりで戦う術ならば、一つや二つ身に着けている。もっとも、それらは相手に身を曝しながら戦う者のためのものにすぎない。 たとえ、青年がそのような手段を有していたとしても、狙撃に使えるほどの視力を補うことはできない。

 だからこそ、青年が狙撃をしかけてくるとすれば、それはもう間もなくに違いない。

 もっとも、その結論は誤っていた。

 

 ◆ ◆ ◆


 空もだいぶ白んで、もうすこしで朝日が昇ろうという時間だった。

『ふぁああぁぁ……。おはようございます、先輩。そろそろ夜が明けますよ』

「……よく眠ったみたいだな」

『ええ、おかげさまで。先輩は徹夜ですか?』

「今回は、他にやりようもなかったしな」

『まあ、あの群の中から一人を狙うのは、無理がありますからね』

 青年が陣取るのは、九番と呼ばれていた廃屋だ。彼は、そこで一晩を過ごしていた。

『それにしても、まさか本当に一晩中戦い続けるとは思いませんでしたね。クチナシカズラの香りもいい加減に効果切れでしょう』

「ああ、だから、そろそろ決着をつけよう」

 勝敗は分からないけどな、と付け加えながら、青年は長銃を手にうつ伏せになる。

 八番ゴブレットと呼ばれていた銃と同じく、その銃は真っ当な火器ではないようだった。

 その銃を構成する金属部品のすべては、毒々しい黄土色に染められていた。一射ごとに弾を装填しなければならない構造は典型的な狙撃銃のもの。ただし、それによって込められる弾は明らかに異質だった。

 銃と同じ色に染められた、黄土色の弾丸。青年がそれを装填したとき、その銃弾は、たしかにびくりと、中で何かが痙攣しているかのように振動したのだ。

 だが、その異常を気にする様子は、青年にはなかった。

『先輩、九番ブランチでも、お姫様と筋肉達磨を一度に仕留めるのは難しいと思いますよ?』

「だろうな。ただ、イザルの方は確実に仕留められる。でもって――」

 そう言うと、青年はスコープを覗きこむ。

 一晩中、異形と戦いつづけた拳士と、真夜中になってから彼を助けに再び参戦した剣士。二人のぼんやりとした影を。青年は捕捉する。表情を見ることはできなかったが、両者は明らかに疲弊しきった動きをしていた。今なら、確実に仕留められるだろう。

「あの剣士は、きっと助けに入る。お前の言う通りの人間ならな」

 青年がそう言って拳士に照準したところで、女声はなるほど、と簡潔に理解を示した。

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