三 高橋健と榊原瑠珈
高橋健と榊原瑠珈。
やばいやばいやばいやばいマジでやばすぎて死にそうだ。
どうしてこんなことになった。
一体どうして俺は道を踏み誤ってしまったんだ。
このままでは俺は破滅だ。
明らかに抹殺されるし、社会的制裁も喰らう。
でも、一番怖いのは――
俺は後ろをそっと振り向いた。
金髪、カラコン、マスカラ、つけま、口紅、グロス――小麦色の日サロ肌。
ああ、もういい、うんざりだ。
どこからどうみてもチャラチャラチャラチャラしまくりやがって。
なんでこいつは俺の後をついてくるんだこの野郎。
すっぴんでも十分かわいいのに無駄にデコりやがってこの野郎。
ファッションも普通の女子高生らしくおとなしく抑えろこの野郎。
日ノ本人ならカラコンなんざいれるなこの野郎。
ガキはガキらしく普通の格好をしていろこの野郎。
胸もそんなに大きくないし、ずんどうだし、幼児体型だし、陥没乳首だし、どこもかしこもつるつるだし、処理し過ぎで逆に不自然だぞこの野郎。
ああ、そうさ。
犯ったさ、犯っちまったさ、犯りまくったさ、猿のように、鬼のように、朝昼晩と抜かずの三連戦どころか九連戦も日常茶飯事さこの野郎。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
なんで俺には性欲なんつー、いらん機能が備わっているんだ。
女で道を踏み外すなんてベタな最下層な人生設計の失敗をするなんて畜生この野郎。
俺は立ち止まり後ろに向き直る。
手にしたバッグをくるくると回しながらついてきてた瑠珈が立ち止まる。
「ん? 健ぴょんどうしたの?」
「休憩しよう」
俺の言葉に瑠珈は軽く頬を赤らめた。
「ええ~、朝あんなにしたのにもう? 健ぴょん絶倫すぎ~」
「ちげーよ、言葉通りの小休止って奴だ。別に犯りたいとかじゃ――」
「照れない照れない。いいよ、健ぴょんのためならいつでもどこでもしてあげる♪」
「おい、人の話を聞けこの野――」
「んっふっふっふ」
俺の手を握りグイグイとアークガルドの繁華街の一角にある特定用途宿泊所に向って歩き出す瑠珈。
その手を振り払うことは簡単に出来たはずだ。
そう、俺はこの選択肢を拒否できる。
…………
俺は犯ること犯った後に正気に戻った。
また、犯っちまった。
俺、高橋健はこの女、榊原瑠珈に溺れていた。溺れてしまっていた。溺れまくっていた。
違う、俺の人生はこんなはずじゃなかった。
何よりも、この状況はまずい。
言い訳が立たないし。
申し訳も立たないし。
立つのはあそこだけだって?
うるさいわボケが。
問題は瑠珈の親父だった。
省の中の省といわれる大蔵省(旧財務省)の事務次官の椅子。
無数の同期入社のキャリア達を押しのけ、突き落とし、叩き潰し、蹴りだし、罠に嵌め、手柄を横取りし、足を引っ張る。
そして、ただ一人勝ち残った人間のみが座ることを許された勝利者の椅子。
敗者は次々と天下り先の負け犬の座に追い落とされる現代の弱肉強食の理を勝ち抜いた魑魅魍魎のボス。
それが瑠珈の父。
元大蔵省事務次官、現集議院(旧衆議院)議員榊原武という男であった。
各省庁、様々な経済団体、各労働組合、大企業、公的機関、マスコミ、外国にもいまだ隠然たる影響力を誇っている官僚の首魁とでもいう人物。
安定した身分の元に数十年に渡り国の政を為す。
国家中枢の権力機構たる官僚組織。
長年に渡り実際に国を動かしてきた重き歴史。
毎年のように首が替わる総理大臣や各種大臣など彼らにとってはただの軽い神輿に過ぎない。
彼らの中で最上位の座に位置する数名の中の一人。
それが榊原瑠珈の父であった。
そして俺はその大蔵省で働いていた。
勿論、キャリア採用で俺の前には輝かしい勝ち組の人生が広がっている筈だった。
榊原の家で開催された娘の誕生パーティ。
連日連夜、深夜から明け方までの激務が続く霞ヶ関の日常。
ようやくもらえた休日には榊原の家のパーティに列席せよとの業務命令が付託されていた。
入省二年目の俺はキャリア組の末席として同じように招集された同期達と会場の端っこで情報交換をしていた。
パーティの主役の娘は姿形も無かったがこれは例年通りらしい。
業務命令には注意事項が記されていた。
榊原瑠珈には決して触れるな、と。
以前に瑠珈と視線を絡めただけで地方に飛ばされた奴がいるとの事だ。
榊原武の溺愛に次ぐ溺愛を注がれている一人娘。
それが榊原瑠珈だった。
触らぬ神に祟りなし。
そんな俺にパーティ会場で急遽下された命令は。
SAM社が開発したVRMMOを榊原瑠珈とプレイしろ、との事だった。
おいおい、ゲームなんて小学生の時に卒業してるっつーの。
うんざりしかけた俺だったがSAM社の名前に聞き覚えが有り、記憶を辿った。
確か……あの剣野真帆が手がけた世界初の仮想現実世界を謳い文句にしたゲームだ。
四年前の大規模テロ事件。
剣野精神医療センターで数百名の犠牲を出した痛ましき惨劇。
主犯の赤野津美は未だ逃亡中の未解決事件。
事件の処理過程で剣野真帆が永田町や霞ヶ関への関与を深める契機となった出来事。
特に厚生省(旧厚生労働省より分割)との結びつきは強く実質彼らが剣野の後ろ盾になっている。
それが端的に現れているのがこのVRMMOの監督官庁が通産省(旧経済産業省)ではなく厚生省になっている事実だ。
これが決定した時は霞ヶ関に衝撃が疾走った。
なんという横紙破りか。
VRMMOが国民の精神的な生活水準を上昇させるいわば普遍的な福祉事業であるとの出鱈目な解釈を剣野真帆と厚生省は押し通した。
当然、通産省を始めとしてものすごい反発が巻き起こった。
それを莫大な金の力を使ったとはいえ剣野真帆は正面からねじ伏せてみせた。
つまりは、榊原武を始めとした現官僚機構への敵対行為。
なかなか現在の日ノ本の中枢はきな臭い感じになってきていた。
榊原武は娘の瑠珈と一緒にVRMMOをやるつもりだったのだが考えなおしたらしい。
VRMMOはいわば敵の産物であり自分がそんな物をやるのは屈辱だと。
あと、娘が嫌がったのもその決断を後押ししたとか。
どう考えても後ろの方の理由が全てではないかと思ったが誰も口にはできなかった。
榊原の本邸には人のよさそうな老人が待っていた。
品のいい着物を着て、笑みを絶やさずに俺を迎え入れた。
「よろしく、頼みますよ」
丁寧な口調で優しい声音。
物腰も柔らかく、腰も低い。
俺みたいな下っ端も下っ端の人間に偉ぶるところなど欠片もない好々爺然とした人物。
一瞬、緩みかけた気が凍りついたのはその優しげな目を見た瞬間だった。
瞳の奥にあるなにか。
それは一瞬で消えた。
あえて俺に見せたのだろう。
警告として。
脅しとして。
前途ある若者を破滅させるには忍びないと。
榊原武が見せた一抹の優しさ。
俺はその意図を正しく理解した。
部屋に入った瞬間、俺は絶句した。
チャラチャラした服装、日サロに通ってますと言わんばかりの小麦色の肌、じゃらじゃらしたアクセ。派手なメイク。
中学生だか高校生だかわからない女の子がこちらにおしりを向けてなにやら機械類と格闘していた、そして。
黒の紐パン。
それが俺と榊原瑠珈との出会いだった。
榊原武は次の集議院選挙で与党の自由民政党からの出馬を打診されている。
離合集散が政治の常であることは歴史が証明しているが、党議拘束に逆らって民政党から離党した榊原武に頭を下げるとは。
与党は次の選挙でねじれを一挙に解消するつもりらしい。
そして、榊原はその実力や勢力に比例して敵が多い。
つまりは、選挙前の大事な時期である今はどんな小さな失点であっても致命傷になりかねないと言う訳だ。
特に未成年である娘が自由恋愛と称して二十四歳の大蔵省の官僚と淫行するなど言語道断である。
青少年保護育成条例違反。
淫行処罰規定。
まずいまずいまずい、いやそんな罰則なんかよりも瑠珈の父親のがとてつもなくやばい。
いやいや、ここは仮想現実の世界。
現実世界の俺は娘さんには指一本触れてませんよ?
法的に俺は無罪。
よし、これでオッケー。
オッケーじゃねーよ。
瑠珈が俺と結婚するとか言ってるじゃねーか。
もう、二度と離れないとか言ってるじゃねーか。
結婚式は綺麗な海が見えるチャペルでとか抜かしてるじゃねーかこの野郎。
あの瞳の奥を覗きこんだ後ではそんな楽天的な事は考えられない。
榊原武は俺を絶対に許さないだろう。
高橋、アウトー。
頭のなかでジャッジメントが鳴り響く。
…………
瑠珈は俺の腕を枕にしてすうすうと寝ている。
そりゃ、あんだけ滅茶苦茶にイかされればな。
俺はこの無垢な笑顔を一瞥する。
そして湧き起こる嫌悪感に眉をしかめた。
……ああ、気持ち悪。
正直顔も見たくない。
肌も触れたくないし。
匂いも嗅ぎたくない。
一種独特の生臭い匂い。
イカ臭い。
栗の香り。
とっとと風呂入ってさっぱりしたい。
快楽の頂点の後は急速な喪失感。
火照った身体が、霞がかった頭のもやが晴れていくと同時に。
深い嫌悪感。
自己嫌悪。
いわゆるあれだ。
動物のオスが交尾の後にすぐ正気に戻らないとより上位の捕食者にやられるとかいうあれだ。
交尾の後にすぐ正気に戻る個体が生き残り、そうじゃない個体が淘汰されたとかいうあれ。
その選別の繰り返しにより現在のメカニズムに至ったというあれ。
だが。
犯るだけ犯って、気がすんだら顔も見たくないとかどこの外道だよこの野郎。
はぁ、俺は深い溜息をつく。
そして。
触れ合っている肌の感触。
薄く空いた唇。
シートからはだけた胸の膨らみ。
瑠珈に抱きつかれている艶かしい感触。
やわらかく、未だ熱を保っている両ももにぴっちりと挟まれている足の感覚。
じんわりと、身体の奥が熱を持ち。
その頃合いを測っていたように握られる。
ゆっくりと、瑠珈の睫毛が開き。
含み笑いを残して、その顔がシーツの中に潜る。
そして、包まれた――
俺は瑠珈に溺れている。溺らされている。
そして。
捕食されている。
この無限地獄はいつまで続くのだろうか。
……………
アークガルド中央庁が俺の職場だ。
最初は柄にも無く冒険者になろうかと思ったが費用対効果が芳しくないので却下の結論に至った。
商人とかも考えたがやはりそれもよろしくない。
なによりアークガルドには中央庁、いわゆる権力を有した官僚機構が存在しているから、その下で商売するのは馬鹿らしく感じたからだ。
と、言うわけでゲームの中でも俺は官僚という役をプレイしていた。
ま、金猫騎士団の奴らがキャリアで現地採用の俺はノンキャリと言う訳だ。
ノンキャリらしく定時で帰宅し、休暇はしっかりとる規則正しく緩やかな生活。
収入も瑠珈と二人で暮らしていくには問題なく、ハウス購入の際のローン査定も問題なく下りた。
ゲームの中の人生設計は上々と言うべきか。
ゲームの中では、な。
俺はアークガルド中央通りにある行きつけのカフェテラスにようやく腰を下ろすことが出来た。
対面に瑠珈が座る。
「ガルドコーヒーにサンドイッチAセット。瑠珈は?」
俺は片手を上げ店員を呼んで注文をする。
「水樹ティーに季節のデザートセット、あとホワイトレアチーズケーキ、ショコラプリンにアーククレープ。あとー」
「お前……どんだけ食うつもりだ」
俺のうんざりした声に瑠珈がしれっとした態度で答える。
「だってー、いっぱい食べないと身体持たないしー。健ぴょんの責め的に」
ぐっ、この野郎。
俺を黙らせた後は瑠珈は店員に更に注文をしていた。
ああ、もういい。好きなだけ食べてデブればいいさ。
俺は大きなため息を付きながら椅子に背を預ける。
っていうか今更ながら思うのだが、こいつはなんで俺についてきたんだろう。
自慢じゃないが俺にはサバイバルの技術もゲームの才能もない。
ただ、勉強がちょっと出来ただけの平凡な人間。
この世界には俺よりも頼りになる奴らや力のある奴らがごまんといる。
そいつらに付いて行けば今よりもっといい暮らしができるはずなのに。
あの日の夜、とりあえずの安全牌として自らの身体を餌に俺をつなぎとめようとしたのは理解できる。
ログアウト不能の非常事態では榊原の名は役には立たない。
知ってる奴も少ないだろうしな。
ま、処女だったのはびっくりしたが、流石あの父親の血を引いているだけはある。
俺は完全に絡め取られてしまった。
なるほど、籠絡とはこのことか、と俺は思ったね。
そのままずるずるずるずる流されてここに至っているわけだが。
俺はこいつの事をどう思っているんだろう。
確かに身体には籠絡されているが、好き……なんだろうか?
犯りまくっている俺達だがつながっているのは身体だけで。
好きとか愛してるとか言ったことも無いし、言われたことも無い。
これはビジネスライクな関係なのか?
瑠珈は身体を差し出し、俺がその対価として瑠珈の生活を保証する。
交尾契約とでもいうべき同棲。
身体だけの関係。
つながり。
なんなんだろうな、俺は。俺達は。
確かに瑠珈はその格好を除けば意外にしっかりしているところもある。
料理も洗濯も掃除もきっちりこなす。
頭の回転も早く、会話していても気持ちがいい。
案外古風なところもあり、大事なところではあまり出しゃばらずに一歩下がっている様な立ち位置を心得ている。
結婚して落ち着けば案外いいお嫁さんになるのではないかと思えたが。
父親があの榊原武ではしばらくは無理だろう。
てか、その前に俺が殺されるっつうの。
好きか嫌いかで言えば好きの範疇に入ると思う。
結構、奥まで入っているかもしれん。
実際、奥まで入れているからな。
…………
あれ、俺ってこいつに、瑠珈に惚れてるんじゃねーの。
もしかして。
父親の顔がちらついてそんなことは考えたこともなかったけど。
今、気づいた。
俺は。
榊原瑠珈に惚れている。
そうか。
そうだったのか。
じゃあ、遅ればせながら。
言うべきことを言わなければ。
瑠珈が。
いつの間にか俺を見つめている。
その眼はいつに無く真剣で。
微かに紅潮していた。
こいつはいつもそうだ。
俺の心の中をドンピシャで読み取りやがる。
姿勢を正し。
期待に満ちた眼で。
まるで気をつけをするように。
瑠珈が座ったまま背筋を伸ばす。
そして、遠雷が響いた。
俺の眼に。
瑠珈の背後から迫り来る黒き地走りが映る。
通りに大勢いた人間があっという間に地を這う稲妻に打たれて紅き炎柱に包まれる。
その中の一つが真っ直ぐにこちらに向かってくる。
瑠珈の座っている椅子めがけて。
確かに俺はこいつの事が好きかもしれんが。
自分の生命を懸けてまで助けたいとは思わない。
俺の生命と瑠珈の生命。
比べるべくも無い。
当然、瑠珈の生命だ。
あれ?
気がついたら俺は瑠珈を横に突き飛ばして。
やばいと思った瞬間には。
俺は燃えていた。
焦がされていた。
溶かされていた。
想像を絶する激痛。
そして、悟る。
ああ、これはもう、駄目だ、と。
なるほどね。
死ぬ瞬間って走馬灯を見るって言うけれど。
スローモーションになるわけね。
ってか瑠珈いねーじゃねーか。
まじかよ。
確かにその行動は正しいさ。
助からない俺を諦めて、いち早く逃げ出す。
流石、榊原武の娘だと思うよ。
生きていて欲しいと思うよ。
自分の生命を懸けて助けたんだからさ。
でもさ。
目の前で泣いてみせてくれるとか。
そういう、さ。
演出っていうの。
頑張った俺にご褒美っていうの。
あってもいいんじゃないか。
これじゃ、俺浮かばれね~じゃん。
いや、自分が好きでやったことだし。
したことだから文句はないんだけどさ。
味気ないって言うか。
もうちょっと、瑠珈には慕われていたっていう気持ちがあったというか。
それは単なる自惚れだったという事実が。
悲しかったというか。
はぁ、ま、いっか。
どうせ死ぬんだし。
はー、結局片思いだったのかね。
でも、まー。
あいつは、瑠珈はこれから先もこの世界で。
たくましく生きていけるだろう。
あいつならすぐ新しい男を見つけて。
うまく操って生きていけるさ。
瑠珈。
今度はもうちょっと頼りになる男を捕まえろよ。
ああ、もう意識が消える。
じゃあ。
な。
…………
消える寸前。
身体に何かが振りかけられた。
それは何かと確認する間もなく。
俺の意識は断絶した。
限定希少スキル。
『女神転 』
精
発動条件。
千回の精受。
男の死亡。
女の意志。
そして、愛。
十月十日後―――――――――――
なんだここは。
真っ暗だ。
手も動かないし。
息もできない。
でも苦しくなく。
妙に居心地がいい宮間
ぐい、と押される。
押し出される。
おい、待て。
そんなに押すな。
押し出すな。
おい、ふざけんなこの野――
そして、世界は光に包まれた。
透かし見る様に。
薄く赤みがかった光が閉じられた瞼を通して伝わる。
手も足もうまく動かない。
言葉もよくわからない泣き声になる。
なんだこれは。
柔らかく、抱かれた。
いとおしげに。
優しく。
知ってる。
俺はこの感触、肌触り、匂い、感覚。
知り尽くしている。
そして。
「おかえり、健ぴょん」
ああ、なるほど。なるほどね。
つまり。
俺は。
これから。
マザーファッカーになるわけか。
望む所だこの野郎。