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十 再びのアークガルド

アークガルド中央庁。

基幹拠点である始まりの街アークガルドの全てを統括する組織。

アークガルドの中心に存在する高層建物群で構成されている。

外見は無機質な形状且つ白色で統一されており他の建物とは明らかに異なる様式。


その権限は各種税率の設定から医療施設や様々な商会等への許認可、定期乗合馬車の運賃や巡回物資の手配、街道警備の予算、街の清掃業務に至るまで幅広く設定されている。

いわば、アークガルドの心臓兼頭脳とでもいえる存在。

中央庁は特別なNPCであるシステムセクレタリー達と領主ギルドが任命する高位職員(キャリア)との合議制で運営されている。その下に位置する雑用は現地採用の低位職員(ノンキャリア)が担当する。

現在のアークヒルズを統治する領主ギルドは悪名高い金猫騎士団であるからアークガルドは実質金猫の傘下であるといえよう。

ちなみにシステムセクレタリーは基幹拠点を始めとした重要な街だけに配置されている。

その目的は領主ギルドによる横暴な統治から重要な街を守ること。

逆に言えば、重要じゃない街では領主ギルドは重税などの悪政をやりたい放題ということになる。

で、当然のことながら獣人の処遇もここ、中央庁で決定される事になる。


…………………………


「何故ですか? 彼女は、メイルは獣人なんかじゃない。それは彼女と会話していただければ分かるはずでしょうっ!!」


アークガルド中央庁住民登録課の第七小会議室。

そこで俺は獣人の登録を主に扱っている獣人科の担当者とシステムセクレタリーの二人?に必死の訴えをしていた。


「そう申されても、決まりは決まりですので。じゃ、僕はこれから昼食だから。後はよろしく頼むよ」


担当者は微かに面倒くさそうな雰囲気を醸し出しながら席を立つ。


「あっ、ちょっと」


そして、引き止める俺の声を無視して担当者は傍らに座っているシステムセクレタリーの肩をポンポンと叩きながらそそくさと部屋から出て行った。

肩を叩かれたシステムセクレタリー、人型を模した白色の機械人形はやや合成っぽい声で答える。


「了解しましタ」


そして彼女?は俺に向き直ると口?を開いた。


「はじめましテ、私はアークガルド中央庁所属、住民登録課獣人科の業務をサポートするシステムセクレタリー」


彼女?はここで、息継ぎ?をした。


「識別名はロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲル。もしくはJJ-19とお呼びくださイ」


「ロド……、長すぎにも程があるだろう」


「ちなみにチャーミングの方では無いことを付け加えておきまス」


微かに誇らしげに顎?の部分を上げるドロッ……、いやJJ-19は無意味に胸?を反らした。いや、意味がわからん。

システムセクレタリー界ならではの名声か何かがあるのだろうか?

まぁ、そんなことはどうでもいい。


「メイルの知能レベル、会話能力に感情表現の多彩さは獣人の域を超えている。

この部分は認めるな?」


論理的思考を是とするシステムセクレタリー相手に感情論で攻めても無駄だ。ここは論理的事実を積み上げていく。

アーモンド型の蒼色の瞳ユニットが明滅し、彼女が瞬きしたことを表す。


「その点については同意しまス」


よしっ。


「ですが、彼女の種族欄に獣人と表示されていることは間違えようのない事実でス。

これは『システム』による最終的な裁定と同義であると考えられまス」


「異議あり、検察の結論は審議が十分に為されていないのにも関わらず性急に過ぎると主張します」


俺が突きつけた人差し指を見つめながらJJ-19はかすかに小首をかしげる。


「検察が私―ロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルの事を指していると仮定して問答を続けまス。

勘違いしないで頂きたいのですガ、私たちシステムセクレタリーには結論を下す権限は所有していませン」


「………」


「決定権を所有しているのはあくまで『システム』であり、世界そのものなのでス。

そのシステムが裁定を下した結果がメイル・シュトロームの種族欄に表示された『獣人』の文字であり、貴方の種族欄に表示された『人間』の文字でありまス」


そしてJJ-19は俺が決して受け入れられない事実を宣言した。


「そして、無所属の獣人が基幹拠点に入った時の処遇は一つでス。

その基幹拠点の最下層の使役獣人として登録されまス。

彼女、獣人―メイル・シュトロームはライド森付属の伐採作業所に労務員として送られることが既に決定され、現在移送中でス」


俺は、アークガルドに入る前にこの事に思い至らなかった己の馬鹿さ加減を恨んでも恨みきれなかった。

そもそも最初にメイルに介抱されているときに、コテージの中でとりあえず雇い主として登録だけしておけば全て、問題なかったというのに。


「だからッッッ!!!! 彼女は人間だと言っているだろうが。このっ」


思わず声を荒げる俺に対してJJ-19はあくまでも冷静だ。


「裁定は既にくだされていまス。

これ以上は時間の効率の良い浪費と判断しまス」


そして、JJ-19は口?を閉じ、瞳ユニットの光を消した。

議論は終わり、結論は既に出ました。あとはご自由に。

つまり、俺が自主的に帰るのを暗に促しているのだ。

システムセクレタリーは自分から会話、会議を打ち切ることをしない。

俺らプレイヤーが望めば何時間でも何十時間でも付き合ってくれる。逆にいうと付き合うことを義務付けられている。

それが可能なのはシステムセクレタリーが不眠不休で365日の稼働が可能な存在だからだ。

我慢比べでは人間はシステムセクレタリーには勝てない。それがこの世界での論理だ。

そして、俺にはこいつと我慢比べをしている時間は無い。

今、ここでこうしている最中にもメイルは……

畜生、畜生。メイル。済まない。俺が馬鹿なばっかりに。

目の前が涙で滲む。


………………

彼女は獣人なんかじゃない。

確かに、ふかふかな狐耳やふわふわな尻尾が付いているがそれだけじゃないか?

狐の耳が付いているだけで人間じゃないのか?

尻尾が生えていると人間じゃないのか?

そもそも人間だって尾骨があるじゃないか?

通常より少し長い尾骨があるだけなんだ、メイルは。

耳だって、頭頂部に耳がある人間だって……いるかどうかはわからないけど現にいるじゃないか。

自分でも、無理なことを言っていることは分かっている。

だが、しかし。

融通の効かないこの世界に対して憤りがふつふつと噴き出してくる。

獣人として生まれたから人間以下の獣として扱うこの世界、『システム』に対してふつふつと怒りが湧いてくる。

もし、これが自分だったらどうだろう?

人間扱いされない……それだけで背筋が寒くなるほどのなんともいえない恐怖が上がってくる。

誰も自分を守ってくれない、世界すらも守ってくれない。

そんな境遇に落とされるのはどんな気持ち、悲しみなのだろうか?

脳裏に今朝の情景が思い浮かぶ。


「拓也ぁ……やだぁ。私、拓也と離れたくないっ………やだぁああああッッッ!!!!!!!」


ライド森に向かう労務作業員の輸送馬車。脱走防止のために設けられた檻の中に無理やり押し込まれ泣き叫ぶメイルの姿。

助けだそうとする俺の身体をアークガルド警備隊員が地面に抑えつける。

目の前でゆっくりと輸送馬車が遠ざかっていく。


「離せッッッッ!!!!! このっ、クソ野郎が。メイルッッッッッッ!!!!!!!」


檻の隙間から必死にこちらに手を伸ばし、助けを求める声が響く。


「拓也っ、拓也、やだっ、拓也助けてっ、拓也ぁあああッッッッッ!!!!!」


その顔は涙でぐしゃぐしゃになり、喉も張り裂けんばかりに叫んでいた。

そして、同じ檻の中にいる獣人達がメイルに向ける意味ありげな視線。

聞いたことがある。

単純な労務作業に向いているのは力も強く頑丈な男性型の獣人だ。

では、何故、女性型の獣人を労務作業所に送り込むのか?

それはそこで働く獣人達に与える餌になるからだ。

日々の苦しい労務作業、いくら人間に従順とはいえやはりそこには限度と言うものが存在する。

当然不満も発生し、脱走や反乱の問題がつきまとう。作業効率の悪化にも繋がる。

それらを宥めるための餌、褒美としてメイルは使用されるのだ。

そして、生まれた子はアークガルドが一括管理する資産となるためにメイルを犯すことはむしろ奨励される。

メイルは人ではなく、獣人の中でも最低最悪の立場に落とされ、そして死ぬまで苦しみ続けるのだ。


「嫌ぁぁッッッッ、いやぁぁぁあああああッッッッッ!!!!!!!!! 拓也ぁぁぁあああッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」


視界が滲む。畜生。メイルは畜生なんかじゃない。

獣人をそんな扱いにするのは間違っている。

俺は自分の家である木造の質素な一軒家の扉に手を掛け開ける。

途端に食欲を刺激する滅茶苦茶美味そうな臭いが漂ってくる。

そして――


「おかえりなさーい、拓也ぁ」


飛びつくように俺の首に抱きついてくるメイル。

その顔は満面の笑み。

そのまま、俺の腕に自らの腕を絡ませ家の中に招き入れる。


「一生懸命作ったんだよ、一緒に食べよっ♪ もー、お腹ペコペコだよー」


彼女はフラワーセパレートの上にどこから調達したのか花柄のエプロンを掛けていた。


「遅れてごめんな、ディアスさんと一緒に事務手続きをしてたんだ」


「……拓哉、泣いてるの? 転んじゃった?」


ああ、そうか。

帰り道に獣人がこの世界で受けている仕打ち、境遇などにメイルを重ねてしまって感情移入しちゃったからな。

俺は軽く涙を拭いながら心配させないように明るい声で答えた。


「おかえり、そしてただいま」


ぱぁっ、と花開くようにメイルの笑顔が弾け俺の胸に飛び込んでくる。


「おかえりなさい! 拓哉ぁっ!」


………………


アークガルド中央庁。

だが。

俺は勝負に負けたからといって諦めたりしない。

もう一度、勝負を無理やり再開させるのがマイポリシーなんだ。


「なあ、JJ-19。確かにシステムが決めることは大事だし、それは正しい事は俺にも分かるよ」


JJ-19は無反応。


「でもさ、正しいことが常に正しいとは限らないんじゃないかな」


微かに、瞳ユニットが瞬いたのを俺は見逃さなかった。

俺が発した非論理的言葉により微かに生まれたゆらぎ、動揺を。

そして、ここで切り札を切る。


「なあ、ロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルさん。

俺は別にメイルを何が何でも人間として認めて欲しいと要求しているわけじゃあないんだ」


JJ-19の瞳が、いや、ロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルの大きな瞳に再び蒼色が灯る。

彼女は左右対称の長いツインテール状の髪型ユニットを無意味に撫でる。

その蒼い瞳の下方には微かに桜色の色彩変化が見られた。

やっぱりだ。このシステムセクレタリーは自らの正式な識別名に何故かこだわりを持っている。

その長い識別名をきちんと呼んで欲しくてたまらないんだ。

それも、いざ名前を呼ばれると照れてしまうほどに。

論理的思考のシステムセクレタリーが照れる。勿論、そんなことはありえない。

だが、それを言うならばメイルだって獣人にしてはありえない程の能力を持っている。

ありえない獣人であるメイルの事をありえないシステムセクレタリーが担当した。

これを奇跡と呼ばずしてなんと言おうか。


「その髪、長くてスラっとして綺麗ですね」


俺のその言葉と同時にロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルは弾かれたようにこちらを見、そして身体をくねらせながら瞳ユニットを瞬かせる。

勿論、これは半分お世辞だが半分は本心だ。

無機質で硬質かとおもいきや微かにやわらかみのある曲線で構成されているその造形の美は惜しみのない称賛を与えてもまだ足りないほどに素晴らしいと嘘偽りなく思っている。


「そ、そオ? と、とりあえずありがとうと言っておくワ」


口調までややおかしくなってしまったロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルは掌をひらひらと動かしながら視線を反らす。


「本当です。瞳もぱっちりとして大きくて蒼い輝きが素敵です」


こんどこそ、顔全体が桜色に染められたみたいにロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルは赤面した。

よし、ここだ。


「他ならぬロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルさんにお願いがあるんですけど」



…………………………


テーブルの上は正に豪華絢爛、その言葉が似合うほどに『凄まじ』かった。

赤、緑、黄色、橙、蒼の色彩が煌めく。

外側はこんがりと焼き目がバッチリ香ばしい匂いを立ち昇らせ、内側は原初の食欲を刺激する様な紅宝石の如き鮮やかなミディアムレアのド厚いガルド肉がじゅうじゅうと肉汁を吹き出し、

自らの油と混じりぱちぱちと熱々の鉄板の上で弾け踊る音色が奏でられる。

真っ白な皿の上にまるで花びらのように盛り付けられているのは蒸し焼き肉の薄切り身。塩コショウのみを振りかけられたその姿は素材その物の味を存分に味わってくれと言わんばかりに映る。

ざくざくと分厚く切り落とした肉塊をそのまま一列に串刺しにし大皿にピラミッド状に盛り付ける。そしてその上から様々なタレが振りかけられた熱々の串焼き肉達。

楕円形の形に固められた合い挽き肉は切り分けられたその切り口からあふれんばかりの肉汁を滴らせ、その十分に焦げ目がついた表面はたっぷりとした脂が浮きキラキラと輝いている。

肉、肉、肉。正に肉の絨毯爆撃を喰らったのようなその光景は、草食動物に取っては悪夢のような食卓になっていた。

だが、しかし。

幸いなことに俺は、肉が大好物な肉食系だった。


ナイフで切り分けた肉塊をフォークで突き刺す。

たった、それだけでぶわっと肉汁が溢れる様はもう、なんというか、なんとも言えなく。

俺は夢中でそれを口に運んだ。


「!?」


ちょっと待て。

待ってくれよ。おい。

これはないだろう。

いくらなんでも。


「肉が溶けたッッッッッ!!!????」


一口ほお張ったその肉は、まるで唇の弾力だけでも『踏み』切れそうな程に柔らかく、『踏み』締めたその瞬間に大量の肉汁と油が。

香ばしさ、甘さ、酸味、全てが合わさったかのような至高としか表現できない肉汁が弾け、口内に充満する。

そして、次の瞬間には蕩けるような感触と共に赤身と脂身が絶妙の加減で混ざり、究極の火加減で焼きあげられ完成された絶品肉が魔法のように掻き消える。

気がついたら俺は一皿まるまる平らげていた。

なんというか、狐につままれたようだ。いや、メイルは狐じゃないけど。

その後も、俺は次々に饗される本物のご馳走を次から次へと平らげ続ける。

まるで、手と口を動かすだけのグルメマスィーンのように。

そして、そんな俺をメイルはニコニコと嬉しそうに見つめ、ふかふかの尻尾を左右にピコピコと揺らしていた。


………………


「ふぅ…………食った食った」


数分後、食卓の上の肉をあらかた片付けた俺はこれ以上ないくらいに満足な余韻に浸っていた。


「はい、ソーダ水」


そして、せっせと後片付けをしているメイルは俺へのさりげない気配りも忘れない。


「サンキュー」


口内を程よい爽快感が駆け抜ける。

本当は俺も後片付けをしようと申し出たのだがメイルに拒否されたのだ。

『いーの、拓也は座ってて』『いや、俺がほとんど喰ったんだし』『私がしたいの。ね。いいからいいから』

そんなやり取りの末に。

正直、腹が膨れすぎて動くのも億劫だった俺はおとなしく甘えることにした。

しかし、この料理は……まさかな。


………………


「ふぅ……お粗末さまでした♪」


メイルが食事の後片付けをようやく終わらせ食卓の椅子に腰を落とす。

その手には小さなガラス食器が持たれていた。


コトッ


「食後のスイーツ。お肉と合うフルーツを合わせてみました」


差し出された食器には四角く切り分けられた色とりどりの半透明のゼリーが納められていた。

一組みの可愛いペアフォークを添えて。


「私も頂いちゃうね? いいでしょ?」


「いいも悪いもメイルが作ったもんなんだから、俺はどうぞどうぞと言うしかないぞ?」


俺がそのゼリーを口に運びながら応える……むぅ、良い感じの酸味が爽やかだ。パイン系? それともキウィ系か?


「だって私は拓也のパートナーですからね。緊急時以外は拓也に従う義務があるのです。うんおいしっ♪」


黄金色のゼリーを口に頬張りながらメイルがウィンクする。


……………………


パートナー。

主人に雇われて付き従うだけの存在ではなく自らの意思で判断し、行動することが許された存在。

ダンジョン攻略などの戦闘行為が付属する危険な任務に連れて行く為の特別な獣人職種。

パートナーであるプレイヤーの生命を預っている為にその権限は非常に大きく、場面によってはプレイヤーを凌ぐ事も有り得る。

パートナーの意識がない場合は人間に代わってその権限を使い、判断し、選択することが許されている特務獣人職種。

その特権の一つとして事後承諾がある。所謂、後付の各種許認可や権限の譲渡、緊急判断の行使などだ。

生命が懸かっている非常時にいちいち、各種権限の譲渡や許認可の手続きなどを行うのは現実的で無い為、予めフリーハンドを与えて置き、後でまとめて権利関係の精算手続きをすると言うわけだ。


俺は街道警ら隊の隊長――ディアスに連絡を取って、先ほどのウツロ野営地での男との戦闘行為中にメイルをパートナーにしていたと主張した。

つまり、無所属のメイルを発見しパートナーに登録している最中に男に襲われて、登録行為が中断されてしまったと。

その後、男の攻撃により俺は意識混濁となり全ての判断をパートナーであるメイルに託した。

メイルは俺の休息の妨げになると判断してアークガルドに入る前にパートナーの登録作業を完了させなかった。

律儀に庁舎まで駆けつけてくれたディアスは自分達が駆けつけた時には俺は既に意識混濁で自らの判断が下せない状態だと証言してくれた。

つまり、自己での判断が不可能なのは自明であり、パートナーであるメイルに全ての権限を移譲していたのは極めて妥当な判断だと。

そして、PK犯罪者に襲われている最中にパートナーの登録作業を行うのは無理だ、とまで言ってくれた。


これは実はかなりのおまけだ。

ディアスが駆けつけた時には俺は意識朦朧としていたが、一応意識があり会話をしていたのだから。

それなのに、ディアスは意識混濁といってくれた。

これはパートナーによる権限譲渡の後発動条件に含まれる。


だが、それでも既に所有組織と配属先が決定されてしまったメイルを俺のパートナーに再設定する事は|法『ルール』の遡及適用に当たり、担当システムセクレタリーの許可が必要である。

論理的存在のシステムセクレタリーが今までそれを認めた例は皆無に等しい。

しかし、ロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルは許可してくれた。

その瞬間、ライド森に向かう労務獣人の檻の中からメイルは助けだされ、すぐさまパートナーである俺の自宅があるアークガルドへと移送された。

それについては俺は土下座せんばかりにディアスとロドッセル・ジュノー・フィアツェーンテス・ハイツレギスタ・フュルスティン・フォン・フリューゲルに頭を下げてお礼を言った。

そして俺が炊きつけたのは事実だが、一応、本当の許認可理由を彼女に聞いてみた。

彼女は答えの代わりに頬ユニットを桜色に微かに染めた。


……………………


「メイル、もしかして調理器具(クッキングツール)使って『ない』?」


俺の疑問にメイルはきょとんとした顔をした。


調理器具(クッキングツール)ってなあに?」


小首をかしげ、狐耳をピコピコと小刻みに動かすメイル。うう、可愛い。萌え死にそうだ。


「えっと、んー口で説明するよりも。実際にやってみせるのがてっとり早いかな」


俺はキッチンに向かい小型の菓子焼き器を取り出す。

ハンドモーションで菓子焼き器のクッキングウィンドウを呼び出し付帯(オプション)機能をオンにする。


「んと、クッキーをおまかせモードで」


お菓子の調理設定は項目が非常に多く色々と煩雑で結構めんどくさいので音声認識で全て丸投げする。

そして、俺はクッキンウィンドウに表示された必要材料を確認し用意した。

貝のように鉄板に被せられている菓子焼き器の上蓋を開いて、鉄板の上にバター、砂糖、卵、小麦粉等を適当に投入する。

鉄板がまるで魔法の様に材料を次々と吸い込み消す。

ちなみに安全装置(セイフティ)もバッチリだから間違って鉄板に触ってしまっても手が消えてしまうなんて事態は起こらない。

そして、上蓋を閉じて三分後。


ピピッ、ピピッ、ピピッ


小鳥がさえずるようなアラーム音が鳴り、調理が完成したことを知らせてくれる。


「わぁ……すごい」


メイルが両手を口元に充てながら眼をまんまるくする。

上蓋を開けた瞬間にクッキーの香ばしくもほんのり甘い香りがふわっと広がる。

菓子焼き器の中にはこんがりときつね色に焼けたまんまるのクッキーがいくつも完成していた。


「ほえー、便利だねー」


素直な感嘆の言葉を口にするメイル。


「でもこんなにすぐできちゃうんじゃ、愛情を込める時間がないね。えへへ」


メイルがクッキーをひょいと摘んで口に入れる。


「料理ってね。ただ、食材を調理するだけじゃないんだよ。

食べてくれる人を想って。喜んでくれることを願って。

そして、おいしいねって笑顔になってくれることを思い浮かべて作るから楽しいし、だからこそ美味しく出来るんだと思う。

うん」


そこで俺は大事なことを忘れていた事に今更ながら気づいた。

俺はメイルに改まり、姿勢を正す。


「ん?……えっ……えっ?」


只事ではない俺の雰囲気に飲まれ、眼を白黒させるメイル。

そして俺は深々と頭を下げながらその言葉を口にした。


「ご馳走様。すっっっっっっっっっっっっっっっげぇ美味かった。ありがとうな、メイル」


一瞬、きょとんとした後にメイルがゆっくりと微笑み、それはやがて満面の笑みへと変わる。


「うんっ。よかったー。えっと、こちらこそこれからよろしくおねがいしますっ」


そして、メイルが頭を下げ、頭を戻した俺がそれを見て又、頭を下げ、メイルももう一度。

互いに頭を下げ合う図はなんだか奇妙でおかしくて、やがてどちらからともなく笑い声が巻き起こる。

二人共、涙が滲むまで思う存分笑いあう。


……………………


何気なく冷蔵庫を開けて俺は言葉を失った。

いや、むしろなるべくしてなったと言うべきか。


「まぁ、あの肉の絨毯爆撃を実行するには大量の食材が必要だよなー」


冷蔵庫はほぼ空になっていた。

あう、一ヶ月分の食材の備蓄が。


「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。だって、だって。お祝いしたかったんだもん」


メイルが申し訳なさそうに何度も謝る。

ぺたりと閉じた狐耳と力なく垂れ下がった尻尾もその内心を示していた。


「い、いや、ほとんど俺が平らげたんだから全然問題ないんだけど……お祝いってなんのお祝い?」


「それは勿論、拓也と一緒に過ごした今日という日に」


満面の笑みで言い切るメイル。


「そして、勿論明日もお祝いだよ?」


むー、ま、お金に関してはRubyに卸した金銀鉱石の代金がいっぱいあるから全然問題ないんだけど、むしろ俺の胃の方が問題というか。

だが。


「明日はお祝いをするのはやめておいたほうがいいかな」


「なんで?」


小首をかしげるメイル。


「だって、明日は基幹祭メインステイ・カーニバルだから。俺たち二人だけじゃなくてこのアークガルドの街全員で盛大にお祝いするからな。

どうせお祝いするならみんなで大勢で祝ったほうが楽しいだろ?」


「わー、すっごい楽しそう。ねっねっ、どんなことするの?」


眼をキラキラ輝かせて、尻尾をぶんぶん振りながらメイルが掌を合わせながら聞いてくる。


「へへ、それは明日のお楽しみ」


「むー、拓也は優しくて頼りになると思っていたけど、意外に意地悪なところもあります」


可愛く拗ねる。


「ははっ、幻滅した?」


「ううん、そういうところも好きになっちゃったかもです♪」


メイルが首筋に抱きついてくる。


………………………


「私は拓也のパートナーなんですよね」


風呂あがりの棒アイス(BIGスイカバー)をシャクシャクとかじりながらメイルが口を開く。

勿論、お風呂は別々に入ったことは言うまでもない。紳士ですから。


「うん、本当は人間として登録するように掛け合ったんだけど……ごめんな。

あ、でも権限としては目一杯に人間と同じようになるように設定してあるから不便なく生活できると思う」


「あ、えっと。そういうことじゃなくてですね。んー。やっぱいいです」



「私は拓也のパートナー……うん」


なんだか一人で頷き、にやにやとしている。

そして、そっと呟く。

だいすき、と。



………………………


「拓也、ほら、スペースあるから一緒に寝よ?」


「いや、それは流石にまずいって」


灯りを消した室内。

窓からは月明かりが差し込みうっすらと室内を照らしている。

メイルはベッドの上。

俺は床の上に毛布を敷き、まるめた布を枕にしていた。

そして、メイルはこの状況にご立腹らしい。


「拓也は病み上がりなんだからだめだよ。

じゃ、私が床で寝るから拓也はベッドに上がって?」


「いやいや、それも男として駄目だ。大丈夫だって、冒険者たるもの床で寝ることぐらい全然、問題ない」


ま、まぁ、多少背骨とか腰骨がゴリゴリして痛い事は無視する事にする。

ふふん、俺の意志は堅いぜぇ?

例えどんなことがあっても俺は女の子を床に寝かしたりしないし、出会ったばかりの女の子とその日の内にベッドインなんて非紳士的行為なぞするつもりも覚悟もないのだ。

だが。


「そんなに……嫌なの?」


その瞳が潤み、声音が湿ったものに変わった。

それは、その攻撃はずるいぞメイル。ギリギリアウトで済んだから良かったが。


「それとも私が……人間じゃないから?

獣臭いから、一緒のベッドに入りたくもないの?」


一瞬、胸が締め付けられる思いが襲った。

その言葉は、幻想でも幻痛でもなく、ズキリと現実の痛みへと姿を変え俺の胸を突いた。

冗談めかそうとして冗談じゃすまなくなった言葉。

自我が人間なのに外見が獣人で、周りの評価もそれと同等である現実。

それは助けを求める手、救いを求める眼。

こちらを見つめるその顔は。

なんだかとても寂しげで。

伏せられた耳は悲しげで。

揺れる尻尾は不安気で。

震える肩も小刻みに。

切なげな瞳は伏せ気味で。

薄闇に浮かぶ銀月は。

なんだか今にも落ちそうで。

俺の答えは決まっていた。


………………………


「……………」


「…………♪」


腕を絡ませてくるメイル。

いやいや、それはまずい。

とっさに振り払おうとして、その紅玉の様な瞳。薄闇の中でまんまるになった瞳孔と目が合ってしまった。

まるで捨てられそうな子猫のような瞳で。

うう、これは、身動きできない。


「♪」


俺が振り払わない事を確認するとメイルは安心して腕に顔を擦り付けてくる。

待て待て、俺は抱きまくらじゃないぞ、メイルよ。

……据え膳? おいおいここは冷静に考えようじゃあないか。羊が一匹、羊が、いやこれはなんか違うぞ。

そして、俺が一人で錯乱している隙に隣からは規則正しい息遣いが聞こえてきた。

メイルは、寝ていた。

安心したように笑みを浮かべて。すうすうと。

途端に気が抜ける。ははっ。

そして、そのシルクのような髪を流れに沿って撫でてやる。


「う………ん」


気持ちよさそうに更に俺の腕に顔を擦り付けてくる。

そのメイルの、安心しきった幸せそうな寝顔を見ながら俺も又、眠り、に…………

泣いて、笑って、食べて、寝……る。

今日……は、いろんなことが…………い………っぺんに、来……………

明……日は、も…………っ

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