一 始まりの街 アークガルド
五年ぐらい前に書いていた小説が見つかったので供養の意味を込めてうpします。
まず間違いなく完結しませんし、続きはもう永遠に書かないと思います。
それでもよろしければ。
剣を掲げた女が楽園に降り立つ。
楽園に咲く一輪の花は憤怒に手折られ。
赤き罪が楽園を覆う。
少年は楽園に囚われ、少女は紅く染まり続ける。
赤濡れる花弁は枯れ落ちても、その幻影は永遠に。
時の軛に磔られしその亡骸は真の名にて扉となる。
そして、少年は運命の輪に絡め取られる。
血塗られた歯車となり。
さらなる悲劇をすり潰し。
あくなき生命を食い殺し。
すべての想いを踏み倒し。
唯一度の奇跡を願い。
唯一度の悔恨を想い。
唯一度の勝利を厭い。
少年は歩き続ける。
たとえそれが輝かしい『英雄の道』であろうとも少年はその道を進まざるをえない。
立ち止まれば死。振り返れば死。引き返せば死。そしてその先にあるのもまた死、なのだろうか?
だが、それでも少年は歩く。歩かざるを得ない。
少年は己の心に巣食った『性』故に『楽園』で苦しむ。苦しみ続ける。
少年は輝かしい『英雄の道』を血の涙を流しながら、歯を食い縛りながら、涙で顔を濡らしながら進む。進まなければならない。
残酷な事に、ね。
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――先程までは確かに此処に有った。
人々の笑いさざめく空間が。
楽しげに、談笑する人達が。
平凡なそして平和な一時が。
一瞬前までは確かに有ったんだ。
確かに。
俺の目に地面を走る何本もの黒き陽炎が映る。
それは漆黒の稲光を纏わせながら幾何学状に広がり進む。
次の瞬間、視界の全てが紅く染まる。
大地を歪ませる激震と大気を引き裂く轟音が同時に続く。
地面を疾走る漆黒の稲妻が赤黒く揺らめく。
己を遮る全てのものに―――
己に触れた全てのものを―――
己を見下ろす全てのものへ―――
等しく<赤ノ断罪>が下される。
天昇る真紅の炎柱が地を這う漆黒の稲妻から産まれ昇る。
人々の命の灯火を糧にしながら。
轟々と渦巻く炎に包まれる洒落たカフェテラス。
通り沿いに立ち並ぶ種々雑多な品物を扱う屋台や露天が次々と消し飛ぶ。
異国情緒あふれるエスニックレストランが燃え崩れる。
石造りの堅牢な聖堂ですら一瞬で紅に染まりその青碧美麗なステンドグラスが飴の様に溶け落ちる。
恋人同士の愛の語らいも、朴訥な青年の勇気を振り絞った告白の一言も、身寄りのない幼き姉弟の生命も。
身体を売る女も、一人ぼっちの独身男も、歌を亡くした歌姫までも。
全てが天と地を穿つ無慈悲な雷炎によって灰塵に帰す。
大勢の人々の怒号と悲鳴が響き渡る。
必死に愛する人の名前を叫ぶ悲痛な声。
泣きわめき、泣きじゃくる幼き声。
親は子を、子は親を半狂乱になって呼び求める。
苦痛の声を、怨嗟の声を、怒りの声を上げ続ける。
目の前の友人が、恋人が、肉親が灼熱の炎の舌に巻かれ縊り殺される。
もうもうと天を衝くように立ち上る黒煙。
建物が崩れ落ち、大量の火の粉と猛煙が巻き上がる。
そして、目の前で更なる怪異が実を結ぶ。
地を這い、触れるもの全てを灰と化す黒き稲妻。
暴虐の限りを尽くすその漆黒の死神が渦を巻くように収斂する。
同心円上に幾重にも黒が重ねられる。
黒は黒で塗りつぶされ漆黒と成り、漆黒は暗黒の子宮を成し、忌まわしき産道より昏き闇が生まれる―――
闇は歓喜の産声を上げ、宙を侵蝕し巨大な竜躯を形作る。
「悪夢級第一種警戒災害『赤ノ断罪』
竜種であって竜種じゃない超越種」
その声は微かに強張り、俺の手を強く握り締めている<彼女>の手は小刻みに震えていた。
五日前――
カキィィィンッッッ!!!!
高く澄んだ音が空を駆ける。
同時に辺りの地面をのんびりとついばんでいた小鳥達が一斉に空に飛び立つ。
……どうやら突然の音に驚いてしまったようだ。
音を立ててしまった張本人である男は手にした採掘用のピッケルを手にしながら軽く苦笑いを浮かべた。
顔立ちは若い、というよりかは青年と少年の中間と表現したほうがしっくり来るだろう。
何故なら彼はれっきとした高校二年生になっていた筈なのだから。
表現が『筈』になっているのには理由がある。
彼、神代拓也は高校に入学した初日の夜から今日までおよそ一年間もの間、
ヴァーチャル・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム――所謂VRMMOにログインしたままで一度足りともログアウトをしていないのだから。
つまり高校には入学式の日しか登校しておらずそんな生徒がニ学年に進学できる筈が無いという訳である。
と、いっても彼は別にゲーム中毒でも廃人でも現実逃避者でも無い。
好き好んで不登校生徒を演じてゲーム漬けの日々を過ごしている訳では決して無い。
彼は高校に登校しようとしても出来ないのである。
何故ならば。
このVRMMOにはログアウトボタンが実装されていなかったのだから――
仮想世界でログアウト不能になってしまった彼と同じ立場の哀れな犠牲者はこの仮想世界におよそ数万人程存在していた。
パラメーター
ステータス:良好
プレイヤー名:神代拓也
種族 人間
所属組織無所属
基本レベル 01
適用戦闘技能 剣士 LV01
習得戦闘技能 無し
習得生産技能 無し
習得採集技能 採掘 LV29
KILL COUNT 0
EXP0
各地に点在する始まりの街の一つである『アークガルド』からほど近い丘の上に存在する採掘場で俺は日課の採掘をしていた。
眼下には森の中を流れる幾つかの小川と草原、そして両者に挟まれる感じでアークガルドの街が存在している。
北に伸びる北アークガルド街道を北上すれば『燃える湖』で有名なガルド湖、南に伸びる南アークガルド街道を南下すれば街道警備隊の詰所兼砦である南ガルド野営地がある。
可もなく不可もなく、正に始まりの街にふさわしい絶妙な位置取り、設定といえよう。
近くに木材が豊富に取れる街付属の伐採場があるお陰でアークガルドには比較的、木造建築物が多い。
だが、聖堂や教会、公会堂といった大掛かりな建築物は流石に木材ではなく良質な石材と多彩な建築素材によって壮麗な建築技法の粋を凝らして建造されている。
素朴な木材の屋根や赤茶けたレンガの工房、細長い尖塔や入り口を彩るアーチなどにまぎれて北中央通りには簡素な形式の屋台までもが幾つもの店を開いている。
なんというか古今東西の建物をごった煮にしたような良く言えば賑やか、悪く言えば少々節操が無いその街には大勢の人達の姿が見えており非常に活気に満ちていた。
中央に聳える白一色の建物群を除いて、だが。
カキィィィンッッッ!!!!
俺はもう一度視線を戻すと手にしたピッケルを眼前に鎮座する鉄鉱床に振り下ろす。
先程と同じく澄んだ音が辺りに鳴り響き、細かい破片が周囲に散らばると同時に『SUCCESS!!』の文字が表示される。
同時に足元にごろりとこぶし大の鉄原石が出現する。
眼前の鉄鉱床がゆっくりと消滅する。どうやら採掘限度回数を越えてしまったようだ。
俺はその鉄原石をインベントリカードに収納する。
インベントリカード――命令により物を自由に出し入れできるカード。いわゆるどこでもポケットと言うべきか。
だが、出し入れできる対象は武具や道具、薬品類で食材や生き物などは出し入れできない。
「カードインッ」
インベントリカードを鉄原石に当てながら命令を唱えるとごつごつとした鉄原石の輪郭がまるで砂のように崩れていく。
あっという間に鉄原石は光の粒子に変換され、インベントリカードに吸い込まれていく。
そして、カードには先程まで表示されてなかった鉄原石のアイコンが増えていた。
正直、この便利なカードが無かったら採掘士をやってなかったといっても過言ではない。
だって、背鞄いっぱいにくそ重い原石を詰め込んで歩くなんて無理無理、そんなん無理です。
そんな訳で俺、神代拓也はこのログアウト不可能な仮想ゲーム世界に閉じ込められておよそ一年が過ぎた訳だ。
え?
一年が過ぎた割りには剣士のレベルが01なのはおかしいって?
BATTLE EXPが0なのはおかしいって?
だって。
だってさ。
この始まりの街『アークガルド』の周辺にいる低レベルのモンスターって森の可愛い動物達しかいないんですもの。
いやいや、正直無理でしょ?
近づくだけでおっきな耳をピコピコしながら近づいてくるうさぎさんとか。
体をすりすりしてくる猫ちゃんとか、尻尾をぶんぶん振り回してくる犬さんとか殺せる訳ねぇだろうぉぉぉぉおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!!!
そりゃあ、そりゃあね、俺も努力した訳ですよ?
こいつらはただの敵モンスター、ただのAIだってね。
大枚はたいてロングソードとか買ってみたりした訳ですよ?
……うん、無理。無理無理。絶対無理。
俺には無理でした。
そんな訳で俺はセカンドチョイスとして採掘士っつぅ地味目な職業を生業にして今まで生きてきた訳ですよ。
貯金は殆どできないけど採掘した原石類を売り払えばなんとかその日一日を暮らせるくらいのゲーム内収入は確保できる訳ですよ。
まぁ、廃人さんや廃神さま達が必死こいてゲームクリアを目指しているみたいだからその人たちが何とかしてくれるでしょってな他力本願な私だった訳ですがその目論見は甘かった。
第一階層に存在するボス城の攻略に取り掛かった有力ギルドが次々と全滅の憂き目にあった。
その後に行われた複数ギルドによる数度の合同大規模攻略作戦の失敗を経て、今に至るまで空に浮かぶ壮麗豪奢なボス城『ヴァン・ケインハルツ』に挑んだギルドは存在しない。
噂ではまだ諦めていないギルドやパーティが複数存在しているみたいだが怪しい物だ。
何しろ、このゲームはゲーム内で死亡すると現実世界でも死んでしまう死亡遊戯なのだから。そうそう無茶な攻略は出来ない(この情報はゲーム内ヘルプにしっかり書いてあった)
当初、その事実を受け入れ(られ)ないプレイヤーも存在した。
死ねばログアウトできるだろ、とわざと死亡したプレイヤーはそのまま消滅してそれっきりだった。
その現象については
「やっぱり強制ログアウトになったんだ」「ゲーム内ヘルプはただのハッタリだ」「おろおろしている俺達を見て運営は笑っているんだ」
「ゲーム内サプライズイベントだ」「て、いうかゲームで死んだら本当に死ぬとかありえない」
という意見も多く出された。
同時に。
「俺はゲーム内ヘルプを信じる」「自殺したプレイヤーがログアウト出来たなら助けが来るはず、なのに未だに助けは来ていない。この事実が答えだ」
「ラスボスを倒せば出られるんじゃないか?」「もし、ゲーム内の死が本当ならば軽々しく死ぬべきではない。取り返しがつかなくなる」「テロか事故じゃないのか?」
そのまま死亡派とログアウト成功派とで激しい議論が交わされたが満足な結論は出なかった。
結局の所、俺たちプレイヤーにログアウト成功を確かめる術がない時点で推論、推測の域を出なかったのである。
しばらくしてから死亡を試すプレイヤーはパタリといなくなった。
そりゃそうだ、わざと死ねばログアウトできるかもしれない、だが本当に死ぬかもしれない。
そんな現象を目の前にしたら普通の人間ならそれを試すことなど出来はしない。
いわば、死後の世界があるかもしれないから一回死んで試してみようぜ、と言われているに等しい。
そして、わざと死んだプレイヤーも含めて多くのプレイヤーが死亡したにも関わらず俺たちは相変わらずこの仮想世界に閉じ込められたままだ。
この事実の積み重ねこそがこの世界が死亡遊戯であるとの証左にほかならない。
俺たちプレイヤーはその事実を信じざるを得なかった。
――アークガルド 雑貨店『アイソー』
「ちぃーす」
「あら、いらっしゃい」
落ち着いた挨拶を俺に返してきたのはこの店の店主、偽神楽美羽だ。
まるで冗談みたいな苗字だが偽名じゃないらしい。
なんでも実家はなんとかいう神社らしいのでその方面からきた面白苗字だそうだ。
ゆったりとした白のニットワンピースを身に着けている美羽は丁度、店内の清掃をしていたみたいだ。
椅子の上に立ちながらカウンター上部に備え付けられている棚の清掃をしている。
首から上は棚に隠れて見えない状態で美羽はせっせと胸、いや腕を左右に動かしていた。
ニット系の生地を通してその胸元がユッサユッサと揺れるのがなんとも扇情的で嫌でも目がそこに行ってしまう。
「ごめんなさいね、これでおしまいだから……もう少しだけ待って頂戴ね」
美羽は少しだけ済まなさそうな声を出した。
「なんというか、美羽はきれい好きだよな」
意図的に『それ』から目を外しながら俺は店内の様子に目をやる。
小型のコテージの様な店内は手入れが行き届いており、ホコリ一つ落ちていない。
「そう?」
「ああ、なんか俺が来る度に掃除してるしな」
「あら、それは暗にうちの店が流行ってないって言っているのかしら?」
微かに言葉の中にトゲを混じらせる美羽。勿論それはあま噛みに近いものだったが。
「あ、いや、そういうつもりはだな」
「冗談よ。はいっ、お待たせしました」
美羽が棚の影からひょいっと顔を出す。
ずり下げ眼鏡のその奥にはいつもどおりの穏やかな瞳が覗いていた。
美羽も俺と同じくリタイア組だ。と、いっても俺みたいに中途半端なリタイアではなく美羽のリタイアは徹底していた。
俺達がこの世界に閉じ込められた始まりの日。
異常事態が徐々に知れ渡ってきたあの時も美羽は街から一歩も出ずに如何に自らの身の安全を図るかを念頭に行動をしたのである。
他のプレイヤーが闇雲に突進し、生命を落としていくのを横目に美羽は街の中で商品や情報を売買し、生産スキルを鍛え、加工品を売り金策に励んだのである。
そして、このお店を構えて現在に至ると言う訳だ。
見た目の柔らかい印象に反して非常に現実的で思慮深いその能力は俺も一目置いている。と、いうか頼りにしている。
んで、今日は美羽のその生産スキルに用がありこの店に来た次第だ。
「カードアウトッ」
俺がインベントリカードのアイコンに指で触れながら命令を唱えると目の前のテーブルに鉄原石が数多く出現する。
「これだけあれば足りるか?」
「うーん、足りることは足りると思うわ」
その声は若干、歯切れが悪い。
「ん?」
「材料は足りているのだけれど、私の生産スキルが足りないみたいなの」
「まじ? 鉄器作成スキル20でも無理なんかよ……」
「……21よ」
美羽は軽く唇を噛む。
請け負うべき仕事と自らの能力の把握。
彼女にしては珍しく見誤ったらしい。
「参ったな、美羽でも作成が無理だったらもうこの街じゃ手に入らないな……」
俺は美羽に作成してもらおうとしていた鉄ピッケルを思い浮かべて肩を落とす。
この街でピッケルや伐採斧などの鉄器作成スキルが一番高いのは俺が知っている限りでは美羽だ。
その美羽が作成できないのであればこれは諦めるしか無い。
採掘はスキルやPSも必要だが一番重要なのはピッケルの質だ。
良質のピッケル、より上位クラスのピッケルを使う事によって採掘効率は飛躍的に上昇する。
今現在俺が使用している銅ピッケルよりは鉄を使ったほうが様々な点で有利なのである。
それはすなわちお金儲けの効率に直結するのだ……出来れば俺も一度ぐらいはアークガルド牛のサーロインステーキが食いたいです。
正直、他の街の工房に行けば鉄ピッケルは売っているかも知れないが初見の俺はまず間違いなくふっかけられると思う。
そして、俺のトークスキルと懐具合では非常に勝算が低いと判断せざるを得ない。
なので今の俺には結局、馴染みである美羽に頼るしか手が無い訳だ。
「じゃあ、しょうがないな。その鉄原石は預けておくから鉄ピッケルが作れるようになったら作っといてくれよ。
別に急ぎじゃないし、のんびりと待ってるさ」
「了解。本当、ごめんなさいね」
客の期待に答えられなかった事に負い目を感じているのか、美羽が済まなさそうな瞳を送ってきた。
そっか、客商売は信用第一だもんな。
「いや、いーって、そもそも俺が押し切って無理やり頼んだみたいだからな。美羽が気にすることじゃないって」
「……ありがと」
「じゃなー」
「はい、ありがとうございました」
深々とお辞儀する美羽を背に俺は『アイソー』を後にした。
――アークガルド中央通り
昼下がりの賑やかな中央通りで適当に屋台なんぞで買い食いしながら歩いていた俺の目に真新しい雑貨店の看板が入ってきた。
あれ、こんなとこに雑貨屋なんてあったっけ?
看板には黒猫が可愛くウィンクしているデフォルメ絵と『Ruby』の装飾文字が描かれている。
俺はなんとは無しにその店に足を踏み入れた。
店の中はシックな雰囲気に華美でない程度の装飾が為されていて自然な高級感が醸しだされていた。
品ぞろえも豊富で値段もまずまず。店内も広くて従業員も大勢いる様子は最早雑貨店というよりかは高級百貨店の印象を受ける。
いやー、人事ながら美羽の店が心配になってきたぞ。
ただ、女性従業員に猫耳のカチューシャと尻尾のアクセサリーを付けさせているのはなんだか『そういう』店なんじゃないかと勘違いしそうでドキドキしてしまった。落ち着け俺。
そんな感じで入り口で店内の様子を観察していると従業員の一人がこちらによってきた。
「いらっしゃいませぇ、よぉうこそ雑貨具の殿堂『Ruby』へぇ。
日用品から殺戮道具までなんでもぉ幅広くがモットーのぉ当店をよろしくお願いしますぅ。
では神代様ぁ、こちらへどうぞぉ~」
多少、舌っ足らずな発音で話しかけてきた子は黒を基調にした所謂ファッションメイド服を可愛く身に着けていた。
胸元から袖口、短いスカートの裾にはふりふりのフリルがあしらわれており非常に華やかで可愛らしい印象を見る者に与える。
浅黒の肌とくりくりっとした大きめの瞳、ショートヘアーの上にはぴこぴこ動く猫耳のカチューシャが……って、これ本物の猫耳だッッッ!?
彼女はPCではない所謂NPCであるNPC獣人だった。
NPC獣人――人間であるプレイヤーや様々な組織、街の統合基幹システム等に使役される存在。知能や感情表現のレベルが人間よりある程度落とされている。
その名のとおりに獣と人の特徴を併せ持っており街ごとにだいたいの生息地が決められている。
獣人自体には人間と同じ様な人としての権利は保証されていない。
なので街中などのPK禁止エリアで獣人を叩き斬ってもシステムが定める人権侵害による罪状は適用されない。
が、獣人を使役している組織や団体、ギルドなどは獣人を自分の所属組織の人員として登録しているので所属組織が定める独自の人権侵害罪が適用される。
そこが曲者で、小さな力の無い組織に属している獣人の権利はそれに比例して小さくなり、逆に大きな組織に所属している獣人は組織内の階級によっては下手な人間よりも手厚く保護されている事もある。
何れにしても荷役作業や配達作業といった力仕事、街の受付や基礎道具店などの店番、治安維持の為の警邏作業、各街間の物流システムの維持等等、この世界の維持には無くてはならない存在であろう。
ちなみに『アークガルド』に生息しているNPC獣人は小鬼と大鬼という夢も希望も無い獣人達である。
だから俺は猫娘の獣人を見るのは初めてだったりする。
彼女の後についていきながら俺はピコピコ動く猫耳とふりふり動く尻尾をから目が離せなかった……べ、別にいやらしい気持ちで見ているワケじゃないんだからねっ。
黒猫メイド娘は店の奥へと続く豪華そうな扉を幾つか開けて一番奥にある部屋に俺を招き入れた。
そこは正にVIP席としか表現出来ないほどに贅沢と趣向をふんだんに凝らした装飾で飾り付けられた部屋だった。
ふかふかの絨毯に高そうな絵画、輝くばかりに光を反射する大理石の床、止めは竜花真樹をまるごと切り出して誂えた竜花工房製のオーダーメイドテーブル。
あまりの高級感にくらくらしている俺を残して先ほどのメイド娘は丁寧な一礼をして部屋から出ていった。
いや、ちょっと待てよ、俺のような貧乏人がこんな所にいてもしょうがないんじゃね?
そんな事を考え始めた俺はこの部屋の主から声を掛けられた。
「私はこの『Ruby』の店長の『七海霜月』と申します。
不躾て申し訳ありませんが神代拓也さん。
貴方にお願いしたい事があります」
テーブルの向こうには明るい色をしたツインテールの小柄な少女が座っていた。
その瞳には好奇心を隠さない非常に興味深そうな色が浮かんでいる。
……自分は相手の事を知らないのに相手は自分の名を知っている、と。
しかも『頼み』ときたもんだ。
なんとなくきな臭い感じを感じて俺がどうしようか考えあぐねていると――
「んー、とりあえず座りません?」
霜月と名乗った少女はいきなり砕けた口調になった。その顔は非常に人懐っこい笑顔だった。
…………
「失礼しますぅ」
とりあえず座った俺に先ほどとは別の猫耳娘が高級そうなグラスに入ったミネラルウォーターを勧めてくれた。
腰を深々と曲げてグラスを置くその仕草はまるで真上からわざと胸の谷間を見せつけるかの様な絶妙なものであり、肝心なところが見えそうで見えないギリギリの衣装といい、ここは素晴らしすぎる。
俺は軽くグラスを傾け、喉を潤す。
透明感溢れるグラス越しに霜月の笑顔が透けて見えた。
「単刀直入に申し上げますね。
『これ』を差し上げますので銀原石を私どもに卸して欲しいのですよ」
彼女、霜月はそう言いながら深みのあるダークブラウンのテーブルの上に金色に輝く金ピッケルを差し出した。
「ちょ、……」
俺は思わず絶句した。
金ピッケル――ピッケルのランクは上から大まかに金、銀、鉄、銅、石、木の順となっており性能もそれに準ずる。
つまり金ピッケルは現状手に入るピッケルとしては最高級のグレードの代物だ。
だが、金と銀の素材はある理由から一般には流通していない。
そしてそれは金素材によって作成される金ピッケルも例外ではない。
この金ピッケルを所持しているという事は――
「金猫騎士団、か」
「ご名答♪。
私は金猫騎士団傘下の『黒猫雑貨FC』のアークヒルズエリアマネージャーなんですよ」
俺の呟きともいえる言葉に霜月は(非常に控えめな)胸を張りながら自信たっぷりに答えた。
金猫騎士団――下部組織や所属NPC獣人も含めたらその総人数は優に五桁を超えるという巨大ギルド組織である。
今、現在この停滞した仮想ゲーム世界に置いて活発に活動しているギルドの一つだ。
だが、その評価は功罪相半ば、いや、七:三で罪の方が多いかな? という程に評判が悪く嫌われているギルドである。
おいしい狩場の独占や取引所での露骨なライバル店潰しによる流通の掌握、そして市場独占の後に価格のつり上げ。
領地選挙における買収や脅迫などのもろもろの工作活動、絞れるところからは徹底的に絞りとる血も涙も無い領主税率の設定。
そして、金山、銀山などの各種鉱山の買収による金、銀素材に高級鉱石や宝石の独占。
その有り余る財力に物を言わせて高級装備で身を固め、高級消耗品を惜しげも無く使い散らす攻略戦法は決して好まれる様な代物ではない。
だが、街道の治安維持や台風や竜巻、洪水や『災害』等の発生における住民の避難誘導や領主地域でのPKの厳罰化と徹底的な取締り等も行なっている。
まぁ、それでも嫌われている事だけは確かであり好き好んで金猫と関わろうとするモノ好きな一般プレイヤーは存在しない。
勿論、俺もそんな善良なプレイヤーだった筈なのだが。
「流石に、理由が聞きたいんだが」
流石の俺も金猫が持ってきたこんな(おいしい)話にほいほいと乗る程脳天気ではない。
そんな俺の内心を読んだのか霜月が真っ直ぐに俺の瞳を見て口を開いた。
「理由、ありませんよ?
しいて言うならば更なる金銀素材の独占を目論んでいる、では駄目ですか?
そして、それには有望な採掘士の青田買いも含まれている、と。
現状では採掘スキルのレベルが25以上のプレイヤーは極少数ですので私達が動く事はそれほど不思議ではないとは思いますが」
「随分堂々と独占を口にするんだな」
「それが我がギルドの信念ですので♪」
全く悪びれずに満面の笑顔で俺の嫌味に応える霜月。
流石に少し鼻白んだ俺に対して追い打ちを掛けてくる。
「ま、貴方も色々とお付き合いがあるみたいですし、即答出来ないのは理解できますけどね」
霜月が意味ありげな笑みを浮かべた。
俺の脳裏に一瞬、ずり下げ眼鏡の美羽の姿が浮かんだ。
「まぁ、別にそんなに身構える話しじゃないんです。
貴方はその金ピッケルを使って採掘をする。
私どもはあなたが採掘してきた金、銀鉱石を買い取る、と。
金、銀以外の鉱石は貴方の自由にすればいい。
ただ、それだけの話ですよ?
ね、簡単でしょう?」
う、正直かなりいい話だ。心が動いてしまっている。
この金ピッケルがあれば俺の寂しい懐事情も劇的に改善するだろう。
ただ、俺の最後の良心というかなんというか、釈然としない心が葛藤をしている。
そんな俺の様子を霜月の目が素早く盗み見る
「正直、この金ピッケルはかなりの貴重品だと自負しているんですけどねー。
あーあ、貴方がこの申し出を受けてくれないんでしたらどうしよっかなー?
誰か他の人に――」
霜月の手が金ピッケルを掴み引っ込めようとする、のを俺の手が掴み引き止める。
俺の脳裏にはじゅうじゅうと美味しそうな肉汁を滴らせているアークガルド牛の三枚重ねのサーロインステーキが浮かんでいた。すまん美羽。
それを見て艶然と微笑む霜月。
「ご契約ありがとうございます。
貴方が私どもに協力してくれている間は私どもは貴方の味方です」
――アークガルド食品通り
『Ryby』を後にした俺は南中央通りから少し離れた所にある食品通りに足を運んでいた。
青果や精肉等の様々な店が連なっている中には魚屋も存在している。
店先ではねじり鉢巻が似合う偉丈夫が『アークガルド魚勝店』の前掛けをしながら威勢のいい掛け声を響かせていた。
そいつは俺に気づくと近づいてきて声を掛けてきた。
「よぉ、拓じゃねぇか。今日は西ヒルズ川のいい奴が入ってんだ。どれも活きがいいぜ?」
「いや、今日は買い物目的じゃねーんだわ」
「ほぉー…………」
いきなり俺の首を巻き込むように一平が腕を回して顔を近づけてくる。
西園寺一平――俺と同じくリタイア組みで今はのんびりと魚屋を営んでいる。ちなみに俺とタメである。
元攻略組だが現役時代の事は話したがらないので俺にとってはただの魚屋でしかない。
「正直に言え、この野郎。『Ruby』に行ったんだろ? ええ?」
しまった、この男……見掛けによらずに勘が鋭いんだっけ。
「行った事は行ったけど、『商品』は普通の雑貨屋だったぜ?」
首に回された腕を捌き、逆に一平の弱点である脇を攻撃するべく手を後ろに回しながら俺はすっとぼける。
あの店に一平を連れて行く訳にはいかない。
別に意地悪ではなく、むしろ一平の身を案じてのことなんだが。
「嘘付けっ、乳を放り出しているようなギリギリの衣装の女の子がわんさかいるって噂だぞ……俺も連れてけよっ、なっ」
「いや、行きたいなら一人でいけって」
「ああいう店は一人で行ってもつまんねーんだよ。仲間内でおっぱい査定をするから楽し――」
ぶわり、と空気に殺気が満ちる。
先程まで賑やかだったアークガルド食品通りが一瞬にして静寂に包まれる。
まるで、心の臓を鷲掴みにされたみたいに。
その直後――
「ナニがどうしたって? 馬鹿兄貴ぃ」
怒気を孕んだ声が通りに響き渡る。
そこには花柄のワンピース風の布製防具の上に白いエプロンを身につけた女の子がいた。
胸元の布地はその下にあるはちきれんばかりのボリュームのせいで限界まで押し上げられており今にも決壊しそうな危うさを醸し出している。
それとは対照的にその下のウエストはきゅっとくびれており爆乳且つ巨乳という反則的な合わせ技を完成させていた。
ヒップから太もも、足首にかけても女性的な丸みを帯びた美しい曲線が映える。
又、深い藍色の髪は艶やかな光を照らしながら膝首辺りまで緩やかに伸びていた。
外見は完璧。
だが。
その性格は凶暴。
その言動は横暴。
その行動は乱暴。
と、三拍子揃った残念内面を備えた女の子だったりする。
全く、天は二物を与えないとは正に彼女の事を指し示しているといえる。
完璧な外見に残念な内面。
いや、ある意味バランスがとれているのかもしれない。
その女の子は不機嫌そうな顔を隠しもせずにずんずんとこちらに近づいてくる。
「え、いや、えー、と、そ、そうだ、俺はそろそろ店に戻らなきゃならねぇからな? じゃあな、拓」
一平が蛇に睨まれたようなカエルの様な表情を浮かべながら退散していく。
それを激しく睨みつけながらその矛先を俺に向けてくる女性、その正体は。
西園寺雫―― 一平のリアル妹。『アークガルド魚勝店』の隣で魚手料理専門店『雫』を切り盛りしている。
一平と同じく元攻略組。キャラ詳細は先程述べた通り。
「で、おっぱいがどうしたって?」
……
やっちまった。
雫は自他共に認める爆乳の持ち主だ。
だが、それ故に雫は胸に関しての話題をされるのが滅茶苦茶嫌いだったりする。
誰もが自分の胸を見る、話題にする、場合によってはからかいの対象や性的なシンボルとしても揶揄される。
思春期真っ只中の彼女にとって胸の話題に触れるのは禁忌なのだ。
「え、いや。そのだな」
と、言ってもとっさにうまい返しも思い浮かばずに言いよどむ俺。
「さいってー」
心底軽蔑する眼で俺を見つめる雫。
ぐふっ。
「拓は兄貴と違ってそんな奴じゃないと思ってたんだけど、見損なったよ」
あれは一平が、との言い訳を飲み込む。
『Ruby』に行ったのは事実だし、おっぱいに見とれたのも(意図的では無いにしろ)事実だ。
「ごめん」
素直に頭を下げる俺をじぃっと見つめる雫。
うう。
「あーあ、男ってみんなそうなのかな、胸胸胸、こんなのただの脂肪なのに。
重いし邪魔だし揺れるし肩凝るしで良い事なんかひとつもないんだけどな」
エプロンの上から自分の爆乳を掴んで眉をひそめる雫。
そのまま、わしわしと自分で揉みしだく姿はちょっと、いやかなり危険です。
「なに見てんの? 変態」
雫がその手をピタリと止め横目で俺を睨む。
「いや、お前が勝手に」
「うるさいっ、このっ」
ドガッ。
「痛ってぇええッッ!!!!!!???????」
雫の脛蹴りが見事な弧を描いて俺の脛に激突した。
あまりの痛さに飛び回っている俺に対して雫は意地悪な笑みを浮かべる。
「そんなにさー、おっぱいが好きなら『彼女』にでも揉ませてもらえばいいじゃん」
「ぐふぅッッッッッッッッ!!!!!!!???????」
はい、致命傷入りました。
彼女いない歴16年の俺に大してその言葉はあんまりじゃないか。
「そ、そこまで言われる程。……俺は悪行を為したというのかッッッ!!!!!!!」
流石にそこまで言われてはいくら一平の妹であったとしても、いくら凶暴爆乳娘といえども許していけない。捨てては置けない。
きっついお仕置きを食らわさなければなるまい。
「ただの『事実』をいったまでなんだけど」
「ごふぅぅうううッッッッッッッッッッ!!!!!!?????????」
はい、死んだ。神代拓也は今死にましたよ。
完全に地に伏せ、ぐうの根も出ない程に打ちのめされた俺に雫はさすがに悪いと思ったのか優しく手を差し伸べてくれる。
それに素直に甘えて、手を取り立ち上がる俺。
「まったく、拓は打たれ弱すぎでしょ」
「い、いや流石に今のオーバーキルの連撃は耐えれんわ」
「ふーん、でもさ。真面目な話。拓は彼女欲しいとか思わないわけ?」
「欲しいか欲しくないかでいえば、そりゃ欲しいよ。でもな」
「でも?」
雫がわずかに身を乗り出す。
「何時まで待っても空から彼女が降ってこないんだなこれが。あっはっはっは」
俺の目の前に虫けらを見る様な眼で俺を見つめる冷たい二つ目が存在していた。
しばらく無言の間が続いた後に雫はくるっと一回転をしながら俺を見つめた。
「じゃあ、さ」
雫が俺に向き直り、胸元に両の掌を重ねながら口を開く。
「ボクが、拓の彼女になってあげようか?」
頬を桜色に染めながら雫が俺に告白した。
え?
なんだって?
雫が彼女に?
それは今まで考えたこともなかった。
だって。
沈黙を照れと受け取ったのか雫が意地悪気な顔で口を開く。
「いや、ないわ」
「ばーか、冗談にき―――」
「いくら可愛くっても、その凶暴さは無―――」
その後、左胸に超速の裡門頂肘を喰らい俺は五分ほど悶絶してました。なんでだ。
…………
「まったく、殺されないだけでも感謝しなよ?」
口は災いの元。沈黙は金なり。
俺は今日、それを身を持って学んだ。
余計なことは言わずに最低限の会話に徹しよう。
「で、『Ruby』ってさ、結局なんなの?
いきなりこの街にあんな大きな店を構えるなんて、個人商店じゃないよねぇ」
「そうだな、あそこは金猫傘下らしいぜ。ま、金持ってるのはあたりまえって奴だ」
「え……」
その瞬間、雫が胸を抑えてよろめく。
咄嗟にその体を抱きとめようとした俺の手が空を切る。
瞬時にして体勢を整えた彼女は明るい声で応える。
「そ、そうか。成程、な。なら納得だね」
その表情は常と変わらぬ平静さを保っていた。
だが、それ故にこそ先ほどの尋常ではない刹那の様子が際立つ。
「大丈夫か?」
「う、うん。立ちくらみ……かも。
ちょっと休んでくるね。じゃ」
雫はひらひらと掌を振りながら自分の店に歩いて行った。
その様子を一平が遠くからじっと見つめていた。
翌日。
――アークガルド 雑貨店『アイソー』
「オールアウトッ」
俺の命令と共にテーブルの上には様々な原石類が出現した。
「青銅原石、赤銅原石、鉄鉱原石などだ。
他にも隕鉄や鉛、亜鉛なんかも獲ってきた。
美羽にはいつも世話になってるから言い値でいいぜ」
霜月からもらった金ピッケルの威力は絶大だった。
昨日の夕方に軽く近隣の採掘場を回っただけで桁違いの鉱石が入手できた。
んで、俺はこの店の常連としてまた、美羽の友人として『Ruby』と契約めいた事をしてしまった事に若干の後ろめたさを感じていた。
ま、安く買い叩かれてやるのがせめてもの罪滅ぼしって訳だ。
「あらあら、どういう風の吹きまわしかしら?」
軽く腕組みをしながらこちらに意味ありげな視線を向けてくる美羽。
両腕に押し上げられた胸がはちきれそうになり悲鳴を上げる。
そして、美羽がポツリと呟いた。
「カードアウト」
美羽が命令を唱えるとテーブルの上には鉄ピッケルが出現した。
おおッ!!
「これは……作成成功したのか?」
「ええ、鉄器作成レベル22でようやく、ね」
「そうか、すげぇじゃん。やったな」
俺の称賛の言葉にピクリとも表情を変えない美羽。
眼鏡のレンズを通してじとりとした視線が俺の顔と胸を突き刺す。
チクリと胸が痛む。
以前の俺だったらめちゃくちゃ喜んだだろうな、と思う。
残念ながらというべきか、今の俺の手元には金ピッケルがある。
だが、せっかく俺の為にスキル上げをしてまで製作してくれたんだ、ここは内心を隠して喜ばないと。
「いやっほぅッッッ!!! これで採掘が捗るぜぇぇぇえ。サンキュー」
「………」
俺の渾身の喜びぶりにも全くの無反応。
「お、おっひょぉぉぉおおおおおおおッッッッッッッ!!!!!!!!」
「………………」
美羽は無言のまま、にこりともせずに俺の顔を見つめ続ける。
「………………………………」
「………………………………」
ああ、これは駄目……だ。
「すまんっ、白状すると。実はもう金ピッケルを手に入れちゃったんだ。
でも頑張ってスキルを上げてまで鉄ピッケルを作ってくれた美羽に言い出せなくて。
それで」
軽くため息をつきながら、強張った雰囲気を弛緩させる美羽。
髪をかきあげながら目を逸らす。
「まったく、変に気を使わないでよ。ますます惨めになるじゃない」
「……すまん。製作を頼んでおいて別の所でそれ以上の物を手に入れちゃうなんて。オーダー者失格だよな」
「あら、それは自体は別に構わないわよ。
商談は常に即断即決。いちいち他にお伺いを立ててたらチャンスの女神の後ろ髪を掴み損ねるわ」
「へ?」
ここで美羽は初めて少し怒った顔をみせた。
「私がショックだったのは『Ruby』で金ピッケルを手にれた事実を拓也が私に隠そうとした事。
私ってそんなに信用ないのかしら?
別にそれぐらいで裏切られたー、とか。
じゃあ、いいわよって拗ねるつもりなんて毛頭ないんだけれど」
「…………」
「ただ、嘘を付かれたのが、ちょっと癪に触っただけ。
それだけ」
「……ごめん」
「ま、十分反省しているみたいだからこれぐらいで許してあげるけど」
美羽が悪戯っぽく微笑む。
「どうせ嘘付くなら、今度は相手に気づかれないようにして頂戴ね。お願いよ?」
「い、いや、もう嘘はつかねーって」
「どうだか」
これ以上ないぐらいのジト目で俺を睨む美羽。
全然、許してねーじゃねーか。
「ぐぅ……」
完膚なきまでの叩きのめされた俺はその後も美羽の機嫌が治るまでネチネチと苛められ続けた。
…………
ようやく美羽の機嫌が治り、永遠の責苦とも思えた罰の時間は終わりを告げた。
「あ、あと、十分理解っているとは思うけど危険な場所には近付かないでね」
「ん?」
「新しい武具や道具を手に入れて、高揚した気分のまま新たなエリアに踏み込んでそのまま帰って来なかった……。
結構いるのよ、そういう人達。
流石に近頃は各地の情報が行き届いてそういうケースは少なくなっているけれどね」
「ああ、大丈夫だよ。俺はなんたってレベル1だからな。危険なモンスターがポップするところにはそもそも近づかねーから」
俺はえっへんと胸を張る。
「そこ、胸を張る所じゃないわよ。本当に……ふふ」
楽しそうに口元に手を充て微笑む美羽。
でも、その後に真面目な顔にもどって口を開いた。
「でも、真面目な話。気をつけたほうがいいわ」
「ん?」
「最近ね、災害の動きがおかしいみたいなの。
従来の行動パターンを無視した動きが見られるので注意されたし、って商人回報に載ってたわ」
災害
各地に点在する規格外の化け物。その形態や行動は千差万別。
所謂ボス級モンスターなのだがそのあまりの強さに戦うことは愚策とまで言われている程の超級の存在。
ただ、そのケタ違いの強さに対して知能の方はお世辞にも高いとはいえないのが唯一の救いである。
更に、領域型に分類される災害はその領域に入らなければ襲ってくることは無く、
巡回型に分類される災害は決まった周期で決まった巡回を繰り返す習性を持っているので遭遇を避ける事は可能である。
(そのほかにも放浪型や追跡型等が存在するが比較的数が少なく対処法も確立している)
よって、災害とは討伐を以って対処するのではなく、遭遇を避ける事で対処する存在とこの世界の住人は認識している。
だが、そんな災害にあえて挑み、討伐を成功させている強者もこの世界には少数ながら存在している。
そんな彼らを人々は英雄と呼んでいた。
尚、現時点では金猫騎士団が災害に対する各地の人々の避難、誘導の任務を自認し遂行している。
「へ、でも金猫騎士団が発行している危険地域回報にはそんな事載ってなかったぜ?」
美羽が眉をひそめる。
「災害について一番詳しいのは戦闘ギルドや気『性』予報士、学者連中などじゃないわ。
各地の災害の領域間を縫うようにして荷物をやり取りしている荷商達よ。
彼らは生命を懸けて生命より大事な荷物を安全に運び商を為すために生きている。
災害毎に異なる領域、巡回路、季節、行動様式、危険度を統計し、日々自らの生命でもって更新し続けているの。
その情報はどこよりも早く信頼出来るわ」
何時に無く真剣な美羽の様子に俺は息を呑む。
「くれぐれも気をつけてね。出来れば詳細が分かるまで街から出ないのがいいのだけれど……そうもいかないわよね」
「まあ、な。前払いで引き受けちゃったし。うん、忠告ありがとな。本当、美羽には頭が上がらないや」
俺の軽口に合わせて雰囲気を弛緩させる美羽。
「そうそう、だからこれからも末永いお付き合いをお願いね。常連さん」
美羽が軽くウィンクを寄越す。
「おう、任せとけっ」
俺はそのまま出口に歩き出す。
しっかし、美羽は本当に頼りになるな―。
願わくば今の関係を続けていきたいってのは俺の希望でもある。
でもなー、ちょっと悔しく感じるのも確かだ。
全てが筒抜け、全てが美羽の掌の上、全てが美羽の思い通り。
それはちょっとつまんないぞ。
てか、一矢ぐらいは報いたい。男の意地として。
そんな俺の視界にある物が目に入り、脳裏にあるアイデアが浮かんだ。
「あ、一つ頼みがあるんだけどいいかな?」
「え? なにかしら」
出口付近でUターンしてきた俺に怪訝そうな眼を向ける美羽。
それを軽く受け流しながら俺は切り出した。
「オーダーしてた鉄ピッケルってさ。あれはもう俺には必要がないんだけど。
一つだけ確認というか見たい物があるんだけど、いいかな?」
カウンターの上に置いてあった鉄ピッケルを素早く手元に引き寄せながら美羽が問う。
「……見たい物?」
その顔が何時に無く強張っているのを俺は見て取る。
うわ、すっげぇ警戒してやがる。
「製作物ってさ、製作者の『銘』って奴が入っているんだよな?
それ見せてくれないかな?」
ぴきり、と場の空気がひび割れる。
「それは、どういう意味かしら? まさか私が他人の製作物を自分が作ったものだと偽っていると?」
美羽が鉄ピッケルを胸元に埋没するほどに抱き寄せ、眉を寄せる。
「いやいや、別に美羽の実力を疑っているってわけじゃなくてだな、ただ、製作者の銘って見たことなかったからじっくり見たいんだ。
駄目か?」
「別に銘入りの品物ならそこら中にあふれているでしょ。別に私のじゃなくても」
「美羽の銘がみたいんだっ、お願い」
頭を下げ両手を合わせて拝み倒す俺に美羽はしぶしぶながら了承した。
しかし、俺の方に差し出された鉄ピッケルは美羽の両手でガッチリと掴まれたままだった。
うわ、こいつ超信用してねぇ。
「……ここよ」
美羽が視線で指し示した場所、ピッケルの柄の部分には美羽の名前が刻印されていた。
まぁ、これはある意味当然の帰結だ。美羽がくだらない嘘や見栄を張る人間ではないということを俺はよく知っているから。
刻印の苗字の部分は美羽ががっちりと掴んだ右手に隠れてしまっており確認できないが、これは別に問題はない。
その下には『偽神楽』としっかり表示されているはずだからな。
「どう、これで結構かしら?」
「ああ、信用した、信用したカードインッ」
「ああッ!? ちょっ!!!」
美羽があわててピッケルを抱きかかえるがもう遅い。
鉄ピッケルは光の粒子となって俺の手のひらに隠したインベントリカードに吸い込まれていった。
美羽は表面上は穏やかだが結構な負けず嫌いだ。
自らが製作した鉄ピッケルとその性能を遥かに凌駕する金ピッケル。
俺がそれを使い比べるという事実は美羽に取ってはなにげに屈辱だと思う。ふふふ。
予想以上にうろたえる美羽の姿に気を良くして俺は『アイソー』の店内から飛び出した。
「オーダーした品物を受け取るのは当然の権利だろっ? じゃなっ」
その姿を呆然と見送る美羽。
その顔色は常に無く真っ青になっている。
「……やだ、どうしよう」
――雑貨店 『Ruby』店内
約束通りに若干の銀鉱石とその他の希少鉱石類をこの店に売り払って俺の懐は結構暖かくなった。
まぁ、少々安く買い叩かれている感じがしないでもないが道具をただで提供してもらっている立場では仕方がない。十分十分。
取引の後の軽い雑談タイムの時に霜月が愛らしい花々で彩られたティーカップをテーブルに置きながら口を開く。
「我々金猫騎士団はいわゆる金満ギルドとして嫌われている事は自覚しています。
拓也さんも内心ではそう思っている事だと思います」
ふむ、ここであからさまに否定をすると逆に侮辱になるな。
「そうだな、お金は生きていくのに必要且つ大事なもんだから稼ぐ事自体を否定はしない。
だが、その稼ぎ方に問題があるとは思う。
金銀を独占したり、買収したりっていうのは流石にやり過ぎだとは思う。
ま、その金に目が眩んで契約した俺がいえた義理じゃあないんだがな」
「……我々金猫騎士団がこの世界の富を独占するのは生き残っている全プレイヤーを保護するためって言ったら信じますか?」
霜月が上目遣いにこちらを見る。
冗談でもからかっているのでもない真摯な瞳だった。
「できれば理由を離してくれると助かるんだがな」
「空中城塞、『ヴァン・ケインハルツ』にプレイヤーを近づけさせないため、です」
「流石にそれは話が繋がらな――」
俺は途中で自分の言葉を途中で呑み込んだ。
確かに、いや、まさか。
霜月が我が意を得たりとばかりに頷く。
「そうです。我々金猫騎士団は第一層のボス城である『ヴァン・ケインハルツ』に巣食う吸血鬼達を倒すために必要な銀を独占しています。
銀装備や道具が手に入らなければ無謀な攻略による死者を防ぐ事ができます」
しかし、それは流石に。
「我々金猫騎士団は『ヴァン・ケインハルツ』の合同大規模攻略作戦に後方支援として参加しました。
できうる限りの攻略物資、支援物資や人員も供出しました。
勿論、銀製の膨大な武具や聖水も大量に。
その結果は無残な敗北、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
あそこの難易度は狂乱レベルです。銀装備があれば敵モンスターにダメージが与えられるってだけの話です。無数に湧き続ける『ボスレベルの強さを誇る雑魚』に。
『このゲームの最終ボスを倒したからといって我々が開放されるという保証が無い』状態で闇雲に先に進もうとして犠牲を増やす事を我々金猫騎士団は良しとしません。
私達がすべき事は第二層を目指すのではなくこの第一層で安全に過ごしながら現実世界からの助けを待ち続ける事です」
「……ゲームの全否定だな。攻略組が聞いたら怒り狂いそうだ」
「人の生死が直結している時点でこれは最早ゲームではありません。攻略組を自称している人達はその意識が足りないのです。
確実な証拠もなしに犠牲を容認して無闇に先に進もうとするのは自殺志願者と幇助者です。ゲーム脳に侵された唯の廃人です」
――アークガルド魚勝店
『アークガルド魚勝店』は閉まっていた。
隣の魚料理専門店『雫』も同じく閉まっていた。
この兄妹は基本的に月に一回ほど店を休む。
つまり今日は定休日って訳だ。
どうするかな。昨日の雫の様子だとちょっと心配でもあるんだが。
そんな事を考えていた俺の前に『雫』から出てくる堂々たる体躯の男の姿が目に入る。
「お、一平じゃん。ちぃーす」
「お、おう。拓か」
俺の挨拶に一平は手を上げて応える。
だが、その様子はどことなくおかしい。
「……どうした?」
「いや、なんでもねぇよ」
全然、なんでもないような様子でしゃべっているんだが。
こいつが挙動不審になる理由は一つしか無い。
「もしかして雫、か?」
ぴくり、と筋骨隆々の肩が震えた。だが、それだけだった。
しばしの沈黙の後に一平が口を開く。
「ちょっと、いいか?」
――アークガルド魚勝 二階客間。
畳オブジェクトが敷き詰めてある和風造りの部屋に俺たちは腰を落ちつけた。
一平は俺の顔をまっすぐ見つめながら切り出した。
「雫から聞いたぜ、『Ruby』は金猫なんだってな?」
「ああ、鉱石類を卸す契約をした。かなり有利な条件だったからな。まずかったか?」
一平は軽く首を振りながら応える。
「いんや、おめぇがどこの誰と付きあおうがおめぇの自由だ」
一平が語気を強める。
「だが、ダチとして忠告しとくぜ。
金猫と付き合うのはやめといたほうがいい」
「それはつまり――」
俺の言葉に一平が更に言葉を被せてくる
「金猫の奴らは信用ならねぇ。あいつらのせいで俺たちは、『ヴァン・ケインハルツ』合同攻略作戦は失敗した。
大勢の仲間の犠牲と共にな」
…………
口下手な一平が話した内容を整理すると以下の様なものだった。
一平と雫は仲間と一緒に合同攻略作戦に参加した。
『ヴァン・ケインハルツ』の強固な城門をこじ開けて城の中に突入した直後に城門が閉まり突撃隊は城内に閉じ込められた。
城の中で襲いかかってきた敵は恐ろしく強く、中でも城兵である正統血種吸血鬼の強さは想像を絶していた。
一平と雫を含む全軍は敵にあっという間に蹴散らされてしまう。
混乱の中で一平は仲間と、雫とはぐれてしまった。
地獄のような戦場の中を一平は必死で探しまわってようやく雫を見つけたが酷い手傷を負っていた。
気を失っている雫を一平は背負いながら生き残りと力を合わせて『ヴァン・ケインハルツ』から命からがら逃げ出す事が出来た。
だが、城門の制御を確保する役割を負っていた金猫騎士団は早々に最寄りの野営地に撤退していた。
金猫騎士団の言い分はこうだ。
「城門の制御は内部からの遠隔操作で開閉するシステムだった。
なんとか城門を開けて君たちを助けだそうとしたが敵の軍勢が迫ってきたのでやむなく撤退した」
すまない、と。ただ一言だけ謝ったそうだ。
更に――
「城門の調査にもう少し時間を掛けるべきだったとの意見を押し切って調査を打ち切ったのは確かに我々の落ち度だ。
だが、攻略前の合同攻略会議で全ギルドの承認を得ている以上、我々にだけ責任を押し付けてもらってはこまる。
それに閉じ込められた君たちの救出にあたった我々の団長他数名も名誉の戦死を遂げている。
その点については君たちと同じく我々も被害者だ」
とまで、言い放ったそうだ。
無論、一平たち生き残りは猛反発した。
だが、金猫騎士団は黙殺した。
それどころか、今回の攻略作戦で壊滅したギルドの領地を次々と乗っ取っていった。
表向きは混乱を避けるために一時的に金猫騎士団が引き継ぐ、と。
結果、攻略作戦の失敗を経て金猫騎士団は有力ギルドへの階段を登っていき、現在に至るという訳だ。
金猫騎士団は嫌われながらも有力ギルドの地位を盤石にした。
勿論、攻略ギルドを始めとして金猫騎士団を嫌っているプレイヤーはこの世界に数多く存在している。
だが、この巨大ギルドに正面切って事を構えようとする組織は今のところ存在しない。
「金猫の奴らは自分たちの組織を大きくするためにわざと攻略作戦を失敗させたんだ。
でなければあんなに手際よく撤退する事なんて出来やしない。
その後の領地の買収も前々から周到に準備して、根回ししていなければ不可能な程のスピードだった。
なにより、攻略作戦が失敗して誰が一番得をしたか、それを考えれば自ずと犯人は分かるだろう?
奴らはゲームの攻略よりも自分たちの利益を優先したんだ。
ゲームクリアによる全プレイヤーの開放を信じて戦っていた俺たちを裏切ったんだ。
金猫騎士団はこの世界に存在する全プレイヤーにとって卑劣で卑怯な裏切り者だ」
結局、その時の心の傷がトラウマになって雫は戦いからリタイアした。そして一平も。
俺は自分の家への道を歩きながら自問していた。
金猫が全プレイヤーを保護しているという話。
金猫が全プレイヤーを裏切っているという話。
俺はどちらの話を信じればいいのだろうか。