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似非裁判  作者: 花南
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05

 誰もいなくなった法廷に森下はぽつんとひとり座っていた。

 陸を守り抜くことには成功した。しかし進藤先生も言った、関係ない生徒を巻き込みすぎだと。杏稀に海馬に空乃に千早。

 そういえば八月朔日が本当の法廷に立っているところを自分はまだ見たことがない。ふたつ上の、聖にいつも「馬鹿」と呼ばれている、鏡に頑張れとだけ書いてくれた彼ならばこの裁判を、どんな形で終わらせてくれたのだろう。

 煙草に火をつけると法廷をの天井を煽ぐようにして森下は呟いた。

「僕は弁護士としては最低だな……」

 と、その時である。法廷のドアが音を立てて開いた。森下は慌てて煙草を法廷の机にこすりつけて火を消してしまった。じゅうと焦げる音と共に煙が立ち昇るのを侵入者、木下杏稀はぱちくりと見ていた。

「だめですよ森永くん、ちゃんとティッシュにくるんで捨てないと」

「煙草はティッシュにくるむと火事になるよ、木下」

「えっと、あれ……森永くんじゃあなかった、森下くんだ! うわーんごめんなさい、自分の名前に林を足すだけなのに! なんで私こうも記憶力悪いのかなあ」

「いや、気にするなよ。何か用でもあるわけ? 僕ちょっと今ひとりになりたいんだけど」

「えっと、すぐにおわります。お礼言いにきたんです」

「お礼?」

 森下は眉根を寄せて鸚鵡返しに聞いた。杏稀は頷く。

「陸ちゃんを守ってくれてありがとう! 陸ちゃん森下くんに感謝して、とっても褒めてました。私も嬉しいです」

「僕に感謝するのはおかしいよ。忘れてやしないかい? 僕は木下のことを犯人扱いしたんだ」

「……あれ犯人扱いだったんですか!? あれ決定だったんですか?」

「僕が告発するって言っていればね」

「でも言わなかったじゃあないですか」

 なんというポジティブシンキング。陸の杏稀はそんなところに頭が回らないという言葉がよみがえってくる。

「木下、君のその考え方どこからくるの?」

 ためしに物凄く侮辱したことを言ってみるが、ぱぁっと笑顔で。

「陸ちゃんにも聞かれました! そんでもって陸ちゃん『アンタはボールが転がった方向に感情が動く、下等生物ね』って。すごいですよね! 私すごく笑っちゃいました」

「それ馬鹿にされているとは思わないの?」

「私のことをそれだけ理解している人ってのもめずらしいですよね」

 だめだ、杏稀は天然である。陸も自分も誰もこの杏稀に勝つことはできない。森下もおかしくなって笑みがこぼれた。

「森下くん難しい顔して本を眺めているよりもにっこり笑っているほうが可愛いですよ」

「かわっ……」

「森下くん見ているとなんだか息苦しくなってきます。もっと肩の力抜いて、笑って! ……って陸ちゃんも言ってましたよ」

 その陸が言っているということだけは杏稀のポジティブシンキングによる解釈なのか、本当に言っているのかがわからなかった。

「笑顔ね。じゃあ努めて笑っておくようにするよ」

「にやっと笑うのはマイナスだそうです。なるべく爽やかに! そうすればきっと今よりもっともっといい弁護士になれます」

「いい弁護士ね……」

「大丈夫ですよ。応援してます! MO・RI・SI・TAファイトーファイトファイトファイトーオー」

「お、おー」

 いっしょに力なく拳を掲げながらも自分は左遷できたのだから、次のテストで点数が戻ればまた経済部に戻るのにということは不思議と言わずにいた。

 先ほどまで全身の力が抜けて椅子にくっついたようになっていた腰が少しだけ軽くなったような気がした。


 翌日空乃と陸と海馬といっしょに、森下は八月朔日の病室を訪ねた。暫く家に帰宅していなかった聖は法廷のあと、すぐに八月朔日のところに来ていたらしく、法廷の内容は報告済みだったらしい。

「やあ、綺ちゃんにさやかちゃんに海馬くんに森下くん」

「ちょっと先輩、なんで空乃と陸が先に呼ばれるのよ? 普通頑張った後輩が先に呼ばれるもんじゃあないのー?」

「馬鹿をいえ。男の名前なんてあとだあと」

「じゃあ空乃の名前が最初につくのはなんでですか?」

「強い女の順番に……」

 ばしんと空乃が八月朔日のギブスのはまった足を叩いた。

「ぐあああああ」

 八月朔日の手にぎゅっと力が籠る。その両手に握っているものは……

「ああ! 先輩、これ僕の上履きじゃあないですか、探してたんですよ。何パクってるんですか!?」

「ああ、これはレディからのプレゼントで……」

「みゅーが渡したんですよ。だから八月朔日先輩は両手が塞がってて複雑骨折なんじゃああないですかぁ」

「いやもう痛くて痛くて、この上履きだけが苦しみの中での味方だった」

「返してくださいよ!」

 八月朔日から毟り取った上履きはもう形が変形していて履けそうもなかった。

「でも八月朔日先輩全治二ヶ月だそうですけれど、随分元気そうですね?」

 不思議そうに陸が聞いた。

「いやそれがね、痛くてしかたがないから美人な看護婦さんを何度もナースコールで呼び出して薬をいっぱい打ってもらったんだ。でもね、ここの看護婦、スカートじゃあないんだ」

 心底がっかりしたように呟く八月朔日に四人は踵を返して帰ろうとした。

「あ、待ってよ待ってよ! 不思議なことにまだ女の子が三人しかお見舞いにきてくれないんだ。イケメン弁護士の俺がこんなことになっているんだ、普通ならば行列ができていておかしくないのに。森下くん、学校は混乱していなかったかい?」

「平和なものでしたよ」

「そうか」

 心底残念そうに八月朔日は呟いた。それから顔をあげるとにかっと笑った。

「でも聖ちゃんが来てくれたから俺は幸せだよ」

「八月朔日先輩……ねえさんがここ数日帰ってこないんですけれどもそれはもしかして先輩がねえさんを帰さなかったなんてことはないでしょうね?」

「あはは、聖ちゃんリンゴの皮剥き上手だよね。森下くんウサギさんのリンゴが好きなんだって?」

「いったい何時の話ですか!?」

 後ろのほうで陸が噴出している声が聞こえた。最後に八月朔日は「ああそうだ」と言った。

「森下くん、君は左遷で裁判部に来たけれど、ずっと残る気はないかい?」

「ずっと、ですか?」

「君の法廷での姿は優秀だったと聖ちゃんが褒めていたよ」

「僕はちっとも――」

「ちっとも、優秀なんかじゃあないって?」

 八月朔日はにっこりと笑った。

「法廷で勝ったんだろう?」

「はい」

「もちろん勝つ弁護士がいい弁護士というわけではないよ。いつも無実の相手ばかりを弁護するわけではない、それは検事側だっていっしょさ。いつも罪のあると言える相手ばかりとは限らない。だけどね、君は最後までさやかちゃんのことを信じぬいて、守ったんだ。それって容易なことじゃあないんだよ」

「でも、僕は……」

 森下は黙り込んだ。杏稀は気にしていなかったけれども、彼女に罪をなすりつけようとした事実は今も自分の中で指に刺さったおが屑のように残っている。八月朔日は言った。

「もし何か、ひっかかる思いがあるならばそれは僕に聞いて解決する問題じゃあないよ。君がこれから裁判部でいろんな場数を踏んで、そして君の中に生まれてくる答えが本当の答えなんだ。勝って女の子の笑顔はもらえたかい?」

「え……?」

「あれされると気持ちいいだろう? 俺が弁護士やっている理由なんてそんなもんだよ」

 八月朔日は笑った。それがまるっきり本当のこととは言わないだろうが、あながち嘘というわけでもなさそうだ。森下は思わず笑ってしまった。気難しい顔をしているよりにっこり笑っているほうがいいと杏稀も言っていた。ためしににっこり笑って森下は言った。

「先輩早く退院してきてくださいね。先輩の法廷も僕は見たいので」

 その瞬間八月朔日は固まった。

「森下くん、なんかつらいことでもあったのかい? 君が笑うなんて」

「僕が笑っちゃ何かおかしいですか?」

「いや、聖ちゃんがまったく笑わないから弟もてっきり笑わないものだとばかり…」

「ねえさんだって笑うときくらいありますよ」

「そうよ先輩。森下のおねえさん、『先生僕お腹が痛いんで保健室いってきます』に大うけしてたんだから」

「うるさいよ陸!」

「なんだいそれは?」

「なんでもありません! さあ面会時間も終わりに近づいたし、帰るよ」

 変形しきった上履きを握り締めて森下は大股で外に出て行った。


 九月の空は突き抜けるように青かった。駅までの帰り道の途中、秋を知らせる突風の中で海馬がぽつりと呟く。

「決めたわ、アタシも裁判部に入る」

「本気かい? 海馬」

 煙草に火をつけながら森下は聞き返した。

「あの裁判の中での興奮が忘れられないのよ。あれは病み付きになるわ」

「みゅーも裁判部に入りますぅ。森下先輩みたいに髪高く結い上げて木槌がんがん振り下ろしたいなー」

「ちょっと、空乃も裁判部に入るの!?」

「陸ちゃんも入るんですか?」

「ええ、なんだか被告席にいるのって落ち着かないのよね。ほら、生徒会裁判近いじゃあない? 私立候補するけれども他の弁護士に守ってもらうなんて嫌。自分で自分のことはやりたいわけ」

 各々理由はあるにしろ、裁判部に入部するつもりらしい。海馬が森下の背中を叩いた。

「よかったわね、森下。優秀な弁護士の頭数は揃ったじゃあない。まさかあんた、次の試験で点数がよかったらまた経済部に戻るなんて言わないでしょうね?」

「い、言わないよ」

 八月朔日に言われた言葉が頭の中に残っている。

 弁護士のありかたは誰かに教えられて学ぶものではない。自分の中に生まれた疑問は自分がこれから答えを探していかなければならないのだ。

 計算すれば答えがある世界で生きてきた。しかしこれから先は自分が答えを見出していかなければいけない世界なのだ。

 ふと、森下は気になったことがあった。

「陸と空乃が試験の日に誰もいないところで話していた内容って何?」

 その言葉に陸と空乃の顔色が変わる。海馬がナンセンスだと言わんばかりの顔をした。

「お泊り会の時に女の子が話す話って言ったら好きな人の話とかに決まっているでしょう? 聞くんじゃあないわよ、森下」

「いやいやいやいや、海馬、違うのよ」

 陸が慌てて首をぶんぶん振って否定した。空乃も首をぶんぶん横に振っている。

「じゃあ何よ?」

「は、恥かしくて言えるわけないじゃあない」

 森下と海馬は顔を見合わせた。にやっと笑うと海馬は言った。

「それでは被告人陸さやかを証言台に立たせたいと思います、森下弁護士、尋問をどうぞ」

「あなたは誰かの悪口を言ってましたか?」

「いいえ! ちょっと何のつもりよあんたたちッ」

 電車が音を立てて走って行く線路脇を歩きながらずっと森下と海馬のねちねちした尋問は続く。裁判部四天王が誕生した時だった。


(了)

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