ただいま
大変お待たせしました(自分の声だけが部屋にこだまする……)
「何か音がしないか?大きな魔物でも暴れている様な・・・・・・」
カレンに言われ、耳に神経を集中させる。確かに、微かにだが地鳴りのようなものが聞こえる。それも、私達が向かう先────モモさんがいる筈の方角からだ。
何の音だろう。ただの地鳴りという訳ではなさそうだ。嫌な予感が外れていてくれればいいのだが。
「ねぇ、あの丘の向こうだけ暗くない?魔法かな?」
イリスの指を辿ると、そこだけまだ夜が明けきっていないかの様な空間があった。それだけではない。時折黒い何かが稜線の影からその一部を覗かせている。魔法か、或いは────
「大蛇、か。縄張り争いか?」
大蛇だとすると、あの黒い何かは魔力で形をもった影ということになる。つまりあそこにいるのは影蛇だ。同じ大蛇の中では水蛇や光蛇の方が破壊規模が大きいが、厄介という点では影蛇の方が勝る。死角から突如として襲いかかる影の刃は非常に危険だ。それも、あの規模のものとなると相当の年月を生きてきた影蛇に違いない。並みの魔物はおろか、竜ですらも容易には近付けないだろう。
竜と双璧を成す大蛇の一角が、そこらの魔物と縄張り争いをしているという理由で、振動だけでわかる程に暴れたりするものだろうか。
冒険者が戦っているのか?しかし、今この付近にいる冒険者など、私達か逸れてしまったモモさんくらいの筈だ。
大蛇の最大の脅威はその再生能力。それを無視することができるのは、再生など追いつかない程の攻撃をしてくるものか、同じ様に再生能力をもっているか────或いは死なないという特性をもっているか、それくらいだろう。
あそこに、モモさんがいる可能性がある。
スキルの回数ももう殆ど残っていない筈だが、モモさんならその状況でも戦ってしまうのではないか。荷馬車の持ち主が近くにいるとしたら、それを逃がす為に一人で大蛇の前に立っているのではないか。
全身に緊張と焦りと不安が押し寄せる。
「急ぎましょう。モモさんが戦い始める前に、あそこに行かないと・・・・・・!」
カレンとイリスが頷く。飛行速度が増していくのがわかる。
「一気に行くよ!」
地面が背後に消えていく。しかし、先程まで稜線の影から見えていた影の塊がなくなっている事に気付く。
まさか。
まさかもう、終わってしまった────のだろうか?
一度や二度死から生き返ったとしても、大蛇が相手ではあまり意味がない。
一瞬、大蛇が出てきたと思われる大穴が目に入り、そして一気に視界が開ける。大蛇がいる筈の丘の向こうに出たのだ。
ゆっくりと地面に降り、視線を巡らせる。しかし、大蛇が眠っているだけで他には何もない。若干空腹が満たされた大蛇が呑気に眠っている以外には、何も見えない。
終わった。終わっていた。
間に合わなかった。
助けられなかった。
私が助けないといけなかったのに、結局、一度も、私は────
「────・・・・・・っはぁ、くっそ臭い。ファブリーズ欲しいなぁ」
「────・・・・・・あ、」
「え?・・・・・・ぁ」
大蛇の頭部が僅かに動き、全身に赤い血を纏った少女が中から出てくる。ほんの十数日ぶりだというのに、声も、仕草も、随分と懐かしく感じる。
終わっていた。大蛇は眠っていたのではなく、死んでいたのだ。
声を────何かを言わなくちゃ。しかし、頭の中身をひっくり返しても、かけるべき言葉が見つからない。無事で良かったとか、そういうのでいいのに、全く言葉が出ない。喉に綿でも詰められたみたいだ。呼吸をするのがやっとで、おまけに目の焦点まで合わなくなってきた。モモさんも、カレンも、イリスも同じらしく、風が夜を完全に連れ去っていく音以外は、暫く何も聞こえなかった。
私が影蛇の中から出てきた時、最初に目に入ったのは赤くぬめりのある液体に染まった自分の右手だった。この世界に来て、そこそこの数の魔物の死骸を見てきた筈だけど、この死臭というのはどうにも慣れない。動かなくなった途端、それまで魔物だったモノはただの肉の塊になって、突然“死”という異臭を放ち始める。これは腐敗臭とかそういった五感で感じられるようなものではなくて、魂が抜け落ちた空虚さからくるんだと思う。それはもうただの物になった、という事実が現実とは思えなくなるのかもしれない。最初からそういう風に感じてたのか、死んで生くの回数制限を知ってからなのかはわからない。でも、じゃあ何度も死んで何度もそれがなかったことになってる私はどうなんだろう。私は死臭を纏って動いているんだろうか。ちゃんとこの世界で生きていると言えるんだろうか。
もしこれが夢だとしたら、私は醒めることを望むのかな。
なんてことを考えながら何度か手を振って軽く血を落とす。真面にお風呂にも入っていない状態でこれはキツい。女子力がピンチだ。SAN値もピンチだし、ここからまた歩かなくちゃいけないから体力もピンチだ。というか死臭云々よりも血の臭いの方が気になる。これ服についちゃうんじゃないの?臭いがさ。
「────・・・・・・はぁ、くっそ臭い。ファブリーズ欲しいなぁ」
影蛇の死骸から飛び降りてそう呟いた時、少し離れたところから声が聞こえたような気がした。
ふと顔を向ける。
そこには懐かしい顔があった。
口を開く。でも情けない音を立てながら息が漏れるだけだ。
なんでここに?だって、私のスキルは九十九回で終わりだって思ってた筈なのに。私だって二周目以降があるなんて知らなかったのに。マガトナに帰れって言ったのに。なんで三人がここにいるの?
「────モモ、さん・・・・・・よかった・・・・・・本当によかった・・・・・・!」
静寂の後に、ルーフェが駆け寄ってきて私に抱きつく。ほんの一、二週間程度の筈なのに、すごく長い間旅でもしてたような感覚だ。
「汚れるよ。私、血だらけだから・・・・・・」
ルーフェはふるふると頭を振って、更に腕に力を入れる。正直ちょっと痛い。
少ししてカレンとイリスが側に来る。イリスの顔を見ると、少し・・・・・・いや、かなり疲れてる様子だ。なんかイリスのこの疲れ具合、前にも見たような────ああ、魔法使いすぎた時のだ。
「全く・・・・・・無茶をするなといつも言っているのに。仕方のないやつだな、モモは・・・・・・」
そっけない口調で私とルーフェを抱きしめたカレンは思いっきり泣いていた。籠手やら胸当てやらが体のあちこちに当たってとても痛い。
首にかけたネックレスを服の上から触る。これをまだもっているということは、三人には黙っておいた方がいいだろう。私も本当なら捨ててしまいたいところだ。でも────
────英雄になりたいと思ったことはある?
ある、筈だ。夢物語を現実にしたいと思ったことは、確かにある。
────多分良い事はないわよ
当たり前だ。私が仮に英雄なんていう漠然とした何かになれたとして、英雄の物語は死で終わるものだ。それになりたいと願うことは、きっと死を願うことと同じだ。
でも、私はまだ生きれてすらいない。ゼウスの爺やメリーの手の上で転がされているだけだ。
「・・・・・・とりあえず、お風呂入りたいな」
今は考えるのはやめよう。目の前の問題────この血をどうにかして洗い流さないと。ルーフェもカレンも血でべっとべとだし。でもシロはラマ達に預けちゃったし、どうしよう。
「あ、それならぼくが流してあげようか?」
杖に体重を預けて休んでいたイリスが杖を私達三人に向ける。流す・・・・・・って、え?何?何しようとしてる────
「ブルークリスタル」
「「「んなぼぅ!?」」」
青色の水晶体が現れ、そこから溢れ出した水流に見事に押し流され、
「グリーンクリスタル」
「「「ぁばばばぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」」」
緑の水晶体を中心に風が吹き、水気と体を吹き飛ばしていく。
いや吹き飛ばされてたまるかっ。確かに血を流したいとは思ってたけど、いきなりすぎでしょ。もっとこう、なんかあるじゃん。やるよーとか目瞑っててねーとか。何もなしかい。
「あー・・・・・・うん、まぁ。いい水加減だったよ」
でももう二度としないでいただけたらなって思いましたまる。ルーフェとカレンも何かすごい曖昧な表情になってるし。一応感動の場面の筈なんだけどなぁ?イリスってもしかしてシリアス耐性低い人?嫌いじゃないわ。
「血も落とせた・・・・・・落とされた?ことだし帰りたいんだけど、みんなどうやって来たの?馬とかないの?」
「馬は逃げた。イリスとルーフェルが交代で魔法を使って運んでくれたんだ」
しっかりしてよ馬ぁ・・・・・・その間カレンは何してらっしゃったんだろう。
「え、ルーフェ?魔法使ったの?」
「あまり長くは使っていられないんですけど・・・・・・」
てっきり使えなくなったものとばかり思ってたけど違ったんだ。いいなぁ、ルーフェが魔法使うところ私も見たい。恋の魔法使いから愛の魔法使いにクラスチェンジしてほしい。
ならここから魔法でマガトナまで飛んで帰ることになるのかな。正直高いところはもう嫌なんだけど。
「ごめん、ぼくもう無理かも・・・・・・」
「わ、ちょ、」
その場に倒れそうになったイリスを支える。名前を呼んでも反応しない。時折小さく呻きながら寝ているだけだ。魔力不足かな?ずっと魔法使ってたみたいだし、それも仕方ない・・・・・・いやじゃあなんで今魔法使ったし。マガトナまでまだ結構距離あるんでしょ?今日ここで野宿するの?大蛇の骸の真隣で?
「わたしが背負って歩こう。無理をさせてしまったからな」
カレンが眠っているイリスを背負う。杖を拾って渡しながらいいなぁとか思った。男の娘魔法使いと長身美人剣士とか理性抑えるの苦労するから勘弁してほしい。
それにしてもまた歩かないといけないのかぁ。ラマ達今どの辺にいるのかな。メリーがマガトナの近くに転送してくれれば楽なのに。散々迷惑かけたんだからそれくらいしてくれてもいいでしょ。聞いてるか下衆魔女。
「マガトナってあっちの方だよね」
「いや逆だ。それではまた山に戻ってしまう。マガトナは向こうだ」
私と真逆の方向に顔を向けるカレン。アッハイソウデシタカ。周り同じような景色でわかんないよ。馬で二日くらいだっけ。歩いたらめっちゃ時間かかるんだろうな。早く帰ってゆっくりしたいのに。
『じゃあねモモ。また今度、時間があったら殺し合いましょう』
頭の中にメリーの声が響き、消える。今どこにいるのかはわからないけど、どこにいてもロクなことはしてないんだろう。
ルーフェとカレンが立ち止まった私を見る。なんでもないと首を振って、一瞬ネックレスを捨てようとして、やはりやめる。
メリーはもしかしたら────いや、関係ないか。何にせよ、私はあいつが嫌いだ。この世界に来てからというもの、ずっとあいつに振り回されてばかりだ。
丘の向こうから何かがやってくる。馬が三頭と、それに乗った男女だ。男の方は見知った顔で、私達を見るや手を振って女に蹴られて落馬しそうになっている。
歩かなくてすみそうだ────と、安心したところで、私の意識は途切れた。後から聞いた話だと、気を失って倒れたところをルーフェが支えて、マガトナに着くまでずっとついていてくれたらしい。私が落ちないように気をつけながら馬を操るのは大変だっただろう。
次に目を覚ました時、私の周りは罵声と怒号で溢れていた。
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