影の災害
シロの鳴き声と鼻をつくいい香りで目が覚めた。まだ相当早い時間なんだろう、夏だと言うのに少し肌寒い。
暫く横になったまま微睡んでいたら、シロが「キュィ?」と首を傾げて私の顔をぺろぺろと舐め回し始めた。思ったよりザラザラしてるな、シロの舌。
「もー、わかった、起きる。起きるから。子供は朝から元気だねぇ」
私?ええ、十六歳ですが何か?子供じゃないよ十六歳。女は十六で結婚できるからえっちぃ本とかゲームが置いてある所でも働いていいって某執事漫画で言ってた。
体を起こして伸びをする。うむ、清々しい朝である。元引き篭もりでも異世界転生すれば太陽アレルギーは治ると証明されました。
シロを抱き上げ、荷車から降りて左右を見る。いや安全確認とかじゃないから。確かに魔物との衝突事故(戦闘)とかは避けたいけども。
「お、今日もいい腕ですねカークさん。百はお腹が空きましたよ。まだかかりますかね?」
荷車のすぐ横で朝食を作っているカークを見つけ声をかける。手元を覗くと、いつもの鍋に食材を適当にぶち込んで煮ましたみたいな・・・・・・まあ、これもいつもの料理が出来上がりそうになっていた。
「やっと起きたか、食ってるか寝てるかのどっちかだなお前。太りそうだ。じきに出来るから待ってろ」
「え、太る?ねぇ今太るって言った?つまり私太ってるの!?私は昔と比べて太ったって言うの!?」
「いや昔のお前は知らん」
「じゃあやっぱり今は太ってるんだ!?」
嘘だッ!!そんなの絶対に嘘に決まってる!私を騙そうとしているんだ!
「あらぁ、モモちゃん起きたのねぇ。そろそろ起こしに行こうと思ってたのよぉ〜」
馬に水をあげていたラマが私に気付き、ひらひらと手を振る。今朝もおっとりと美人ですね。若奥様的な雰囲気が羨ましいです。オトナの女性というか。あ、片仮名にしたのには特に意味はない。念の為。
「おはようラマ。聞いてよ、カークが太ってるって言って虐めてくるの。私太ってるかなぁ?」
ラマに抱きついて泣き真似をする。ああ、美人エルフの胸の中に私はいる。私の心を傷つけたカークには痛い目を見てもらわないと。カークにはラマが良く効きます。ふへへ、たっぷりと守ってもらおうじゃないかァ。
「あらぁ、モモちゃんは太ってなんかないわよぉ。いい体の可愛い女の子よぉ」
「うん、いい体の・・・・・・いい体?いや否定はしないけど何そのエロい響き」
多分太ってないってことを言いたいんだろうけど、もっと他の言い方をすべきだと思う。紳士の方々に刺激を与えるような言い回しは控えたい所存。
そう言ったラマは顔を真っ青にしているカークの前に仁王立ちになり、おっとりとした笑顔のまま顳顬をグリグリグリグリと・・・・・・ああ、そこまでしなくていいのに。カークが死んじゃいそう。
「それはそうとさ、いっつも同じ料理しか作らないよね。飽きない?」
窶れきった表情のカークの隣に座り、鍋の中身を指差す。贅沢を言えるような立場じゃないけど、いつも同じ物だと飽きる。正直言うと麺類食べたい。カルボナーラ下さい。
カークが片手で側頭部を押さえ、それから鍋の中の朝食を器に分ける。食事はカークの担当なのか、基本的にいつも彼が用意している。何気に女子力高い。
私達のよりも一回り小さい器を地面に置き、シロが食べやすいようにする。
「一々何作るか考えるのも面倒だしな。エルフはそんなに食べねぇから、同じモンでも気になんねぇんだよ」
「それに、商品以外は最低限の物しか積んでないから、あまり本格的に料理をする余裕はないのよぉ。でも、大きな街に行った時なんかはお店で食べたりするわぁ。たまには美味しいもの食べたいしぃ、同じ物ばかりは飽きちゃうしぃ」
やっぱ飽きてるんだ。気にならないのはカークだけらしい。行商人っていうのも大変なんだなぁ。あまり大きくない荷車を使ってるからっていうのもあるかもしれないけど、自分たちの荷物なんて殆どないのかも。
「じゃあ、マガトナに着いたら何か奢るよ。集会所の酒場くらいしか食べれる所知らないけど、お世話になったお礼に」
あれ、私今いくら持ってたっけ。てかお金持ってるっけ。あ、宿に置きっ放しかも。まあ着いてから考えよう。街にはルーフェ達もいる筈だし。
「そんなに気にしなくていいのよぉ。こんな気の利かない弟と一緒で、逆に悪いくらいだわぁ」
笑顔のままカークを睨むラマ。カークは目を逸らして黙々と朝食を口に運んでいる。うーん、カークは口は悪いけど、かなり尻に敷かれるタイプだね。いや、ちょっとワルっぽい人の方が押しに弱かったりするのがテンプレか。不良っぽい美少女の赤面顔とか最高だよね!
雑談をしながらカークの作った朝食を食べ終え、片付けを終えてもまだ朝の気配が残っていた。今は恐らく七時半といったところか。
ここからは低いところを選んで丘陵地を抜け、その後フローク山道というマガトナまで通じている道に入るらしい。
「登り降りを繰り返すと、いくらアリオンでも保たないからな。この辺にも道があったら良かったんだが」
「アリオン?」
聞きなれない名前だ。何のことだろう?
「ああ、あの馬の名前だよ。アリオンっていうんだ」
へえ、アスファロスじゃなかったんだ。可愛い名前だ。名前のイメージだと低い身分から実力一つで這い上がった超絶美少女魔導師を想像する。真面目でちょっとツンケンしてる感じの。いや馬だけど。
「ほら、早く乗れ」
カークに促され、ラマと一緒に荷車に乗る。ガタガタと徐々に振動が大きくなる。
御者台に上半身を乗り出して景色を見ていると、途端に現実感がなくなってくる。自分がその場にいないような感覚と、宙に浮いているような、ほんの少しの陳腐な全能感。ここにいること、これまであったこと、この世界のこと、元の世界のこと・・・・・・それら全てが無意味な程鮮やかに眼を焼く。
ドラゴン退治はもう御免だけどファンタジーはいいなぁとか馬鹿みたいに浮かれながら、ふと右手の丘を見る。大小様々な岩が転がっていて、割と禿げ上がっている。
最初はちょっとした落石のようなものだと思った。でも、その場所に近づくにつれてそうじゃないと・・・・・・あれは自然現象じゃないと、頭の中で何かが囁く。
『ーー・・・・・・モ、モモ。ちょっと聞いてるの?』
あれ、なんか本当に誰かが囁いたりしてるような。私のモノローグを邪魔してどこからともなく美しい声が・・・・・・むむ、この声聞き覚えがあるんだけど。
『おかしいわね、魔法は解けていない筈なのだけど。ねぇモモ?私に黙って死んでないでしょうね?』
この声。この口調。青い宝石のついたネックレスを取り出し、それを睨みつける。
「メリー・・・・・・メリーでしょ?よく話しかけてこれるね」
あんなことをしておいて、悪びれる様子もなくこうして魔法を使って通信できるなんて、どんな神経をしているんだろう。それとも神経ないの?
クスクスと憎たらしい笑い声が聞こえる。
『ああ、やっと繋がった。私があげたネックレス、捨てないでいてくれて嬉しいわ。お陰でこうして貴女の居場所がわかるもの』
「回りくどいことしないで出てきたら?近くにいるんでしょ?」
「モモ、さっきから何一人で喋ってる?」
カークとラマが不審そうな視線を私に送る。メリーが魔法で声を送っているのは私だけだから、傍から見れば独り言を言っているようにしか見えないんだろう。
でも、悪いけど今はそんな場合じゃない。手で二人を遮り、荷車から身を乗り出して辺りを見回す。
『ふふ、残念だけど、私はその近くにはいないのよ。是非貴女を殺したいところだけど、少し手が離せなくて。だから今日は争う為にわざわざこうして話しかけた訳じゃないの。本当に残念だけど。ちょっとした忠告というか・・・・・・私の忘れ物に気をつけてね、という話をしようと思って』
「忘れ物?」
とうとう痴呆にかかったか外道魔女。滅びてしまえ。
『今凄く失礼なこと考えなかった?』
メリーが不機嫌さを隠そうともせずに言う。私の方がもっと不機嫌だということを教えてやろうか。というか、変なところで鋭いな。勘のいい魔女は嫌いだよ。
「もういい?あんたとなんか話したくないんだけど」
『あら、寂しいこと言うじゃない。殺し殺された仲でしょう?』
「好きでやったんじゃない」
『私は好きよ?まぁそれはいいわ。実はね、私が街を襲った時に連れて行かなかった魔物がその辺にいるから、余裕があったら始末しておいて欲しいなと思って。連れて来るのも面倒だったし、中々気難しい子だったから、そんな玩具は早めに壊しておきたいじゃない?」
何言ってんのこいつ。マガトナを襲った時に連れて行かなかった魔物?それがこの辺にいる?で、私がそれの始末をする・・・・・・いや、ほんと何言ってんの。する訳ないじゃん。なんで私がメリーの尻拭いなんてしなくちゃいけないの。自分でやりなよ。てか出てこい今すぐぶっ飛ばす。
『ふふ、好きよ、そういうの。でも手が離せないって言ったでしょう?だから暫くはオ・ア・ズ・ケ♪面倒だったら山にでも追い返せばいいから。元々その子は山にいる魔物だし』
「は?いややらないって。勝手に決めないでーー」
そこから先を言うより前に、すぐ隣で身が縮むような叫び声が聞こえた。
三人揃って反射的に外を見る。通り過ぎようとしていた丘の地面が盛り上がり、爆弾でも仕掛けたのかという程に土や岩が宙に舞う。
地面が爆ぜた訳じゃない。ただ単純に、その下から巨大な何かが姿を現しただけだ。
嵐が過ぎた後の大地のような、黒く陰鬱な鱗に覆われた巨大な魔物。大きさだけでいえば炎竜にすら優っている。
「おいおいおいっ・・・・・・なんでこんな場所にあいつがいるんだよ!生息域はもっと西だろうが!!」
「気付かれたみたいねぇ。これはもしかして、ちょっと、とても、凄く、かなり危ない状況なんじゃないかしらぁ」
「もしかしなくても危ねぇよ命の危機だよッ!!掴まってろ、落ちたら助けてる余裕はねぇぞ!!」
魔物は無感情な双眸を私達に向け、牙の間から先が二つに分かれた舌を覗かせてーー弾かれたようにこちらに向かって来た。
「っ、は、何あれ・・・・・・何なのあれ!?メリー、こんなの押し付ける気!?」
冗談じゃない。野生のガララ◯ジャラが現れたよ!なんて言ってる場合じゃない!どう始末しろと!?どう戦えとっ!?それ以前になんで私だ自分でやれ外道魔女!!人に頼める立場かあんたは!!
巨大な蛇は見る間に距離を詰め、今にも荷車ごと私達を呑み込んでしまいそうだ。
頭の上でシロが威嚇をするが、いくらシロが竜の子供であるとはいえ所詮は子供、太刀打ちできる相手じゃない。
ネックレスを力の限り握りしめる。この魔女は本当にどうしようもない、最低最悪の女だ。これが忘れ物?いやいや、逆にどうやってこんなの忘れるっていうのさ。
頭の中で、その魔女が静かに言う。
これこそ竜と双璧をなす災害級の魔物。地を揺らし、山を崩すという大蛇の一角。
『ーー影蛇よ。頑張ってね♪』