北西に進路をI
反響した音が、脳内でこの地下空間の地図を描き出す。曲がりくねった回廊とそれを塞ぐ瓦礫の山がいくつも浮かび、ある地点で不自然な何かを拾う。それは本来そこにあるはずのない物で、同時によく知っている物でもあった。
「・・・・・・モモさんの胸当て?凄く遠い・・・・・・歩いて四日、ううん五日?」
水も食べる物もない状況で、それだけの距離を歩き続けるなんて。そこから先の“音”は聴こえないが、間違いなく進んでいるだろう。
ここで待っていてさえくれたのなら、飛び降りてでも助けに行けたのに。
だが、モモさんが生きているということがわかった。やはりあの人は死んではいなかった。
とはいえ、今からこの回廊を通って追いつくのには時間がかかる。モモさんのスキルの残りがどのくらいあるのか、或いは今が最後の一回ではないかと再び焦りが込み上げる。
「お姉さま、いた?」
「・・・・・・いえ、モモさんは見つけられませんでした。でも捨てられたモモさんの胸当てをかなり遠くで見つけたので、多分その先にいると・・・・・・」
そこで私は、体から力が抜けていくのを感じ、その場に座り込む。魔力の枯渇だ。ある程度範囲は限定していたとはいえ、最大出力で音響魔法を長時間使うのは肉体的にも負荷が大きい。
頭痛と吐き気が押し寄せ、平衡感覚が一時的に衰える。やはり、魔法の使い方を忘れてしまっているらしい。昔の記憶を頼りにしても、得意だった水や氷の七大属性を操る魔法以外は素人同然の腕にまで落ちてしまっているだろう。
それに、私の体の中の魔力は、また少し減ってしまった。もしかしたら、レベルも下がってしまったかもしれない。
一瞬、あのままお姉ちゃんに魔力を吸い尽くされて死んでいたら、こんな思いをしなくても済んだのかな、なんて思う。
逃げて逃げて、偶々立ち寄った冒険者の街で依頼を受けたらモモさんを見つけて・・・・・・でも数年ぶりに感じる“楽しさ”には、常に不安がつきまとっていた。
今のこの状況は、全て私の所為だ。
そもそも、私がクラギメドレディアの王都で逃げなければ、あの場でお姉ちゃんに殺されていれば・・・・・・いや、もっと前、小さい頃に魔法なんて覚えなければ。少なくとも、こんなことにはならなかったはずだ。
大切な人の身を案じるのは、きっとどんな拷問よりも強い痛みが伴う。
蹲ってしまった私の顔を、イリスが心配そうに覗き込んでくる。魔法を使う彼にはこれが魔力枯渇によるものだとすぐにわかったのだろう。
「ルーフェさん、ちょっと待ってね」
私の思考を他所に、イリスが杖を拾って呪文を唱える。知っている魔法だった。回復系統の中でも少し習得の難しい、大気中の魔力の吸収を促進させるものだ。以前イリスは回復系が苦手と言っていたが、どうやらそうではないらしい。というより、魔力吸収を手助けする為に魔力を消費するという魔法は、医療魔法師以外では意味のないものとされている為、習得しようとする者自体が稀なのだ。
徐々に体に魔力が戻り、なんとか動けるまで回復する。使う者が少なく、教わりづらい魔法でこれ程の効果を出せるとは、イリスは意外と回復系統の魔法が得意なのかもしれない。水晶魔法を好んで使うところから見ても、きっと魔力の流れを操作する力に秀でているのだろう。
「・・・・・・すみません、ありがとうございま――」
「うわ、わ・・・・・・!」
突然回廊の壁に大きな亀裂がいくつも走り、瓦礫となって崩れていく。当然、その上に支えられていた土なども先を競うように落ちてくる。
今ここで崩れてほしくはなかったのだが、寧ろよくもったと言うべきかもしれない。モモさんが落ちた最初の崩落以降は崩れた形跡はなかったし、そのお陰で、少なくともモモさんはここで死んでしまわずに済んだのだから。
穴の壁の役割をしている部分にも崩落の波は押し寄せ、私とイリスは互いに判断を仰ぐように一瞬目を合わせた。
「・・・・・・上に戻りましょう。カレンも心配してると思いますし」
コクリと頷き、緑の水晶で風を操る。その風で私と自分の体を包んだイリスは、回廊の入り口が塞がれるのと同時に地面から垂直に飛び立った。
「ルーフェル、イリス!無事か?また崩れたようだが・・・・・・」
「うん、ちょっと危なかった。閉じ込められたら流石に何もできないし」
「・・・・・・モモはいなかったのか」
二人で戻ってきた私達を見てカレンが言う。頷いた私は下で見つけたモモさんのポーチのことや、かなり遠くでモモさんの胸当てらしき物を捉えたことを話す。
その時に使った音響魔法の負荷で少しの間動けなくなっていたと言うと、カレンは一瞬複雑そうな表情をしてからふっと顔を緩めた。
「久し振りに魔法を使って、その範囲を最大まで広げていたのなら仕方ないだろう。無茶をするなと言いたいが、お陰でモモが生きているとわかった。・・・・・・すまないな、いつも」
そう言って私の頭の上に手を置く。何に対しての“すまない”なのか聞くこともできずに、カレンに撫でられた場所に軽く触れる。
モモさんは何かというとすぐに私を撫でていたな、なんてことを思い、三つくらいの感情が小さく胸の中で混ざり合う。
――まだ生きていてくれているだろうか。
胸当てを外したのは今から数日前だ。スキルの残りがどうなっているのか。体力は、水分や食料はどうだろう。もしまだスキルがいくつか残っているのなら--モモさんは間違いなく、限界になるとそれを使って体力を戻している筈だ。
何があの人にそこまでさせるのか、未だにわからない。生き返るとしても、自ら命を断つのは相応の恐怖が付き纏うのだ。
「なあ、取り込み中悪いんだけどよ。俺らにも説明してくれよ。結局、嬢ちゃんはどうなっちまったんだよ?」
少し離れていたダズンが手を挙げて説明を求める。説明と言われても、中々に難しい。スキルのことはパーティーメンバー以外には秘密だし、モモさんが今どうしているかは私達にもわからないのだ。気を使ってくれたのかもしれないが、正直近くで聞いていてもらった方が手間が省けた。
「モモはここにはいない。一人でこの地下にある迷路のような大聖堂を抜け、地上に戻ろうとしているらしいが・・・・・・」
「大聖堂?そんなモンがあったのか?つーか崩れるかもしれねぇのによく一人で行ったなぁ。流石、肝の太い嬢ちゃんだ。・・・・・・つっても、不死者なんだからあんま関係ないかもしれないけどな」
不死、ではない。常に死んでいる--いや、私達が殺してしまっているのだ。
「・・・・・・?私がどうかしたか?」
ダズンの隣にいたエリュネが目を細めてカレンを睨んでいる。一触即発、という雰囲気ではない。エリュネは何かを確認するように一点を見つめるだけで、カレンの言葉には全く反応していなかった。
一体何を見つけたのだろう。カレンが後ろを振り返り、エリュネの視線の先に目を向ける。
少し雲が出てきたからか、完全な闇になりつつある。全員が視線を送った先で、背の高い草がいくつも風で揺れる。
「・・・・・・いや、違う。魔物だ!」
「それも大量のね!いくらそういう依頼だからって、これはちょいとやり過ぎじゃないかい!?」
ダズンとエリュネが叫ぶ。二人は急いで馬の手綱を全て解き、私達にも乗るように促す。
南東から現れた魔物の大群は、進路を変えずにこちらに猛然と向かって来る。やはりこの辺りに隠れていたのだ。
この人数でこの数を相手にするのはただの自殺と変わらない。魔物の群れの調査が表向きの依頼で、それは今達せられた。
だが当然、帰るつもりはない。イリスの記憶から地下大聖堂の出口の大まかな位置はわかっている。また数日かかるだろうが、今ここで帰る訳にはいかない。
魔物達はもうすぐ目の前まで迫っている。
「イリス、借りますね・・・・・・!」
「え、ちょ、ルーフェさん?」
イリスの手から杖を奪い、先端に付けられた丸い水晶を魔物の群れに向ける。まだ魔力が回復しきっていないが、そんなものは些細な問題だ。
モモさんを助けに向かう。その為に、この魔物達は今ここで--!
「マリオネット--グラビティ・インパクト!」
杖で空間を真一文字に切る。私が振った杖の軌跡が鈍色の光を放ち--魔物達が宙に放り出された。
波のような光が当たる度に魔物達はそれに大きく吹き飛ばされ、地面に激突して絶命する。
「はぁ、はぁ・・・・・・っ、やっぱり、魔力が少な過ぎる・・・・・・!!」
魔物の数は先程までとあまり変わっていない。今の私の魔法では、一度に精々十体程度を倒すのが限界だ。かといってこの数では矢はすぐに底を突くだろう。
「ルーフェさん、ちょっと伏せてね!」
イリスが隣に駆け寄り、杖に手をかける。
「ブラスト・レッドクリスタル!」
そう唱えた直後、魔物の群れの最前列に真紅の水晶が現れ、轟音と共に爆発した。水晶魔法は性質上、どんな効果か見た目でわかってしまう欠点はあるが、それを補って余りある威力を秘めている。
この隙に魔力の吸収を魔法で手助けしてもらい、立ち上がって身構える。
「二人共、馬に乗れ!引くぞ--っ!?」
土煙を払い、何かが高速で馬の一頭を絶命させる。馬の首に突き刺さったそれは、魔物の爪か牙のようだ。恐らく、あの前脚が象牙色の棘で覆われている蜘蛛のような魔物のものだろう。
中型の魔物はいないらしいが、これもやはりお姉ちゃんが操っているのだろうか。
馬に乗ったカレンとエリュネがこちらに向かい、ダズンがポーチから小型の爆弾を投げて魔物達を牽制する。
カレンの言う通り、ここは一度引くべきだろう。私もあと一発しか魔法を使えそうにない。
「マリオネット--グラビティ・ゼロ!」
杖で円を描くようにして魔物の群れを視界に収め、魔法を発動させる。鈍色の光が魔物を包んでゆっくりと宙に浮き、静かに蠢く。
「ほら、もういいだろ!逃げるよ!」
エリュネに襟首を掴まれて後ろに乗せられる。カレンもイリスを乗せたようで、三頭の馬は教会跡地を駆け抜ける。
イリスの記憶だと、地下大聖堂からの出口は非常に遠い。そもそも普段使われていた筈の上の教会がとうに崩れてしまっているので、非常用の脱出口しか残っていないのだ。その一つはこのまま北西に直進した、フローク山脈にあるらしい。
魔物の咆哮を背に、私達は夜闇の中を全速で走る。