十歳になりました
あれから五年が経ち、十歳になった。特別変わったことはない。強いて言えば俺に剣の才能はなく、槍の才能があった事くらいだろう。それでもやることがないので両方とも続けている。普通の騎士相手ならば倒せる程度の腕にはなっている。
今日も庭先で槍を振るう。鋭く突く度にぶんとなる槍の音が楽しくてひたすら汗を流しながら槍を振るっていると後ろからセバスの声が聞こえてきた。槍の稽古を止めて振り返る。
「お坊ちゃま、そろそろ休憩なさっては如何ですか?」
「セバスか。すまない、そうするよ」
「かしこまりました。では、飲み物をお持ちします」
槍を壁に立て掛けてセバスに貰ったタオルで汗を拭く。
この五年で力も増えてきたし、技量も普通の騎士よりも上になった。この調子なら魔物も倒せるだろう。一匹倒せばいいだけなのでそんなに難しいことではない。いざという時には異能と精霊を使えば何とかなる。これらの検証も既に終えているので存分に扱えるようになっている。
セバスが戻ってきて茶を渡してくる。それをゆっくりと飲んでから俺は息を吐いた。
「セバス、予定が入っているのか?」
「特にありません。一ヶ月後に儀式です。更にその後に王城へと赴いて国王陛下に挨拶となっていますよ。何か心配事でも?」
「いや、何でもないよ。ただ嫌な予感がするだけだ」
セバスは俺の言葉に不思議そうにしているが俺はそれを無視して再び槍をその手に取った。
十歳にもなれば婚約者ができる、とはセバスの言葉だったか。俺は槍の訓練の途中で父上に呼び出され、見せられたのは婚約者候補のリストだった。男爵から果ては伯爵までとかなりの数に登っている。俺はこれを見て目眩がしそうな思いになりながらも口を開いた。
「父上、この量は何ですか? この家にコネが欲しいものがこんなにもいるということなのでしょうか?」
「……やはり、気付いてなかったのか。お前は私に似ず、顔がいいのだ。その噂を聞いて令嬢達が騒いでいる。その結果がこれだ。魔力がなくとも貴族はやれるからな」
「あはは、父上、私は種馬になる気はありませんよ」
俺の言葉に思わず父上は失笑する。貴族としての義務を言われて反論したのだが父上も俺にそれは求めていないということだろう。流石に武力の、もっと言えば魔力のない俺を跡取りにするつもりもなさそうだがそれでも婚約者くらいは自分で選べそうでひとまず安心したというところだ。
「早いところではもう婚約が決まっている所も多い。お前も今年中には決めておけ。これは当主としての命令だ。いいな?」
「分かりました」
「うむ。それで鍛錬の方はどうだ?」
「それなりですかね。一気に技量があがる訳でもありませんし、ぼちぼちですよ」
「お前は少しマイスペース過ぎる気がするな。焦りとかはないのか?」
そんな父上らしくない言葉が聞こえてきた。それは貴族になれない焦りのことなのか、家を追い出されるかもしれないという焦りなのか理解できなかったがどちらにしろ今の俺には無用のものだ。既に対策もしてあるのだから。
「父上、私に焦りはありませんよ。追い出される覚悟もありますし、貴族になれなくとも自分でなればいいのですから」
「……それでは自分ならなれるとという風に聞こえるが?」
「はい。最も方法があるだけで私にできるとは思っておりませんよ」
「そうか。お前が大丈夫ならいいのだ。お前は少し不遇な扱いをされているから何かないかと思っていたのだが」
少しだけ寂しそうに答える父上は子供に頼られないことを残念そうに思っているようだった。この父親は言葉には出さないが俺のことをしっかりと愛してくれている。それだけでも俺は感謝している。五歳までまっすぐに育ったのは父上がいたからだ。もちろん、俺も言葉には出さないがそっと心の中で感謝の言葉を口にした。
「ふむ、まぁいい。何かあったら言いなさい」
「はい、父上。失礼いたします」
部屋を辞した俺は廊下を歩きながら考えに耽る。
貴族としてのあれこれを俺に多く吹き込まない父上は本当に俺を跡取りとすることを決めていないのかもしれない。かといって、弟では荷が勝ちすぎると俺は思っている。この前、会ったときにはこんなにも貴族のテンプレを踏み抜く奴がいたのかと危うく精霊使役の力を使いそうになったのだ。バルドスというのだが傲慢で屋敷の者を困らせているとセバスから聞いた。白い目で見られる数が少しだけ減ったなと思ったのはバルドスがやらかしたせいかもしれない。
一応貴族としてのマナーなどは頭に入っているのでいざという時も問題はない。十年も過ごしていれば他の貴族と付き合いがありそうなものだが家族と共に最前線に近い場所に住むメナード家にやってくる貴族はいない。そのせいもあり、代々王命で子供が十歳になれば、登場するように命令が出されたりもする。これを初めて聞いた時には面白いと思ったものだ。小遣いの貯蓄もそれなりの額が貯まっているのでいつ家を追い出されても大丈夫だ。
(追い出される前提で考えるのも卑屈すぎるか)
そう思って俺は笑みを浮かべた。この世界でやりたいことは特にない。せめて領民を、この国を守れたらいいな、くらいには思っているが俺一人では無理だ。どうにかして俺が動かせる軍があればいいのだがそれもここにいる限りは無理だろう。何にしても金がいる。前世の知識を使えばすぐにでも金はできるだろうがあまりやりたくない。異なる世界での知識は革新的すぎるし、俺の命がいくつあっても足りなくなる事態だけはごめんだ。
「軍、か。この国には軍はなかったな」
この国に騎士はいるが軍はない。貴族がそれぞれ私設の軍を持つがそれも精々百人程度。この辺境伯家では千人と多いがそれも殆ど前線にいるからだ。国王陛下直轄の近衛騎士隊はいるが軍を持っていないのがこの国の現状だ。下手に持つと貴族がうるさいし、金食い虫の軍に使う金があれば内政に使いたいというのが大森林ができて以来のこの国の方針だ。ままならないとはこの事を言うのだろう。国を守ることしかしていなければいつかジリ貧なりそうだが食糧自給率だけは高いこの国ならまだは大丈夫なはずだ。今はあるかどうか分からない他国が攻めてくればあっという間に滅ぼされるだろうが俺が気にしても仕方ない。
(何にしても武力は必要だ。俺ができる環境にあればやるのも吝かではないな)
大森林が何故できたのかは今現在でも分かっていない。精霊が暴走した結果だというのが伝わっているがそれも伝承レベルでしかなく、詳しいことは分かっていない。
大森林から時折出てくる魔物が増えた原因もまた詳しく分かっていない。生殖により増えたのは間違いないが食事などをどうしているのかなどはまだ分かっていないのだ。おそらく共喰いであると俺は思っている。違う種族同士で殺し合い、その死体を口にしているのだ。そうであるならば理解できる。自然の摂理、弱肉強食だ。野生の動物と変わらないと思えば、魔物も動物も力が強いか弱いかの違いでしかないと分かる。
そうやって考え事をしてるうちに部屋へ辿り着いた俺は部屋の扉へ手を掛けようとして声を掛けられ、振り向いた。
「やぁ兄さん、相変わらず魔力が感じられないね」
「バルドスか」
そこには憎たらしく嘲笑を浮かべた弟の姿があった。