記憶が戻った日
「あなたは何で魔力を持って生まれなかったのかしら。見たくもないの。早くどこかへ行きなさい」
目の前の母親はそんな言葉を吐き捨てて俺の横を通り過ぎていく。母親であるならば、もう少し言葉があったはずだ。俺はそう言いたくても言えなかった。いや、既にそんな言葉すら期待していなかった。五歳にして悟っていると言えばいいのか。とにかく、俺は何も思うことはなかった。周りのメイド達の目もまた白い。母親と同じ目を向けてくる。俺が、俺だけが冷遇される世界。それがこの辺境伯家の家での俺だった。
ミーナ・ライクスというのが母親の名前だ。魔力がない俺を子供とは認識しておらず、蔑む口調で俺を貶してくる。自分の子供に対してする態度ではないが本人からすると既に俺は子供ではないのだろう。弟のバルドスを溺愛し、可愛がっていると聞く。そう聞いても何の興味も湧かない。むしろ、俺としても赤の他人同然に思っているので思うことはない。
この家の嫡子として生まれた俺は魔力なしと判定されて以降いつもこんな目にあう。この世界では精霊に愛された者だけが魔力を持つと言われている。それ故のこの扱いだ。幼いながらにこの関係は変わることも終わることもないと悟っていた。
比較的早熟であったおかげか知識は小さい頃より集めていたので今すぐにでもこの家を出ることができるようにはしている。いつ追い出されるか分かったものではないから父親からの小遣いを貯蓄もしていた。だが、家を積極的に出ようとは思っていなかった。理由は特にない。
「……くだらない」
そう一言呟いた俺は歩き始めた。この家で普通に接してくれるのは家令のセバスと父親であるゼルスだけだ。理由は知らないがそれだけでも有り難いと思っている。この年になるまで知識のみを蓄えてきたがそろそろ剣や槍も磨いていくべきだと思い始めていた。このままではいつかミーナに命令された弟に殺されそうな未来しか見えないからだ。
そうやって考え事をしていたのが悪かったのか俺は急に振り返ったメイドの手に思いっきりぶつかって倒れてしまった。
「あっ」
メイドの声が聞こえる。俺は怒鳴りたい気持ちを抑え、床にぶつかる頭を最後に意識を失った。
日本人という単語は聞いたことがない。俺は不思議な夢の中でそう思った。あれから夢のように誰かの記憶が流れ込んできたのだ。何の変哲もない、いや、この世界からすると大変高度な文明に住んでいる人の記憶だ。名前は高橋昇。至ってどこにでもいそうな学生というのが彼らしかった。おそらく、これは別の世界の話なのだろう。そんな風に思っているうちに俺は目が覚めたのだった。
目が覚めればその記憶はまるで自分の記憶ですと言わんばかりに馴染んでいた。むしろ、本当に自分が体験したような感覚。いや、実際に俺の記憶なのだろう。だとすれば。
「転生? いや、俺は俺だ。ライナス・メナード。この記憶の俺は高橋登とあった。ならば、俺は俺のはずだ」
そう言い聞かせるように呟いて前世の記憶とやらを飲み込んだ。そして、ふと自身の目に熱を感じた。鏡を見てみると右目には虹色の星形が刻印されてあった。
「なんだこれ。いや、これは精霊を見ることができる眼か。それに異能と精霊を使役できる力もある。記憶が戻ったことによって封印みたいなのがとけたのか?」
よく分からないまま自身の力に疑問を抱いていると扉の部屋がノックされた。
「私だ。ライナス、入るぞ」
「は、はい」
急にノックされたのでびっくりしたが俺は椅子に座り、声の主である自分の父親と対面することにした。目がそのままなのに気付いて慌てて隠蔽する。隠すことができるとは便利な目だ。入ってきた父親は俺の様子を見て安堵の溜め息を吐いた。この地味に心配性な父親の名はゼルス・メナード。本当に出来損ないの俺を愛してくれる自慢の父親だ。剣も魔法もうまく、このゼリュス大森林の地を今も現役で自身の手で魔物から守っているのだ。
「大丈夫そうだな。メイドの手が当たったと聞いたが?」
「ええ。偶然ですよ、父上。私がぼんやりしていたばっかりに不注意でした」
「……そうか。ところでライナス、お前は剣と槍、どちらを取るのだ?」
父上のこの質問に俺は少し悩んでから即答した。
「両方やりますよ。私には魔力がありませんから武器は多い方がいいでしょう」
「分かった。存分に練習するといい。五年後には共に魔物と戦ってもらうぞ」
「分かっていますよ。それがこの家の家訓ですからね」
俺の言葉に納得したのか父上はすぐに部屋を出ていった。
この家には十歳の時に魔物を倒す儀式がある。一人前の男として認められる為の儀式であるが魔力がない俺が魔物を倒すのは厳しいものがある。魔力がない人が魔物を倒すのには苦労するのだ。まぁ先程手に入れた力を使えば何も問題はなかったりするのだが。
(ふむ、とりあえず隠しておこう。変に思われそうな能力が多いからな)
そんな風に思った俺は剣と槍を鍛えつつ、暇があれば異能と精霊使役を試すことに決めたのだった。