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幻想鍼医  作者: ジーン
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第五話 意念

 午後六時十分前、日はもう沈んでいた。

堺東駅前は帰路に着くサラリーマンでごった返していた。

誠一郎は駅前の大きな柱に寄りかかってスマートフォンの画面をにらんでいた。

もう少しで予定の時間だというのに双雲はやってこない。


「ここで合ってるよな」


 南雲から来たラインのメッセージを確認する。

どうやら間違ってはいないみたいだ。

ため息をついた後、ふと顔をあげると大きな横断歩道の信号が青に変わった。

渋谷のスクランブル交差点を見て外国の人はあまりにも多くの人が対岸へ歩き出すのを見て、戦争が始まるのかと勘違いしたという話があるそうだが、堺東の横断歩道はまだ人の見分けがつく。

もしかしたら、渋谷のスクランブル交差点でもそうかもしれないが、一人目を引く人物がいる。

白いロングパンツにトレンチコートの東雲がこちらに歩いてくる。

他の誰よりも目を引く。こんなにも行き交う人が振り返る人も珍しい。

芸能人のような華やかさを感じる。

駅前のネオンの中でも加えた煙草の蛍火がしっかりと見て取れる。

紫煙を妖艶に吐き出しながら、誠一郎のもとへ一直線に歩いてくる。

ただの歩道がランウェイに見える。


「待ったか?」


「い、いえ。今来たところです」


 自然と誠一郎の背筋が伸びる。

ハイヒールを履いているせいで完全に誠一郎は東雲に見下ろされていた。

周りを通る人たちがじろじろと二人を見ていた。

周りの人から見たらどのように映っているのだろうか。

東雲は誠一郎の隣で柱に体を預けた。誠一郎は腕時計に目をやった。

六時にはもう少し時間があった。

何を話していいかわからず、居心地の悪さを感じていた。

紫煙を吐き出す音がやけに大きく聞こえる。


「南雲さん遅いですね」


 苦し紛れに南雲がつぶやいた。


「まだ時間じゃあないだろ? 心配するな」


 東雲は前を見たまま言った。


「そうだよ。誠一郎君。ちゃんと時間の前には集合してるんだから」


 突然柱の影から南雲の声がした。

驚いて誠一郎が覗き込むと彼らが立っていたちょうど裏側に南雲が立っていた。

猫背のせいであまり意識していなかったが、南雲の身長は誠一郎のそれよりも随分と高かった。

ハイヒールを履いた東雲よりも高い。

南雲が誠一郎を見て手を挙げてあいさつした。


「英忠、来てるなら早く言いなよ。誠一郎は随分前から待ってたんだよ」


 東雲は携帯灰皿に煙草を押し付けながら言った。

誠一郎は自分の名前を呼んでもらえて少しうれしかった。


「ごめん、ごめん。なんか二人を見ていたら不倫してる男女みたいな感じで面白くて」


 そこまで言ったところで東雲が南雲の腹部を小突いた。

そして素早く襟を取って横断歩道の方へ歩かせた。

南雲は暴力反対などと不満を漏らしていたが聞く耳を持たなかった。

一瞬呆気にとられた誠一郎だが、足早に二人を追いかけた。


「あの、東雲さん。すいませんでした。僕がもっと早く気付いていれば」


「怜子でいいよ。こいつはいっつもこうだから気にしなくていいよ」


 東雲は微笑みながらそう言った。

南雲と東雲は別に仲が悪いわけじゃないのだと誠一郎は思った。

まぁ、仲が悪ければ二人で治療院などやっていくことはできないだろう。


 駅前から少し離れた居酒屋の個室に三人はいた。

掘りごたつのテーブルに南雲と東雲と向き合うように誠一郎は座っていた。

なんとなく面接のような気分だ。

そんなことを考えていた誠一郎は無意識のうちに居住まいを正していた。

ほどなくして注文した生ビールが三つ運ばれてきた。

お通しと共にテーブルに並べられた。

店員がいなくなったタイミングで南雲がジョッキを持った。

それに伴い、東雲と誠一郎もジョッキを持つ。


「今日は誠一郎君の歓迎という事で……、乾杯!」


 三人のジョッキが合わさり、景気のいい音がした。

それぞれがビールを口に運ぶ。


「ありがとうございました。わざわざこんな会を開いていただいて」


 ジョッキをテーブルに置き、誠一郎は頭を下げた。


「まぁ、せっかくうちなんかで働いてもらえるんだから歓迎ぐらいしないと罰が当たるよ」


 南雲はお通しに手をつけながら言った。


「あの、本当に僕なんかでいいんでしょうか」


 誠一郎はジョッキを置き、うつむいてそう言った。

南雲は静かに箸をおいた。対照的に東雲は煙草に火をつけた。


「前にも言ったけど、君は素晴らしい鍼灸師になれるよ。簡単に言うと才能がある。だから君でいいのさ」


「鍼打つのも下手ですし、僕に才能なんて……」


「才能っていうのは鍼の技術のことじゃないよ。そんなものは足りなくて当り前さ。まだ卒業したばかりなんだから」


 誠一郎の言葉を遮って南雲が続けた。

東雲が天井に向かって紫煙を漂わせた。

南雲はジョッキを口に運ぶ。


「まぁ、飲みながら話そうよ」


 白いひげを携えた南雲が誠一郎に乾杯を求めた。

誠一郎は神妙な顔でジョッキを突き合せた後、ジョッキの中のビールを一気に飲み干した。

自分の中の不安を払拭するように。

その姿を見て東雲が店員を呼ぶ。


「いい飲みっぷりじゃないか。今日はとことん語り明かそうじゃないか」


 そう言って東雲も自分のジョッキのビールを飲み干した。


「飲みながらって言ってるのに、全部飲んじゃったらだめじゃん」


 南雲は肩をすくめてため息をついた。

固いこと事言うなと東雲がぼやいた。

誠一郎は胸のあたりが熱くなるのを感じた。

普段あまり酒を飲まないため、酔いが早くも回ってきたのだろう。

次のジョッキが運ばれてきた。


「お前だけジョッキが空いてないぞ」


「怜子の飲むペースが速すぎるんだよ」


 南雲は渋々ジョッキを空け、日本酒を頼んだ。

アルコールに満ちた息を一つ着き、さて、と言って南雲は誠一郎を見据えた。

誠一郎の背筋が自然と伸びる。


「いろいろ聞きたいことはあると思う。まず誠一郎君の才能について話そうか……。この間体験した意念空間へ入れるのは限られた人間だけだってことは知ってるね?」


 誠一郎は大きくうなずいた。


「どんな条件だか知ってる?」


 南雲は運ばれてきた日本酒を少し口に含んだ。

その間に酒のつまみが何品かテーブルに並べられた。

誠一郎は今度は首を横に大きく振った。

心なしかめまいがするような気がする。


「努力ではなかなか越えられない絶対的な条件が二つあるんだ。一つは患者さんを思う気持ち、もう一つはリアルのように具体的に物事をイメージする力だ」


「それこそ僕にはありそうもないのですが」


 自分で言ったものの、誠一郎は少し惨めな気持ちになった。


「もう少し自分に自信を持ちな」


 白い歯をのぞかせて東雲が言った。

いつの間にか二杯目のビールも無くなっている。


「自信があるとかないとか関係なく、君は全身意念空間に入ることができた。それは才能があるという事さ。さっき言った条件は努力である程度何とかなるけど、全身意念空間に入れるのはごく一部だ。まぁ、努力して入れるようになったやつは、ある意味努力の才能があったと言えるね」


 南雲が唐揚げを頬張る。


「意念空間って何なんですか?」


 誠一郎は身を乗り出して南雲に尋ねた。

正直な話、自分には縁が無い話だと思っていたので、あまり話を聞いたことが無かった。


「簡単に言ったらイメージさ」


 三杯目に手を付けた東雲がまずは意念について説明を始めた。

鍼灸治療の治療効果を左右する一つの大きな要因として意念というものがある。

鍼灸治療は通常、髪の毛と同等の細さの鍼と、ヨモギの葉っぱを原料とした(もぐさ)を燃やす灸の治療に分けられる。

それぞれの道具を経穴(けいけつ)――いわゆるツボ――に使う事で治療をしていくわけだが、ただ何も考えずに鍼を刺したり、お灸を据えたりしても治療効果は思わしくないことが多い。

経穴は経絡(けいらく)と呼ばれるルート上に存在する。

全身に360穴以上ある経穴はいくつかの経絡に存在している。

ちょうど電車の路線のようだ。

経穴が駅だとすると、経絡は線路という事になる。

交わったり、並走したりしながら、頭から手足の先まで走っている。

また、経絡は体表だけではなく、体の深部にも流れがあり、内臓にも関係がある。

体の隅々まで経絡が走っているため、鍼灸治療では痛い場所と離れた場所に施術し効果を出すといういわゆる遠隔治療が行える。

例えば、頭痛の時に足に鍼をしたり、肩が痛いときに手に鍼をしたりなどだ。

西洋医学的には鍼を刺せば神経が興奮して体にあらゆる反応が起こるとされている。

しかし、鍼灸とはそこまで単純なものではない。

東洋医学では気という概念が重要視される。

痛みや病を引き起こす原因となるものを邪気、それに抗ういわば免疫能力を正気という。

邪気が正気に勝っていれば体を患っている状態だ。

鍼灸治療とは邪気と正気の争いを正気の勝利に導くための手段である。

しかし、患者とはすでに正気が敗れている状態だ。

そこから逆転勝利をおさめなければならないため、鍼や灸の微細な刺激だけでは難しい。

そこで、鍼灸の効果を増幅させるのが意念である。

経絡、経穴、気の働きを正確に捕らえ、どのような流れで邪気を叩くかをイメージすることで、的確に邪気を退けることができるのである。

そのため、意念の強さが治療効果を左右するのだ。


「これが一般的な意念の説明さ。ここまではいいかい?」


 そう言った東雲はすでに三杯目のジョッキを空にしていた。


「今説明があった意念は誰もが訓練すればできるようになるんだ。これが意念空間に両腕を突っ込んでいる状態だね」


 南雲は枝豆の空を皿に放り投げながら言った。

根本的な疑問だが誠一郎が体験した、果たして意念空間とはいったい何なのか。

南雲はイメージを具現化させた状態だと言った。


「意念空間は鍼灸師と邪気が直接戦うためにあるんだよ」


 南雲は箸と箸をぶつけて見せた。

誠一郎は話がきな臭くなるのを感じ、少し身を引いた。


「戦うと言っても、負けたからって大怪我するとか、死ぬとかじゃあないよ」


 誠一郎の気持ちを察したのか、東雲が笑いながら言った。


「まぁ、負けたらその日の治療は失敗だね。治療効果は出ないし、最悪悪化するし」


 枝豆を口に入れながら南雲が言った。


「この前の元道の時は敵なんかいませんでしたよ」


「あの時は気を失った人から、気を引っ張り出しただけだからね」


 つまり、病と戦ったわけではないという事だ。

誠一郎はその時の体験を思い出していた。

今思い出してみても、五感ははっきりしていた。

それどころか、いつもよりも敏感になっていたように思う。

そのことを伝えると東雲が当然だと言った。


「それだけ集中しているってことだし、それだけ正確にイメージできてるってことだね」


 南雲はせわしなく枝豆を口にほおばっている。

まるでハムスターだ。


「そこまでのイメージする力ってのは訓練で何とかするのはとても難しいんだよ」


 四杯目ジョッキに嬉しそうに口をつけた東雲は新しい煙草に火をつけた。

誠一郎は一抹の不安を覚えた。

自分が体験したのは戦いの起こらない意念空間だった。

果たして患者を目の前にしたときに同じように意念空間に入れるだろうかと。

患者を思う気持ちが意念空間への扉を開くと南雲は言った。


「誠一郎君なら大丈夫さ。一度扉を開いたんだ。コツをつかめば大丈夫」


 南雲は最後の枝豆の空を指ではじき、見事に皿に入れた。


「技術ってのは練習すればうまくなる。でも、誠一郎には鍼灸師として最も大事なものが備わっている。それが患者を思う心さ。だから、もっと自信を持て」


 東雲のさっぱりとした笑顔が誠一郎には救いだった。

自分を卑下するのではなく、精一杯この人たちについて行こうと誠一郎は思った。


「難しい話はこの辺にして、飲みなおそうか」


 そう言って南雲は再び乾杯と言った。

全員がジョッキを合わせる。

一瞬のうちに東雲のジョッキだけが空になった。

誠一郎は顔が熱くなり、焦点が次第に定まらなくなるのを感じながらも、心地よい気分に浸っていた。


「そう言えば五帝の皆さんは弟子を取る義務があるんですよね?」


「そうなんだよ。面倒だよね」


 今度はフライドポテトを口に詰め込みながら南雲が気だるそうに答えた。


「よく言うよ。誠一郎が来てくれるって喜んでたくせに」


 そう東雲が言うと、あまり何事にも動じなさそうな南雲が照れくさそうにしていた。

なんだか誠一郎はくすぐったい気分になった。


「怜子さんもお弟子さんがいるんですか?」


 気を取り直して誠一郎が言った。


「あぁ、あんたと同い年の子が今年からいるよ。まだうちに来るのに少し時間があるけど、仲良くしてやってくれ」


「また歓迎ってことで飲み会しよう」


 そう言った南雲のコップを東雲が奪い取った。


「よく言うよ。あんた、これ水だろ。」


東雲はグラスを揺らして見せた。

南雲が苦笑いを返す。

驚きを隠せなかったのは誠一郎だった。

いったいいつの間に水に変えていたのか全く分からなかった。


「怜子のペースで飲んでたら、明日仕事にならないんだよ」


 東雲からグラスを取り返しながら南雲が言った。

誠一郎は明日の仕事大丈夫かなとふわふわした気分の中で考えていた。

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