第二十八話 過去
五條が去った店内は静まり返っていた。円卓を叩く大きな音に、胸ぐらをつかんで喧嘩口調な男。
注目を集めるのも無理はない。
居心地の悪さを感じながらも誠一郎と夏梨は元の席に座った。
二宮が目を白黒させている。
夢華が心配そうに寄ってきた。
「あのぉ……」
夢華の呼びかけに誠一郎たちはいっせいに視線を注いだ。
まだ怒りに満ちた誠一郎と夏梨の視線に夢華は少したじろいだように見えた。
「ごめんね夢華ちゃん」
二宮は相変わらずの弱弱しい声で、まるで自分が悪いかのように視線を落としてそう言った。
「い、いいんです。いいんです。五條さんしょっちゅうですもん。けがはなかったかなと思って」
夢華は顔の前でぶんぶんと手を振ってそう言った。
おかしなことばかりだと誠一郎は感じた。
こんなことがしょっちゅう起こる。
ましてやけがを心配されるほどというのはいったいどうなっているのだろうか。
「夢華ちゃんだっけ?」
夏梨の問いに夢華は返事をして視線を向けた。
「少し顏色が悪いけど大丈夫?」
どうやら頭のてっぺんまで血が上っていたのは誠一郎だけだったようだ。
夏梨は冷静に顏色が悪いことを観察していた。
誠一郎は全くそんなことに気付かず、五條の事ばかりを考えていたことを反省した。
とはいえ、二宮も全く気付いていなかったようだ。
彼の場合は怒っていたというより、思い悩みすぎて周りが見えていなかったようだが。
「大丈夫です。ちょっと疲れただけですよ」
夢華は笑顔を作ってそう言ったがどこか影があった。
無理はしないようにと夏梨に声をかけられ、夢華は店の奥へと入っていった。
夢華の姿が見えなくなると、示し合わせたように三人は同時に大きなため息をついた。
「なんかごめんね」
しばらくの沈黙の後二宮がそうつぶやいた。
「二宮さんが謝ることないですよ。冷めちゃいますし食べましょう」
そう言ったものの、先ほどまでの空腹感はどこかに消えてしまっていた。
それでも誠一郎は大皿から料理を自分の皿へ移した。
それに続き二宮も夏梨も料理を取り分けた。
しかし、重い空気はそのまましばらく引きずられたままで、なかなか会話は生まれなかった。
「二宮さんと五條さんって同級生なんですよね? 前からあんな人なんですか?」
会話に困った誠一郎は失礼な物言いだとは思いながらもそう二宮に聞いた。
二宮はその問いに苦笑いを浮かべる。
やはり答えにくいよなと思い、誠一郎が話を流そうとしたところで、炒飯を運んでいた夏梨のレンゲが皿に置かれた。
「昔からあんな感じよ」
伏し目がちに夏梨はそうつぶやいた。
「あんな感じっていうのは?」
「野心の塊って感じだったね」
今度は二宮が答えた。
「入学当初から自分はえらくなるんだって周りに言って歩くような奴だったよ。まぁ、当然周りは相手になんてしていなかったけどね。でも五條は口だけの人じゃなかったよ。勉強はすごい頑張ってた。鍼の練習も相当していたと思う。実技のテストなんかじゃいつも満点だったからね。でも、自分の事しか見えていないというか、学校の附属の鍼灸院とかでの実習ではいろいろ問題はあったみたい。先生とぶつかったり、自分の治療方針にそぐわない患者と問題起こしたりとか。僕は在学中そこまで仲良くなかったから、どれもこれも噂話だけどね」
そう言うと二宮は少し肩をすくませた。
「野心にあふれてたのは間違いないわね。私の所にも来たもの」
少しあきれたように夏梨がそう言いながらジャスミン茶を口へ運ぶ。
「そう言えば、夏梨は今日が初対面じゃないんだよな?」
「当たり前でしょ。同じ学校だったんだし、告白されてるんだから」
「そう言えばそんな話聞いたことあったなぁ」
二宮は遠い目をして昔の事を思い出すように言った。
誠一郎は夏梨の口から唐突に出たカミングアウトの意味をいまいち理解できていなかった。
「告白ってどういうことだよ?」
無意識に声のボリュームが上がっている。
「どうもこうも付き合おうって言われたのよ」
「それでどうなった?」
誠一郎は身を乗り出して間髪入れずにそう聞いた。
「何で誠一郎がそんなにそこに興味津々なのよ? 当然断ったわよ」
それを聞いた誠一郎は安堵と共に背もたれに身を預けた。
「それは僕も聞いたことがある。というか、その当時五條は相当落ち込んでいたよ」
「本気だったんだな」
「そんなわけないじゃない」
夏梨はなくなったジャスミン茶を注ぎながら吐き捨てるように言った。
「あの男は私の苗字が欲しかったのよ。私の事なんて一つも考えてなかったわ。俺がえらくなるための手伝いをできるなんて光栄だろぐらいのいい方だったわ。そんなんだからあの程度なんだろうけど」
あの程度というのにはいろいろな意味が込められていそうだ。
「そうだね。それが理由で五條は意念空間に入れないんだよ。彼自身気付いているかわからないけど。でもわかってるだけマシだよ。僕なんか何で入れないかわからないんだもん。やっぱり才能ないのかな」
今回ばかりは夏梨のきつい物言いがあだとなった。
しまったというような表情を夏梨は浮かべている。
二宮は患者をないがしろにする人間ではない。
イメージ力に関しても才能が無ければ盧斎は弟子にはしなかっただろう。
だとすると二つの絶対条件以外の所、その二つ以外にある意念空間に入るためのトリガーをまだ見つけられていないという事だろう。
「ごめんね。また暗くなっちゃうね。食べようか」
自分の発言がまた場を暗くしたことを気にして二宮がそう言ったがなかなか場は明るくならず、重い空気のまま昼食は終わった。
用事があるという二宮と南京町の中で分かれたのは午後二時ごろだった。