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幻想鍼医  作者: ジーン
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第二十話 敗北

 夏梨は佑介たちを送りブースに戻るとへなへなと座り込んでしまった。


「お、おい。大丈夫か?」


 誠一郎が慌てて駆け寄る。

体へのダメージは意念空間から持ち帰ってくることはないが、現実世界で感じている身体的、精神的な疲労感は意念空間から帰還したと同時に術者へ一気に降りかかる。


「大丈夫よ」


 そう言った夏梨の目はどこか虚ろだった。

意念空間での治療は現実での治療よりはるかに精神をすり減らしてしまう。

そこへ南雲がやってきた。


「誠一郎君。こっちに来て患者さん診てくれる?」


 南雲はカルテをひらひらと見せながらそう言った。

誠一郎は心配そうな目を夏梨へ向ける。


「夏梨は私が見ているから行っておいで」


 南雲の後ろから東雲が顔を出してそう言った。


症例四:鈴木大介、男性、三十二歳

主訴:腹部の引きつるような痛み

現症:一週間ほど前に風、雨共に強い中趣味のサッカーをやり、その日の夜から腹部に引きつるような痛みが出現した。入浴すると緩解する。痛みの範囲は広く、皮膚が痛む感覚である。夜就寝しようと布団に入っても、腹部と腰部に冷えを感じなかなか寝付くことができない。症状が出だしてから軟便気味。鼻水や咳はなく、発熱もない。


 鈴木は趣味のサッカーのせいなのか浅黒く日焼けをしている。

短髪で鍛えられた筋肉が服の上からでも見て取れる。

到底体調を崩すようには見えない。


「お、この先生は初めましてだな。怜子ちゃんがよかったなぁ」


 鈴木は色黒な肌のせいで嫌に目立つ白い歯を見せ、にやにやと笑いながらそう言った。


「はいはい。それより、無理しちゃダメだっていつも言ってますよね?」


 軽く流しながら南雲が言った。

誠一郎は軽くカルテに目を通す。

その結果、この患者は症状が良くなるとまた体を壊して舞い戻るという事を繰り返しているという事がわかった。


「いやぁ、いつもすぐに良くなるからついつい無理しちゃうんだよなぁ」


 浅黒いその男は全く悪びれる様子もなくそう言った。

南雲はやれやれといった様子で肩を落とした。

とにもかくにも治療を任された誠一郎は目の前の患者に集中することにした。

意識を研ぎ澄ましていく。

ワゴンの上の鍼に触った瞬間彼の意識は意念空間へと飛んだ。

黒雲立ち込める中、赤茶色の土の上に誠一郎は立っていた。

後ろを振り向くと南雲が大きく伸びをしていた。

思わず誠一郎はため息をついた。

すると吐き出された息が白いことに気付いた。

それだけではない。

手や足の先が冷たい。

身を切るような寒さだ。

誠一郎はすぐさま鍼器を構え辺りを見渡した。

目に入ってくる景色に違和感がある。

地面が揺れているように見える。

しかし、地震のように誠一郎自身が揺れを感じることはない。

まさかと思い、彼は足元に視線を下した。

次の瞬間、彼は大きな声を上げて後ろに飛び退いた。

その姿を見て南雲は笑っていたが誠一郎にそれを確認する余裕はなかった。

誠一郎の目の前には踝ほどの身長の青白い小人が無数にひしめき合っていた。

数など到底数え切れないほどいる。

まるで青白い絨毯だ。

まさに鈴木の訴えている冷えによる広範囲で浅い痛みと合致している。

誠一郎は風邪と寒邪が同時に体を犯している状態であると目星をつけていたが、どうやら正解のようだ。

しかし、邪気は突き止めたが、それを前にして一体どうやって対処すればよいのかまったくわからなかった。

うじゃうじゃとひしめき合う邪気たちは攻撃に躊躇している誠一郎めがけ次々に飛びかかった。

不意を突かれた誠一郎の体に邪気たちはしがみつき、次々に噛みついた。

誠一郎は短く悲鳴をあげて身をよじった。

その身体からは想像ができないほどの力で邪気たちの歯が誠一郎の身体に食い込む。

半ばパニックに陥りながら彼は邪気たちを手で引き剥がし遠くへ投げ捨てた。

そして一目散に逃げ、南雲の足元に倒れこんだ。

誠一郎は噛まれた傷を確認してぎょっとした。

皮膚はえぐれ肉がむき出しになっていた。

痛みも血も出ていなかったから気づかなかったのだが、その理由は傷口が物語っていた。邪気に神ちぎられた傷口は白く凍っていたのだ。

その邪気の驚異からか意念空間の寒さのせいか誠一郎の体はがたがたと震えていた。


「これはイメージだ……」


 誠一郎は自分に暗示をかけるようにそう繰り返し呟いていた。

その視線は焦点が合っていない。

南雲は自分の足元にうずくまる弟子を見下ろし腕を組んだまま身じろぎひとつしなかった。

意念空間がイメージの世界だとしても、誠一郎の意識が今ここにあることには変わりはない。

邪気たちの次の波が彼を襲う。

飛びかかる邪気を一心不乱に振り払う。

それと同時にがむしゃらにパイルバンカーの杭を打ち込む。

そのうちの数発が運良く邪気の身体を貫いた。

身体を貫かれた邪気は粉々に砕け飛散した。

しかし、空が晴れる気配はいっこうになく、それどころか攻撃の手が緩まる気配すらなかった。

誠一郎は邪気に圧倒されたまま、不毛な抵抗を続けた。

彼の攻撃は空を切り、地面に突き刺さったが邪気は的確に彼の肉を削いだ。

激しく抵抗していたせいで、体温が上がり氷を溶かし、傷からは血が流れ、痛みが誠一郎の正常な判断をさらに鈍らせていた。

もう、彼は機械のようにトリガーを引き続けることしかできなくなっていた。

何本目かわからないが、弱々しく杭が地面に刺さったところで南雲が誠一郎を止めた。


「タイムアップだ誠一郎君」


 南雲のその言葉に誠一郎は気を失うように目を閉じた。

目を開けると彼はベッドにうつ伏せで寝ている鈴木の前に立っていた。

鈴木の腰には数十本の鍼が刺さっている。


「誠一郎君、今日はそこまでにしておこう」


 南雲の言葉が誠一郎の心に突き刺さる。

意念空間では雲が晴れなかった。

それが意味するのは治療がうまくいかなかったということだ。

誠一郎は下唇を噛みしめながら背中に刺さった鍼を抜いた。

治療を終えた鈴木は不満げだったが南雲にうまく言われ、また明日来ると言って帰った。


「さて、誠一郎君反省会をしようか」


 南雲はいつもの笑顔を浮かべベッドに腰かけた。

いつもと変わらぬ笑顔がいつもより威圧感を醸し出していた。

誠一郎は俯いたままだった。


「僕が何故治療を止めたのかわかるかい?」


 南雲は足を組み、体を乗り出して誠一郎の顔を覗き込んだ。


「あのまま治療していても効果が無かったからだと思います」


 罪悪感からか、誠一郎は南雲から目線を外した。

それを聞いた南雲は小さく唸った。


「半分正解かな。効果が無かったわけじゃないんだけどね。鍼当たりって習ったよね?」


 鍼当たりとは患者の身体に対し鍼の刺激が過剰であった場合に起こる可能性のある減少で、倦怠感やめまい、吐き気などの症状が現れ、ひどければ発熱や失神が起こる。

鍼の過誤の一つである。

今回の誠一郎の治療では闇雲にうち続けた鍼が刺激過剰を引き起こす寸前だったと南雲は言った。


「誠一郎君の治療をあのまま続けていればいずれ効果は出ていただろうけど、それには患者さんが霊長類最強並みの強靭な肉体である必要があるね。たいていの場合は効果が出る前に患者さんがまいってしまう。今回の治療はその直前だった。鍼灸師なら冷静に患者さんの限界を見極め、自分の治療が至らなければ潔く治療を中断するのも腕の一つだよ」


「はい……」


 そう返事をするのが誠一郎には精一杯だった。

不甲斐なさに打ちひしがれる。


「明日は僕が治療するから、しっかり見ておいてね」


 そう言うと南雲は立ち上がり、一度誠一郎の肩に手を置きブースをあとにした。

誠一郎はしばらく身じろぎ一つできなかった。

しばらくしてブースの入り口で物音がした。

驚いて振り返るとそこには夏梨の姿があった。

誠一郎は力が抜けたように椅子に座り込んだ。


「大丈夫?」


 夏梨が先ほどまで南雲が座っていたベッド際に腰を下ろした。


「惨敗さ」


 自分を嘲笑するような笑みを浮かべ言った。

言葉に加えため息が出る。


「そう……」


 夏梨はそれ以上言葉を続けなかった。

しばらく無言の時間が流れた。


「何に落ち込んでいるの?」


 誠一郎は夏梨の質問に驚きを隠せなかった。

何に落ち込んでいるかなんてわかりきっている。

それがわかっているから夏梨は大丈夫かと声をかけたのではないのか。


「そりゃあ、治療がうまくいかなかったことにだよ」


 そんなこと当たり前だといわんばかりだ。

夏梨は何かを考える様に一度視線を床に落とした。


「こんないい方はよくないかもしれないけれど、誠一郎の治療はまだ終わってないのよ。患者さんは生きていて、また来るんだから落ち込んでいる暇があったら次を見据えて少しでも努力したらどう?」


「ほっといてくれよ」


 誠一郎は吐き捨てる様にそう言った。

彼は胸が苦しくなる感じを覚えていた。

夏梨の言う意味はとてもよく分かっていた。

治療がうまくいかず、最後には南雲に止められてしまった。

しかし、それは今日の治療がうまくいかなかっただけに過ぎない。

もちろん今日の治療で患者の痛みがとれることが最も良いのだが、鍼灸師は医師と違い、幸いにも命にかかわる症例というのはほとんどないといえる。

つまり、患者が求める限り、何度でも戦うチャンスがあるという事だ。

誠一郎は一回の治療で自信を失い、そのチャンスを投げ出そうとしていた。

目の前の患者から逃げようとしていたのだ。

もちろん、病が重く自分の技量に見合わない患者の場合は引き際も肝心であるが、今回の場合はおそらくそれに該当しない。

何か誠一郎にもできることがあるはずだ。

そのこと自体、彼は理解はしていたが、認めたくなかった。

惨めな気持ちから逃げるために、自分には重い患者だと自分の気持ちを丸めこもうとしていた。


「私に自分の人生は自分で決めろと言った強い誠一郎はどこに行ったの? 私はあの言葉がすごく支えになったの。だからお願いよ。自暴自棄になって患者さんの事を投げ出さないで……」


 夏梨の言葉は誠一郎の心に突き刺さる。

それは彼女の表情が悲しみに満ちていたからだろうか。

彼女は何かを振り切るようにブースから出ていった。

残された誠一郎の心には重苦しい感情の塊がのしかかっていた。

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