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幻想鍼医  作者: ジーン
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第十六話 目を背けてはいけない

 裏庭に出ると夏梨が頭を抱える様に椅子に座りすすり泣いていた。

誠一郎はかける言葉を見つけられず無言のまま隣の椅子に座った。

四月に入り、だんだんと日差しが強くなり始めていた。

上着はもう必要ないくらいに温かい。

近くの大きな国道を通る車の音に紛れて夏梨のすすり泣く声が漂っていた。

何と声をかけるべきか迷う自分に嫌悪し、苦い顔をした誠一郎は息苦しさを感じ始めていた。


「笑ってよ。馬鹿にしてよ……」


 夏梨は涙をすすりあげながらつぶやいた。


「何でそんな事……」


「そうしてくれなきゃ余計に惨めじゃない。悟られないように頑張ろうと思っていたのに……。私なんかを弟子に取ってくれた東雲先生に見捨てられないようにと思っていたのに……。もう全部台無しよ」


 そう言うと再び声を漏らして夏梨は泣き始めた。


「なぁ、失敗したからどうだっていうんだよ?」


 そう言って誠一郎は夏梨に向き直った。

涙でぐちゃぐちゃになった顔を夏梨は上げた。


「できないんだったらできないことをしっかり認めるべきだろ? できないと認めて初めてそれを克服するために前に進めるんじゃないのか? そこから目を逸らしているうちは克服は一生できないと思う」


 涙があふれる目を一直線に見つめ誠一郎はそう言った。

夏梨は目を大きく開け、目を白黒させていた。

そして頬には涙の筋を残しながらさざ波のように小さく穏やかな笑みを浮かべた。

その表情は誠一郎の意表を突いた。


「どうしたんだよ?」


「なんか、誠一郎にそんなこと言われると思ってなかった。今まで馬鹿にしててごめん。何か見直した」


 涙をぬぐい、夏梨はそう言った。

誠一郎は自分の勘違いではなく馬鹿にされていたんだという事が少しショックだったが、まぁいいかと苦笑いを浮かべた。

しかし、夏梨の笑みはすぐに消えてしまった。

いぶかしげな表情を浮かべ、誠一郎は彼女の顔を覗き込んだ。

すると彼女はぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。


「私ね、学校の勉強はすごい頑張った。もちろん実技も……。試験は正直簡単だった。でも、患者さんの前に行くと緊張して全然だめだった。学校で患者さん相手に実技をする機会なんてほとんどないでしょ? だから、克服できずにここに弟子入りして、なんとかやっていけるかと思ったけどだめだったなぁ」


 夏梨は最後天を仰いで遠くを見つめながら言った。

彼女は現在の鍼灸業界の問題を体現していると言っても過言ではなかった。

医師の場合、六年の大学生活を終え、国家試験に合格した後に、研修医制度として数年間臨床に従事する。

もちろん在学中にも実技は行われる。

これに対し鍼灸師は大学に進学した者は四年間、専門学校に至っては三年間で、座学、実技共に修了し、ほとんどの学校が卒業と共に国家資格を取れるようなカリキュラムになっている。

つまり、免許を持った状態で患者に接することができる学校は日本にはほとんどないのだ。

それに加え、研修医制度のような制度は三皇五帝の徒弟制度を除けばほとんど存在しない。

鍼灸師という職業はどれだけ経験を積んでいようが、まったくの新人だろうが一律に鍼灸師であると一般の人には見られる。

患者に恐怖心を覚えようが、極度の緊張で臨床に堪えられないとしても、患者の前に立てば孤立無援の一人前の鍼灸師であるという事だ。

今回の夏梨の場合は東雲という師匠がいたからよかったものの、そうでなければ治療は成功しなかったことだろう。

そして患者も治療者もつぶれてしまっただろう。

そして、若手に正しい指導者がつかないというのは業界の発展を著しく阻害してしまっている。

今回の夏梨の場合、東雲をはじめとして双雲鍼灸院のメンバーがどう彼女をフォローしていくのかによって、彼女が鍼灸師として自立できるかどうかが変わってくる。


「師匠が師匠なだけに余計にそう思うよな」


 誠一郎も空を見上げた。

そこには青い空と白い雲、テンプレートのような青空が広がっている。


「でも、俺らはまだ大学を卒業したばかりで運よく師匠たちの弟子になれた。だから今はだめでも、師匠たちがいるしこれからいくらでもできる様になれるんじゃないか?」


 誠一郎は夏梨へ視線を戻した。

彼女は誠一郎の目をまっすぐに見つめ力強くうなづいた。


「そう言えば、何だかんだ怜子さんの事尊敬してるんだな」


 その言葉を聞いて、夏梨は口をむっと尖らせた。


「鍼灸の技術を尊敬するのと東雲先生という人間を嫌うのは別の話よ。私はそこまで子供じゃないわ」


 彼女は鼻を鳴らしてそう言った。

そう言われてみれば、自分の身内(義理の姉)になることが決まっている人間を名字で呼ぶのは不自然に思う。

ふと夏梨が立ち上がった。


「戻りましょう。いつまでもここでサボってるわけにはいかないわ」


 まだ、泣いていた名残で目は赤いが、いつもの強気な表情を彼女は取り戻していた。

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