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幻想鍼医  作者: ジーン
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第九話 壁

症例一:木村玉枝、女性、六十一歳

主訴:右腰でん部痛

現症:本日午前中、冷たい風の吹く中数時間にわたり屋外で座りながら植木をいじっていた。作業が終わり、立ち上がろうとしたとき、右腰からお尻にかけて電気が走ったように激痛が走った。足を動かそうとすると激痛が走り、歩行も困難である。食事、睡眠、大小便に異常はない。


 誠一郎は一通り症状について問診や触診、徒手検査を行った。

症状としては単純な急性腰痛であると誠一郎は考えた。

いわゆるぎっくり腰だ。

おそらく屋外で冷たい風を受け続け、冷えたことが原因であると誠一郎は断定した。

個別包装で滅菌された使い捨ての鍼と鍼管を袋から取り出す。

一度目を閉じて心を落ち着けようとする。

誠一郎にとって初めての患者だ。

緊張していても無理はない。

深く息を吐き出した。

目を開けると一瞬目の前にもやがかかった。

すぐにもやは晴れ、黒雲の広がるだだっ広い世界に誠一郎は立っていた。


「鍼器……」


 誠一郎はそうつぶやき宙に右腕を突き出した。

自分なりのパイルバンカーを強くイメージする。空気の渦が右腕を取り巻く。

小さなブロックが腕にまとわりつくように少しずつ鍼器が形作られていく。

身を覆う大きな黒い盾。

そして、その盾を真っ二つに割るように盾の裏側に彫られた溝に装填された銀色の杭。

予備の杭が盾から飛び出ないようにずれた位置に五本ほど並んでいる。

右手と鍼器はベルトと金具がつないでいた。

しっかりと固定されており、少々荒っぽいことをしても外れそうになかった。

人差し指と中指の所にひとつずつトリガーがある。

杭を打ち込むのか撃ち出すのかを決めるためのトリガーだ。

おそらく、誠一郎の身長とほとんど変わらない鍼器は、驚くべきことに片手で軽々と振り回せるほど軽く感じた。

張りぼてではないかと思い誠一郎は盾や杭に触れてみるが、完全に感触は金属のそれであった。

完全に鍼器が形成されるのを待って、辺りを見回す。

いったい邪気はどこに潜んでいるのだろうかと、見たこともない敵を誠一郎は必死で探した。

いつの間にかあたりに雪がちらついていた。

息も白い。それどころか、体が震えるほど寒い。

大家の腰にドイツでは魔女の一撃と呼ばれるほど強烈なぎっくり腰を与えた原因は間違いなくこの寒さ、つまり、体の冷えであると誠一郎は確信していた。

しかし、意念空間に入り、鍼器を出したところまでは良かったが、一向に敵の姿を見つけられずにいた。

見つけるも何も、地平線まで何もない大地が360度広がる世界で、見えていないものをどうやって探せばいいのか。

誠一郎は段々と不安を感じていた。

それはまるで、誰もいない不気味な雰囲気を醸し出す大きな建物を奥へと進んでいくようであった。

知らず知らずのうちに、不安からか呼吸が浅く早くなっていく。

誠一郎は生まれて初めて本当の意味での孤独というものを感じた。

何もない世界にただ一人。

不安は恐怖心に変わり、誠一郎を押しつぶした。

彼は力の限り吠えた。

黒雲が声を吸い取っていく。

虚しい叫びが宙を舞う。


「くそったれ!」


 誠一郎は鍼器を宙に突き出すと、人差し指でトリガーを引いた。

鈍く大きな金属音と衝撃が走ると同時に、銀色の杭が盾から飛び出したかと思うと、再び元の位置に収納された。

誠一郎が想像していたよりも右腕にかかる衝撃が大きく、彼は肩が外れるかと思った。

痛みが肩に残る。

しかし、今度は中指のトリガーを引いた。

鍼器が爆発したかと思うほどの衝撃が走り、腕が弾きあげられた。

その衝撃で誠一郎はしりもちをついた。

轟音と共に撃ち出された杭は黒雲から降りる闇の中へと消えて行った。

誠一郎は立ち上がり左腕で右腕を固定すると、闇雲にあちこちへ杭を撃ち出しまくった。

弾切れになると、すぐさま次の杭をイメージし撃ち出し続けた。

急に、誠一郎の頭の中に南雲の声が響いた。

誠一郎は頭を抱え崩れ落ちる。

次に目を開けたとき、誠一郎は双雲鍼灸院で自分の目の前に自分に背を向け横向きに寝ている木村玉枝に鍼を打っていた。

後ろを振り向くと南雲が立っている。


「大丈夫かい?」


 南雲は額をぬぐうような動作を見せた。

誠一郎は自分の額をぬぐって驚いた。

ぬぐった手には大量の汗がついていた。

体中に冷や汗をかいていることに気付く。

ふと玉枝に目をやると、腰とお尻に大量の鍼が刺さっていた。

二十本は刺さっているだろう。

南雲の指示で一度すべての鍼を抜いた。


「大家さん、今腰の具合はどう?」


 そう言われた玉枝は体を少しよじって小さな悲鳴を上げた。

症状に全く変化は見られない。

南雲は玉枝に少し待つように伝え、誠一郎をブースから連れ出し、従業員用の部屋へ連れて行った。


「意念空間には入れた?」


「はい……」


 うつむいたまま誠一郎が答える。


「大家さんの腰痛の原因は何だと思う?」


「……寒邪だと思います」


 治療効果を出せなかった誠一郎は答えに自信を持てず、答えるまで少しの間があった。

しかし、寒い中での作業が原因と考えると答えはそれしかなかった。


「カルテを見たけど、それは間違いないね」


 南雲の言葉に誠一郎は胸をなでおろした。


「じゃあ、寒邪ってどんなものか覚えてる?」


 机に寄りかかりながら南雲は質問を続けた。


「陽気を損傷しやすく、凝滞性があって、収引性があります」


 誠一郎は口頭試問を受ける学生のように答えた。

陽気とは簡単に言えば体の中の温かい部分のことである。

陽気を損傷しやすいという事は体を冷やしてしまうという事である。

凝滞性は流れているものを固めてしまう性質、収引性とは収縮させてしまう性質のことを指す。


「学校の勉強はしっかりやってたみたいだね。今回の症例の場合、今言った中で、凝滞性っていうのが、大きくかかわっているね。東洋医学では不通即痛という言葉がある。経絡の流れが滞ると痛みになるという意味だけど、この寒邪の凝滞性というのは経絡の流れを滞らせる。これが今回のぎっくり腰の原因だと考えられる。ここまではたどり着いてるよね?」


 誠一郎は下唇を噛んだまま頷いた。


「じゃあ、その寒邪はどこにいるのかな?」


 沈黙が降りる。

誠一郎は南雲の質問を理解できていなかった。

患者の身体の中ではないだろうか。


「じゃあ確かめに行こうか」


 再び二人は玉枝のもとへ向かった。

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