序章 業界の変革
日本における少子高齢化率は先進国中でも深刻で、全人口の三人に一人が高齢者という時代がすぐそこまで来ていた。
借金大国である日本は国債が八百兆円を超えたあたりから、より一層保険料の削減を始めた。
その一つの政策として、入院期間が長ければ長いほど実費負担分が増加するという累進負担制度を与党は強行採決する。
これにより、年金のみの収入で一人暮らしをしていた高齢者は入院医療を受けることが困難になり、一時は孤独死が大幅に増加し、時の政権は総辞職に追い込まれた。
その後、法律を廃止して保険料を増加させて国の借金を増やしても、このまま対策を取らなくても自分たちが苦しい政治家たちは、自分たちの身を守るために珍しく団結し、保険を使わなくてもよい代替医療を全面に押し出した。
中でも世界の中で多くの国が力を入れている鍼灸に注目が集まった。
政治家たちは今まであまり触れようとしなかった不正請求や違反宣伝などを理由に、鍼灸から保険治療を奪った。
当然の如く鍼灸業界は猛反発したが、いつしかと同じように、業界にまとまりがないと撥ねつけられた。
業界の中には保険治療など必要ないという考えをもつ人が一定数いたことも影響している。
彼らの言い分としては、保険治療は腕のない鍼灸師が患者さんをつなぐためにやるものだというものだった。
このような意見はだんだんと膨らみ、業界の半数近くがこの意見に同調したため、業界は分裂した。保険治療を奪われた鍼灸師は、その半数以上が離職に追い込まれた。
すべてではないにしろ、保険治療が禁止されたことは大きな理由の一つだろう。
一方で、自分たちの治療院を維持できた鍼灸師たちの所得は跳ね上がった。
医師からの風当たりは強くなったが、高齢者の患者は鍼灸を重宝した。
入院に至る大きな病気を予防し、病気を患っても軽症で済んだり、退院が早まったりと、メリットが多かったからだ。
図らずも、保険診療の禁止は、鍼灸治療の今まで表に出なかった素晴らしい面を世間に知らしめると同時に、弱肉強食の食物連鎖を鍼灸業界にもたらした。
派閥同士の争いも燻っていた鍼灸業界は、保険診療の件で喧嘩別れしてしまった。
鍼灸師養成学校の中で業界トップクラスの力を持つ、杜乃都鍼灸大学の学部長である針村隆司は業界をまとめ上げるため全日本鍼灸団体連合会を作った。
各業界団体同士の連携をとり、業界を一枚岩にすることに成功した。
そのカリスマ性は瞬く間に全国に轟くことになる。針村が成功した一つの要因として、団体のみではなく、臨床家にも目を向けたという事がある。
団体の長だけを集める会合では利権が渦巻く。
それを危惧した針村は臨床に従事する人間の代表を会合に若手の臨床家の代表を出席させるという方法を取った。
それは三皇五帝制度と呼ばれる。
各団体の代表は五十代、三皇は四十代、五帝は三十代の鍼灸師を選出する。
三皇五帝は純粋な治療の腕で選ばれる。一年に一度選出するための投票が行われる。
全日本鍼灸団体連合会が実施するもので、鍼灸師、患者にそれぞれ一票ずつ、各業界団体に百票ずつ票が与えられている。
群雄割拠、弱肉強食の現鍼灸界においては選ばれることは最高の栄誉とされる。
その座を奪うために汚い手を使うものも中にはいるようだ。あまり他の鍼灸院に干渉しない風潮が強かった鍼灸業界は大きな変化を迫られてしまった。
そんな世界に一人の青年が身を投じる。これはそんな一人の若者の物語。