第76話ー龍哉ー
瑠璃の母親の部屋からの帰り道、龍哉はひどく不思議な気持ちだった。
もっと冷静でいられないと思っていたのに、彼女はあっさりともう一度瑠璃を手放すと言ったし、瑠璃も僕のもとに残ることを前提で彼女と話をしていた。
それでも彼女のことを瑠璃が母親と呼んだとき、僕は冷静でなんていられないと思っていた。けれど、実際、彼女たちの会話を聞いて心に湧き上がったのは酷く穏やかで優しい感情だった。そして何よりも、彼女と話す瑠璃が誇らしいと思った。
口元が緩んでいるのを承知のまま、静かに自分の一歩後ろを歩いている娘を振り返る。
その顔はどこか複雑そうで、少し不安そうだった。
龍哉はぐっと眉を寄せて足を止めた。
「瑠璃、どうしたんだい?」
「あの、ね。わたし、……私、お父さんの娘でいてもいいんだよね?」
おずおずと不安そうに尋ねてきた瑠璃に龍哉は呆れたように笑った。
「なに当たり前のこと言ってるの?
君がどこの誰であろうとあの日、君を見つけた時から君は僕のものだ」
気まぐれで拾った娘が何よりもかけがえのないものだと気付いたその瞬間から、否、きっと拾ったその時から手放すつもりなんて欠片もなかった。
「っおとうさんだいすき!!」
目を見開いた瑠璃がくしゃりと顔を歪めて飛びついてくる。
ぎゅうううと幼い子供のようにしがみついてくる瑠璃を優しく抱きしめる。
そう。手放すつもりなんてなかったんだ。
瑠璃の父親だと名乗る男が現れてからずっと、瑠璃を手放さなくて済む理由を探してた。
だけど、瑠璃が望むなら手を離さなければならないのも分かっていた。
だから今こうして、この腕の中に瑠璃がいることにらしくもなく安心して、まだ当分この手を離せそうにないと、改めて思ったのだ。
瑠璃がどこにいても、何をしていても、誰といても、僕が瑠璃を守りたいと、大切に慈しみたいという気持ちは変わらないのだから。
「いつからそんなに甘えたになったの?」
抱きついたまま離れる様子のない瑠璃にからかうように声をかければむぅと頬を膨らませた顔が龍哉を見つめる。
「そんな顔してると戻らなくなるよ」
「お父さんのばか。
いひゃい! いひゃい! ほめんにゃしゃーーい!!」
柔らかなほっぺをむにっとひっぱりながら意地悪く笑う。
「ふん。生意気な口利くからだよ。
……ねぇ、瑠璃。僕はまだ君の手をはなしてあげられそうにないんだけどいいかな?」
「お父さん?」
キョトンと訳の分からないという顔をする瑠璃に微苦笑を零す。
「変な男連れてきたら殺すからね?」
「ボコすとかじゃなくて殺人宣言!?」
「当然だよ。僕が認めたやつにじゃないとお嫁になんてあげないから」
「わたし、お嫁になんかいかない! お父さんとずっと一緒にいる!!」
ぎゅううううっとバカなことを言いながらまた抱きついてきた瑠璃の頭をポンポンと撫でながら龍哉は小さく笑った。
さて、あとどのくらい同じことを言ってくれるだろうか。
あのクソガキの執着も薄れることはないし、むしろ強くなる一方だし、頼むからその日が来るのはまだ当分先であってほしいと願わずにはいられない。
瑠璃。ラピスラズリ。この子の瞳と同じ色、同じ名前の宝石。
名前が一種の呪だというのならば、どうか同じ名前の宝石が幸運を呼ぶようにこの子に幸せが多く訪れますように。
僕のただひとつの宝物。どうか君だけはずっと幸福でいて。