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夜闇に咲く花  作者: のどか
キズナ編(仮)
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第69話


『アンジュ様』


 そう囁くのは誰?

 わからない。わからないけれど私はこの声を知っている。


『どうか、忘れてください。あなたの幸せのために』


 そう微笑んだ人を私は知っている。


『幼いあなたにこの記憶は重すぎる。

 どうか、どうか幸せになってください。

 それが私の幸せだから。私の生きたしるしになるから』


 だから、さぁ、振り向かずにお行きなさい。


 彼女は微笑んで私の背中を押した。


『そのままお逃げなさい。あの家から。あの人から。

 あなたが幸せを掴める場所まで、どこまでも』


 そうして彼女は炎の中に消えていった。

 途方に暮れる私に差し出された大きな手。あたたかくて優しい手に安心した途端、その手が掴む前にすっと消えてしまう。


「っ!!!」

「瑠璃ちゃん、」

「エアル、さん……?」

うなされていたわ。嫌な夢を見たの?」

「ゆ、め……」


 夢というよりあれは記憶……。

 ここ最近見ていた夢のように断片的なものじゃない、記憶のかけら。

 どうしてこんな夢を。そう思ったところでさぁあっと血の気が引いていった。

 お父さんがいない。お父さんに捨てられたかもしれない。


「おとう、さん」

「大丈夫、お仕事が終わればすぐに帰ってきますよ」

 

 本当? 本当に帰ってくる? このまま私を置いてどこか遠くに行っちゃわない?


『あんな奴の言葉より龍哉を信じてやれ』


「おとうさんを、しんじる……」


 自然と零れた言葉にエアルさんはまるでよくできましたというように微笑んだ。

 夕飯は食べられそうですかと聞くエアルさんにこくりと頷いて一緒に食堂に向かう。

 本当はあまり食欲がなかったけれど、これ以上心配を掛けたらいけないと思った。

 食堂にはもうおじ様もフォンセも来ていて私が顔を見せるととても心配そうな顔をした。

 その顔があまりにそっくりで私とエアルさんは顔を見合わせて小さく笑う。


「チビ、龍哉はすぐ戻るからな」

「はい。フォンセのおかげで大丈夫です」


 まだ不安だけど、まだ怖いけど、フォンセのおかげでお父さんを信じることができる。

 心の余裕がほんの少しだけどできた気がする。

 それを伝えるとおじ様は珍しく驚いた顔をしてフォンセを見た。そして僅かに口の端を釣り上げる。


「そうか。まぁ、なにかあれば遠慮なく言え」


 そう言ってくださるおじ様にお礼を言って席に座る。

 出てきたご飯はいつも通り美味しいものだったけれどやっぱり少し残してしまった。

 食堂からの帰りはフォンセが部屋まで送ってくれる。

 長い廊下を無言の空間がつつむ。けれど嫌な沈黙じゃなくて、何も言わなくてもいい安心感みたいなものがあった。


「瑠璃、無理をするなよ。何かあれば頼れ」


 部屋の前でそう囁くフォンセに素直に頷くとぽんぽんと頭を撫でられる。

 一瞬ここのところずっと見ている夢―――記憶のかけらのことを言うか迷ったけれどこれ以上心配をかけたくなくてただ頷いて部屋に戻る。

 ひとりきりになった部屋で夢の内容を考える。お父さんのことも気になるけれど、信じると決めた。だから、今はお父さんと出会う前の記憶の断片であろう夢と向き合う。

 いらないノートに覚えている夢の内容を書きだして整理する。

 幼い私は一体何から逃げていたのだろう。

 声の主は一体何から私を守っていたのだろう。

 何を忘れていることが私の幸せなのだろう。

 考えても答えは出ない。

 けれど私はこの日の夜の夢で忘れていたすべてを知ることになる。


 まだ薄暗い部屋で私はそっと涙を流す。


「思い、だした。わたし、ずっと守られてたんだ。

 姉さま……ッ!」


 どうして、どうして忘れていたんだろう。

 ずっと、ずっと、守られていた。

 あの優しい人に、ずっと背中に庇われて守られていた。

 今の自分と同じ年頃の少女に。

 何も知らずにただただ守られていた。

 最後の最後まで。


「ごめん、なさい」


 ツゥと頬を伝う涙を拭うこともできずにペタリとその場に座り込んだ。

 声をあげて泣きたかった。

 今すぐお父さんに抱きついてわんわん泣いて全て打ち明けて助けて欲しかった。

 だけど、それは他の誰でもなく私が許せなかった。

 その身ひとつでずっとずっと私の側にいて私を守ってくれていた人。

 何も返せないまま手の届かないところへといってしまったひと。

 最後まで強く美しかったひと。

 それなのに自分だけ、お父さんに頼るのはズルイ。

 あの人は怖くても、悲しくても、辛くても、苦しくても、最後まで自分の足で立ってその小さな背中に私を庇い続けたのだから。

 だから、私も自分の足で立って歩かなければならない。

 いつまでも、誰かに守られて手をひかれている訳にはいかない。

 それでも、怖くて仕方ないのだ。

 いつだって私は守られていたから。

 お父さんに、フォンセやグレンに、おじ様たちに、いつだって私は真綿でくるむように優しく守られていた。怖い思いなんて絶対にしないように。

 それでも。

 涙をぬぐって顔を洗った私はそっと部屋を抜け出して長い廊下を歩き出した。


「―――お話があります」


 たどり着いた目的の場所でそう切り出した私をその人は強い瞳で見返してきた。

 まるで私の覚悟を試すかのように……。




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