第68話
震える瑠璃の肩を抱いて屋敷に戻る。
瑠璃の顔は真っ青で今にも倒れてしまいそうだった。
「わたし、おとうさんにすてられちゃったの?」
不安をいっぱい滲ませてそう呟く瑠璃に俺は息をのんだ。
瑠璃があの男に何を言われたのかわからない。
だけど、この言葉に大体の想像がついた。
瞬間、いいようのない怒りが全身を駆け抜ける。
瑠璃の目と耳をふさいで消しとけばよかった。
「瑠璃、」
「おとうさん、すきにすればいいって。
わたし、すてられちゃったの? もう、いらないの?」
「瑠璃!!」
そんなわけない。そんなことあるはずがない。
現に今だって龍哉は瑠璃を手放さずに済むように藤の翁の後ろ盾を得に和の国に行っている。書類だって揃えて、法的に口出しできないように全部手を回している。
「だってわたし、いらないこだもん。おねえさんだって、あのひとだって、お父さんが優しいから……」
「ふざけんな!!!」
「っ、」
気がついたら怒鳴っていた。
瑠璃がここまで自分を卑下する原因は知っている。
まだ幼い瑠璃に龍哉に惚れた馬鹿な女がそう囁いたからだ。
もちろん龍哉が黙っているわけなくその女のその後は誰も知らない。
けれど瑠璃の心の傷になるには十分な出来事だった。そして今でもそれはトラウマとして瑠璃を縛りつけている。
それを知っていても瑠璃が自分をいらない存在だということに俺が耐えられなかった。
知っていても、いくら瑠璃でも俺の大切な人を否定してほしくなかった。
「いらない子なわけないだろ。大事じゃないわけないだろ」
だから諭すようになんども言い聞かせる。大事だと。必要だと。居場所はここにあると。
「だって、」
「だってじゃねぇ! あの龍哉がお前をいらないなんて言うはずないだろう!!
それに龍哉が必要としないなら俺が必要としてやる。
俺が、そばにいてやる。だからいらないなんていうな」
「……だもん。それじゃ、ダメなんだもん!!」
お父さんがいいの。お父さんの娘としての私の居場所が欲しいの。
お父さんの娘でいたいの。
ぐすぐすと嗚咽を漏らす瑠璃を抱きしめて奥歯をかみしめる。
「わかってる。わかってるよ。瑠璃」
分かってる。瑠璃の一番が誰かなんて。
分かってる。瑠璃が一番欲しがってるのが誰の愛情かなんて。
分かってる。瑠璃が欲しがっているのが誰の言葉かなんて。
それでも、
「俺がお前のそばにいる。居場所が欲しいなら俺がなってやる」
「フォンセ、」
綺麗な瑠璃色の瞳から零れる涙をぬぐってやりながら囁く。
偽りはない。
もしも龍哉が本気で瑠璃を手放すというのなら俺が瑠璃を貰う。
龍哉の代わりになれないのは知ってる。なるつもりもない。でも、俺は俺としてお前の居場所になる。お前のそばにいる。ずっと。手放してなんかやらない。
「俺がそばにいる。ずっと、」
ひとりになんてしてやらない。
だけど、お前の一番が誰か知っているから。
今は龍哉が誰より必要なのを知っているから。
まだその役目は龍哉に譲ってやる。
お前の心が壊れてしまわないように。
「だから泣くな。龍哉のことだって信じてやれ。
何を言われたか知らないがあんな奴の言葉じゃなくて龍哉を信じてやれ」
「、うん」
「早く泣き止め」
「そんなにされたら涙止まらないよ」
「ダメだ。お前に泣かれると困る」
ようやくぎこちない笑みを見せるようになった瑠璃をここぞとばかりに甘やかす。
髪を梳いて、涙の痕を指でたどり、抱きしめる。
もう大丈夫だといつのも笑みを見せるまではやめてやらない。
未だに止まらない涙がシャツを濡らすのも気にせずに瑠璃を抱く腕に力を込めて優しくその艶やかな髪を撫でた。
泣きつかれて眠ってしまった瑠璃を抱いて談話室を出る。
「瑠璃は?」
「泣き疲れて寝た」
壁に背を預けて聞き耳を立てていたらしいグレンに短く答えると苦々しく顔を歪めた。
「俺のミスだ。車に乗り込んだのをみて安心した」
「反省したなら二度と繰り返すな」
「……あぁ。ボスが呼んでる」
グレンがイヴェールをボスと呼ぶ時は相応のことがある。それは自分も同じだ。
今更遅いんだよと思いながら了承の返事をする。
「瑠璃を寝かせたら行く。母さんに声をかけといてくれ」
「わかった」
目が覚めた時、ひとりにならないように。
自分がそばにいられないのは悔しいけれど瑠璃を溺愛しているあの母になら任せて大丈夫だろうと安心して足を進めた。