第66話
ムスッと明らかに不機嫌なフォンセを引きずって龍哉はイヴェールの執務室へと足を向けた。
「お前も大人げないよなぁ」
「うるさいよ」
呆れたアルセの声も驚いた顔をする瑠璃の顔を思い出すと気にならなかった。
今のフォンセにはできないこと。
手を握ることができても、髪を梳くことができても、キスを贈ることはできない。
そんなことをすればたちまちあの子猫は毛を逆立てて警戒するか、逃げ回るだろう。
今まで必死に執着を押さえつけてきたというのにそれが台無しになってしまう。
だからと言って眠っている瑠璃に口づけるなんてそんなの絶対に認めないけれど。
「ほっぺくらいならいんじゃねぇの?」
俺やイヴェールなら嬉しそうに笑ってくれるぜ?
と続けたアルセの足をフォンセは無言で蹴とばした。
それができれば苦労しない。それにグレンはともかく自分がすればどっちみち逃げられる気がする。
「まぁ、しばらくは警戒して近づかないだろうね」
考えを読んだかのようにあっさり肯定されて自分を引きずる龍哉とアルセを睨みながら押し黙る。
龍哉はそんなフォンセを鼻で笑って執務室の扉を押し開けた。
「ノック」
「今更でしょ」
はぁとため息を吐いたイヴェールはあきれ顔で龍哉を見上げる。
その視線をものともせずにソファーに腰かけると龍哉はテーブルの上に置かれていた書類をぺらぺらとめくり始める。どこまでもマイペースだ。
「……どうするか決まったのか?」
「あの子には教えない」
「腹を括ったようだな」
「まぁね。そのためにあの人のところに行くんだし」
いつも通り余裕のある龍哉の姿にフォンセとグレンは無意識に安堵の息を吐いた。
「念には念をってことでグレン、お前最後までちゃんと調べ上げろよ」
「了解」
「フォンセ、テメェはたまった仕事を片付けろ」
「はい」
そう言ってフォンセたちを執務室から追い出すとイヴェールは瑠璃の父親を名乗っているグリッシュ子爵の動向について詳しいことを話し始めた。
どうやらあちらも瑠璃を諦める気はないらしく瑠璃との接触の機会をうかがっているらしい。はやく決着をつけるに越したことはない。そのために龍哉が瑠璃を手放さなくてもいい方法を調べてきた。準備は着々と整っている。後は自分たちの覚悟しだい――――…。
すべてを聞き終えた龍哉は重たいため息を零す。
「珍しく弱気じゃねぇか」
どことなく憂鬱そうな龍哉をからかうようにアルセが口を開く。
軽い口調の中には確かに龍哉への心配が含まれていた。
「……自信がない」
小さく零された龍哉の本音にイヴェールとアルセは眉を寄せる。
龍哉は前髪をくしゃりとかきあげて珍しく不安に支配されている心を語り始めた。
ポツリポツリと零される言葉をふたりは黙って聞く。
「僕は父親失格なのかもしれない。
あの子の幸せを考えるべきなのに、あの子に選ばせてやるべきなのに、それをしたくない。しない」
「あぁ、そうだな。それをチビに言わなきゃ失格かもな」
「言えるわけない。こんな情けないこと」
「お前もそういうの気にするのな」
意外そうなアルセに龍哉はぐっと眉をしかめた。
瑠璃の前だけ。瑠璃の前でだけはかっこいい父親でいたい。あの子にだけは情けない姿なんてみせたくない。
「仕方ないだろ。
自分でも驚くくらいにあの子が占める割合が大きくなってるんだから」
瑠璃が笑うと自分も嬉しい。瑠璃が泣くとその悲しみの原因が憎くてたまらなくなる。あの子の一挙一動に振り回される。いつかこの手を離れていく日が来ることはわかっている。
だけどまだもう少し、あの子が自分を必要としてくれる間は、誰にも瑠璃を守る役目を譲りたくない。例え、実の親であろうと、どんな事情があれど一度あの子を手放した人間なんかに瑠璃の成長を見守る権利を渡したくはない。いや渡せない。
「手放せるはず、ないじゃないか」
「だよな。俺たちでさえそう思うんだから」
「覚悟をしろよ。俺たちはチビに実の親の存在を黙っているんだ。
テメェがチビを失いたくないばかりにな」
イヴェールの低い声に龍哉は静かに頷いた。
瑠璃の選べる道をひとつ奪う。自分のために。その覚悟を。
例えそれが間違いだとしてもこの選択を後悔しない、後悔させない覚悟を。




