第63話
闇だ。深くて暗く冷たい闇の中にいる。
そんな中を短い手足を動かして必死に走っていた。
『大丈夫、私がおりますわ。私が必ずお守りいたします』
そんな中で優しい声を聞いた。優しい手を思い出した。安心する温もりを感じた。
だけど、誰のものかわからない。分かったのはその温もりが大好きなお父さんのものではなかったということだけ……。
目を覚ましたら自分の部屋のベッドの上で、カーテンの向こう側から朝の光が差し込んできていた。
なんだかとっても懐かしい夢を見た気がする。
どんな夢だったかはわからないけどこう胸が締め付けられるような、切ない気持ちになるような、そんな夢だった気がする。
思い出したぬくもりと忘れてしまった罪悪感から目をそらすように気持ちを切り替えて体を起こす。
ドレスから着替えている上にメイクもバッチリとれているということはメイドさんのお世話になったんだろう。後でお礼を言っておかないと。そう思いながらシャワーを浴びる。着替えて部屋に戻るとドアからひょっこりエアルさんが顔を出していた。
「瑠璃ちゃん、目が覚めましたか?」
「エアルさん、おはようございます!」
「ふふ、よかった。元気そうですね」
「?」
「実はフォンセから様子を見てきてくれって頼まれたんです」
「!すみません、寝坊しちゃいました??」
「いつもと同じ時間だから大丈夫ですよ」
用意ができたら下りてきてくださいねと笑ってエアルさんはドアを閉めた。
慌てて身支度を整える。夏の長期休暇に入ったからって自堕落な生活を送っちゃダメだよね。フォンセたちはここぞとばかりにおじ様のお手伝いしてるんだから。
それに、昨日のパーティーの女性と男性の話も気になるし。
フォンセたちも調べてくれるって言ってたけど自分でできることはしないと。
私自身の過去のことは私が調べなきゃいけないとも思うから。だけど心配かけないようにしないと。
「よし!頑張ろう」
「何を頑張るの?」
「お父さん!?」
「遅いから様子を見に来たんだけど、大丈夫かい?」
寝てる間にどこかにぶつけた? なんて失礼なことを言うお父さんを睨み付ける。
けれど私の睨みなんてものともせずに行くよなんて手を差し出してくるお父さんにはかなわない。素直に手を取るのは癪だから勢いよく腕に飛びついてやった。
そこで気がつく。私の過去のことってお父さんに聞けば一発じゃないの??
「ねぇ、お父さん、私ってお父さんに拾わられる前は孤児院にいたんだよね?」
「どうしたの? 急に」
「えっと、なんとなく? それで孤児院の名前とか覚えてる?」
「……さぁ、なんて名前だったかな。覚えてない」
「そっか」
「……それより今日は何をして過ごすんだい?」
「んー、侯爵家についてのお勉強とあとは街をぶらぶらしようかなって」
「そう、夕飯は和食がいいな」
「了解!」
宣言通り朝ごはんを食べた後は談話室でエアルさんに侯爵家について教えてもらってお昼を食べて、お屋敷を出ようとしたところで久しぶりにフォンセが過保護を発動させた。
「出かけるのか?」
「うん、お買い物のついでにぶらぶらしようかなって」
きゅっとフォンセの眉間に皺ができる。
手元の書類を睨み付けてもなくならないよー。
着いていく! と言い出しそうなフォンセにひとりで大丈夫だよと笑う。すると、しかめっ面のままで気を付けろよと念を押されてしまった。それに苦笑いで答えて街へと繰り出す。
お父さんのリクエストにそって夕食の材料を買いながらお屋敷に戻る。
今日の夕飯は和風ハンバーグ。和風だから和食のくくりでもいいだろうと言い張る。
不満そうなお父さんの顔が思い浮かんでしまってクスリと笑う。
でも今日の気分はハンバーグだから変更はなし! 付け合わせになにかお父さんのお気に召すようなものを出そう。そんなことを考えながら歩いていると門のところで1台の車とすれちがった。
お客様でも来たのかなと思って玄関をくぐるとホールには難しい顔をしたおじ様たちが何かを話し込んでいた。
「ただいま帰りました」
「チビ、戻ったのか」
「何かあったんですか?」
「ん、あぁ、ちょっとな」
「それより今日の夕飯瑠璃が作るんだろ? 俺も食べてっていい?」
「静奈さんに怒られても知りませんよ」
「んーじゃあ静奈も呼ぶから!」
「ふふ、わかりました。3人分追加ですね」
「おう!」
わしゃわしゃと私の頭を撫でてアルセさんたちはおじ様の執務室へと向かった。
その中にお父さんもいたけれど私の顔をじっと見つめただけでいつものように私の頭を撫でるアルセさんの手を叩き落としたり、軽口をたたいたりしなかった。
それに少しだけ顔色が悪いような気がした。
「お父さん……?」
「どうした?」
「フォンセ!……また、何かあったの?」
書類を片手に心配そうに私をのぞき込んだフォンセに尋ねる。
「いや、面倒な客人が来ていただけだ」
フォンセはわずかに顔を顰めてそう答えた。
またなにか面倒なことが起こるのかもしれない。直感でそう思った。
だけど、夜の闇のお仕事関係なら私が首を突っ込んではいけない。
「……そっか」
「キッチンに運べばいいのか?」
「うん! ありがと」
短く答えてキッチンまだ買ってきた食材を運んでくれるフォンセにお礼を言ってその背を追いかける。だから私はフォンセがどんな顔をしているのかわからなかった。