第4話
おじ様が言っていたようにお父さんはお仕事が忙しいようだ。
私は慣れない場所でひとりにされて寂しがっているかというとそうでもない。
春休みに入ったフォンセやグレンがよく様子を見に来てくれるし、おじ様たちのお手伝いがない日は何かと構ってくれる。
二人がおじ様たちのお手伝いをしている時も、エアルさんやグレンのお母さんである静奈さんが来てくれて、一緒にお茶したりお話したりと退屈することなく過ごしている。
エアルさんと静奈さんは母親がいない私にとってお母さんみたいな人たちだ。
だからお二人と過ごす時間はすごく優しくて楽しい。
今だってエアルさんとお茶をしている。
手入れのいき届いたお庭を見下ろせるバルコニーで優雅にお茶を飲むエアルさんを伺うように覗き見る。
その視線に気がついたエアルさんはふわりと愛らしい笑みを浮かべてふっくらとした唇をゆっくりと動かした。
お父さんと同年代、正確に言うならお父さんよりも少しだけ年上の彼女は、年齢を感じさせない可憐さで咲き続けている。
私はその若々しく美しい顔を凝視しながら彼女の言葉の意味を理解できないまま頷きかけた自分に慌てて待ったをかける。
「……。ごめんなさい。今、なんて言いました?」
「あのね、瑠璃ちゃんにパーティーに出て欲しいんです」
ニコニコと笑っているエアルさんは私の顔が盛大に引きつっているのに全く気付いていない。
ちょっと待て、何をどうすれば私がパーティーとやらに出席することになるんですか?
というかパーティーって何ですか!?
「えっと、パーティーって」
「瑠璃ちゃんもお年頃でしょう? そろそろ社交界デビューしなくちゃと思って!」
あの、私、一応、ギリギリ一般人なんで社交界デビューは必要ないです。
お父さんがどんなに横暴で我が儘でも、おじ様の部下でも私はごくごく普通のどこにでもいる女子中学生なのでどうぞお構いなく。むしろ一般人のままでいさせてください。お願いします。
そう言いかけてぐっと言葉を飲みこむ。
目の前にいるのはただ可愛らしいだけの女性じゃない。
あのおじ様の奥さんとフォンセのお母さんをしているエアルさんだ。
引きつる私の表情を全く気にせずにエアルさんはキラキラと瞳を輝かせる。
「実はこの間、瑠璃ちゃんに似合いそうなドレス見つけたんです!」
「ま、まさか」
「買っちゃいました!」
うふふと可愛らしく笑ったエアルさんは無言で固まるしかない私に更に追い打ちをかけていく。
「イヴェールさんも楽しみにしてるんですよ。珍しく一緒に選んでくれたんです!」
ニコニコと嬉しそうに爆弾を落とされ処理が追いつかない。
むしろ処理のしようがないそれらに着実に逃げ道を塞がれて行くのを感じた。
何してんの!? というかおじ様も楽しみにしてるって! 一緒に選んでくれたって! おじ様まで本当に何してるんですか!?
ドレスってこの人たちの目に止まるくらいのものだから衝動買いできる値段じゃないよね!? お父さんといいこの人たちといいどうしてこうゼロの数があり得ない買い物をサラッとしちゃうの!?
お父さんはあまり高価なものを買いすぎると私が真っ青になってプルプル震えることを知っているから、最近じゃあんまり買わないけどエアルさんたちは違う。
この人たちは毎年送られてくるプレゼントに私が喜びながらも慄いている事を知らない。
金銭感覚のズレって怖い……!!
「でね、瑠璃ちゃんはこっちとこっちどっちがいいですか?」
「ここにあるんですか!?」
「実はそのパーティーって今夜なんです」
敵は思ったよりもずっと強かだった。
逃げ道を完全に塞がれた私はヒクリと頬を引きつらせてガックリと項垂れた。
これはもう、最終兵器――しかも私の手には負えない――に頼るしかない。だけどその頼みの綱であるお父さんは生憎と仕事に出ている。
そうなると私に残された道は、被害を最小限に抑えるために目の前のエアルさんに素直に従うしかない。
「……よくわからないのでエアルさんにお任せします」
「本当!? じゃあ、さっそく準備しましょう」
人生で初めて羞恥で死ねると思った。
エアルさんの連れてきたメイドのお姉さんに頭の先から足の先まで丁寧に洗い清められ、良い香りのボディークリームを塗りたくられ、キラキラする粉をはたかれ、げっそりとしたところに化粧を施されて装飾品をあれこれと悩むエアルさんに付きあわされる。
エアルさんが満足した頃にはもう私の瞳はうつろになっていた。
きっと今の私は死んだ魚のような目をしているのだろう。
「ふふ、フォンセのびっくりする顔が楽しみですね!!」
「え?」
「瑠璃ちゃんのエスコート役ですよ。龍哉君はああいうのキライでしょう?」
キラキラと瞳を輝かせるエアルさんに何も言えなかった。
ただ分かっているのはお父さんが参加しないらしいパーティーに、つい最近再会したばかりの幼馴染にエスコートされて出席しなければならないらしいということだけだ。
だれか助けてください! そんな心の叫びが通じたのか扉をノックする音がしてお父さんが入ってきた。
「人の娘でなに遊んでるんだい?」
「あ、龍哉君、おかえりなさい。今夜瑠璃ちゃん借りますね!」
「意味が分からないんだけど」
「だからね、今夜の夜会に」
「却下。あんな煩雑な場所にこの子を行かせる訳ないでしょ」
「あら、でもこーーーんなに可愛くなったんですよ?」
自分の格好を思い出してあわあわしてた私の肩を掴んで、くるりとお父さんの方に向けたエアルさんはにっこりと笑っている。
おずおずと見上げた先には目を見開いて固まっているお父さんがいた。
どうせ似合いませんよ。こんな綺麗なドレス。
心の中でいじけていると私にはエアルさんのとっても楽しそうな声は届かなかった。
「自慢、したくありませんか?」
「……。エスコートは僕がする。それが条件だ」
「あらあら、フォンセが拗ねちゃいますね」
「この子のこんな姿を見せてもらえるだけありがたいと思えって言っときなよ」
「お父さん?」
いつの間にか話がまとまったらしい様子にパチリと目を瞬く。
「ビックリするくらい綺麗になったって言ったんだよ」
珍しいお父さんのデレにカッと頬が熱くなった。お世辞でも慰めでも嬉しい。
甘く微笑むお父さんにつられるように私の口元もだらしなくゆるんで、ふにゃりと笑みが零れた。