第38話
「チビ、どこに行くんだ?」
がしっと私の首根っこを摑まえたおじ様にえへへと笑って誤魔化す。
ま、まだ誰も起きてないと思ったのに。そのために頑張って早起きしたのに。
「さ、散歩に」
「ほぅ? 刀を持ってか?」
「ついでに練習でもしようかなぁ、なんて」
「チビ」
「………」
「はぁ……。どこまで練習に行く気だったんだ?」
「黙秘しま」
「チビ?」
「……広場に?」
「しばらく近づくなつったよな? 散歩なら屋敷の中だけにしとけ。稽古もな」
「……はい」
しゅーんと項垂れた私を離したおじ様の視線の先には超絶不機嫌なフォンセの姿。
その顔を見てしまった私は一瞬で背筋をただして顔を引きつらせた。
「瑠璃」
「おとなしくしてます」
しばらくは。心の中でこっそり付け足して大人しく食堂に連行される。
朝ごはんを食べてからも何度か脱走を試みたけれど、すべておじ様を筆頭にアルセさんやお屋敷のお兄さん、お姉さんにやんわりと阻止される。
最終的にはフォンセに今日は大人しく部屋にいろと放り込まれたうえに扉の前にはフォンセとグレンという警戒態勢まで展開されてしまった。
これって軽い軟禁じゃない。そっちがその気なら私にだって考えがあるんだから!
「寝るから話しかけてこないで!!」
怒ってます! 今からふて寝します! と宣言して困り声のグレンを黙らせて作戦を開始する。
簡単にあきらめると思ったら大間違いなんだから!
探検中に見つけた隠し通路と侯爵家についての授業中に見つけたその地図を駆使してなんとか裏門までたどり着く。
ここまできたらもう大丈夫。正門よりも遠回りになるけれど道がわからないわけじゃない。
私は一度お屋敷を見上げて走り出した。
乱れた息を整えながらお爺さんの姿を探す。
これでいなかったらジュリアと連絡を取らないといけない。
祈るような気持ちでいつものベンチを見るとお爺さんはそこに座って私を待っていた。
「お嬢さん」
お爺さんは私の顔をみて少しだけ驚いた顔をした。
「招待をお受けしてもかまいませんか?」
「あぁ。しかし、来てくれるとは思わなかったよ」
「私も、お会いできると思いませんでした。
でもお爺さんの会わせたい人が私の大切な人かもしれないから」
「正直だね」
「そんなこと、ないです」
心配してくれるフォンセたちを騙してここまできたんだから。
「……行こうか」
「はい」
お爺さんを迎えに来た車に私は自分から乗り込んだ。
「わが屋敷にようこそ。お嬢さん」
そう笑うお爺さんに案内された談話室のような部屋で私を待っていたのはお父さんではなかった。
落胆する気持ちを押し隠してその人を観察する。
年はお父さんと同じか少し下。どこかお父さんと重なる顔立ち。けれどお父さんよりもずっと柔和で穏やかそうな容姿だ。
ただ、その瞳だけが何を考えているのかわからないひどく澱んだものに見えた。
お父さんの凛と前だけを向いた強い目とは全く違う。
「お嬢さん、これは息子の匡玄だ」
「初めましてお嬢さん」
精一杯の柔らかさで紡がれた声はうわべだけのものにしか聞こえなくて、私が警戒心を持つには十分なものだった。
「初めまして。お招きくださりありがとうございます」
「お嬢さんに会わせたかったのはね匡玄の息子なんだが、どこにいるんだい?」
「龍成ならあの人のところですよ」
「そうか。……すまない、少し席をはずしているようだ」
「いえ、」
「呼んで来よう」
お爺さんはそう言って部屋を出て行ってしまった。お爺さんの考えていることがわからない。
そう簡単に会わせてもらえるとは思っていなかったけれど、お爺さんのお孫さんと私を会わせたい意味が分からない。
今、この人と二人っきりにされる意味も。
「そう警戒しないでほしいな。僕は君が来てくれたことに感謝しているんだから」
「どういう意味です?」
「決まってる。早くあの人を連れて帰ってほしいのさ」
「あの人?」
「龍哉。あいつに会うためにバカみたいにのこのこ来たんだろ」
「お父さん、やっぱりここにいるんですね」
「お父さん……。本当にそんな風に呼ばれてるのか。あの人が」
「どこですか。お望み通り連れて帰ります」
「知らないよ。でもこの屋敷にいるのは確かだ。好きに探すといい」
あの人に戻られると僕には不都合しかないからね。
コーヒーを啜りながらさっさと行けと手をふる男の人を信じていいのかわからない。
だけどこの部屋から出してくれるというのなら、探しにいってもいいというのならのらない手はない。
「っ、失礼します!」
肩にかけている刀をいれた袋をぎゅうと握りしめて駆け出す。
「家の中で物騒なもの振り回さないでね。勇ましいお嬢さん」
背後で聞こえた声に頷くことはしなかった。