第2話
異国情緒漂う景色の中に悠然とそびえ立つ立派なお屋敷を見上げる。
久しぶりに訪れた侯爵家はやっぱり城だった。それも女の子に人気の童話に出てくるようなメルヘンチックなものではなくもっと荘厳で威圧的な。
立派すぎるお屋敷に怯む私に気付くことなくお父さんはスタスタと先に進んでいく。
いくら幼いころに来たことがあると言っても、すっかり曖昧になった記憶しかない異国の城みたいなお屋敷で放置されるなんて笑えない。急いでその背中を追いかけた。
それなのに、だ。談話室らしき場所まで来るとちょっとここで待ってなよ、の一言と共に置き去りにされた。
嘘でしょ!? お父さん、ちょっと待って! と引き留める暇もなく、お父さんはあっさりと私を置いて行った。さっそくおじ様と仕事の話をするらしい。
その前に私を連れて挨拶するのが先だと思う。そして色々と説明が欲しい。
そう思うも小さくなっていくお父さんを呆然と見送るしかできなかった私は、大人しく談話室に置かれているふかふかのソファーに座る。溜息が漏れた。
「……瑠璃ちゃん?」
柔らかな声に名前を呼ばれて顔をあげるとこの屋敷の女主人、侯爵夫人であるエアルさんがいた。
緩くウェーブした亜麻色の髪が揺れてエメラルドグリーンの瞳がぱぁと輝く。
「いらっしゃい、瑠璃ちゃん」
弾んだ声がもう一度私の名前を呼んでふんわりと花が綻ぶような笑みが零れた。
その微笑みにつられるように私の表情も緩んだ。
「お久しぶりです。エアルさん。ご挨拶に伺えなくてすみません」
「構いませんよ、龍哉くんでしょう?」
エアルさんはお父さんの行動なんて予想済みらしくてどこか楽しそうにクスリと笑う。
けれどすぐに表情が曇ってきゅっと綺麗に整えられた眉をよせた。
「だけど、瑠璃ちゃんをひとりにするのは頂けませんね。
ひとりで不安だったでしょう?」
むぅっと怒った顔でお父さんへの不満を言ったあとに釣り上げていた眉を下げて申し訳なさそうにもっと早く気づいていれば……と呟く。
エアルさんのせいじゃないのにエアルさんにこんな顔をさせるなんて。後でお父さんに言う文句を倍にしようと心に誓いながら苦笑いで首を振る。
不安じゃなかったといえば嘘になるけれど、談話室はこの屋敷でおそらく一番長く過ごした場所だし、全く知らない場所に置き去りにされた訳じゃないから大丈夫。
そう答えると、エアルさんはまた眉を釣り上げて、珍しく低い声でお父さんの名前を小さく呟いた。
「もう大丈夫ですよ。
龍哉くんにはあとでゆっくりお話するとして、とりあえずイヴェールさんのところに行きましょう」
瑠璃ちゃんが来るのを楽しみに待っていたんですよ、と優しい笑みを浮かべて白魚のような手が私の手をひく。
エアルさんに叱られて珍しくたじたじになるお父さんの姿が浮かんで小さく笑った。
私の母親代わりでもあるエアルさんとアルセさんの奥さんである静奈さんにお父さんは弱い。おじ様たちにはしれっとした顔で毒を吐いたり反抗するのに、エアルさんたちの言葉には素直に従うことが多い。
特に見るからに庇護欲を煽り守ってあげたくなる女性を絵に描いたようなエアルさんにお父さんは逆らえない。おじ様たちがその素直さを少しは自分たちにも向けろというくらいだ。
「瑠璃ちゃん?」
「いえ、おじ様にお会いするのも久しぶりだなと。ちょっとドキドキします」
「ふふ、緊張しなくてもいいですよ」
そんな話をしているといつの間にかおじ様の執務室の前に付いていた。
コンコンと軽やかにノックをする音に低い声が入れと答える。
思わずきゅっと繋がれた手に力を入れる私を落ち着けるようにエアルさんがやんわりと握り返してくれた。
「失礼します。龍哉くんが談話室に置いてきぼりにしていた瑠璃ちゃんを保護しました」
「……誤解を生むような言い方しないでくれない?」
反論する姿さえいつもに比べれば随分と謙虚だ。
エアルさんの物言いとムスッとするお父さんにクスリと笑って、私はじっとこちらを見るおじ様に微笑んだ。
「お久しぶりです。おじ様。
えっと、その、お世話になります」
「あぁ、よく来たな。チビ。」
くしゃりと頭を撫でられてそのままハグとキスを貰う。
嬉しくてふにゃりと笑うとおじ様もやんわりと目を細めて笑ってくれた。
「龍哉から説明は……聞いてないんだな?」
チラリと向けられたおじ様の視線からサッと目を逸らしたお父さんにおじ様が溜息を吐く。
ご迷惑をお掛けします。
苦笑いで頷いた私におじ様はお父さんはじとりと睨む。
「お前まさか学校帰りのチビを何の説明も無しに連れて来たんじゃねぇだろうな」
「……ここに住むことになったことは教えた」
「ほぼ何も説明してねぇじゃねぇか!
チビ、お前も平然としてねぇでちょっとはこの馬鹿を怒れ!」
「えぇえ!?」
「何が“えぇえ?”だ! 龍哉を甘やかしてんじゃねぇ! これ以上我が儘になったらどうする気だ」
「イヴェールさん、瑠璃ちゃんは龍哉くんの保護者じゃなくて娘ですよ」
「……そうだった」
「なんというか……すみません」
エアルさんのつっこみにがっくりと項垂れたおじ様に申し訳なくなる。
お父さんは相変わらずツンとそっぽを向いていた。
「まぁ、あれだ。龍哉に任せる仕事が増えた。
チビを家にひとりにする訳にもいかねぇし、つか俺たちが心配だからここに住め。
本当はもっと早くこうしたかったんだが色々あってな。
……遅くなって悪かったな」
「いえ! あの、ありがとうございます。嬉しいです」
心配してくれるおじ様たちの心がなによりも。そう伝えたくて笑う。
おじ様とエアルさんは顔を見合わせて優しく微笑んだ。
「チビ」
「瑠璃ちゃん」
「「我が家へようこそ」」
お父さんそっちのけで困ったことがあったら遠慮なく言えとか、欲しいものはないかとかと気を遣いまくるおじ様たちにお父さんがキレたことは言うまでもない。
それでも私は嬉しくて嬉しくてずっと笑顔だった。