第223話
宣言通り、衣装を着ての練習が始まった。といっても衣装は本番用のものではなくて、それに近い練習用のものだ。
「ひらひらして動きにくい」
「そうね。地味に重いし。転びそうだわ」
ブツブツ文句を言いながらも練習する私とジュリアに隼人先生が呆れたように笑う。
「そう言いながら一回も転んでねぇし、それなりに動けてるじゃん。
絶対一回は衣装踏んづけて転ぶと思ったのに」
ぼそっと小さく付け加えられた一言に私とジュリアの目が半眼になる。
「先生。聞こえてる」
「最後の一言が余計なのよ!」
じとりと睨みつけると先生はヤベっと私たちから視線をそらして、授業が~と足早に逃げていった。
HRが終わってから、受け持ちの授業がある時間まで私たちの練習を見ていてくれたから文句は言えないんだけど、なんだかなぁ。
お父さんは仕事の関係で今日は午後からしか来られないから、先生が授業に行くと私たちは二人で練習しなきゃいけなくなる。
「はーーーーー。ちょっと休憩しましょ」
「そうだね」
衣装がしわにならないように気をつけながら床に座って、壁に背中を預ける。
「……グレン様、来ないわね」
「フォンセが仕事を押しつけてるみたいだからねぇ」
ジュリアは、フォンセとはいつも通り教室で保護者と保育士の会話を繰り広げたけれど、今日はグレンとは顔を合わせていない。いつもはフラっと練習をのぞきに来たりしているのに今日はそれもないし。よほど忙しいのかフォンセが手を回しているのか。
「……寂しい?」
冗談半分でジュリアに尋ねてみると、ジュリアはパチリと目を瞬いて、まるではじめて聞いた言葉のように繰り返して固まった。
「さみしい……?」
言葉の意味を探すように繰り返された頼りない声と、私を凝視したまま固まってしまったジュリアにやってしまったと思った。女子会と買い物で平常心に戻ってきていたジュリアの心をまたかき乱してしまった。
「さみしい……」
さみしいしか呟かなくなったジュリアに、これはダメだ。なんとか再起動をしないとと思った瞬間、私たちの上に影が差した。
「二人とも見つめ合ってどーしたんだ?」
「グレンさま」
「ん?」
呆然と呟いたジュリアと優しい目をしたグレンの視線がぶつかる。
はらり。
ジュリアの瞳から涙がこぼれた。
ぎょっとした私とグレンとは裏腹にジュリアは驚いたように濡れた頬を手で押さえている。
「あ、れ? どうして、」
自分でもどうして泣いているのか分かっていない様子のジュリアに、私と一緒にアワアワしていたはずのグレンが静かにハンカチを差し出す。グレンと差し出されたハンカチを見つめて動かないジュリアに、グレンは困ったように眉を下げて優しくジュリアの涙を拭い始めた。
「ぐれん、さま」
不安と心細さを孕んだ弱々しいジュリアの声にグレンはゆっくりとジュリアを抱きしめた。
抵抗すれば簡単に逃れられるゆるさで囲われたジュリアが逃げ出すことはなく、すっぽりとグレンの腕の中に隠されている。
「大丈夫。ここにいるよ。俺はずっとジュリアが好きだよ」
「、」
「ジュリアが答えを出すまでいつまでだって待ってる。
だから、焦らなくて良いよ。
でも、忘れないで。俺は本当にジュリアが好きだよ」
グレンの声とジュリアの嗚咽を聞きながら気配を殺してそっと外にでる。扉に背を預けたフォンセが空に向けていた視線を私に向けた。どうやらグレンを回収に来たらしい。
「本当にグレンにジュリア取られちゃう」
「そう言う割には嬉しそうだぞ」
呆れたフォンセの声に唇をとがらせる。
仕方ないじゃない。グレンなら、ジュリアが、グレンを選ぶのなら、良いかなって思ってしまったんだから。
グレンを見てジュリアが泣いてしまった理由を私は知らない。分からない。でもきっと、あの涙を止められるのはグレンだけだから。だから、今だけは邪魔しないでいてあげる。
ジュリアが落ち着いた頃を見計らってフォンセと共に練習場に戻ると修羅場ってました。
「グレン様の女たらし!」
「なんで!?」
待って! なんでそうなってるの!? 良い感じだったよね? 私が出て行くまで良い感じだったよね? 何をやらかしたのグレン。
思わずジト目でグレンを見てしまう。フォンセも白い目をグレンに向けている。
「女タラシ。時間だ、いくぞ」
「だから誤解だって! なんでそうなったの!?」
誤解だ! 俺は無実だ! と叫ぶグレンの首根っこをつかんでフォンセが引きずっていく。
「ジュリア嬢。静奈への連絡はいつでも開いているから遠慮はするな」
「お気遣いありがとうございます。必要なときは遠慮なく使わせていただきます」
「ああ、そうしろ。じゃあ、二人とも頑張れよ」
「だからなんで!? 俺、何もしてない!」
グレンがぎゃんぎゃん騒いでいるがフォンセは何も聞こえていないかのように無視をして無情にも扉を閉めた。
扉が閉まった瞬間、ジュリアがその場に崩れ落ちる。
「ジュリア!?」
「だいじょうぶ」
弱々しい声に、でもっと言い募ろうとしたとき、視界に入ったジュリアの耳が赤く染まっている事に気がついた。
「はー」
深く大きな息をして顔を上げたジュリアはぎこちなく笑って見せた。
「手慣れすぎててムカついたから、……このくらいの抵抗は許されるでしょう?」
私は目を瞬いて言葉の意味を理解すると小さく吹き出した。
小さく笑いながらもちろんと頷いた私に安心したようにジュリアが体の力を抜く。
反撃じゃなくて抵抗ってところがジュリアの心境を表しているのだろう。
「もう、ごちゃごちゃ考えるのはやめるわ。
瑠璃が言うように答えの方が勝手にやってきて逃げ道を塞いでいくのなら、それまでは考えないことにする。
グレン様が勝手をするなら私だって好きにするわ」
静奈様にもアルセ様にも思いっきり振り回してやれば良いって言われたしね! とどこか吹っ切れたようにジュリアは晴れやかに笑った。