第115話
お父さんは夕食が終わっても帰って来なかった。
おじ様はやけ酒してるんだろとどこか楽しそうに笑っていて、エアルさんも隼人さんと一緒なら安心ですねと笑っていた。
隼人先生への謎の信頼感。聞けば学生時代から(お父さんに)なにかと巻き込まれていた先生はおじ様たちとも顔見知りらしい。夜闇にスカウトしたこともあったらしいけれど、断られたって少し残念そうだった。
そのまま談話室でご機嫌なエアルさんとおしゃべりして、おじ様と仕事のお話をしているフォンセを待つ。
報告をしたいひとが、もう一人いる。それをフォンセに伝えたら、当たり前のように報告するつもりでいてくれて、一緒にしてくれるって言ってくれた。
ぽかぽかする胸と緩む頬を止められないまま、テーブルに置いたスマホを見る。
少しだけ、ほんの少しだけ混じった心配を見透かしたようにエアルさんが優しく微笑んだ。
「大丈夫。きっと喜ばれますよ」
「エアルさん」
「ふふ、私のこともママって呼んでくれてもいいんですよ?」
「何を強要してんだよ。母さん」
呆れたフォンセの声にエアルさんは息子が可愛くありませんと頬を膨らませた。
変わらず注がれ続けるフォンセの冷めた視線にふうと息を吐いてエアルさんが立ち上がる。
「フォンセ、ちゃんと瑠璃ちゃんをお部屋に送ってあげるんですよ。
分かっていると思いますが」
「分かっているので、それ以上はいいです。母上」
「ふふ、よろしい。瑠璃ちゃん、おやすみなさい」
「エアルさん、おやすみなさい」
エアルさんを見送ってフォンセの隣に座ってスマホを手に取る。
深呼吸をすると、大きな手が励ますように私の手を包んだ。
その温もりに覚悟を決めて通話を開始する。
スピーカーから聞こえるコール音は程なくして柔らかな声に切り替わった。
穏やかで優しい声色に安心しながらもこれからのことを思うと緊張せずにはいられなくて声が上ずった。
『おはよう、瑠璃ちゃん。あ、そちらではもうこんばんは、かしら』
「お、おひさしぶりです」
いつもと違う様子の私に何かあったのか、と電話越しの声が心配を孕んだ。
それに余計にどうしたらいいか分からなくてぎゅうっとフォンセの手を握る。
俺が話すか?と目で聞かれて、ふるふると首を振る。
「あ、あのね、……お、ぉかさん!」
詰まりながら紡いでしまった言葉に時間が止まる。
息をのむ声が聞こえて、小さくすすり泣くような音が聞こえた。
やってしまったとますます頭が真っ白になる。
「瑠璃、大丈夫だ。お前が不安に思っているようなことじゃない」
耳元に落ちてきたフォンセの囁きに、でも、だってと、縋るように顔をあげる。
私を見下ろすフォンセの顔は優しくて、私を落ち着けるように繋いだ手に力をこめてもう一度大丈夫だと笑った。
私が落ち着きを取り戻すと同時に、あちらも落ち着いたようで、奥方――――お母さんは涙に濡れた声で、幸福そうに囁いた。
『驚かせてしまって、ごめんなさいね。
こんなに早く瑠璃ちゃんにそう呼んでもらえる何て思っていなくて……。
瑠璃ちゃんはいつも私に幸せをくれるのね』
嬉しくて、安心して、ちょっと切なくて、幸せで、ぎゅうと胸が締め付けられる。
「お、おかあさん。あのね、聞いて欲しいお話があるの。
今度のお休みにフォンセと一緒にそっちに行ってもいいですか」
緊張でいっぱいの私の声にお母さんは少し驚いたあと、もちろんよ、と優しく答えてくれた。
それからは近況を報告したり、とりとめのないお話をしていのだけれど、突然何かを思い出したようにお母さんが声をあげた。
『そう言えば、この電話の少し前に龍哉殿からこちらにくると伺ったのだけれど、何かあったのかしら?
少し様子がおかしかったように思ったのだけれど……』
「「は?」」
思わずフォンセと声を重ねてしまった。
基本的に見守るスタンスで会話にあまり参加しなかったフォンセの声にお母さんがあら?と不思議そうな声を漏らす。
思わずフォンセと顔を見合わせると、今度はフォンセが頭が痛いという顔をして頭を抱えていた。
「ボスに確認してくるから席を外す。
オウカ殿と瑠璃はゆっくり話しててくれ」
「私も気になるから一緒に行くよ。
お母さん、ごめんなさい」
『ふふ、いいのよ。またお二人に会えるのを楽しみにしてるわ』
通話を終了して、おじ様のお部屋に行くと、おじ様が頭を抱えていた。
それを見てすべてを察した私はすかさず頭を下げました。お父さんが本当に申し訳ありません。
遠い目をするおじ様に頭を下げてる最中にピコン!とメッセージアプリの通知音が鳴った。
おじ様とフォンセに促されて内容を確認すると、お父さんから『すぐ戻るからいい子にしてなよ』と短いメッセージが来ていた。その後に続いていたフォンセへの悪意に満ちた注意事項は見なかったことにした。