第四話 里山
少し昔の話をしましょうか。蓮さんがこのハートリペア村にやってきた時のお話です。前にも少し蓮さんが触れていましたが、蓮さんは、よく晴れた冬の日に銀狐さんに担がれて連れて来られました。ひん死の状態で、でも体の具合が戻ってからも、しばらくは口もきけないくらいダメージを受けていたんですよ。ひどく心にダメージを受けていたんです。心を閉ざして、人と関わることを極端に嫌っていました。村人のなかでも、特に美鳥さんと打ち解けず、彼女を見かけると、まるで怯えているかのように逃げ隠れしていたんだそうですよ。ここまで打ち解けるのに、とても、とても、時間がかかったんですよ?
「蓮さん、今日は山に入るんですか?」
和装好きな蓮さんには珍しく、アウトドアジャケットにズボン、トレッキングシューズを履いて、背中には大きなバックパックを背負っています。蓮さんは、温度屋に挨拶をしに来たのです。蓮さんは、時々こうやって山へ行きます。山奥に住む銀狐さんに会いに行く、と言うのが主な目的らしいですが、数カ月に一度、独りになる為に山へ行くようなのです。一週間ほどで帰ってくることもありますが、数カ月もの長い間、帰って来ないこともあります。
「しばらく店を閉める。急用の時は、遠慮しないですぐにカラス便で知らせるといい」
カラス便というのは、カラスが運ぶお手紙のことです。彼らは目がいいですからね、大体の行く先を伝えておくと、山の中でも、目ざとく探し出して手紙を運んでくれるんです。
「……蓮さん、ちゃんと戻ってきてくれますよね?」
いつになく不安そうに、美鳥さんが訊いたのには訳がありました。
美鳥さんが前回の事件で、すっかり落ち込んでいた間、他の村の人たちはもちろん、色々励ましたり慰めたりしてくれましたが、一番動揺して一番頻繁に温度屋に足を運び、山で採れたキノコや野葡萄やトチの実を持ってきたり、日頃は無口な癖に、めいっぱい無理をしているのがみえみえなぎこちなさで、ジョークや笑い話を聞かせに来たのは、蓮さんでした。そして、そんな努力の甲斐あって美鳥さんが復活し、温度屋を再開させた途端、今度は、蓮さんがすっかり元気を無くしてしまったんです。
村の人たちは、美鳥さんを励ます為に、一年分のおしゃべりをしてしまったからしゃべれなくなったに違いないとか、口を動かす筋肉が筋肉痛になったに違いないとか、色々噂していましたが、美鳥さんは、蓮さんが打ち解ける前の彼に戻ってしまったような気がして、とても不安だったんです。
「帰ってくるさ……美鳥さんが望むなら……」
「望みますよ。今帰ってきてほしいくらいです」
「まだ行ってないんだが……」
蓮さんは苦笑します。
「……蓮さん、一つ訊いても良いですか?」
「……なんだ?」
「私、ここに来る前の世界で……」
美鳥さんの言葉に、蓮さんの顔に動揺が走ります。
「何か、思い出したのか?」
「間違っていたら、ごめんなさい。私、蓮さんと……その……恋人同士だったり夫婦だったりしましたか? もしかして、その事を忘れていることで、蓮さんを苦しめていたりしますか? もしそうなんだとしたら、私……」
美鳥さんの言葉に、蓮さんは脱力したように苦笑しました。
「恋人同士か……そんな良いものではなかったな」
「そうですか。すみません、あはっ、私、蓮さんと恋人同士だったんじゃないかなんて勝手な妄想して……あはは、やだ、私ってば……ごめんなさい。迷惑でしたよね」
桜色に頬を染めて照れ笑いする美鳥さんの頭に、ふわりと蓮さんの大きな掌が乗りました。
「迷惑ではない。俺だって、あんたと恋人同士だったらどんなに良かっただろうかと思うこともあるが……いや、違うな。そうでなくて、良かったのだろう。恐らく」
蓮さんが、苦しげに顔をゆがめます。
「やっぱり、蓮さんが、時々人を避けるように山へ行くのは、私のせいですか?」
「違う。それは断じて違うよ。美鳥さんのせいじゃない。だから、俺のことは気にしないで、村のみんなと楽しくやっていてくれ」
美鳥さんが腑に落ちない顔で、それでも小さく頷くと、蓮さんは、軽く手を振って登山口から山道を登って行きました。美鳥さんは、蓮さんの後姿が見えなくなるまで見送りました。
■□■
銀狐さんは、山の頂上近くの炭焼き小屋で暮らしています。銀色の長い髪に雪のような白い肌、瞳はハシバミ色で、その妖しいまでに美しい容姿は、絵画から抜けだした美女のようです。でも残念ながら男で、しかも眠り込むと銀色の狐に戻ってしまうんです。銀狐さんは、長いことハートリペア村で暮らしているうちに、半人半獣になってしまったんだそうですよ。最初は、単なる銀色の狐だったらしいです。他の動物も、長い時間をハートリペア村で過ごせば、半人半獣になるのかと問われたら、良く分からないとしか言いようが無いです。なにせ彼は、元々化けるのが得意な狐だし、彼ほど長い時間をハートリペア村で暮らしている人は、少ないですからね。今現在、一番長く住んでいるのは、禁断の森の魔女か彼かなんです。どちらが先にここにいたのか、本人達にも分からないらしいんですよ。その次が美鳥さんで、その次が蓮さんでしょうか。その他にも色々な人がいましたが、ポイントが貯まると、大抵の人は、自分に欠けたものと交換して村を出て行ってしまうんです。
「そろそろ来るころだと思っていたよ」
頭に手ぬぐいを巻いて、焼き上がった炭を依り分けていた銀狐さんが、蓮さんを見てにっこり笑いました。
「銀さん、久しぶりだな」
「本当に久しぶりだね。最近の村の様子はどうだい? 美鳥ちゃんは元気かな? タロさんの今年のニンジンの出来は、どうだい? それ最近の村の流行りの服なのかい? もしかして新入りのシンシアとかいう変な男が作った服?」
銀狐さんは、こんな山奥で独り世捨て人のような暮らしをしていますが、実はとっても好奇心旺盛なんです。炭焼き業は表の職業で、裏ではもっと遠くにある街で俳優をやっているんだとか、炭焼き小屋の奥には、異世界に通じる穴があって、異世界で何か大きな商売をしているらしい、とか銀狐さんには色んな噂があります。
銀狐さんの矢継ぎ早の質問攻めに、蓮さんは相変わらずだなと苦笑しました。
小屋の中では、囲炉裏の上でほとほととお湯が沸いていて、銀狐さんは、自分で作った香りの良いお茶を入れてくれました。蓮さんは、でっかいバックパックをどさりを下ろして、村から銀狐さんへと頼まれたお土産の品々を取り出しました。
美鳥さんからは、ミニチュア美鳥さんのフィギュアを五個と蜂蜜の壺一つ、タロさんからは、ニンジンをどっさり、シンシアちゃんからは、七色に光を弾く布で作った真っ赤なチャイナドレスを託されていましたからね。あとは省きますが、他にも村の人たちからたくさんのお土産を託されたんです。急に思い立って村を出てきたのに、村を出る道々、出会った人に、それぞれのお店で扱っている商品を持たされたんです。しまいにはバックパックに入りきらなくなったので、蓮さんは仕方なく、韋駄天走りで村を突っ切らなくてはならなかったんですよ? みんな銀狐さんが大好きなんですね。
「これ、誰が着るの?」
銀狐さんは、目を輝かせてドレスを持ちあげます。
「あんた以外に服を着る奴が、ここに誰かいるのか?」
着てくるね、と嬉々として奥に引っこんだ銀狐さんに、蓮さんは小さくため息をつきました。
もうずっとずっと昔のお話です。ある村に光り輝く美しい姫君がおりました。その美しさは、近くの町村には言うに及ばず、遠く、都にまで轟いておりました。
世の男の方々は、身分の上下に関わらずこの姫を一目見たいと願い、妻にしたいと願いました。
その中の一人、ぬきんでてやんごとないご身分の貴族に、蓮さんは当時仕えておりました。噂を聞きつけて出向いた村で姫を一目見た主は、姫が欲しくて欲しくてたまらなくなりました。主は頻繁に村を訪問して姫君に会いに行きましたが、それ以上に頻繁に蓮さんは姫君の元へ贈物の品々を届けに行きました。しかし主の求婚に姫君は首を縦に振りません。せめて傍に置きたいと、出仕を要請しましたが、姫君から色よい返事を聞くことはありませんでした。貴族の生活にも都の暮らしにも興味が無く、ただ穏やかに里村で両親とともに暮らしたいと姫君は願っていたのです。姫君の願いを知っても、主は姫君を諦めることができませんでした。
度重なる出仕の懇願を拒み続けられた主は、ある日、ついに蓮さんに命令を下しました。
――姫を殺せ、と。
自分のものにならぬのならば、誰ものになることも許さぬ。主はそう考えたのです。蓮さんは、とてもとても胸を痛めました。贈物を届けるために姫の元を訪れる度に、蓮さんもまた姫に心惹かれ始めていたからです。
七色の光を弾く深紅のチャイナドレスを着た銀狐さんが、奥から現れました。
「どう? この服は、すっごく綺麗で着心地が良いね」
蓮さんは銀狐さんを見て、目を見張ります。
主の命を受けて、贈物を届けるために赴いた先で初めて見た姫君は、唐紅の衣を纏った、この世のものとも思われぬ美しい人でした。光り輝いているようにさえ見えた姫の姿と、光を弾く深紅のチャイナドレスを纏った銀狐さんが重なります。
「何? そんなに呆けるほど俺が美しい?」
「あんたじゃない。そのドレスが……」
蓮さんは言いかけて、急に不機嫌そうに口をつぐみました。
「分かっているよ。光り輝く姫君を思い出したのだろう?」
銀狐さんは、含み笑いしながら続けます。
「あんたの償いは、いつになったら終わりそうかい? 姫君はまだ気づかないんだねぇ。もしかして、あんたが気づかないようにしてるのかい?」
銀狐さんの言葉に、蓮さんは、少し遠くを見ているような瞳で呟きました。
「時々分からなくなるんだ。どうしたら俺の罪は償ったことになるのか……。俺は、自分が彼女にした事を思い出してもらいたいのか、忘れたままでいて欲しいのか、彼女に許してもらいたいのか、罰してもらいたいのか。それどころか、自分は償いを終わりにしたいのか、あるいはこのままずっとここで、この暮らしが続いて欲しいのか、それさえ分からなくなっていて……。つまるところ、何故、俺はあの時彼女を連れて逃げなかったのか、そこに戻ってしまう。堂々廻りなんだ。でも……」
銀狐さんは、ただ静かに頷いて先を促します。
「この前、彼女が逆切れした客に刺された時、俺は、これでもうこの世界が終わるのかと思って、心底ぞっとしたんだよ。俺は、この世界を愛しているんだと思い知らされた。彼女が俺のした事を思い出すことで、あるいは思い出して罰することで、あるいは許すことで、この世界が消滅するのなら、俺は……何一つ前に進まないでくれ、このままでいてくれと願ってしまう。それが身勝手な願いなんだと分かっていても、願ってしまう。……俺は、この世界で償いの日々を送っていると思っていたのに、いつの間にか……」
俺は、罪深い人間だ。そう言ったきり、蓮さんは黙りこみました。
「……この世界は、そんなに簡単に終わると思うかね?」
「そんなこと俺に分かるものか。あんたにそれを聞いたら答えをくれるのか?」
「分かっているなら、教えてあげたいところだけどねぇ」
「分かっていても、あんたはそれを俺に教えない。そうなんだろ?」
蓮さんがそう言って、不貞腐れ気味にごろ寝すると、くつくつと笑いながら銀狐さんは、まぁしばらくゆっくりしておゆきよと言って、再び奥に引っ込んでしまいました。
蓮さんの懸命の説得にも、姫は最後まで首を縦に振りませんでした。
「姫、これが最後です。今なら、私の命と引き換えにすれば、もしかしたらあなたを救うことができるかもしれない。良い返事を聞かせては下さいませんか?」
「私の命は、あなたの命を引き換えにする程の価値はございません。何故そのような悲しい事をおっしゃるのですか?」
姫は心底驚いた様子で、そして悲しそうに言いました。
「このままだと、私はあなたを切らねばならなくなる。私の主人は本気です。あなたを他の誰にも渡したくないのです」
「……ではお切りください。私は……お慕いしている方がおりながら別の人に抱かれるよりも、死ぬ事を選びます。私はあなたを……お慕いしています」
姫は毅然とした顔でそう言いました。
蓮さんの頭にこびりついて離れない、切ない記憶です。たくさんの時間を掛けて自分が姫に惹かれて行ったように、姫もまた蓮さんに惹かれて行ったのです。それを知った瞬間でした。
でも当時の蓮さんは、姫の気持ちを知って嬉しいと思うよりも、自分が大変なことをしでかしたらしい、と思う気持ちでいっぱいでした。代々主に仕えてきた蓮さんの家では、主の命令に逆らうことなどありえないことでしたし、ましてや、主が望んでいる女性を横取りすることなど、考えることすら許されないことだったからです。
■□■
蓮さんが山へ出かけた次の日、美鳥さんも店を閉めて、森へ向かいました。再び晴天が続いているようだし、一日くらい閉めても大丈夫だろうと思ったんです。
行先は禁断の森です。美鳥さんは、もうたくさんポイントがありますから他の生き物に変えられる心配はないんですよ? それこそ毎日禁断の森に通ってポイントを交換しても、しばらく無くならないほど貯まっているんです。まぁ、ポイントを使えるのは、一回きりなんですけどね。
禁断の森は、不思議な場所です。ハートリペア村やとなり街にあるような木は、一本もありません。幾つにも枝分かれして、空高くどこまでも伸びている頼りなげな細い枝が、ゆらゆらと大気の揺らぎに合わせてたゆたっています。頼りなげなんですが、いくら高くまで伸びても、その枝は折れることが無いようです。もしかしたら、禁断の森の中は、空気の密度が高いのかもしれません。本当に、重力など関係ないというように、さほど太くない木の幹は、どこまでも、どこまでも、天高く伸びているんです。揺らめく陽射しを目指して、枝を迷路のように広げ、葉を茂らせ、時折、キュポンという幽かな音とともに、色鮮やかな大輪の花を咲かせます。花の季節の禁断の森の美しさと言ったらもう、どんなに言葉を尽くしても、言い尽くせないほどなんです。
そんな禁断の森の樹海の奥に、魔法使いの紫さんは住んでいます。長く滝が流れているような見事な黒髪に、切れ長の瞳。紫さんは、和服がとてもよく似合う雅な雰囲気の人です。紫さんは、城の外に咲いているとりわけ大きくて美しい花を摘んでいるところでした。
「姫、とうとうポイントを使う気になりましたか?」
紫さんは、ちらりと視線を美鳥さんに投げた後、優雅な手つきで花を折りとりながら、美鳥さんがここへやってくることは分かっていたとでも言うように、ごくごく自然に声をかけてきました。
「こんにちは、紫さん。いえ、……っていうか、私は、姫では無いですよ?」
少し苦笑してから、美鳥さんは続けます。
「ポイントは……まだ使いたいと思わないんです。でも、その事でとても悩んでいて……」
紫さんは、分かっていますともと言いたげに優しく頷きました。頷く姿も紫さんは優雅です。きっとあくびしたって優雅なんでしょう。むしろ、紫さんの方が姫と言う呼び名にふさわしいと、美鳥さんは思います。
「分かっていますとも。あなたは、とても悩んでいて、ここに答えを求めにやって来た。答えなど、どこにも無いことを知っていながら……」
「私は、ポイントを使った方がいいのか、それとも使わなくてもいいのか。やっぱり答えはないんですか」
美鳥さんは、少し困ったように、でも予想通りだと言いたげに儚く笑います。
自分がポイントを使わないから蓮さんも使えないんだろうか。それで蓮さんは、時々辛くなってああして山へ籠ってしまうんだろうか。自分は、いつまでもここに居てはいけないんじゃないだろうか。
この前、お客様に、氷の剣を突き立てられた時、何かを思い出した気がした。
――私は、かつてこんな風に刺されたことがなかったかしら? その時、蓮さんもその場に居たんじゃなかったかしら? 私を刺したのは……あれは……。
あの時見た蓮さんの放心したような顔を、かつて見たことがある気がした。
「姫、あなたは、あなたの大事なものを奪った者を罰するべきだと思いませんか? 罰することによって、自分もその者も楽になれると考えたことは?」
紫さんは、神のように透徹した瞳で、美鳥さんを覗きこみます。
「その大事なものって……もしかして、それが私に欠けているものですか?」
紫さんは、肯定も否定もしませんでした。まぁ、紫さんは、いつもそうなんですけどね。
美鳥さんも黙りこんでしまうと、紫さんは、優しく微笑みかけました。
「城へお入りなさい。あなたの望むドアが、あなたを待っています」
お城の門をくぐると、前庭に一枚のドアが待っていました。素朴な、木でできたありふれたドアです。それは、紫さんの住んでいる立派で美しい城にちっとも似つかわしくありませんでした。でも逆に、美鳥さんの気持ちにやけにしっくりくるのです。振り向くと、紫さんがにっこり笑って言いました。
「私はね、あなた達を見ていると思うんですよ。愛の形は、決して一つではないと……。最初は、ひどく面喰いましたけどね」
紫さんの意味深な言葉に少し戸惑いましたが、美鳥さんは、ドアノブに手を掛けて、ぐっと押し開きました。
ドアの向こうは、里山でした。
よく熟した柿の実色の夕焼けが、西の空を染めています。目の前に、着物の上半身を肌蹴させて、薪割りをしている背中が見えました。既に薪を焚いて、お風呂を沸かしているのか、乾いた木を焼く良い匂いがしました。煙たいのだけれど、何故か安心する匂いです。だってね、そこには必ず温もりがあるって、分かる匂いですから。
「……蓮さん」
その背中に、美鳥さんは小さく呼びかけました。小さい声で大丈夫なんです。どんな小さな声でも、蓮さんは絶対に気づいてくれますから。ほら、薪を割る手が止まりましたよ?
驚いたように振り返る蓮さんに、美鳥さんは頼りなげにほほ笑みます。
「あの……寒かったので、来てしまいました」
美鳥さんの言葉に、蓮さんは吹きだします。
「ここより村の方が温かいだろう」
「そんなことありませんっ。ここの方が温かいですよ」
村の方が温かいと言い張る蓮さんと、ここの方が温かいと言い張る美鳥さんの声を聞きつけて、銀狐さんが小屋から出てきました。
「お風呂が沸いたよ。美鳥ちゃんも入ってく?」
美鳥さんが、銀狐さんのチャイナドレス姿に目を丸くします。
「なにそれ、すっごくきれい~。もしかしてシンシアちゃんが作ったプレゼントのドレスってそれですか?」
美鳥さんの賞賛に、気をよくした銀狐さんは、ノリノリでモデルさんのようなポーズをたくさんしてくれました。
温かいお風呂にゆっくり入った後、山で採れたキノコや根菜やモチモチのお団子が入った美味しいお汁をたっぷり食べて、すっかり満ち足りた気分になった美鳥さんは、うとうとし始めます。見かねた蓮さんが、寝床に運んでくれました。
「蓮さん、やっぱり私、蓮さんが居るところが一番温かいと思いますよ。例えそこが地獄でも、きっと一番温かいと思います。天国よりも、温かいとそう思います」
お姫様だっこで運んでくれる蓮さんに縋りつきながら、美鳥さんは、ちゃんとそう言ったと思うんです。そう言った後、蓮さんがぎゅっと抱きしめてくれたような気もするんですが、でも、あとになって、あれは夢だったのかしらとも思いました。
だって、次の日の蓮さんは、今までとちっとも変らないそっけない様子でしたし、次の日には一緒に山から下りたんですが、帰った後もやっぱりちっとも変わらない様子で、お店を開きましたからね。だから美鳥さんも、いつもどおり、温度屋を開いたんです。
それにね、色々考えている暇が実は無かったんです。あれほど天気の良い日が続いていた門の外でしたが、その日からひどい霧になったんですよ。今まで我慢していたけど、もう我慢できなくなったとでも言いたげに、ひどい霧は、連日続いたんです。
でもこれでいいんだと、美鳥さんは思います。とりあえずどんな理由にしても、蓮さんが近くで叩き屋をやっていてくれる間は、美鳥さんも温度屋をやっていける、そんな気がしたからなんです。美鳥さん、なんだかんだ言ってもこの村が、この世界が、大好きなんですからね。
――いらっしゃいませ。ここはハートリペア村の温度屋です。お客様の心を適正な温度にして差し上げます。